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伊藤富美子さん追悼

 祝島に住んでおられた、伊藤富美子さんが3週間くらい前に亡くなられたという連絡がありました。昭和でいえば3年生まれだったそうですから、今年88歳になる年齢でした。

 といっても皆さんには誰だか分からない人の方が多いと思いますが、纐纈(はなぶさ)あや監督の映画、「祝の島(ほうりのしま)」を観られた方なら、「ごけらく、ごけらく」と語りながら、コタツに入って島の人たちと歓談している姿で思い出されるかもしれませんね。

 伊藤さんとは、祝島でも広島でも何度も会うことがありました。上関原発に反対するための行動に加わるために、中国電力本店にも何度も来られました。いつも笑顔で、会うとすぐに僕の手をにぎり挨拶を交わされました。「ありがとう、ありがとう」と声を掛けてくださいました。それは上関に原発建設問題が浮上してからずっと続いていました。

 上関原発建設計画が、公けになったのは1982年のことです。あれから今年で34年ですから、伊藤さんが54歳の時からです。僕は33歳です。とはいえ、54歳の女性の手をずうずうしく握ったものだと思います。

 僕の母親が亡くなった時には丁寧な、悔やみの言葉をいただきました。「広島の人なら原子爆弾のことを知っておられるから、私らが上関原発に反対する気持ちを一番よく解ってもらえるじゃろうねえー」と話されたことは、僕の中の上関原発に反対する気持ちの、大きなバックボーンになっていました。

 原発反対運動の現地では、反対運動の大きな担い手は女性です。おばちゃんパワーとでもいうのでしょうか。中国地方でも、鳥取県の青谷は連合婦人会の女性たちであり、山口県の豊北や萩、田万川も中心的な存在は女性でした。全国的にも僕のよく知っているところでは、三重県の芦浜原発反対運動も女性が頑張りました。

 もちろん女性だけではなく、男も頑張りました。原発を建てさせないためには、その場、その立場での役割りを担うことだと思います。男にも女にも、広島に住む者も、全国の人たちにも、否、世界中の人たちとの連携が大切だと思います。それぞれの人たちに役割りがあると思います。

 3・11から5年、上関原発建設計画は工事中断状況にあります。中国電力の中からも「上関原発の建設計画はもう無いよ」という言葉が聞かれます。しかし無いと言いながら計画撤回が表明されない限り、計画は続いているのです。

 計画が続いている以上、中国電力社員らも建設のための工作を続けています。反対運動も手を緩めることはできません。「どうせ建たないから良いじゃろ」の理屈は都会に住む立場の無責任なものではないでしょうか。

 この無責任のために、地元ではどれだけの人に迷惑を掛けているのか、このことを本気になって考えて欲しいものです。

 伊藤富美子さん、貴方の笑顔は忘れません。一緒にデモをした時のこと、シュプレヒコールを上げたこと、握手をしながら抱き合ったこと、懐かしい思い出は悔しさ、怒り、もどかしさ、そして感謝、本当にありがとうございました。

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