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職場生活を終えて半年

 今年3月31日に長かった職場勤めを終えましたので、今日でちょうど丸半年が過ぎたことになります。なにぶん47年間も勤めたのですから、いろいろなことが在りました。今ごろ思うことは、47年前に新入社員として勤め出した6か月後頃のことです。

 あの頃は当然独身でした。母親と姉二人の4人家族でした。床が抜けるほどのボロ家でした。今ではほとんど見ることが出来なくなったわら屋根の家でしたから、雨漏りもあったように思います。風呂はマキを使って沸かしていました。近くにあった製材店から、不要な木材を貰っていました。リヤカー一杯をナンボで購入していましたから、リヤカーが押されなくなるような位の量を山積みにして運んだものです。

 近くには大きなレンコン畑もありました。清楚で白いレンコンの花を思いだします。山陽本線は蒸気機関車・ディーゼルから電車に移行する時期だったようにも思います。

 わが家の前には潮回し(しおまわし)というのがありました。潮回しがどんな役割をしていたのかは良く分かりませんが、メダカが泳ぎアメンボウが水面を走り、ボラが泳いでいました。

 職場で働いている人は全員正社員です。今のような派遣とか契約とかいう雇用形態すら無かったと思います。臨時というのは居ましたが、やがて知らぬ間に正社員となっていました。新入社員の月給は1万7千5百円、その年の春闘で1万9千9百円になったものです。今どき千円上がったとか2千円上がったと、政府も労働組合も成果を強調し自慢していますが、あの時代ですら2千4百円も上がっているのですから。

 年齢に依るものと役職以外では、原則として全て平等でした。大学卒というのは新入社員の中で1割にもならない数字だったと思います。役職になって転勤してくる人よりも、古株で長いあいだ根を下ろしたように働いている人の方が、「エライ」人でした。課長といったようにして転勤してくる人も、古株に嫌われると仕事にならないので、大いに気を使っていたものです。

 職場の人たちとはソフトボールやボーリングをしたり、たまには日帰り旅行も企画されたり、職場の中では書道や華道、囲碁・将棋の同好会のようなものもありました。年に1回くらいは職場の休憩室のようなところで書道展も開催されていました。みんな大らかだったように思います。

 こんなことを考えながら、47年前の6か月後頃を思い出しています。それが除々にではありますが、職場の中での差別時代に進んでいったように思います。まるで、昭和の始めから戦争に突入して行ったように。

 これから47年後には、僕は間違いなく生きている訳はありませんが、今年就職した若者たちが、やがて退職という時期を迎えた時、どんな47年前を思い出すのでしょうかね。


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