Entries

和田長久さん追悼

 とりあえず、新年明けましておめでとうございます。希望とお祝いの気分になかなかなれないという感じですが、元旦にはわが家に12人の一族が集まり、正月らしい食事をしました。

 しかし心の中には大晦日の夕方に亡くなられた、大阪豊中市に住んでおられた和田長久さんのことが、離れませんでした。享年84歳です。和田さんとの出会いがなければ、僕が反原発運動に関わることは無かったと思います。この運動を通じて、国内はもとより世界中に多くの知人、友人を作ることができ、成長させてもらいました。

 名前は長久と書いて「ながひさ」さんと読むのですが、僕らの間では「ちょうきゅう」さんで通っていました。思えば1978年のことです。この年の春にニューヨークの国連本部で開催された第1回国連軍縮特別総会を前に、アメリカの草の根平和団体と交流するというツアーを、和田さんがリーダーになって、大阪の市民団体の人たちによって企画されました。

 約20日間の旅行でしたが、アメリカ国内を横8の字のように旅をしました。20日間の旅の中でホテルに宿泊するというのは3日間くらいしかありませんでした。ほとんどがホームステイ、教会、中には野宿というのも在りました。このツアーに僕を誘ってくれたのが、和田さんでした。

 それ以来、長い付き合いが始まりました。8月6日を中心に開催されるヒロシマの日の行事でも、和田さんは予定より一日早く来て僕と話しをするのが楽しみだとも言われました。

 たくさんの思い出があり過ぎて、多くを書くことができませんが、和田さんは運動には女性の参加が必要で、全員男性というような会議を嫌っていました。妻は明子さんというのですが、いつも「明子さん、明子さん」と名前で呼んでいました。また、とても美食家で広島の牡蠣が好物でした。昨年の2月に送ったら、電話がかかってきて、「広島のを食べたら、大阪で売ってるようなのは食べられへんわ、ありがとう」を連発していました。

 そして何よりも、原水爆禁止運動の生き字引でした。たくさん励まされ、話しをさせていただき、指導もされました。運動を組織するために、極秘に作戦というか、仕掛けをしたこともあります。

 和田さんが亡くなられたことを、何人かの友人に知らせたら「モスクワにあるチェルノブイリのリクビダートル(事故を収束するために働いた労働者)のミチンスコエ墓地で和田さんが号泣されたことを思い出しました」というメールが帰ってきました。

 最後の著書となったのは2014年8月に発行された「原子力と核の時代史」は、486ページの超大作でした。

 さよなら長久さん、本当にありがとうございました。決して忘れません。広島牡蠣の最も美味しい時期となりました。今年も送りたかったです。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gomenda4918.blog.fc2.com/tb.php/546-96e9bf83
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Appendix

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR