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 ウサギの島と鳩の街

 参議院選挙が終わったのを待っていたかのように、「8・6」関係などの会議入っていて、ブログを書くというゆったりとした時間が持てないでいました。それも昨日まででやっと落着きました。

 7月15日にNHKテレビのフェイスという番組で、「毒ガスの島 ウサギ人気の裏側で…体験を語り始めた人々」というのをやっていました。たぶん、中国地方だけで放送されたのだと思います。

 広島県大久野島、ここは戦時中毒ガスが作られていた島で、その毒ガスは中国などの侵略戦争などに使われたそうです。地図からも消されていた島で、秘密の島とされていました。僕がこの島のことに詳しくなったのは、写真家の樋口健二さんの写真集「毒ガス島」を見た時からです。

 大久野島には今でも、その歴史を残している毒ガス工場跡なども残っています。しかし今は「ウサギの島」としての方で有名かも知れません。この島の近くに住んでいる友人は「最近は外国人の観光客がいっぱいだ!」と話していました。島の中には国民休暇村、海水浴場、キャンプ場も在り観光地になっています。

 毒ガスは兵器として多くの人たちを殺し苦しめたと同時に、製造に関わった人たちを苦しめました。主に悪性腫瘍(ガン)や様ざまな呼吸器疾患に罹っています。製造には広島県内はもとより愛媛県などの周辺の島などからも、学徒・婦人会・女子挺身隊の身分で動員されたそうです。最盛期には5千人とも6千人ともいえる数の人が働いていたそうです。

 いつも思っているのですが、毒ガス工場で働いていた人は国との雇用関係で働いていたのに違いないと思うのです。原爆被爆者への国家補償が行われない理由に国は「一般戦災者との均衡」を理由に補償が行えないとしています。いわゆる「受任論」ですが、毒ガス製造に関わった人は間違いなく雇用関係があったと思います。

 赤紙で徴兵され、兵士として戦争に駆り出された人には今でも遺族年金が支払われています。しかしこの毒ガスで働いた人には、そういうものはありません。毒ガス被災者への対策法はあると思いますが、あくまでも特殊な被害だということで認定、非認定というように分類されて対策が異なっています。

 毒ガス障害の認定を受けた人には、俗にいう「毒ガス手帳」というのがあります。1980年代には広島県各地に毒ガス後遺症患者の会が生まれ、代表の人たちは繰り返し国に陳情などを行ってこられました。しかし全員への救済する道は開かれないままに、被害者は高齢化しています。

 国の毒ガス被災者と原爆被爆者への対策が、ほとんど同じだということも忘れてはならないと思います。しかし、毒ガス被災者と原爆被爆者が一緒になって国への働きかけなどの行動をしたというのは聞いたことがありません。

 この問題で「毒ガス手帳」と「原爆被爆者手帳」の二つを持っている人に会ったことがありました。毒ガス製造に従事していて体調を壊し、実家のある広島市に帰っていたら原爆に遭われた人でした。

 自宅を訪ねゆっくりと話しを聞かせてもらいました。この方も既に亡くなられています。まだまだ忘れてはならない広島の歴史を学んで、被害者にも加害者にもならない気持ちを固めねばと思っています。

 夏休みですし、この夏でも大久野島へ行ってみようかと思っています。ウサギを見て、海水浴もして、毒ガスの跡を見て考えてみようかと!





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