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竹弘盛三さんが亡くなられました

 竹弘盛三さんが亡くなられました。87歳でした。上京中の新幹線の中で弁護士さんから連絡が入りました。竹弘さんと出会ったのは上関に原発建設計画が浮上した時からですので、32年前になります。住んでおられたのは、上関町四代(しだい)というところでした。

 竹弘さんとの主なつながりは、上関原発建設計画地の中にある四代正八幡宮の神社名義による土地の入会権をめぐる裁判を通じての関係からです。

 この土地は八幡宮名義の土地でしたが、四代地区の人たちがみんなで家庭の煮炊き用や風呂の燃料として、また火鉢などの暖房のために小枝や枯草などを採っていた土地です。こういうようにその地域の人たちが共同で使う土地のことを、入会地と言います。電気やガスなどを使っている現代では、入会地の存在意味も無くなってきたでしょうけど、全国では入会地はいたるところに存在しているのです。入会地は意味が無いから廃止すると言ってしまうと、土地問題は大混乱になるのは必至です。入会地という土地だけでなく、入会池や魚を集めるための「魚付林(うおつきりん)」も入会権です。

 神社名義地になっていたこの土地について八幡宮の宮司さんは、神社の土地を原発建設のために売るなどということは「神の道」に反するので絶対に売らないという固い決意を持っていました。しかし原発建設によって金を得たい神社の総代たちは宮司さんの偽造辞任届を作って、宮司さんを辞任させてその土地を中国電力に売却してしまったのです。

 竹弘さんはこの神社の氏子でした。土地が入会地という地区の共有地であるために、入会権者である氏子の同意を得ずに中国電力に売却した行為は入会地権者全員の同意を得ていないもので違法行為だとして裁判を起こされました。ざっくり言ってこれが「上関原発神社名義地裁判」です。最初は4人の原告がいましたが、亡くなられたり老人施設に入るなどで四代から出て行かれ残ったのは竹弘盛三さんだけになったのです。

 裁判は山口地裁→広島高裁→最高裁→差戻しで再び山口地裁→広島高裁→最高裁と進んで、最高裁で再びの裁判が行われている最中でした。

 四代というところは人口が70人くらいで上関原発計画地からは最も近いところですが、そのほとんどの人は表向きは原発賛成派です。その中で竹弘さんは、原発反対の信念を曲げることなく頑張っていました。小さな集落の中では、何をするにしてもその地域の人たちの世話にならなくてはやっていけません。

 20年近く前に妻を亡くされました。僕は宇部市に住んでおられる息子さんのところに帰られたらとも思いましたが、四代から引っ越すと入会権者では無くなります。そのために、四代から離れられませんでした。

 竹弘さんが亡くなられた正確な日時は分かりません。病院に行って帰宅して連絡が取れないので家族の人が自宅を訪ねたら亡くなられた姿が見つかったのです。

 竹弘さんは「私は100歳まで生きますよ。裁判に勝って上関原発の建設を止めなければなりませんから。絶対に勝ちますから」と話されるのが口癖のようでした。こう話される顔はいつも笑顔でした。

 竹広さんが亡くなられて僕の慰めになるのは、最高裁が判決を出さなかったことです。最高裁の判決が出なかったことは、この裁判は「負け」では無かったのです。そして福島原発事故により現在は上関原発建設計画の工事中断中です。この神社名義地の土地は中国電力に購入はされましたが、まだブルトーザーも入っていない、そのままの姿です。

 竹弘盛三さんの意志を継いで、改めて上関原発の白紙撤回への決意をしたところです。それにしても32年間もの長い間、原発建設問題で住民を苦しめ続けるということ、こんなことは許されてよいのでしょうか。


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