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改正瀬戸内法が成立

 僕たちが瀬戸内法と言っている、正式には瀬戸内海環境保全特別措置法の改正法が成立しました。

 もともとのこの法律は、今から36年前の1979年に施行されたものですが、この度の改正は初の大幅なものとされています。僕はこの改正の進め方を興味深く見ていました。

 最初にガックリする話しをしますが、この法律の最大の問題点は瀬戸内沿岸の大規模な埋め立てなどについて、検証がされなかったことです。法律に埋め立ての規制強化を明記すべきだと思っていました。

 僕が子どもの頃は、わが家から50メートル先は海でした。なにしろここは海老塩浜(かいろう しおはま)と呼ばれていましたから。一人で泳いでいて溺れかけたことがありました。しかし今は住宅地で、マンションも数棟建っています。住民が増えたことによって、ショッピングセンター、保育園、小中学校、スポーツセンターも建設されました。海はまだまだ先の方になってしまいました。干潟が無いから先に追いやられた海は、いつも濁った水になっていますし、貝類を獲ることもできません。

 海の向こうにある日本三景の一つである宮島を、とても近く思えるようにもなりました。埋め立てと同時に、この地域の冬の名物であるカキ養殖も無くなりました。以前は海にはカキ筏が並びカキ打ちの作業場も数軒あり、主に女性の人たちが「うちこ」として働いていました。

 カキ養殖の権利を持っていた人は、多額の補償金を貰って権利を放棄し、多くの人が「カキ御殿」と呼ばれる豪邸を作りました。たぶん30年以上前の話しですから、その御殿も古臭くなったような感じです。「要らざるお世話よ」と言われるかもしれませんが、今はどうしておられるのでしょうか。

 改正瀬戸内法は問題も多く在りながらも、藻場や干潟を守るためへの取り組みを加え、多様な漁業資源の回復や美しい景観の保全に向けた取り組みを加えました。

 その施策を行うために、主に周辺に住む住民らからの後押しを求めてもいます。

 瀬戸内海の自然などをいつまでも残すために、原発建設などはもっての他です。上関原発の建設計画は原発そのもの危険性だけでなく、約14万平方メートルもの海を埋め立て、干潟を壊し、藻場を無くしてしまうものです。こんな計画が許せる訳がありません。そして瀬戸内海には、もう一つの原発問題があります。それは四国電力の伊方原発です。伊方原発は今、再稼働へ向けて強引に動こうとしています。

 改正瀬戸内法も一つの手段として、伊方原発の再稼働を止めさせ、上関原発の建設計画をさせないために使うことが大切だと思います。この法律、具体的な数値などを示していないからこそ、使える部分はあると思います。

「安心と信頼?」

 先日JR電車に乗っていたら、吊り広告に「安心と信頼のために、できることのすべてを」というJR西日本自らの広告が目にとまりました。

 今月12日、JR山手線の支柱が倒壊したことで、あわや大惨事という事故が起こりましたね。支柱が電車と衝突すれば大事故になると思われます。この異変が最初に確認・発見されたのは10日夜とされています。工事中の作業員が発見したのですが、「すぐに倒れることはない」と極めて主観的に判断して、週明けに補修すればよいと、これまた勝手に判断したようです。

 まさに見通しの甘さが丸見えです。そして12日の午前に倒壊してしまったのです。この事態を受けて12日の夜、JR東の幹部は記者会見で「過去に地震以外で支柱が倒れたケースはなかった」と釈明しています。「ケースはなかった。だからどうなの」と言いたいです。

 後になって、「ああすれば良かった。こうすれば良かった」は誰でも言えることです。前兆現象があったのに、見通しの甘さから放置されていた責任は重大だと思います。

 僕はかって、まさに瞬時で判断し行動に移さなければならないという仕事をしていたことがあります。それも24時間体制での仕事でした。自らの判断で、スィッチを入れるボタンを押すというような操作を伴います。もちろん、二人でチームを組んでの仕事でしたが、そのためには知識と経験が大切でした。「さあーどうしよう」とマニュアルを開いて考えるということでは、時間が間に合いません。

 そして、耳にタコができるほど言われていた言葉があります。それは「空振りでもよいから、すぐに応援を掛けて呼び出すように」ということでした。しかし、深夜の2時3時に呼び出しの電話を掛けることには、やはりある意味での勇気というか決断力が必要でした。それでも電話をすると嫌な態度をされます。

 今回のJR山手線の事故、10日の夜の時点で「すぐに対応していたら、こんなことにはならなかった」というのは、出来の悪い管理職の言葉です。特に11日・12日が土日ですし、大したことで無かったら「休みに出さされて」とブーイングが聞こえてくるのが予想されます。

 昨年8月に発生した広島市内の土砂災害に関して、広島市長の対応の悪さが指摘をされています。市のトップという立場にある人間ですから、責任は当然あると思いますが、彼に言わせれば「だって、そんなに度々起こるものでは無いし。僕が市長に就任してからは起こって無いし」と開き直るでしょう。

 同じことが原発事故でも言えると思います。テレビ映像・メーターとかの計器類で「現場」を監視しているというのですから、なかなか判断が出来ないと思います。
事故が起きていない時だから、「安心と信頼」が言えるのです。

 「東電テレビ会議」という福島原発事故直後の対応を見るDVDを観ていました。
 事故直後というのに、はっきり言って「自分は責任を取りたくない」「マスコミに対して如何に対応して、言い繕うか」しか見えない、ある意味「のどかな会議」でした。


小津映画を観て

 僕は映画好きで、近くのTSUTAYAでは常連です。特に金曜日は60歳以上は旧作1本無料ですから、ほとんど毎週行ってます。

 以前からですが、日本映画では小津映画や黒澤作品を観ています。木下恵介も好きです。好きな女優を挙げろと言われたら高峰秀子ですから、これらの監督作品に高峰秀子さんがたくさん出演しているからかも知れません。

 先日、1961(昭和36)年の「小早川家の秋」という小津映画を観ていました。小津安二郎は1963年に亡くなっていますから、数ある映画のなかでも終わりに近い作品です。

 映画では家屋、家の中の椅子や机、ウチワや扇子、そして主人公の仕事である酒屋、酒屋の中では従業員が使うソロバン、子どもの玩具、そんな物をたくさん観ます。そこで思ったのですが、これらの中に元々の原料が石油というのは一つもありませんでした。ほとんどが木です。

 家屋の塀も廊下も全て木製品だと思いました。僕の部屋では、「あえて」という感じで木製品を使っているつもりですが、計算は電卓を使うし椅子や書棚の元をたどれば原料は石油ですね。

 ホームセンターなどで売っている家具も、見た目は木のように見えても、合板に木をデザインしている物が貼り付けてあるので、これも石油ですね。
 もちろん当時はエアコンも在りません。ウチワや扇子で涼を受けていました。そして、家そのものが木で出来ているし密閉されていないので、それだけでも、涼しさを感じます。

 飲食をしているシーンもありますが、テーブルに載っている刺身が今より新鮮にすら見えました。汚染されていない分、魚も新鮮だったに違いありません。

 先日のブログにも書きましたが、電力問題を議論する時に石油が後何年採取できるかという事を言われます。「石油が無くなるから原子力を」という脅しにも似た宣伝です。
 石油は後300年ともいう説がありますが、その後に原発を使うようになったとしても、並行して原発を使うにしても石油が無くなってしまえば、今の石油漬けの社会では玩具も椅子も机も家の壁もどうするのでしょうか。原子力で椅子も家の壁も作れません。分かりきった話しです。

 「木の感覚」というのが、今さらまたという感じでブームのようにもなっています。

 木や竹といったような植物は、太陽の光と水といった自然のエネルギーが在れば何時までも、いくらでも作ることが可能な物質だと思います。1961年といえば、ほんのこの前のことですよね。



300年後だけで良いの?

 経済産業省の「有識者」会議で、2030年度の電源構成(エネルギーミックス)を話合いが続いています。会議の構成員が原発推進のオンパレードという関係からか、原発20%以上という声が多いようですが、再生可能エネルギーも20%という試算もされています。

 広島市で先日開催された「日本のエネルギーミックスを考えるin広島」というシンポジウムでは、2030年のエネルギーミックスとともに、2050年のことも話されていました。今から35年後です。

 この時、僕が不可解というか少し気を悪くしたのは、これを説明した経済産業省大臣官房審議官という人の話しが2050年というのを、ものすごく先のことのように話していることでした。

 ある計算では、石油などの化石燃料はあと300年しか持たないとされています。300年先までしか化石燃料が「持たない」と考えるか、300年後まで「持つ」と考えるかによって、僕たち世代の考え方の基本的なスタンスは大違いだと思います。もちろん原発の燃料であるウラニウムも有限な資源です。

 石器時代の始まりは、今から約200万年前といわれてます。一方、日本に初めて電燈が灯ったのは1878年(明治11年)3月25日です。3月25日が記念日になっているのは、その為です。1878年からこれまでが137年、これに300年を足して437年、200万年分の437年は0.02%です。

 時間にして0.02%の「便利」な生活のために、地球が何億年もの中で造りだした化石燃料を使うことというのは、どういう意味を持つでしょうか。僕が生きている間は、かろうじて「便利」な生活は維持されるでしょう。幸いにもラッキーだったでは、これも済まされないと思います。

 0.02%の「便利」のために、この地球が骨と皮だけのように、痩せ細った身体にしてしまうことが許せるでしょうか。300年後には新たなエネルギーが開発されているかもしれません。しかしその便利さは、地球をますます痩せ細らせることだったら、それもやがて終わってしまうでしょうね。

 「便利」な生活を一度経験したら、なかなか後退させられないのも事実です。じゃあー「後は野となれ山となれ」では先祖に申しわけないことです。これまでの「便利」が、これからもずっと続くと考えることこそ現実的でない現実だと思います。

 「便利」だから「幸せ」には繋がりません。「便利」な今に住んでいる人は、全員「幸せ」では無いように。逆に「便利」からはほど遠かった江戸時代の人は、みんな「不幸せ」と繋がらないように。

 今日の夕方、僕にとっては3人目の孫が生まれました。この孫が、孫を持つ頃にはどんな風景になっているでしょうか。後、300年でこの地球人は終わって欲しくありません。


土砂災害から考える

 8月19日の夜、市内中心部で行われた会議に出ていました。午後8時過ぎに終わり車で帰宅の途でした。暗い空に鉛色の雲、鉛色の方が冴えて見えていたように思います。JR電車は新井口から五日市の間で徐行していました。

 そして夜中から雷と強い雨、しかしまさかこの雨で安佐南区や安佐北区で70人を超える人が亡くなり、家屋の全半壊という土砂災害が起こるとは予想もしませんでした。
 この夏、日本列島には台風や大雨の被害が頻発しましたが、広島というところは直撃という事態は無かったです。友人とも、「広島は良いところよねえー。災害が少ないし」と話したのはちょっと数日前のことです。

 マスコミは広島市の避難勧告が遅かったこと、松井一実広島市長が遅かった避難勧告後も市長公館で「寝たり休んだりしていた」と記者会見で喋ったということに非難の声も上がっています。後日、「私が寝たり起きたりしていてはいけないと、マニュアルには書いていない」という開き直りには、この人の品格を疑いますが。まあーこんな人なのでしょう。

 僕の記憶では1999年6月に、広島市内に大雨が降り何人かの死者が出たというのがあります。15年ぶりです。市長の肩を持つわけではありませんが、大雨が降ったからといって四六時中緊張感を持つことなんて不可能だと思います。ましてや、被害は「丑三つ時」の深夜2時過ぎです。住民にしても今となっては避難指示が遅かったとか言ってますが、正確に指示が出ていたとしてもその連絡はきちんと届いただろうか。連絡を聞いたとしても、避難という行動に動けただろうか、はなはだ疑問のあるところです。

 今、原子力発電所の周辺自治体などでは、避難計画の策定が義務付けられ、ペーパー上の避難計画が出始めています。しかし、土砂災害と違って放射能は無色透明であり音も無いです。避難が決断出来るでしょうか、連絡はきちんと届くでしょうか。土砂災害よりも何百倍も放射能の方は性質(たち)が悪いのです。

 策定が義務付けられている自治体を視ていて思うのは、自治体の中にある「事故は起こるかも知れないけど、まあーわが自治体が被害を受けることは無いだろう。もしかして在ったとしても、まあー俺が生きている内には無いだろう」というように考えているとしか思えて仕方がないのです。それも何の根拠も無しでの上です。正直、これが人間の性(さが)だと思います。

 広島の方は、避難指示・避難勧告も8月末にはほとんどの人たちに対して解除になり、不安な中にも前に向う一歩を歩むことになりました。2週間近い避難生活でした。

 考えれば福島原発事故では、事故から3年6か月が過ぎた今でも約13万人もの人たちが仮設住宅による避難生活を送っています。マスコミはこれらの人たちの避難生活について、最近はほとんど触れなくなりました。触れないということで多くのこの国の人たちも、気持ちを馳せることも少なくなったように思います。

 この度の災害について自然の脅威だとか、土砂災害が起こるようなところに宅地開発を許可したことに責任が存在するという声も上がっていますが、これから生活を再建しなければならない人にとっては、慰めになる言葉にはなるまいと思います。

 しかし言っておきたいです。原発事故は自然災害ではありません。原発事故は人工的に行われた災害です。人工的に行われた加害は、当然のこととして加害者の責任が問われるものだと思います。

 福島原発事故では、誰も責任が問われていません。「組織された無責任。組織されたあきらめ」では済まされないのは当たり前だと思います。

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