Entries

上関原発計画が浮上して35年の年の瀬

 中国電力による上関原発の建設計画が公けになったのは、1982年(昭和57年)のことです。あれから35年の年の瀬がやってきました。

 一つの計画を起こし、建てたい側の中国電力が頑張ってきた???にも拘わらず、35年経っても実現しないという結果として建っていないという現実。常識的には諦めるのがマトモナ判断だろうと思いますし、それをせずにダラダラと引き延ばすというやり方、怒りを通り越して何とも嘆かわしいことだと思うのです。

 僕の住んでいる近くにも、中国電力で働いている人、OBの人が居られますが、誰もが「上関原発は要りませんよ。建てることはありませんよ」と話されます。別に僕の考えに同調してあげようという意味もなく、僕の方から訊ねるわけでもありません。「上関原発は建てるべきです」という方は一人としておられないのです。

 上関原発との繋がりのキッカケは、計画が起こった年に上関町祝島出身で島根県の松江市に住んでいた、山戸貞夫さん夫妻からの「ふる里の上関町に原発建設計画が起っている。反対運動のために印刷機を送るために協力してくれないだろうか」という手紙が届いたことからであす。

 当時、松江市の隣り町の鹿島町に島根原発1号機が建設されており、2号機の建設計画が進んでいた頃で、その反対運動の関係で山戸さんらと知り合いになっていました。

 その山戸さん夫妻が祝島へ戻って反対運動のリーダーとして活躍し、町会議員の山戸貞夫さんは、来年の2月の町会議員選挙に出馬せずに引退するということです。山口県内のニュースでは、山戸貞夫議員引退を映像付きで大きく報じていた。

 12月議会で山戸さんが準備していた質問は、祝島から本土側へ向かう定期船、海が荒れたために欠航になり行くことができず、質問が出来なっかったそうです。
 
 山戸さんは僕より1歳年下です。その彼が議員を引退するというのは、その歴史の長さを思わざるを得ないのです。

 35年前、僕は33歳でした。改めて35年を振り返り、「建てる必要のない」と、僕が聞く範囲ではほとんどの中国電力関係者でもいわれる物が、今でも計画から外されないことに、何ともいえない悲しい気持ちになります。

 今すぐ、上関原発建設計画が中止になっても、これまでの町民の中にある分断はおいそれと無くなる分けではないでしょう。

 「上関原発は建てる必要はありませんし」と評論家のように話される人にも、何ともいえない不愉快さを感じるのです。

  中国電力の「上関原発計画白紙撤回」という決断を強く望みます。その背中を押すのは、村岡嗣政山口県知事です。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gomenda4918.blog.fc2.com/tb.php/610-8c6292f3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Appendix

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

Extra

プロフィール

省ちゃん

Author:省ちゃん
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新トラックバック