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五日市町が終わった!

 今は広島市佐伯区となっている、わが町。僕が生まれた時は、広島県佐伯郡五日市町でした。もっとたどれば、1955年に五日市町、石内村、観音村、河内村、八幡村の1町4村が合併して五日市町になったのでした。

 こんな歌があったのを微かに思い出します。「石内、河内がみんな出て、大五日市の町づくり…」という歌詞から始まったと思います。その五日市町も1985年3月、100万都市を目指していた広島市に合併しました。広島市と合併した15年くらい前から、五日市町は「合併賛成・反対」で大きな争いがありました。

 その合併反対で頑張っておられた、原田譲次さんが昨日92歳で亡くなられました。原田さんは当時町会議員を務められ、合併反対で町長選挙に立候補されたと思います。合併を決めた町議会の日、議場に発煙筒が投げられ大紛糾したのを思い出します。その運動のリーダー役だったのも原田さんでした。

 僕も合併反対で町内を回った時、お年寄りの方が「河内村が五日市町に合併した時、村有林を五日市に取られて損をした」と話されたことを忘れません。「平成の大合併」というほど多くの自治体が合併しましたが、「すんなり」と合併に進むことに多少の違和感を思います。

 合併反対の理由は大きなものに吸収されると、行政サービスが行き届かなくなるというものでした。行政は小さい方が良いというのが、原田さんの主張だったと思います。

 はっきりとした記憶ではないのですが、原田さんは若いころ米軍の岩国基地で仕事をしておられたと思います。その関係からか自分のことを「ジョージ原田」と笑顔で話しておられました。

 社会党(現・社民党)員として、地域に根差した活動家だったとも思います。僕は党員ではありませんが、たいへんお世話になったこともあり社会新報という機関紙を購読していました。

 自転車に乗って配達され、きちんと決まった日には集金に来られました。「原田さんといえば自転車」に直結します。地元から社民党の市議会議員になっていた人の選挙運動にはまさに「本気」で頑張っていました。

 何よりも新年旗開きかいう集まりで、多くの人と語り飲むのが大好きという人で、いつもユーモアと希望を持った笑顔がまさに「前向き」という感じでした。町内会のことや民生委員のようなことも率先して、その役を担っておられました。まさにユーモア・笑顔・話し好き・前向きが原田さんでした。

 親戚の「相続人不存在の申立て」というのをやったことがあるのですが、その時には財産管理人にもなってもらいました。

 僕も今でも「広島市佐伯区」よりも、「広島県佐伯郡五日市町」の方に馴染みがあります。そのシンボル的存在が原田譲次さんでした。2週間くらいの入院だったそうです。1週間前に見舞いをした友人が病院から帰ろうとすると、大きく手を挙げて応えられたそうです。

 あの当時、合併賛成で動いた当時の町会議員らもほとんど亡くなったそうです。広島市のベットタウンになっている広島市佐伯区、五日市町時代を知らない人が多くなった今、僕の中にも五日市町が無くなりそうです。

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