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東芝、株主総会招集通知

 東芝株を持っているということは先月も書きました。みんなの前でこのことを話すと、ほとんどの人が笑います。先日など、知りあいの女性は「紙切れになる、紙切れになる…」と『わぁわぁわぁ』と大笑いをして喜んでいました。言っておきますが、紙切れにはなりません。紙切れというのは株券時代の話しですから。

 反応が面白いので、「これ口止めだぞー」というと「言ってやろう、言ってやろう。口止め料ちょうだい」と返ってきます。幸か不幸か、わが妻はこういうことに全く興味を持っていません。知らんふりをしているだけかも知れません???がね。

 先週の木曜日に証券会社の担当者から電話があり、とても申しわけなさそうに「ご存知だとは思いますが、こういうことになりまして…」と言ってきました。あえて「どうしたら良いでしょうか?」と訊ねました。そしたら「今、売った方が良いと思います」と答えましたが、僕は最初から持ち続けると決めています。最初からそういう考えで購入した株ですし、いざとなると株主代表訴訟を起こして、経営者の責任を問うことにしていますから。

 そしたら翌日、東芝から「臨時株主総会招集ご通知」というのが郵送されてきました。臨時株主総会を、今月30日の午前10時から千葉市幕張メッセ幕張イベントホールで開催するという内容です。

 議案は「吸収分割契約承認の件」の1件ですが、その中味を数回読みましたが、なかなか内容が理解できません。ひと言では、株式会社東芝と東芝メモリ株式会社が吸収分割するということですが、それだけでは何がどうなるのやらは分かりません。

 まずもって書いてある説明文には段落もありませんし、「この度は株主のみなさんにはご心配をおかけしました」というような冒頭のあいさつもありません。ちょっと聞きたいなと思っても、証券代行業務をしている信託銀行のフリーダイアル番号はありますが、肝心の東芝の電話番号は書いてありません。

 ようは株主には出来るだけ分かりにくい言葉を使い、分からないようにさせて決めようとする魂胆が丸見えです。招集通知の最後のページには「お土産、お弁当はご用意いたしておりません」の言葉が目に止まりました。

 総会に参加してみたいのですが、前日には行って宿泊しなければなりませんし、幕張はちょっと遠いですよね。娘と孫を連れてディズニーランドでも行くのも良いかも知れませんが、ディズニーランドには興味がありません。

 東芝の今後がどうなるかは興味深々です。政府が政府系の銀行などに助けさせて救いの手を差し伸べるのか、それとも上場廃止にさせていったん終わらせて再建を目指すのか、これからの動きが、原発の無い社会への一歩に向かう分岐点と読んでいます。

自称「ゴミ博士」です

 今月はブログを書く回数が少ないようですが、来年7月の日米原子力協力協定に関する原稿書き、そして4月1日に大阪で「被爆者援護法と三つのホショウからフクシマを考える」というタイトルで話しを頼まれていて、そのレジュメ書きの作業があり、いろいろな資料を読みながら構想を練っていてブログが怠っていました。もう一本、来週25日に山口市で開催される「上関原発を建てさせない山口県民大集会」参加のために、広島からバスを出すことになり、バス内での学習会講師をするのでその資料作りがありますが、まあこちらの方は淡々と作れそうです。

 僕は「ゴミ博士」を自称しています。「このゴミは来週火曜日だ」とかを、収集予定表を見なくても言える自信があります。ゴミは近所にある集め場所に持参して、市の収集作業をしている人に持ち帰ってもらうのです。もちろんその場所まで持参するのも、原則僕がしています。

 さてその場所に1か月くらい前から座椅子のような大型ゴミが放置されぱなしになっています。大型ゴミはそれなりの手続きをしなければ収集されないので、このままだと永久にここに放置されたままになるでしょう。

 「ゴミ博士」としては、気になっているので2週間前に「これは大型ゴミですから収集されません」という意味の言葉を紙に書いて、この座椅子に貼っておきました。しかし張り紙をして約3週間、未だに放置されています。それなりの処置をすれば持ち帰ってくれるし、大型ゴミ専用の処分場に持参すれば簡単なことなのです。僕がやってあげれば良いことでしょうが、それは少し癪にさわるのでどうすべきかと考えていました。もう一度「もう3週間放置されています。適切に処理してください」とでも書いた新たな張り紙を貼ろうかとも思いますが、通りすがりの人が置いたのかもしれませんし効果はどうでしょうかね。

 そのことを本気で考えていると、原子力発電からの高レベル放射性廃棄物というやっかいな「ゴミ」にたどり着きました。「原発はトイレの無いマンション」だとは原発が始まった時から言われていたことではないでしょうか。処理・処分の方法が決まらないまま、野放図に貯めつづけていること、昨年から国は「科学的有望地」という名前を付けて、これまでの人口の少ないところとかに処分するという選考をやめて、火山活動・活断層というようなところ以外は都会でも処分するのだとして、昨年内にでも候補地を提示すると言っておりました。

 しかし、「科学的有望地」というとそこが処理場に決まるかのようだということで、経済産業省の作業部会では「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」という意見も出たようです。

 名前だけを小手先で変えて誤魔化すという手法、大前提は「そんな厄介な物は、これ以上発生させない」に立つべきではないでしょうか。この大前提の上で、これまで「恩恵」を受けてきたので、みんなで処分を考えてくださいというのなら、考えてあげようかという気持ちになる人も多いと思います。

 なにかの講演会で講師が小笠原諸島に近い鳥島か、日本の最東端の南鳥島が処分場になるのではと話していました。この辺りは海底火山は多いし地震も多い場所ですよね。まずもってこんな危険な物を長い船旅で運ぶことの危険性も思っています。ここは「科学的有望地」でも「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」でも無いことは明らかでしょう。

 「ゴミ博士」としては、なんとも腹立たしいことです。

「さんてんいちいち」

 たいへんご無沙汰という感じになりました。「病気でもしれおられるのですか?」というメールまで頂きました。バリバリ元気という訳ではありませんが、元気にしております。

 学習会の講演準備、原稿書き、集会参加、などなどが重なり、そして仕事も週2日ですが行っておりますから、まあ多忙な状態ではありました。ブログも書き始めては、間で他の用事が入ってきて中断ということも数回ありました。間で入っている用事というのは、小学校から帰宅する孫から「じいちゃん!サッカーやろう」と声を掛けられるのです。近所からは、孫さんとサッカーをやっているおじいさんとして有名にもなっています。

 「さんてんいちいち」と書きましたが僕らには年間に何日かは、こういうふうに呼ぶ日があります。「8・6、8・9」「4・26」「9・29」「10・26」という日でしょうか。「8・6、8・9」は広島、長崎の原爆投下の日、「4・26」はチェルノブイリ原発事故の日、「9・29」は東海村JCO事故の日、「10・26」は反原子力の日、という具合です。

 さて今年の3・11、この日の区役所の日の丸掲揚台の旗は、半旗になっていました。ちょうどあの午後2時46分、自宅に戻っていた時でしたが、区役所からサイレンは鳴りませんでした。去年は鳴っていたと思います。土曜日で職員がいなかったということではないと思いますが、鳴りませんでした。

 NHKテレビでは政府主催の追悼式をやっていましたが安倍晋三首相の式辞からは、原発事故のことには一言も触れませんでした。新聞もこの事を書いていましたが、秋篠宮の「お言葉」の中には、「避難を余儀なくされた地域」「被災地や避難先で困難な生活」「帰還の見通しが立っていない地域の人々」などがありました。秋篠宮の言葉の中で、たぶん心に秘めた「言いたいこと」を感じたのは、最後の「様ざまな難しい課題を抱えつつも、復興に向けて…」という部分でした。「様ざまな難しい課題」とは、廃炉であり除染ということだと受け取りました。

 しかし今朝の中国新聞には、そのくだりが無いので「エッ」と思いましたが、全国紙の全文を掲載していた中には、書いてありました。中国新聞は「要旨」となっていましたから、これを記事にした記者らにはこの言葉の深いところに気が回らなかったのでしょうね。「全文は中国新聞アルファに掲載しています」というのも書いてありましたが、このくだりは要旨には含まれなかったのでしょうね。

 昨年までは3・11の2~3週間前から、震災、原発事故の特集というか大きな記事が始まっていたと思いますが、今年は始まりが遅かったですね。福島県に住んでいる友人に電話をしてみましたが、あちらではそれなりの特集記事が載っているそうですが、中国新聞の記事は少なかったように思います。

 8・6は71年が経過して、それでも広島ではその日前には大きな記事が載りますが、逆に広島を離れると、ほとんどニュースにはならないようですから。しかし、福島原発事故は過去の事件ではありません。廃炉も避難も汚染水も、なにもかもまったく解決されていませんし、その見通しも見えてこないのですから、「福島原発事故などまるで無かったかのように」という枕言葉が付いて、原発復帰が進むことを黙って見ている訳にはいきませんね。

 ブログ、本当に久しぶりでした。今日、午前中に頼まれていた字数8600字の原稿を書き終えました。わが家では孫の誕生会をやり、子どもやその連れ合い、妻の弟夫妻らも来宅し、僕は昼間からビールを飲んでいました。たった1本のビールで酔いが回りました。終わった後、少し昼寝をしてこのブログを書いています。

やっぱり民進党は打ち出せなかった

 民進党が3月12日に開催する党大会で、「2030年原発ゼロ」を打ち出せるか否か、去年からの関心事でした。95%不可能だろうと予言していましたから、予言が当たったことになります。

 僕も何人かの民進党に所属する国会議員や地方議員を知っていますが、これほど党への結束力も、党からの統率力が無いという政党は珍しいように思っています。今の時代、きちんと統率されているというのは流行では無いとは思いますが、そうだとしても政治信条を同じくする??集まりが政党なのですからね。

 旧民社党から旧社会党までの連合体で出来ている民進党ですし、それぞれの政党の支持基盤であった労働組合の同盟(全日本労働総同盟)と、総評(日本労働組合総評議会)が一緒になって、連合(日本労働組合総連合会)を結成したのですから、同じ考えというのが不可能なのかも知れません。

 新聞に載っていたのですが、連合が発足した翌年の1990年には連合の組織人数は798万2398人となっていました。それが昨年は685万8518人となり約110万人減少しています。

 組織人数が減ったとはいえ大組織ですが、この組織が右にならえで一つの政党を支持するというのは考えてみれば奇妙なことです。僕も連合に所属する大労働組合の組合員として定年退職しましたが、「組織内候補」の選挙ともなればお金も人も、まさに湯水の如く費やして選挙活動が行われていました。組合員のところにはパンフレット、電話、労働組合の新聞、紹介者カードが大量に送り届けられていました。

 退職したらこういう事は無いだろと思っていましたが、今度は退職者の会として同じハメにあっています。退職者の方が暇はあるだろうと、思っているのかも知れません。

 しかし、それだけの力を注ぎ込みながらも、その割には票の数としての結果が出ていないように思います。組合活動が活発な頃には、労働組合の組織人数の倍の票が組織内候補の目標にしていましたが、今は組織人数すら出ないというのが実態のようです。

 それでも職場の中では、「誰に入れりゃあいいのかいのー」という声も聞こえてきました。それだけ政治や選挙に無関心な現状では組織内候補になることは、議員・候補者にとっては大きな意味があるのだろうと思います。

 「労使一体」がますます進む中で、原発問題を例にとれば会社よりも労働組合の方が、原発推進に強引というように思えます。

 彼らにとってみれば、民進党でなくても自民党でも良いのでしょうが、まあー労働組合という「正義の組織」を看板にしている以上、自民党ではおかしい部分を感じるのでしょうね。

 労働組合が自らの要求を実現するために、特定の議員推すということを全く否定する考えはありませんが、原子力発電問題のような全国民的な関心事について、会社以上になっているというのは大いに疑問です。

 労働組合の後押しがなければ選挙が出来ないという現実が、戦後72年を迎えても変わらないということ、議員たちも誰に依拠して政治活動をしているのかと考えてほしいものです。

 「2030年原発ゼロ」を打ち出せなかった民進党、当分、否、このままでは永久に政権には付けないでしょうね。

 僕がJR電車に乗る駅では、ある自民党系の市会議員さんが毎朝、何も言わずに立っています。政治を語る訳でも、おはようございますと挨拶をする訳でもないのですが、ある人がこの議員のことを「エライよね、真面目よねー」と話していました。エライ、真面目の尺度がこれで良いのですかね。

東京で国際会議

 23日~24日に東京で開催された、「日米原子力協力協定と日本のプルトニウム政策国際会議2017」というのに参加していました。「原子力資料情報室」と「憂慮する科学者同盟」の共催によるものです。この「憂慮する科学者同盟」というのは、世界中10万人以上の市民と科学者から構成される非営利団体で、設立から48年という長い歴史を持つ団体です。

 会場になった場所は、渋谷区の国連大学エリザベス・ローズ国際会議場というところで、青山通りを隔てて正面には青山学院大学が在りました。箱根駅伝で強いあの大学です。この会議の案内を見て、すぐに参加を申し込みました。主催者の方に訊ねると、僕が参加申し込みのトップだったそうです。

 来年7月に、現在の日米原子力協力協定は30年間の期間満了を迎えます。30年前というと1988年、中曽根首相とレーガン米大統領のいわゆる「ロン・ヤス時代」です。といってもこの協定は1955年に最初のものが締結され、3回の改定を経て現在になっているのです。もう少し戻れば、1年前の1954年に当時のアイゼンハワー米大統領が演説した「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」にさかのぼるのです。

 1955年の協定は、その内容は米国から日本への研究用原子炉の売却又は賃貸及び資材・情報の提供や、濃縮ウランの賃貸、などが決められました。それから3年後の1958年の1回目改定では、主な部分は研究用原子炉という表現から発電用原子炉になりました。それから10年後の1968年改定では、それまで核物質や技術の契約は国だったのですが民間企業でも可能になり、使用済み核燃料の再処理をすることも認めました。しかし、この時は再処理も原発建設もそれぞれに米国との同意を得るという「個別同意」でした。

 それが1988年では、同意が個別同意から包括的事前同意ということになり、日本にとってはやり易くなったということでした。1988年の協定の主な点は、①「原子力の平和利用」に関する日米間協力、②協力によって導入された施設や核物資を用いた核兵器製造の禁止、③核物質の移転、再処理の包括的事前同意、となりました。

 ちょっと難しく書いてしまいましたが、NPT(核拡散防止条約)で、核兵器を持つことが認められていない日本に、核兵器の原料になるプルトニウムを作ることを認め、そのための原発建設・運転を特別に認めたということです。

 その背景は何であったかは難しい部分もあるのですが、僕は当時の中曽根首相の「日本列島は米の不沈空母になる」と言ったことへの、レーガンからの「お土産」だったかも分かりませんね。それと何といっても、原子爆弾被爆国である日本に対し、「特別に」原発や再処理を認めることで、日本の中での「核アレルギー」を無くすことにあったのでしょうか。

 そんな協定が来年の7月に改定期を迎えるのです。改定の選択としては、自動延長、協定終了、協定再締結という三つの選択肢が在ります。双方が何もしなければ、自動延長となります。自動延長だと一方の国が解約を通知すると6か月後に協定終了となります。日本政府としては最も望むのは、協定再締結だと思いますが、再締結になれば双方の議会での承認手続きをしなければなりません。日本では民進党のあの態度だと簡単かも知れませんが、米国はトランプ大統領の誕生で、この人のこの問題への態度が見えていませんし、担当の政府役員も選任されていない中では、何もしないで自動延長止む無しと思っているのだと思います。

 しかしとっても大切な問題は、3・11福島原発事故です。3・11によって状況は一転したのです。原発は要らないの強い世論の中で、原発を止めるためには協定を終了させることが求められていると思います。

 会議の話しよりも難しい説明が長くなりましたね。会議を準備してくれた皆さんがとても若返っていることは、とても気持ちの良いことでした。日本からも海外からの発言者も、ほとんどの人が僕よりも若い人でした。僕は人間的な成長はほとんどしていないのに、年だけは取ったものです。そのことを実感して、孫の大好きな草加せんべいを買って帰りました。

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