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あきらめから希望へ

 1987年12月に発刊された「あきらめから希望へ(発行:七つ森書館)」という本があります。原子力資料情報室の代表をしていた高木仁三郎さんと、哲学者の花崎皋平さんの対談集です。この本には、「生きる場からの運動」というサブタイトルが着いています。

 高木さんは2000年12月に62歳で亡くなられましたが、花崎さんは現在86歳ですが、元気に活動しておられます。

 戦前の治安維持法を思わせる共謀罪の傲慢成立、強行される原発再稼働、信頼できない裁判所、憲法改悪の動き、一方で核兵器禁止条約に賛成しない被爆国日本の政府、福祉の切り捨てなどなどの中にいると、僕の心の底にある「あきらめ心」が膨らんできそうです。自分自身の中にある「あきらめ心」と、「そうではいけない」という心との、闘いの中で日々を過ごしているようです。

 高木仁三郎さんとは「省ちゃん、仁さん」という関係で、僕は高木さんを尊敬し、高木さんは僕に対し「過剰」な期待を持っておられました。その期待に応えられたか否かは、今になっては分かりません。

 高木さんは、相手側の戦略は「なにをやってもダメだ!」という、あきらめさせるというのが目的だから、「あきらめない」ことの大切さを話していました。

 高木さんから謹呈されたこの本を改めて読み直し、考えていました。ちょっと長いのですが、【まえがき】の中で高木さんは次のように書いています。1987年の物ですから、「世紀末」という言葉が使われていますが、読んでみてください。

 世紀末に向けて坂道をころげているような時代状況がある。国家の存在が次第に大きなものとなり、管理主義的な傾向と相まって、市民の自由な営みが押しつぶされようとしている。一方において科学技術文明の暴走も顕著である。私の多くの友人たちが危機感を募らせている。たしかに悲観的材料には事欠かない。しかし状況の悪さを声高に叫び、危機感だけで人を動かすような運動はもういやだ。
状況の表層だけを見ていると、たしかに悲観的になるが、眼をこらし耳をそばだててみよう。状況の底部で、かすかな、しかし着実に新しいものが胎動し始めているのを感じとることができる。それはまだほんのささやかな萌芽にすぎないが、わたしとしてはその芽を育てることに、これから生きてゆくことに希望を託してもよいという予感がある。

 昨日の朝日新聞「ひと」の欄に、地球温暖化の危機を訴えるマーシャル諸島の詩人、キャッシー・ジェトニル・キジナーさん29歳が出ていました。米国のパリ協定離脱で、温暖化対策の先行きに無力を感じないかという問いに、即座に「ノー」。「だからこそ、活動に火をつけてさらに前に進む時だと思う」。

 米国の南太平洋上での核実験で大きな被害を受けているマーシャル諸島の人たち、だからこそ強い連帯感を感じるのです。



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