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藤田祐幸さんが亡くなられた

 7月18日21時45分、藤田祐幸さんが永眠されました。一昨年だから2014年10月26日に、広島市内で開催した「反原子力ディ集会」で講演してもらったのが最後となりました。

 2013年に胃ガンの手術をされたということを聞いていたので、広島での講演はどうだろうかと心配していましたが、その年の9月に東京の亀戸中央公園で開催された反原発集会で会いました。少し痩せられてはいましたが、無二の親友という広瀬隆さんと話しておられたので、「どうですか体調は?広島は来て頂けますよねえー」と言ったら、「そりゃー行かにゃあならないだろうー」と、あの笑顔で答えてくれました。

 慶応義塾大学の助教授として物理学を教えていた時は、関東地方に住んでられましたが、2007年に早期退職をし、長崎県西海市に移住されました。「浜岡原発が怖くて九州に逃げてきたのだ」と話しておられましたが、ホントのことは知りません。

 生まれは千葉県で、前広島市長の秋葉忠利さんと高校が一緒だったと聞いていましたから、本当に原発事故が怖くてというのが正解だったかも知れません。たまに「どうしておられますか?」と電話をすることがありましたが、「自給自足で自然を相手に農作業をするのが楽しい」と笑い声で話されていたのです。

 福島原発事故後は、全国各地で講演もされていました。事故後は事故周辺地を訪ね、広い範囲の放射線量を測定するなどを行い、その結果は雑誌に掲載されていたと思います。

 広瀬隆さんによると、この4月14日に発生した熊本地震の時は久留米の病院に入院されていました。広瀬さんに電話で「震源地に近いので、揺れが激しくて、夜も眠れない」と話しながらも、広瀬さんが「中央構造線が動いたんだよ」と言うと、「そうなんだ。余震を見ていると、きれいに中央構造線の上で発生している。こんなのは見たことがない」と、気力いっぱいの声で地震の解析をされたそうです。

 僕は高木仁三郎さん、久米三四郎さん、そして藤田祐幸さんという素晴らしい人生の先輩から「原発」を教えていただきました。「原発」の仕組みとかいうだけでなく、「原発社会」の不公正を教えていただいたように思います。

 しかし藤田さんで3人とも、あの世の方になりました。もちろんまだまだたくさんの方がいますが、3人は格別でした。すごく寂しくて、悲しくて、孤独感を感じています。

 今年の正月も藤田さんからの年賀状が届きました。青い海と空に一羽の鳥が飛んでいる背景の絵柄の中に、次の文が書いてありました。

頌春 2016年元旦
この一年、私たちは、平和や戦争、基本的人権や
命の尊厳、差別や偏見について、そして何より歴
史と哲学について、もっともっと語るべきである
ことを思い知らされました。野蛮を駆逐するのは
知性であることを学びました。
新たなる一年が希望の時代の幕開けになることを
心から祈念します。


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