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近藤誠さん追悼集会

 四国電力の伊方原発反対運動に全力を尽くされてきた、「伊方原発反対八西連絡協議会」のメンバーだった、近藤誠さんが10月15日に亡くなられたのはお知らせしましたが、12月20日に八幡浜市で追悼集会が行われました。

 この日は追悼集会に先立って、伊方原発前ではゲート前抗議行動も行われました。終了後に、八幡浜市内のホテルを会場に追悼集会となりました。全国から160人が参加しました。

 僕が伊方原発のことを知ったのは、1978年4月のことです。1973年から始まった、伊方原発1号炉の設置許可取消を求める裁判の判決が松山地方裁判所で行われた日でした。前日に被爆者で原水爆禁止運動のリーダー的存在だった森滝市郎さんと、当時中国電力の中で活動していた労働組合の役員をしていた方と3人で、広島から行ったと思います。中国電力の労働組合と言っても、この労働組合は原発反対を活動方針にしている「まともな」労働組合の方でした。

 この時の経験が、僕は伊方原発を知ったと当時に、原発そのものを知った日でした。春の暖かい日差しの晴天だった思い出があります。

 追悼集会では参加者の半数くらいの人とは、「伊方原発反対同窓会」という感じでした。みんなそれなりに年齢は重ねていましたが、伊方原発に反対する思いは同じでした。そして新しい顔ぶれの半分の人たちは、主に3・11以降に原発反対の気持ちを持ちだした人でした。近藤さんとじっくり話しをしたことも無いという人も多くいました。でも頼もしい限りでした。

 近藤さんはガンを患っていましたが、この人の伊方原発を止めたい、伊方原発に反対する気持ちを一人でも多くの人に知ってもらいたいという考えは、特別なものがありました。

 僕が電話で「○○の日に伊方原発に人を案内して欲しいのだけど、予定は空いていますか」とお願いすると、近藤さんは「〇〇の翌日に、入院という予定だが前日はOKだよ」と心よく了解の返事をくれました。少し早口で高いトーンの声で、情熱的に話された声は、今でも頭の中に残っています。

 僕だったら入院の1か月前くらいからでも、落ち込んで案内役など到底出来ないでしょうし、する気にもならないでしょうね。

 長年ともに活動してきた「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斎間淳子(さいま じゅんこ)さんが話していました。「私の夫が亡くなった時よりも、近藤くんが亡くなった今の方が寂しい」と。斎間淳子さんの夫は斎間満(さいま みつる)さんと言って、近藤誠さんとともに、地域紙「南海日日新聞」の編集発行人をしていたのです。

 僕のことを、「夫(妻)が亡くなった時より寂しい」というようなことを言う人は絶対に居ないでしょうね。その方が気楽でしょうけど。


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