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530シーベルト

 毎時530シーベルト、この数字を見てまさに頭がクラクラとしてきました。新聞では「1分近くにとどまると1分足らず死に至る」と書いていましたが、考えられない数値です。

 この数値は、福島第一原発2号機の格納容器内での放射線量です。遠隔ロボットを入れて推定された数字ですが、原子炉格納容器内にこれだけの放射線量の物が、それも3基もあるのです。

 広島に投下された原子爆弾は、爆心地で約100シーベルトと言われています。これも莫大な数値ですし1999年9月30日に発生した、茨城県東海村のJCO工場での臨界事故で亡くなった大内さんの放射線量は8~20シーベルトと推定されています。

 1シーベルトは1000ミリシーベルトで、私たち一般公衆人の年間許容被曝線量は1ミリシーベルトなのです。530シーベルトは53万ミリシーベルトですから、頭がクラクラしているというのも分かってもらえると思います。

 東京電力は今月中にも調査ロボットの「サソリ」を投入して、格納容器内の各部の線量を測って核燃料の広がりなどを調べる予定としていますが、「サソリ」が放射線量に耐えて働いてくれるかも大疑問ですし、最終的に取り出すことが出来るのでしょうか。31年前のチェルノブイリ事故の原発も、今に至るも取り出せないのです。

 新聞も「530シーベルト」という数字を、「すごい値」とは書いていますが、それを実感させるためには、広島・長崎の原子爆弾、JCO事故との比較をしながら書かないのかと、これも大きな疑問です。

 2月から1週間に2日ですが、介護施設で働くことになりました。僕の担当は「うつ病」や「統合失調症」などの病気を持っていている方で、デイケア―に来る人の送り迎えと、一緒に運動をしたりする仕事です。2月1日、2日と働き、久しぶりに通勤電車に乗るなどの疲れはありましたが、仕事の内容はとても気に入ってます。

 皆さん自分で歩けますし食事も出来るので、その辺りの苦労はありません。初めての体験ですが、新しい出会いもありとても気持ちよく、とりあえず2日間ですが、仕事が出来ています。

 皆さんのプライド(自尊心・自負心)をリスペクト(尊敬)しながら、新しい経験を重ねていきたいと思っています。

1月を振り返る

 長いと感じた1月でした。その大きな理由は、大晦日の夜に亡くなった和田長久さんのことから始まります。原水爆禁止運動の大恩人で、本の題名ではありませんが「あなたに褒められたくて」との思いから和田さんに応えたいという気持ちから活動してきたので、まさに支えを失ったという喪失感で、これは今も続いています。

 そして青森県六ヶ所村に行ったこと、ここで聞いた「原燃(日本原燃株式会社)さんが来たので、出稼ぎに行かなくてすむようになった」「息子が地元で就職できた」「出稼ぎが多いということで、この地方では離婚が多かったのだが…」という話し、この国の根本的なイビツな過疎・過密の弊害が原燃の危険、迷惑施設によって解決されるということ、なんともやるせないという思いでした。

 東芝が原発建設事業から撤退するという報道、やっと決断したかと気持ちです。僕はこうなることを見越して、大企業で配当もしっかりとある株を半分売却して、昨年東芝の株を1000株購入していました。もちろん今売れば大損ですし配当もありません。株主として東芝の今後を観ていたいという気持ちからです。これから多くなる廃炉について、廃炉産業として伸びていって欲しいと思っています。

 民進党が3月の党大会で「2030年原発ゼロ」とする「原発ゼロ基本法案(仮称)」を、公表すると発表しましたが、僕は半信半疑です。その理由は東京電力などの電力会社組合の幹部という人が、多数国会議員として存在しているからです。電力会社だけではなく、電機会社、自動車会社という原発推進労働組合の出身議員が大きな顔をしているので、その本気度にはいつも強い疑問を持っているからです。

 元総理大臣の小泉純一郎さんに、上関へ来ていただいて講演をして欲しいということで手紙を書きました。力(リキ)を込めて書いたと思っています。ぜひとも実現させたいものです。

 そして俳優の中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」というのを、広島でやりたいと準備をしています。若い人にあの「木枯らし紋次郎」といっても知らない人が多いようですが、数年前にNHKの朝ドラに出演していましたね。中村さんは福島県の生まれ、東京電力の会長だった勝俣さんと同級生だったと話していました。

 東京のMXテレビで放映された「ニュース女子」なる番組、基地反対運動について徹底的にニセ情報を流すという、怒り心頭というかその低レベルな煽り方には、言葉も出ないという気持ちになりました。僕が特に感じたのは、この番組の出演者の特に女性の服装や笑い方でした。1月2日の番組であるのに、ノースリーブに短いスカート、バカな笑い面(つら)、男出演者の発言に応える態度や姿は、まさにクラブかバーのホステスという感じでした。

 そんなこんなの1月でちょっと思うところがあり、2月から週に二日くらいで曜日も僕の都合を考えてくれるという贅沢なものですが、デイケア―の施設で仕事をすることにしました。「ちょっと思うところ」というのは、今度説明したいと思いますが、僕自身がそろそろデイケア―のお世話になる年齢に近づいた中、学びたいという気持ちからです。

 サッカー好きな孫と、近くの公園でサッカーをするのが楽しみです。15分ハーフで携帯電話のアラームを設定しています。大きな声を出してやっています。そうすると、誰ともなく子どもたちが「僕も、私も一緒にやらせて」と加わってきてくれます。こういう年代(小学1~3年生くらい)の人と話したり交流することの少なくなり年齢になった今、貴重な体験となっています。

誕生日を迎えました

 68回目の誕生日を迎えました。この日はなんといっても、産んでくれた母に感謝する日です。Facebookや電話で皆さんから「おめでとう」という祝福のメッセージをいただき感謝感激しています。

 長女から「元気に長生きしんさい!」というメッセージが届きました。この言葉、僕の方から言うことはあっても、人から言われることはまだ当分先のことと思っていましたが、言われるようになったんだ!と可笑しな感動を受けています。

 昨年の誕生日の時、「ヒロシマの若者としてテレビや新聞に出ていたのですが…」というのを書いたら、これも子どもですが「ええ年なんだから、いつまでもこんなことを言うな」と、怒られていました。

 今年はこんなことは言いません。それはなんといっても、大晦日に亡くなった和田長久さんのことがあります。いろいろな意味で和田さんに頼り、生き方を教えてもらっていたのですが、残念ながら「もう頼る人はいない」と決意せざるを得なくなり、「ヒロシマの若者…」という甘え体質からは卒業しなけれればならないと、まさにこの年齢になって意識することになりました。

 僕と同じ誕生日の人は、世界的に超有名なのは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩さんです。昨年は誕生日前の6日に核実験を行い、今年ももしかしたらと心配をしていましたが、行わないようですし大規模な祝賀行事も無いということで、マジに安心しています。

 日本では、あの小泉純一郎さんが誕生日です。小泉さんは「原発反対」を訴え全国で講演されています。ぜひ上関原発を建てさせない世論を強めるために、こちらにも来て欲しいと思っています。

 年賀状も一通り来るべき人からは届いたという感じになりましたが、今年95歳になられる大恩人の方からは来ていませんでした。たぶん亡くなったとしても連絡をするような人ではありませんから、「もしかしたら」と思って電話を掛けました。

 そしたら大きな声で「元気ですよ。この6月に『医療と社会』のセミナーを行う予定なのでぜひ来て講演して」と頼まれました。長い時間、社会のこと原子力発電のことなどを話しました。そして僕が雑誌などに書いたものがあれば読みたいから送って欲しいとも頼まれました。

 多くの素晴らしい先輩たちに育てられながら、ここまで来たという感じです。そして後輩たちが、後から繋がっています。何かを見せながら、前へ進みたいと思っています。といっても何時までも「省ちゃん」ですから、皆さんの期待に応えられるやらどうやら、という思いです。

和田長久さん追悼

 とりあえず、新年明けましておめでとうございます。希望とお祝いの気分になかなかなれないという感じですが、元旦にはわが家に12人の一族が集まり、正月らしい食事をしました。

 しかし心の中には大晦日の夕方に亡くなられた、大阪豊中市に住んでおられた和田長久さんのことが、離れませんでした。享年84歳です。和田さんとの出会いがなければ、僕が反原発運動に関わることは無かったと思います。この運動を通じて、国内はもとより世界中に多くの知人、友人を作ることができ、成長させてもらいました。

 名前は長久と書いて「ながひさ」さんと読むのですが、僕らの間では「ちょうきゅう」さんで通っていました。思えば1978年のことです。この年の春にニューヨークの国連本部で開催された第1回国連軍縮特別総会を前に、アメリカの草の根平和団体と交流するというツアーを、和田さんがリーダーになって、大阪の市民団体の人たちによって企画されました。

 約20日間の旅行でしたが、アメリカ国内を横8の字のように旅をしました。20日間の旅の中でホテルに宿泊するというのは3日間くらいしかありませんでした。ほとんどがホームステイ、教会、中には野宿というのも在りました。このツアーに僕を誘ってくれたのが、和田さんでした。

 それ以来、長い付き合いが始まりました。8月6日を中心に開催されるヒロシマの日の行事でも、和田さんは予定より一日早く来て僕と話しをするのが楽しみだとも言われました。

 たくさんの思い出があり過ぎて、多くを書くことができませんが、和田さんは運動には女性の参加が必要で、全員男性というような会議を嫌っていました。妻は明子さんというのですが、いつも「明子さん、明子さん」と名前で呼んでいました。また、とても美食家で広島の牡蠣が好物でした。昨年の2月に送ったら、電話がかかってきて、「広島のを食べたら、大阪で売ってるようなのは食べられへんわ、ありがとう」を連発していました。

 そして何よりも、原水爆禁止運動の生き字引でした。たくさん励まされ、話しをさせていただき、指導もされました。運動を組織するために、極秘に作戦というか、仕掛けをしたこともあります。

 和田さんが亡くなられたことを、何人かの友人に知らせたら「モスクワにあるチェルノブイリのリクビダートル(事故を収束するために働いた労働者)のミチンスコエ墓地で和田さんが号泣されたことを思い出しました」というメールが帰ってきました。

 最後の著書となったのは2014年8月に発行された「原子力と核の時代史」は、486ページの超大作でした。

 さよなら長久さん、本当にありがとうございました。決して忘れません。広島牡蠣の最も美味しい時期となりました。今年も送りたかったです。

「ゴメン」も無く、先送りされていく

 今年も今日で終わり、何もかもが先送りされているという思いがしています。一番は何といっても「反省」です。あれだけの原発事故を起こしても、東京電力も政府も「ゴメン」と言いません。

 朝方から孫が母親から怒られているようです。何の理由で怒られているのか分かりませんが、孫がどうしても「ゴメン」と言わないようです。東京電力も政府も「ゴメン」と言わないのですから、孫の気持ちも分からないでもありませんがね。

 以前、「ケンカの仕方」という一文を書いたことがありましたが、最近は子どもも親世代も、謝るということをしなくなったように思えてなりません。謝ることは責任を取ったことになり、責任を取れば金を取られるということに通じるのでしょうか。子どもに、そんな気持ちが働いているようには、思えませんが。

 先送りといえば、放射性廃棄物の地層処分について「科学的有望地」を年内に公表すると言っておりましたが、先延ばしにしたようです。最初はそう言ってましたが、間からは「科学的有望地を明らかにする時期を、年内に明らかにする」に変わったようですが、それさえも示されていません。

 もう一つは民進党の「2030年代原発ゼロ戦略」の工程表ですが、これも年内に明らかにすると蓮舫さんは発言していたと思います。これも無しのつぶてのようです。

 国民は忘れただろうと思って「知らんぷり」をしておこうと思っているかも分かりませんが、それでは国も民進党も責任在る組織の立場とは言えないでしょう。明らかにできないのなら、まずは「ゴメン」と言って、その理由を説明する責任は当然在るのではないでしょうか。

 高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が決まりましたが、1兆円以上の大金を使っておいて、どこがどうして失敗だったかということを、まずは「ゴメン」と言って総括するのが、社会の基本原則ではないでしょうか。責任が経産省や文部省だけに問われるのでは、これも違うと思います。中国電力も「資源の少ないわが国では、原発から生み出されるプルトニウムを…」という決まり文句を、ずっと使って金も人も注ぎ込んでいたではありませんか。

 安倍晋三くんが真珠湾に行きましたが、「ゴメン」は言いませんでしたし、広島に来たオバマくんもそうでした。

 孫が「ゴメン」と言ったようで、元気な声をだして遊びに出かけました。これでわが家の雰囲気も、和んだという感じになりました。

 1年間、「省ちゃんの前向き語り」に付き合っていただきありがとうございました。皆さんくじけずに、2017年に挑みましょう。

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