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400号

 「省ちゃんの前向き語り」が400号を達成しました。第1号が2013年7月21日ですから、約2年3か月です。だいたい1回を1200字くらいにしていますから、約48万字を書いたことになります。

 書いてる「省ちゃん」に、それを第三者のように読んでいる「省ちゃん」が拍手をしました。これぞ「自画自賛」、もうおじいさんですから「爺が自賛」の方が的確ですね。

 思っていること、感じていること、公けの場所では言えないことを、飾ることなく正直に書いているつもりです。飾っていたり「ええ恰好」したりして書いたら、その時点で終了と思っています。というより、それ以降は書く気にならないでしょうね。

 よく友人から「よく続けて書くねえー」と言われることがありますが、間が空いて「何か書かなくては」と思って書くことはありません。まさに衝動的にバババーという感じす。

 今、スウェーデン人のジャーナリスト、モニカ・ブラウさんの「検閲 原爆報道はどう禁じられたのか」を読んでいます。彼女はかつてフィンランド国営放送の特派員として日本で仕事をしていたこともあり、日本に詳しい人です。この5月、広島で再会しました。彼女の方は僕のことをよく覚えていたようで、「この前会った時は、前の日に上関町の祝島へ行ってたと話していたけど、あれから祝島は、上関原発はどうなっているの?」と訊ねられました。モニカさんの顔には記憶がありましたが、そんな話しをしたのかなあーと、申しわけありませんでした。

 さてそのモニカさんの書いている「検閲」、戦争に敗れた日本での検閲のやり方を詳しく書いています。原爆に関するものだけでなく、戦後処理に関する連合国どうし間の確執などもリアルに表現しています。

 その中で僕が興味深く読んだ部分、原爆詩人である栗原貞子さんの夫が雑誌の原稿の検閲を受けるために、当時広島で出されるものの検閲業務をしていた福岡検閲事務所にゲラ刷りを持参するところ、とてもリアルです。

 そして戦後すぐは、「天皇バンザイ」思想のものが検閲対象になっていたのですが、ある時期から「平和運動」がその対象になるのも興味深いものです。

 検閲にひっかかるものを載せる、「要注意」新聞社や雑誌社などへの「制裁」は紙の供給を制限するというものでした。当時は紙が今よりも数が少なく、貴重であった時ですから、紙が無ければ何もできないという事情がありました。まさに「兵糧攻め」の制裁です。

 検閲はやがて廃止されるのですが、その順序としてまず事前検閲を廃止し、事後検閲だけになりました。しかし事後検閲でたびたび引っかかるところには、再び事前検閲からに戻るという部分、検閲に「時間も人」も必要なのですから、多くの場合「自主規制」という形で「そうならないように」していたのです。

 原爆による放射能被害のことなどは、しつこく検閲の対象でした。

 改めて思いました、言いたいこと、思っていること、正しい事実、これらを皆に知らせるために、どれだけの先人たちが苦労をしてきたかということです。

 そういう中で、今政府から聞こえてくる「あのマスコミは悪い、この報道はけしからん」というものを、無視することはできません。

 「省ちゃんの前向き語り」も、これからも頑張ります。読んで下さっている貴重な皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします。

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