Entries

悲しい連絡が続きます

 一昨日のブログで横田悦子さんの悲しい心を書いたら、昨日は伊方原発反対八西連絡協議会の近藤誠さんが亡くなられたという連絡がありました。

 もう何十年の付き合いの方です。近藤さんは伊方原発の隣りの八幡浜市に住んでいます。今は亡き斎間満さんと、地域新聞である「南海日日新聞」の発刊をされていました。僕とは「反原発新聞」の編集委員としても活動していました。

 まさに伊方原発に関しての、「生き字引」「生き証人」という人でした。その生き字引を亡くしてしまいました。もう悲しくて、切なくて、秋の夕空を観ていると腰が抜けたような気持ちで涙が出てきます。

 暖かい笑顔、少し早口ですが、本気で熱く語る顔が浮かびます。ガンを患い入退院を繰り返していることは本人の口から伝わっていました。そういう状況の中でも僕から「○○日にそちらに行きたいのだけど」と電話をすると、「あー、その次の週が入院だけど、○○日はいいよ」と付き合ってくれました。

 10月11日に開かれた「第29回伊方集会」には、入院先病院の医師の反対を押し切って参加され、伊方原発のゲート前でまさに体力と気力を振り絞ってのメッセージを話されたそうです。四国電力の総務課長も聞いていて、近藤さんの遺言となったのです。その一部を紹介します。

 私たちはですね、ぜったいにこのようなあなた方のトリックやごまかし、その中でこれからの生活を営んでいくことは、とてもできません。私たちはなんとしても再稼働を阻止して、そして原発のない社会づくりを私たちは進めていく。また電力会社の皆さんとともに進めていく。それしか、今後私たちは、自分たちの子どもを守り、自分たちの子孫を守っていく方法はないと私たちは確信しています。四国電力の皆さんも含めて、私たちは原発をなくす社会づくりをしたいと思います。

 一部ですが、全文が欲しいという方は連絡をください。愛媛新聞には写真入りで訃報記事が載っていました。その中で、長年ともに活動をしてきた「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斎間淳子さんは「(伊方3号機が)再稼働する動きが強まっており、心残りだったと思う。大事な人が亡くなった」と惜しんだ。僕も同じ考えです。

 八西連絡協議会といえば、長年会長をされていた広野房一さんのことです。1978年4月25日、松山地方裁判所で伊方原発1号炉の設置許可取消を求める裁判で住民側が敗訴した瞬間、広野さんが掲げられた「辛酸亦入佳境(しょうさんまた かきょうにはいる)というものです。これは日本の公害反対運動のシンボル的なものである足尾銅山反対運動で、田中正造が書いたものです。「何ごともすべてを打ち込んで事にあたれば、どんな苦労でも喜びに変わる」という意味です。

 近藤さんの逝去の連絡が入って、多くの人が悼むメッセージを寄せていますが、次のようなのがありました。「私が本格的に反原発に関わったのは3・11以降です。もっと早く近藤さんにお会いしてればと悔やまれます」というものです。

 近藤さん、反原発の声は大きく拡がっていますよ。



スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gomenda4918.blog.fc2.com/tb.php/390-1daa9778
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Appendix

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR