Entries

カタルシス(自己陶酔)

 ノンフィクション作家の保阪正康さんの著書、「日本を変えた昭和史七大事件」と「昭和史の教訓」の2冊を立て続けに読んで、だいぶ落ち込んでいます。

 日本が太平洋戦争を行った理由が、どうしても理解できないのです。もっとたどれば昭和12年7月に始まった盧溝橋事件からの日中戦争からアメリカ、イギリスを相手に行った戦争、なんのための戦争だったのでしょうか。

 この間の歴史を改めてここで書くのは、時間とスペースの無駄になるでしょうから省略しますが、「戦争をしたいために、戦争を続けている」「引き際、和解などまったく考えずにいる」そして「誰も自らは責任を取ろうとしない」、それも少数の「ヤレヤレ派」の者どもが、まさにカタルシス(自己陶酔)状態で続けているという感じなのです。

 「きけ わだつみのこえ」に載っている松原成信の書簡というのがあります。松原さんは同志社大学に在学中に学徒として徴兵され、昭和20年8月1日に北京で戦病死しています。その松原さんが友人にあてた書簡の一節です。

 生あらばいつの日か、長い長い夜であった、星の見にくい夜ばかりであった、と言い交わしうる日もあろうか……、松原さんの無念さやるせなさが伝わってきて、本気で涙が出てきました。

 戦争にしてもケンカにしても、どうやって落とし前をつけて仲よくなるか、和解するかということを考えるべきではないでしょうか。そこを考えないで、「イケイケ、ドンドン」では、たくさんの犠牲と益々の泥沼に入り込むことになるのではないでしょうか。

 犠牲というのは単に命が失われるというだけでなく、松原さんが書いているように、「長い長い夜を、星の見にくい夜ばかり」を大切な青春時代に送らねばならないこともです。

 この度の戦争は、東芝の大破綻にも共通しているのではないでしょうか。東芝にも何度も、引けぎわがあったと思います。2001年9月11日の「9・11同時多発テロ事件」が発生した時、僕は原子力発電所が襲撃されることになれば大変な事態になる、それに耐える原発は作れないということをいろいろな場で話していました。アメリカの原発「安全基準」もこの時から、一段と厳しくなったのです。それでも東芝は「9・11」など無かったかのように、突き進みました。あそこで引いていたら、この度の事態は無かったでしょう。

 北朝鮮の核実験やミサイル発射は嫌な事件ですが、安倍晋三首相思いきって金正恩さんに連絡して「会いたい」と言えば、いくらなんでもで「会わない」とは言わないでしょう。それが平和への一番大切な一歩だと思うのですが。

 北朝鮮のこと、シリアのこと、それらが起こるたびに、日本がそれらを口実にして間違った方へ向かっているように思えてならないのですが。

ボーグル原発

 2012年3月11日、福島原発事故から翌年のことですが、僕はアメリカジョージア州アトランタ市に行っておりました。早朝、貸切りバスの集合場所に集まり、同じジョージア州ですがボーグル原発を止めるための「ボーグル原発建設反対3・11集会」に参加するためでした。

 「ジョージアWAND」、英語ではWomens Action for New Directions、日本語にすれば「新しい道を求める女性運動」という平和団体に招待されていたのです。

 主な行事は3月11日に行われたこの集会参加でしたが、前後9日間この地に滞在しました。

 アトランタ市からボーグル原発までは約250㌔ですが、ハイウェイをバスで飛ばしたら3時間半くらいで到着します。バスの中は日本の場合と同じで、サンドイッチとかクッキーを食べたり、参加者が自己紹介をしたりしての楽しい時間でした。

 まずはボーグル原発の正門前で小さなパフォーマンス行動、警備員がウロウロとしていましたが、別に強圧的な態度はありませんでした。僕は写真を撮っていましたが、撮り終わった後に「無断で撮ると注意される」と聞きましたが、もう「終わったカス」でした。アメリカの原発ですから、大きなクーリングタワーが象徴的です。

 正門前行動を終えると、集会の行われる教会広場に移動、教会の人たちが用意してくれた昼食を食べ、一段落したところで集会となりました。歌あり、ダンスあり、スピーチありの集会で、僕もスピーチをしました。

 メディアも取材に来ていて、広島から来たということでたくさんの取材を受けました。「この集会に参加した理由」を訊ねられ、僕は「日本の原発復活を止めるためにボーグルを止めたい」と答えたのを覚えています。

 当時、すでに東芝がウェスティングハウス社を買収していることは知っていました。ウェスティングハウス社はボーグル原発の他、ジョージア州の隣りの州のサウスカロライナ州のVCサマー原発も受注していました。

 ジョージア州とサウスカロライナ州の州境を流れるサバンナリバーは、「核の川」ともいわれているように、たくさんの核施設が在るところです。ボーグル原発への取水も、この川から行われます。ジョージアもサウスカロライナもアメリカの東南部地方で、貧困層の多いところです。

 「日本の原発復活を止めるためにボーグルを止めたい」、自分で話したこの言葉を今、強く思い出しています。2014年にもボーグルを訪ねましたが、工事は2年間で進んでいました。しかし、今は止まっているようです。今年は無理にしても、来年になったらまた訪ねたいと思っています。

 ボーグルの近くに住んでいて、交流が続いているアニー・ローラさん、現在はアトランタに住んでいます。以前はボーグルの近くに自宅や農場を持っていましたが、原発建設に際して立ち退きを余儀なくされた人です。当時の自宅は、電線が切られるなどの強い嫌がらせを受けました。

 このままボーグル原発を止めて、日本の原発復活も止めたい。

新しい年度の幕開けですね

 実質的に昨日から始まった新しい年度、週2日ですが仕事をしているところにも、何人かのフレッシュな顔を見かけました。昼休み時間に休憩室で見た顔は、「期待と不安」とよく言いますが、どちらかというと「不安」の方が強そうに思いました。それでもみんなスマホに指を滑らせていましたから、やっぱり現代人ですね。

 思えば僕がフレッシュだったのは50年前のことです。もしかしたらあの頃から「フレッシュ」さは薄かったようにも思いますが、最初の日の朝はよく覚えています。最初の給料は1万7千5百円で、その年の春闘で1万9千9百円になったのは鮮明です。

 もちろん銀行振り込みではなく、そのお金は初パチンコに使い、知ったげに本を買ったりしたと思います。神棚に置くこともなく、何よりもわが家には神棚がありません。仏壇はありましたが、母は「うち(自分)を早う一人者にしたような夫は許せん」ということで、仏壇などには手も合わさない人でした。

 とりあえず大先輩としてフレッシュに伝えたいこと、それは自分の中にたくさんの「ひきだし」を持って欲しいということですね。仕事を覚えること、職場の人間関係から学ぶこと、それもとても大事な「ひきだし」ですが、社会的な問題も大いに興味を持って欲しいと思います。

 よく「原発・エネルギー問題を勉強したいのだけど、何の本が良いでしょうか」と訊ねられることがあります。僕は「新聞をしっかりと視て、原発に関連する記事は切り抜いてスクラップ帳に貼りつけること。できれば朝日や毎日などの全国紙と、中国新聞のようなローカル紙の二つを視るのが良いけど」と伝えます。

 「原発オタク」と言われるかも知れませんが、経験から思うのは原発問題がそれ以外の様ざまな社会問題へ通じるということです。東芝問題から株式や会計処理などの知識にも波及しますし、なぜここまで問題がこじれたかという政治や人間関係までも思いが広がります。そしてただ新聞記事だけで納得するのではなく、記事にならなかった裏話というか本音の部分を、自分で想像してみることが大切だと思います。

 大会社や政府・裁判所といえどもそれを構成しているのは、人の集まりです。私たちとほとんど同じような考えを持っているものです。

 3月末に、以前勤めていた僕からいえば後輩ですが、それらの人たちが退職したという連絡もありました。以前の職場の人たちとの関係は、だんだんと薄くしていき新しい人間関係を作ることがお勧めです。

 この3月から町内会の副会長をいう役目を引き受けました。わが町内会にも老人の方が多いようですが、9月の敬老の日に行われる老人会の出席者が昨年はゼロだということでした。その理由を前任者に聞いてみたら、「知り合いがいないから」という理由だったようです。

 僕に言わせれば、新しい人との出会いがあるから楽しいのだと思います。何時までたっても同じ人間とだけしか会わないというのは、これ後ろ向き過ぎますね。この春からのフレッシュな若者も、多くの人間関係を作って幅広人間になって欲しいですね。

森友学園

 来週の土曜日に大阪へ行く用事があるので、森友学園に行ってみようと思っています。インターネットで行き方を検索しておりました。

 国有地売却問題や、安倍晋三首相の妻の昭恵さんの関与のことが大きく問題にされていますが、僕がびっくりしたのは関係幼稚園の運動会で「安倍晋三首相おめでとうございます」とか「安全保障法制が成立してよかったですね」という言葉を子どもたちに唱和させている姿を映像で観たことでした。

 もちろん売却問題も昭恵さんの関わりも重要なことではありますが、いくら私立だとはいえ、運動会での唱和はびっくりでした。公立学校は「日の丸・君が代」問題で教師や子どもたちを締め付けていますし、まさに怒りとこれからの不安が交錯しています。

 そして森友学園の工事現場前で、籠池理事長がたぶん取材の記者らに対して説明をしている時、後側から「籠池理事長頑張れ!」というような声が複数で聞こえたことにもため息が出てしまいました。たぶん籠池理事長の支援者と思われる女性の声だったと思います。

 ちょっと話がそれますが、石原慎太郎元東京都知事が記者会見をし終わった時に、会見場から拍手が起こったことです。皆さん気が付きましたか、会見場ですから集まったのは報道陣だけだと思いますが、これも複数の人と思われる拍手で森友学園並みの衝撃でした。

 昭恵さんといえば、上関町祝島へ行かれたことです。2回以上は行ってますが、一度は飯田哲也さんと一緒でした。飯田さんといえば、山口県知事選挙にも出馬され、敗れたもののこれまでの山口県知事選挙では珍しいほどの票を獲得した人です。現在NPO法人環境エネルギー政策研究所所長として世界中を駆け回っています。

 先日飯田さんと話すことがあり、昭恵さんと祝島へ行った時のことを聞きました。原発反対の飯田さんと昭恵さんが祝島へ行くことを不愉快に思った自民党員や地元の原発推進派の人たちが、通常乗船する上関町室津(むろつ)港に集まっていたという話しです。

 彼らは昭恵さんを「阻止・説得・監視」しようとしていたので、昭恵さんらは室津からの乗船は無理だと判断して、上関町長島の突端にある四代(しだい)港まで自動車を飛ばし、そこから乗船したということです。

 昭恵さんが「私人だ公人だ」という議論もされていますが、私人だと思っているのなら「阻止・説得・監視」はしなかったでしょうね。僕は祝島へ行った昭恵さんは嫌いではありませんでしたし、首相の妻でありながら自由奔放に生きる昭恵さんのファンでもありました。安倍晋三家の関係は知るところではありませんが、首相の意向をくんで寄付金を渡したのかどうかも分かりませんね。

 昨日の「首相の動静」、夜は銀座の料亭で今井敬経団連名誉会長と会食をした後に、久しぶりに私邸に帰っています。今井敬さんは現首相秘書官の今井尚哉さんのおじさん、当然秘書官も同席でしょうし、今井家と昭恵さんとは遠い親戚関係にもあるのです。さーどういう対策を考えて、帰宅したのでしょうかね。ここまで書くと、まさに週刊誌の記事ですね。

三つのホショウ

 4月1日に大阪で“「被爆者援護法」と三つのホショウからフクシマを考える”というタイトルで話しをすることを頼まれていて、頭の中を整理しています。

 70~80年代、被爆者援護法の制定を要求する運動のために、何度上京したことでしょうか。「被爆者列車」と銘うって、今は無き夜行列車で行ったこともあります。そうした場で多くの被爆者の人から、たくさんのことを教えられたものです。それが今、僕の大きな財産になっています。

 その中にあるのが「三つのホショウ」というものです。「ホショウ」という言葉には、「補償」「保障」「保証」があります。「補償」のホショウは、原子爆弾が投下されたことにより、亡くなった人、大けがをした人、親を亡くした人、子を亡くした人、家族を亡くした人、財産を無くした人、そういう人たちへのホショウです。

 そして「保障」のホショウは、今生きている被爆者へのホショウです。健康問題に関するものが大半だと思います。

 「保証」のホショウは、二度と原子爆弾の惨禍を起こさせない、放射線被害者を作らないための社会を目指すというものです。

 先頭に立って被爆者運動を進められていて、1994年1月に92歳で亡くなられた哲学者の森滝市郎さんは、「原子爆弾投下の時に失明した片方の目については、何のホショウもされていない。今生きている自分には、健康管理手当などの手当てが払われている。そして今の政治状況では、これから核兵器が使われたり原発によって被害者が生じるかもしれない。これからの保証の問題が心配だ」と話されたことがあります。

 「だから被爆者援護法制定運動は、単に被爆者の金くれ運動ではない。国民全てのため、世界中の人たちのための運動なのだ! だから国民運動として全国の自治体で制定要求決議がされている。三つ目の保証が大事」ということを熱く話しておられました。

 しかし「国家補償の精神」の被爆者援護法は、当時自民党、社会党という自社政権の中にあっても制定されませんでした。

 特に最近、「被爆者の人はいいよねえー。病院に行っても病院代を払わなくて良いし。手当ても貰って」ということを聞くことが多いように思います。国の医療や福祉に対する政策が後退したことにより、その不満のホコ先が行政に向かわずに、被爆者に向かっているのだと思います。

 小学6年生の時、福島県大熊町に住んでいて3・11を経験した若者が、作文コンテストで原発事故に遭遇したことを書いていました。その中で彼は、“福島県内でも、原発事故で被災した人とそうでない人には温度差がある。「あの家は賠償金で潤っている」との陰口を聞き、心が痛んだ”と。ヒロシマ・ナガサキから72年になろうとしているのに、放射能被害の深刻さが伝わっていないなとシミジミと思います。

 ヒバクシャ問題はタブー視されていたのでしょうか。皆さんのご意見を是非とも寄せてください。

Appendix

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR