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優しくて、強い人でした

 米子市政研究会を主宰していた、そして前・米子市議会議員の中川健作さんが5月30日午後8時46分に亡くなられました。66歳でした。

 中川さんとは同年齢で、他の人にはない親しさと何でも話せる関係を持っていたつもりです。ご本人は面倒がられていたかも知れませんが、ある意味で僕は甘えの気持ちも持っていました。

 一昨年の冬の頃だと思います。米子で会った時「来年(14年)は市議会議員選挙だけど、大腸癌になったので選挙には立候補せず引退する。代わりに土光さんが立候補してもらう。土光さんが引き継いでくれたので嬉しい」と話していました。そして去年の選挙、土光さんは見事当選を果たしました。それもこれまで中川さんが取ったことのない得票を得ての上位当選でした。

 中川さんの簡単な紹介をしておきたいと思います。1949年2月7日、山口県生まれ。お父さんの仕事の関係で下関、広島で育ちました。男3人兄弟の長男でした。広島大学の学生時代の前半は、大好きな自転車で本州四国縦断旅行をしています。後半はベトナム反戦運動の高揚の中で全共闘運動に参加、1970年に米子に移り、車椅子製造販売の仕事をしながら、いのち・人権・環境・平和などの市民運動にかかわり、市民自治をめざして活動を続けてきました。

 米子市政研究会を運動の柱として、中海淡水化や島根原発の反対運動などにもかかわり、市民自治ということを考えの根底に置いていました。僕が何年も前に「みどり会議」から参議院選挙に出た時には、本気になって応援してくれました。

 1987年に米子市議会議員に初当選、以後7期27年間、市民派議員として活動をしてきました。2013年3月大腸癌が発見され、闘病生活が始まりました。闘病生活では免疫力を高める自然療法を積極的に取り組み、神の存在を受け入れ、自分の力以上の力をもらいながら癌の進行を抑え、散歩や釣りなどを楽しみ、ゆかりの人を訪ねる旅もしていました。

 とにかく優しい人でした。広島時代からの知り合いの高齢女性の人がいわゆる「なりすまし詐欺」のような被害を受けたことがありました。たぶん僕だったら、その女性に対して罵声を浴びせて怒るかもしれませんが、中川さんの優しい対応には本当に頭が下がったものでした。この時の中川さんの対応は、それからの僕自身の生き方にも大きな影響を与えています。

 土光選挙の時、僕は電話作戦をしたのですが、中川さんの知名度は抜群でした。土光選挙が終わって「中川さん、これからは何する?」と訊ねたら、「家族でとりあえず旅行をしたい」と話していました。フェイスブックで旅行先の写真が載っていたのを思い出します。

 葬儀は家族葬として、6月1日に改革バプテスト米子キリスト教会で行われました。彼の遺志で、新聞の死亡記事も葬儀が終わった翌日に掲載されています。


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