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跋文を書きました

 やっとという感じですが、来週19日に橋爪文さんの「8月6日の蒼い月」という本が出ることになりました。1年半ほど苦労しましたので、ホッとしています。

 そしてこの本の「跋文」というのを、僕が書きました。「ばつぶん」と読むそうですが、初めて聞いた言葉でした。調べてみると、終わりに書く「あとがき」だそうです。そして、この跋文の一部が帯文としても使われることになりました。書店でも販売されますので、是非とも読んでいただきたいと思います。自慢になりますが、この跋文を紹介させてください。

橋爪文さんと蒼い月

 橋爪文さんは私のことを「省ちゃん」と呼び、私は「文さん」と呼ぶ。「広島の息子」と紹介されることもある。

 私の両親と母方の祖父母、二人の姉が広島で被爆した。爆心地近くに住んでいた祖父母は即死であった。
すぐ上の姉は1946年2月生まれの胎内被爆である。私は原爆から4年後に生まれた被爆二世である。私が4歳の時、父親が急死した。背中から腕にかけて大やけどをしていた母だが、母は3人の子どもを抱えて、たいへんな苦労をしながら私たちを育ててくれた。すでに母も胎内被爆の姉も亡くなった。だから文さんと会うと、どうしても母の面影と重なりあう。

 これまでたくさんの被爆体験記を読んだし、体験談を聞いた。それらの体験の多くは、悲惨な地獄絵に終始する。もちろん悲惨なのは事実だが、それだけでは聞かされた私は、ただ頭を下げるしかない。

 しかし文さんのものには、その中にあって生身の人間としての苦しみとともに、生活の中で感じたちょっとしたところに生きる工夫があり、楽しみがあり、生きる上での知恵を感じ、また本人は直接告白されてはいないが、たぶんこれは恋だなあーと思われる場面もある。そして心身ともに苦しい状況の中にあっても、希望を持って生きなければという決心のようなものを受け取る。

 本の題名も以外とすんなりと「8月6日の蒼い月」と決まったが、あの中にあっても蒼い月が励ましてくれたのだろうか。
 
 本能として持っている詩人としての感性だろうか、人や自然、未来に対する洞察力には凄まじいものがある。しかしその根底には、常に優しさが流れている。

 昨年3月末現在、被爆者健康手帳を持っている被爆者の数は約17万4千人となった。逆に原爆慰霊碑に奉納されている過去帳に記されている被爆者は、30万人を超えた。

 今年は原爆投下から72年、70年の時には「節目」といわれ、昨年、現職の大統領としては初めてとなるオバマ米大統領が平和公園を訪れた時は、「区切り」といわれた。

 しかし、日本政府の「原爆投下などまるで無かった」かのように、戦争への道を歩もうとする姿を見ていると、ヒロシマを「節目」として「区切り」としてよいのだろうかと、つくづくと感じる。

 そんな中で、生き残っている被爆者として文さんの中に「伝えておかなければならない」「残しておかなければ!」という気持ちが強く働いたのだろう。その気持ちが、書くことのエネルギーになったのだと思っている。

 「ヒロシマの在るこの国に生きた者」として、多くの人に読んで貰いたい。そしてみんなが「蒼い月」を持って欲しいと思っている。


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