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大人(たいじん)はいないのか?

 “「うるさい」で開園断念 大人がいなくて残念―園児”というのが、毎日新聞の「ふんすい塔」という小さなコーナーの中に在りました。とても興味深いものだったので切り取っていました。

 本当に最近、「大人がいなくなった」ということを感じます。この年齢になっても、僕自身がまだ大人に成りきっていないと思うので、大人とはということを考えていました。

 もう一つこれは新聞投書欄で、29歳の会社員女性のものでした。タイトルは「あいさつ禁止のマンション?」というもので、マンションの住民総会で小学生の親御さんから「知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください」と申し出があり、あいさつ禁止が決定してしまったという内容でした。

 投稿した女性は最後に、家族や親せきをはじめ、友だちや周りの人たちとのコミュニティーなどの関わりやふれあいを通じて、色々経験し、感じながら心豊かな人間に成長していくのだと思う。と書いていました。

 新聞のことばかりで申しわけありませんが、昨日の朝日新聞の「論壇時評」という記事に、歴史社会学者の小熊英二さんが「他者を思う大人(たいじん)はどこに」題して文を載せていました。

 その後半の部分に次のように書いていました。
 「大人(たいじん)」とは、社会の責任を負い、他者を助けるだけの余裕がある人のことだ。それに対し「小人(しょうじん)」は、自分のことで精一杯の人を指す。そして「大人」であるか否かは、資産や才覚の有無だけでは決まらない。巨万の富があるのに他者も社会も顧みない「小人」はいる。だが「子どもの貧困」の前では、誰もが「大人」の役割を引き受けざるを得ない。そして、他者と社会を直視する余裕を、ひねりだす努力をするようになる。

 そして最後には、人が他者を思い、結びつくこと。そこからしか、政治と民主主義の再生も始まらないで、結んでいました。

 「大人」はどこに行ったのか、「貧すれば鈍する」という言葉が在りますが、この「貧」というのには単に経済的に困っているだけではなく、心の中にある「貧」も在るのでしょうか。寛容さ、心の広さが持てなくなっているという状況も在るのではとずっと考えていました。

 そして100年先、200年先を見据えて、今を生きる者としての役割りを考えなければならないのではと、思ったりもしています。

 2020年のオリンピックを成功させるためにという口実で「共謀罪」が必要だという安倍晋三首相、こんな理由を堂々という品位の無さを思います。戦争に勝つためには、市民の基本的な権利をも侵して良いというようにしか思えないのです。こんな刑罰まで作ってしか、オリンピックが成功しないというのなら、いっそオリンピックは中止しろという議論が起こってもと思っています。

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