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エネルギー基本計画

 安倍晋三首相の施政方針演説をテレビで観ていて、エネルギー政策に一言も触れないことに、まさに異常という気持ちを持ちました。それにしても彼は民主党政権を痛烈に非難していました。確かに民主党政権にはガックリでしたが、それを攻撃の弾(タマ)にするのは「ウマイ」とも思いました。また日本時間の明日未明に行われる、トランプ米大統領の演説も気になります。

 さて今のエネルギー基本計画は、2014年春に閣議決定されたものです。決定の過程で段々と悪い方向に変更されたのを思い出します。この計画に基づいて経済産業省は2030年原発比率を20~22%にするという「エネルギーミックス」を決めました。

 エネルギー基本計画はエネルギー政策基本法により「少なくとも3年ごとに検討を行い…」とされています。

 その3年が今年から来年にかけてやってきます。福島原発事故の前年2010年エネルギー基本計画では、民主党政権は原発新増設を積極的に行い50%にまで増やすと決めていました。それが福島原発事故後、「革新的エネルギー・環境戦略」と題して、2030年代原発ゼロを決めかけましたが、直前になってズッコケたのを、覚えている方も多いと思います。

 前置きが長くなりましたが、そのエネルギー基本計画の検討を、国民みんなが参加する形で行わなければならない時期が来ていると思います。

 2014年の計画では、原発を「ベースロード電源」として再稼働を推進するとし、高速増殖炉の早期実用化、核燃料サイクルを推進することとしていました。

 まるで福島原発事故など無かったかのような厚顔無恥の計画に、強い非難の声が上がっていました。中国電力ですら、「20~22%」が在るから上関原発の計画は止められないと、まるで他人(国)に責任を転嫁するようなことを言ってたほどですから。

 そのエネルギー基本計画が来年改定されることになります。必ず改定しなければならないという物でも無いようですが、これまで3年毎に変えられていますし、何よりも高速増殖炉もんじゅが廃炉になったのですから、間違いなく改定です。

 しかし今日の安倍首相の演説では、この問題については一言も触れませんでしたし、僕が見る限りメディアも新年になってこれを記事にしたのは在りません。福島原発事故後の革新的エネルギー・環境戦略では、少なくとも各地で原発比率に関する意見交換会などが開催されるなど、それなりに議論が展開されたと思います。

 私たちが声を挙げないと、政府の得意とする「有識者」と称する「原子力ムラ」のムラ人の会議で、今まで通り決められる恐れがあります。こういうやり方でエネルギー基本計画を決めるのは許されないという、強いメッセージが大切だと思っています。

六ヶ所村でもらった核燃料サイクル図

 六ヶ所村原燃PRセンターでもらった「原子燃料サイクル施設の概要」の中にある「原子燃料サイクル図」、一目で抜けているところが在ると思いました。

 核燃料サイクルと言わずに原子燃料サイクルというのは、「カワイイ」で済みますが、このサイクル図の中に肝心な物が無いのです。

 核燃料サイクルを説明するまでもないと思いますが、ウラン鉱山からの採掘から始まって、原発での運転、運転が終われば使用済み核燃料は再処理工場に行き、そこから得られる?プルトニウムを使うというのが、簡単なサイクルの説明です。

 これまでのサイクル図には、再処理工場で得られたプルトニウムは高速増殖炉で使用されるというのが流れでした。その高速増殖炉でというのが、このサイクル図に無いのです。

 「概要」には、作成年月日が「2016.07」と書いてありました。高速増殖炉もんじゅは、昨年末に廃炉が決まりました。国は廃炉にしても高速炉を諦めないとしていますが、この図の中から高速増殖炉の記入が無いというのは、本当に良かったと思いました。

 その代わりと言ったら変ですが、再処理工場の次はMOX燃料加工工場でした。プルトニウムとウラン燃料を混ぜた物を、一般の原発でプルサーマルという形で使うというMOXサイクルです。

 一般の原発は本来プルサーマルを想定していないので、正常な使い方ではないのです。核兵器の燃料であるプルトニウムを、この国が約48トンも持ち、国際機関からも多くの国々から懸念を持たれていること、プルトニウムは常に「入りと出」がイクオールでなければならない中、溜め込むというのは許せないことです。

 高速増殖炉は諦めるという中、使い道はMOXしかないという中で無理して原発で使うということは、本当に無理なことです。

 僕はこの図を見て説明員の方に、丁重に「これまでのサイクル図では、高速増殖炉があったと思いますが?」と質問しました。そしたら「そういうことはありません。最初からMOXです」と頑なに言われました。

 以前のサイクル図を持っていた訳ではありませんから、「証拠」でもって反論することはやりませんでした。プルサーマルでプルトニウム利用の理屈を作ろうというのは、無理があると思います。

 「もんじゅ」の廃炉は歓迎ですが、しかし「もんじゅ」のためにどれだけの税金を使ったのか、そして今からも諦めようとしない、それは違うでしょうと言いたくなります。

 他のプルトニウム利用、それは核兵器でしかありません。以前は「まさか」という気落ちでしたが、最近は「そうなんだ」という思いが強くなっています。

六ヶ所村

 「家族はみんな一緒に暮らすのが何より大事なことですよ」
 「ここはずっと出稼ぎの村でした。今は出稼ぎをしなくてもやっていけます」
 「子どもも此処で就職しました」
それは本当に良かったですね、としか言いようがありません。

 先週青森県に行き、六ヶ所村に住んでいる人から聞いた話しです。六ヶ所村要覧を見ると南北33km、東西14kmの広大な大地の六ヶ所村は、六つの村が合併して出来上がったのだそうです。この時期で、しかも夕方で強い風が吹いていたので、特に感じたのだと思いますが、本当に寂しいという感じでした。

 家族で暮らせるようになったのも、出稼ぎをしなくて良くなったのも、子どもの就職も、それは「原燃さんが来てくれたから」という理由です。

 ここにはウラン濃縮工場、いつまでも試験段階中にある再処理工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、工事中のMOX燃料工場が在ります。まとめて「原子燃料サイクル施設」と言い日本原燃株式会社が行っています。

 過密・過疎と言われるように、またこれから中国地方でも住民のいない町や村が出てくるというように、この問題は深刻なこれからの全国的な課題だと思います。六ヶ所村は、原燃を受け入れたことによって、過疎地の冷遇から逃れることが出来たのです。考えてみれば「迷惑施設」を受入れることによって、生活が豊かになったというのは、どうしても納得が出来ません。

 日本中に存在する「過疎地」と言われるところが、全部原子力のような迷惑施設を受け入れて「発展」させようとすると、日本列島は原子力施設だらけになるでしょうね。

 僕たちに話された六ヶ所村の人には、一連のサイクル施設が動こうが動くまいが、「止めた」と言わなければ仕事が在るし、出稼ぎをしなくても良いというように捉えているように思いました。

 僕は、「また福島原発事故のようなのが起っても、原燃には反対されませんか」という質問をあえてやってみました。この質問には、何の回答もされませんでした。

 何年か前にも六ヶ所村を訪ねたことがあるのですが、その時は車でそれぞれの施設の近くまで案内してもらいましたが、今回はPR館だけでした。

 そして驚いた事、風力発電の風車だけでなく太陽光発電施設がたくさん設置されていることです。

 PR館に来る人が、大幅に減ったとのことでした。何年か前は年間約13万人くらいだったそうですが、今は3万人くらい「たぶん電力会社も、こういう案内旅行にお金を掛けなくなったのでしょう」と説明員の方は話されました。

 そしてフランスの技術を使っている日本の再処理技術ですから、近くにあったフランス人の専用アパートにも、住んでいる人が大幅に減ったそうです。これは何を意味しているのでしょうかね。

34年間の資料整理

 上関原発の建設計画が公けになったのは1982年ですから、今年で丸34年間が経過したことになります。僕はこの問題を最初から見つめてきましたから、資料もたいへんな量になります。大きなBOXファイルで15箱以上になっています。何時かこの資料が必要な時があるだろうと思いながら、置いておくだけという感じでもありますが、チェックしながら年数ごとにファイルしなおすことに取り掛かりました。

 その資料は、手書きのチラシやメッセージ文、新聞コピー、行動のスケジュール、原発に反対している人への嫌がらせのチラシ、中国電力の資料などなどです。

 それらを丹念に見ながらの作業ですから時間が掛かりますが、すぐに終わらせる必要もないので、懐かしい方の名前や写真を見ながら、思い出しながら進めています。

 多くの人が亡くなられています。現在闘病中という方や、施設に入所している方もおられます。もちろん今での第一線で頑張っている方もいます。原発推進の方の動向は詳しくはありませんが、町会議員をしていた方で、この問題が浮上した時からずっと現職議員という人は一人だけだと思います。

 原発建設に反対しふる里を守りたいという手書きのチラシからは、本当に熱い思いが伝わってきます。じっくりと読みながら、涙が出てきました。その人の家に泊めてもらい、夜遅くまで語った思い出が湧いてきました。

 当時は僕よりも相当な年上で頑張っていた方も、今の僕よりも若かったのだという方がほとんどです。あの時のあの人は、すごい先輩という感じの存在でしたが。

 34年という時間、中国電力の人ですら20歳くらいで入社しても、すでに54歳という定年退職前の年齢です。会社内部では、上関に関係する資料というのはどれくらい保存されているのでしょうか。最初から詳しく知っている人というのは、どれくらいいるのでしょうか。

 ましてや、中国電力が計画していた鳥取県の青谷、山口県の萩や田万川、豊北での原発建設計画までを知っていることになれば、皆無になるのではと思います。

 一つの計画で現に34年間も達成しないという状況、それでも「必要です」「ご理解を得ます」という言葉を繰り返しながら、止めないということは、まさに犯罪ではないでしょうか。

 27日火曜日の今年最後の古紙収集日までには、なんとか終わるだろうと思っていましたが、まあー来年の年末くらいまでは掛かるでしょうか。

 それにしても繰り返しになると思いますが、「上関に原発を作らせない」「きれいなふる里を子や孫に残したい」という熱い思いを持ちながら、亡くなった多くの人たち。その人たちが走馬灯のように、面影や声が見え、聞こえてきます。僕も継承を考える年齢になりました。

これじゃあ選挙に行く気がなくなるよ

 7月に鹿児島県知事選挙で三反園訓さんが当選した時、「参議院選挙には落胆したが、鹿児島で勝ったから」と喜んだはずでした。しかし、その後の新聞記事の中で、マスコミ記者が川内原発の問題で多く質問したら、知事が「原発ばっかり質問せずに」と顔色を変えて怒ったというのを見たことがありました。

 僕はその時、言っちゃあ悪いけど鹿児島県知事のニュースが全国版になるのは、「原発問題が在るからだよ」とテレビニュースを観ながら声を出したものです。「三反園君、解っちゃあいないなあー」とも思いました。

 川内原発再稼働反対を大争点にした知事選挙だったのですから、本気でこの問題について全力で取り組むべきではないでしょうか。川内原発の再稼働を止めることに全力で頑張ったら、他の鹿児島県の課題も解決に向かうのではないでしょうか。

 川内原発のことで本気度に疑問を持つと、他のすべてのことが「?」になってしまいます。沖縄県の翁長雄志知事は、普天間問題で最高裁での敗訴が確定的になっても「普天間移設を止めるために全力を尽くす」と言われるから、県民からの信頼が失われないのではと思うのです。

 運転再開については、「私に稼働させるかどうかの権限はない」という発言も大疑問です。それなら昨年再稼働した時に、なぜ当時の県知事の「OK」が、お墨付きになったのでしょうか。

 九州電力に対し即時停止を要請しても拒否されたことについて、三反園さんは「仮にどういう対応をとろうが、九電は稼働するのではないか」と他人事のような発言を繰り返えされた時、こんな腰抜け発言は聞きたくも有りませんでした。

 自民党衆議院出身とは言え、まだ小池百合子東京都知事の方が、「森喜朗たなからぼた餅・老害男」を相手に頑張っていると思います。

三反園さんのように変節をされると、選挙に行っても変わらないという有権者が増えるのではないでしょうか。特に選挙権が18歳に引き下がられたのですから、若者への悪影響も大きいと思います。

 三反園さん、あらゆる手段を使って川内原発を止めるために、全力を尽くしてください。諦めないでください。とりあえず、少し寒いけど九州電力本店前で全国の原発に反対する人たちと共に、座り込みでもやりませんか。僕は応援に駆けつけますよ。まだ貴方に諦めていませんから。

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