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JCO事故から14年

 今日は、茨城県東海村のJCO核燃料工場が臨界事故を起こした日です。
 1999年9月30日、住友金属鉱山の子会社であるJCOが核燃料を加工中にウラン溶液が臨界状態になり二人が死亡し、一人が重症となった他、667名の被曝者を出しました。

 当時の新聞を読むと、事故現場から半径350mの住民に避難要請、500mの住民に避難勧告、10km以内の住民10万世帯約31万人に屋内退避を呼びかけています。

 その年の12月21日に亡くなった人は、16~20シーベルト以上の被曝をしたといわれてますから、すごい量です。16シーベルトとは1万6千ミリシーベルトという、とてつもない被曝です。
 事故を起こした当初は、少し赤い色がかった腕の皮膚などが、数日後には、ズルズルむげ状態になりました。放射線の影響は、当然ながら身体の中味をも侵しました。内臓も含めすべての臓器から免疫機能が失われ、たぶん下血、吐血を繰り返しながらの壮絶な死だったと思います。

 僕は、この最初に亡くなられた方のお母さんに、電話でお話しを伺ったことがあります。涙ながらに、「もう許してください。何も話せません」と繰り返されていました。亡くなられた人の妻は、地元の人から「補償金をたくさん貰って」などと陰口を言われ、その苦しみから今はどこに住んでおられるか分からないということでした。

 僕は2011年3月7日~9日まで、この東海村に来ていました。最初の予定では、9日から11日まで福島を訪れ、福島原発で働いていた方からお話しを伺う予定でした。しかし、話しを伺う方の都合が悪くなり9日の最終近くの新幹線で広島に戻りました。そしたら、「2011・3・11」でした。

 宿泊ホテルは水戸市に取っていましたが、ミゾレ混じりの雪が降り、すごく寒かったのを思い出します。

 今日は、夕方から中国電力前で「JCO事故から14周年の集り」を予定しています。

 14年前のあの日、JCO事故を経験して、もう原子力からは撤退すると決断し実行していたら、福島の事故は起らなかったでしょう。怒り、悲しみとともに、自分自身の不甲斐なさを感じざるを得ません。
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