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300年後だけで良いの?

 経済産業省の「有識者」会議で、2030年度の電源構成(エネルギーミックス)を話合いが続いています。会議の構成員が原発推進のオンパレードという関係からか、原発20%以上という声が多いようですが、再生可能エネルギーも20%という試算もされています。

 広島市で先日開催された「日本のエネルギーミックスを考えるin広島」というシンポジウムでは、2030年のエネルギーミックスとともに、2050年のことも話されていました。今から35年後です。

 この時、僕が不可解というか少し気を悪くしたのは、これを説明した経済産業省大臣官房審議官という人の話しが2050年というのを、ものすごく先のことのように話していることでした。

 ある計算では、石油などの化石燃料はあと300年しか持たないとされています。300年先までしか化石燃料が「持たない」と考えるか、300年後まで「持つ」と考えるかによって、僕たち世代の考え方の基本的なスタンスは大違いだと思います。もちろん原発の燃料であるウラニウムも有限な資源です。

 石器時代の始まりは、今から約200万年前といわれてます。一方、日本に初めて電燈が灯ったのは1878年(明治11年)3月25日です。3月25日が記念日になっているのは、その為です。1878年からこれまでが137年、これに300年を足して437年、200万年分の437年は0.02%です。

 時間にして0.02%の「便利」な生活のために、地球が何億年もの中で造りだした化石燃料を使うことというのは、どういう意味を持つでしょうか。僕が生きている間は、かろうじて「便利」な生活は維持されるでしょう。幸いにもラッキーだったでは、これも済まされないと思います。

 0.02%の「便利」のために、この地球が骨と皮だけのように、痩せ細った身体にしてしまうことが許せるでしょうか。300年後には新たなエネルギーが開発されているかもしれません。しかしその便利さは、地球をますます痩せ細らせることだったら、それもやがて終わってしまうでしょうね。

 「便利」な生活を一度経験したら、なかなか後退させられないのも事実です。じゃあー「後は野となれ山となれ」では先祖に申しわけないことです。これまでの「便利」が、これからもずっと続くと考えることこそ現実的でない現実だと思います。

 「便利」だから「幸せ」には繋がりません。「便利」な今に住んでいる人は、全員「幸せ」では無いように。逆に「便利」からはほど遠かった江戸時代の人は、みんな「不幸せ」と繋がらないように。

 今日の夕方、僕にとっては3人目の孫が生まれました。この孫が、孫を持つ頃にはどんな風景になっているでしょうか。後、300年でこの地球人は終わって欲しくありません。


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