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広島の墓地

 7月30日は、母の命日です。1998年ですから17年前です。85歳で亡くなりました。この僕ですら、母が亡くなった後にうつ状態となり、長い間通院し苦しんだものです。

 しかし今では、30日だったか31日だったか分からない程に「回復」してしまいました。朝食の時妻に、「何日だったかいねえー」と聞いて確認したようなことです。

 ということで、今朝は墓に行きました。墓は歩いて10分くらいのところにある光禅寺のお寺の境内にあります。

 僕の住んでいるところは広島市内中心から約11キロの場所で、現在は広島市佐伯区ですが、以前は広島県佐伯郡五日市町でした。

 その場所にあるお寺の墓地ですが、墓の石に刻んである墓標は「昭和20年8月6日没」というもの、そしてその数日後というのが目立ちます。それも10歳にもならない子ども、10歳代の人が多く、これは原爆による死に間違いありません。広島市内の墓地ではもっと多いとも聞きました。

 改めて原爆の惨たらしさを実感しました。NHKの原爆に関する世論調査が明らかにされていますが、原爆の投下日時を知らない人、原爆投下は「やむをえなかった」としている数が「許せない」を上回ったこと、核の傘が必要だと認める人などが、予想外に多い数字を示していることには、少しがく然としました。

 先日、朝鮮人被爆者協議会の結成40年の集まりがあり、参加していました。強制的に日本に連れてこられ労働に従事させられ、原爆に遭い、亡くなった人、故郷に帰った人、韓国に住む被爆者はそれなりの援護施策を受けていますが、北に帰った人は国交が無いということで、何一つ援護の手は届いていません。北に住んでいる被爆者は約200人という報告もされていました。

 「被爆者はどこにいても被爆者」です。それも強制的に日本に連れてこられた人たち、国交が無いということで援護の対象から外されるということは納得できません。

 この集まりでは、広島市長の挨拶が○○局長という市の人が読み上げたのですが、ひと言も朝鮮半島に住むとりわけ北の被爆者へ思いを馳せる言葉はありませんでした。国の国交が無いのは仕方ないにしても、広島市は独自の施策として何らかの事をやったらどうでしょうか。

 若い頃、朝鮮人被爆者協議会の人と一緒に広島市内に住む朝鮮人被爆者の調査を行ったことがあります。「原爆スラム街」といわれたところに住んでいた人たちは、高層アパートに住み移ったのですが、この高層アパートを訪ねて話しを聞いたことを思いだしました。

 被爆体験の継承ということが言われてますが、継承とは素晴らしい人との出会いの中で、教えられ、期待され、託されたことを自分自身の使命として、今後の中でその思いを如何にして実現させるために努力をしていくかだと、僕は思っています。


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