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原水禁結成50年

 2月1日は原水禁結成50年という日でした。1965年のことです。
 その日、東京神田の全電通会館には、各都道府県の原水禁組織の代表、総評・中立・新産別等中央諸団体代表、婦人、民主団体、青年学生、学者文化人ら約500人が参加して結成大会を行ったと『原水禁ニュース』創刊号には記されています。原水禁は「原水爆禁止日本国民会議」の略称です。

 僕が原水禁に関わり始めたのは、1975年頃だと思います。1978年に誘われてアメリカに行ってますから、その頃からだと思います。その後も1987年にニューヨークで開催された核被害者世界大会にも参加しています。から、常任理事になる前から関わりがあったのだと思います。
 広島原水禁の常任理事という役目を担うようになったのは1994年となっています。しかし1987年にニューヨークで開催された核被害者世界大会にも参加していますから、常任理事になる前から関わりがあったのだと思います。

 あの頃の常任理事会には、もちろん代表委員をしていた森滝市郎さん、宮崎安男さん、詩人の栗原貞子さん、被爆者運動のけん引役だった近藤幸四郎さん、被爆教職員の会の石田明さん、理論家の松江澄さんらが凄まじい議論を行っていました。議論を交わすことの大切さを教えられたものです。

 結構怒られもしました。しかし根底ではつながっていたと思っています。つながっていたからこそ、爽やかでした。そして可愛がられたとも自分自身は思っています。原水禁運動の中心的な役割をしている東京に住んでいる有名人の人とも気軽に話しができる間柄にもなりました。

 原水禁運動の象徴的な立場におられた森滝市郎さんは、自宅が近くということから会議が終わったら一緒に帰ったものです。時々は自宅を訪ねて話し込んだものです。でも時の流れから、今ではあの頃を知っている人はほとんどが亡くなられました。

 森滝さんの言葉で「核絶対否定」とともに「人類は生きねばならぬ」というのがあります。最近はこの「人類は生きねばならぬ」というのを考えています。

 「大江戸エネルギー事情」や「大江戸リサイクル事情」という本を読んだ影響かも知れませんが、太陽の恵みを大切にしながら循環型社会の中で生きてきた僕たちの祖先、森の木も川の流れも農業という営みの中から作られる野菜やお米というものも、全てが太陽からの恵みだと思います。

 石油も何十万年という間に蓄積された、太陽を中心にした恵みによって出来上がったものです。明治までは太陽から得られた恵みを循環的に無くならないように使ってきたと思います。

 石油には可採年数という言葉が使われます。これから何十年は石油が採れるという意味からの言葉ですが、可採年数が100年だろうが200年だろうが、時間が経てば無くなるというものです。
こんなことを言うと、「江戸時代に戻れというのかー。原発反対運動をしている人は」と言われるかもしれませんし、現に何度か言われた経験もあります。

 もちろん僕だって江戸時代の生活に戻りたいとは思いません。
 新しいエネルギーの開発も進められていますが、しかし考えの根底には「人類は生きねばならぬ」ということを、最も大切な視点で考えて欲しいものです。

 数十万年という長さからみれば、100年200年なんかあっという間では無いでしょうか。100年先からは「野となれ山となれ」だったら可採年数の理論も分かるのですが、そんなものではないでしょう。「人類は生きねばならぬ」を改めて考えていました。


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