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東京で国際会議

 23日~24日に東京で開催された、「日米原子力協力協定と日本のプルトニウム政策国際会議2017」というのに参加していました。「原子力資料情報室」と「憂慮する科学者同盟」の共催によるものです。この「憂慮する科学者同盟」というのは、世界中10万人以上の市民と科学者から構成される非営利団体で、設立から48年という長い歴史を持つ団体です。

 会場になった場所は、渋谷区の国連大学エリザベス・ローズ国際会議場というところで、青山通りを隔てて正面には青山学院大学が在りました。箱根駅伝で強いあの大学です。この会議の案内を見て、すぐに参加を申し込みました。主催者の方に訊ねると、僕が参加申し込みのトップだったそうです。

 来年7月に、現在の日米原子力協力協定は30年間の期間満了を迎えます。30年前というと1988年、中曽根首相とレーガン米大統領のいわゆる「ロン・ヤス時代」です。といってもこの協定は1955年に最初のものが締結され、3回の改定を経て現在になっているのです。もう少し戻れば、1年前の1954年に当時のアイゼンハワー米大統領が演説した「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」にさかのぼるのです。

 1955年の協定は、その内容は米国から日本への研究用原子炉の売却又は賃貸及び資材・情報の提供や、濃縮ウランの賃貸、などが決められました。それから3年後の1958年の1回目改定では、主な部分は研究用原子炉という表現から発電用原子炉になりました。それから10年後の1968年改定では、それまで核物質や技術の契約は国だったのですが民間企業でも可能になり、使用済み核燃料の再処理をすることも認めました。しかし、この時は再処理も原発建設もそれぞれに米国との同意を得るという「個別同意」でした。

 それが1988年では、同意が個別同意から包括的事前同意ということになり、日本にとってはやり易くなったということでした。1988年の協定の主な点は、①「原子力の平和利用」に関する日米間協力、②協力によって導入された施設や核物資を用いた核兵器製造の禁止、③核物質の移転、再処理の包括的事前同意、となりました。

 ちょっと難しく書いてしまいましたが、NPT(核拡散防止条約)で、核兵器を持つことが認められていない日本に、核兵器の原料になるプルトニウムを作ることを認め、そのための原発建設・運転を特別に認めたということです。

 その背景は何であったかは難しい部分もあるのですが、僕は当時の中曽根首相の「日本列島は米の不沈空母になる」と言ったことへの、レーガンからの「お土産」だったかも分かりませんね。それと何といっても、原子爆弾被爆国である日本に対し、「特別に」原発や再処理を認めることで、日本の中での「核アレルギー」を無くすことにあったのでしょうか。

 そんな協定が来年の7月に改定期を迎えるのです。改定の選択としては、自動延長、協定終了、協定再締結という三つの選択肢が在ります。双方が何もしなければ、自動延長となります。自動延長だと一方の国が解約を通知すると6か月後に協定終了となります。日本政府としては最も望むのは、協定再締結だと思いますが、再締結になれば双方の議会での承認手続きをしなければなりません。日本では民進党のあの態度だと簡単かも知れませんが、米国はトランプ大統領の誕生で、この人のこの問題への態度が見えていませんし、担当の政府役員も選任されていない中では、何もしないで自動延長止む無しと思っているのだと思います。

 しかしとっても大切な問題は、3・11福島原発事故です。3・11によって状況は一転したのです。原発は要らないの強い世論の中で、原発を止めるためには協定を終了させることが求められていると思います。

 会議の話しよりも難しい説明が長くなりましたね。会議を準備してくれた皆さんがとても若返っていることは、とても気持ちの良いことでした。日本からも海外からの発言者も、ほとんどの人が僕よりも若い人でした。僕は人間的な成長はほとんどしていないのに、年だけは取ったものです。そのことを実感して、孫の大好きな草加せんべいを買って帰りました。

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