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不審者、不信者

 「気軽に子どもらに声をかけるとフシンシャに間違われるぞ」と、友人が話しました。同じような内容ブログは、この前も書いたかもしれませんが、ちょっとした違いの人が「フシンシャ」と扱われるのは、とても不愉快です。

 金子みすゞの詩で「みんな違って、みんな良い」というのがありますが、世の中みんなそれぞれ違っているから、楽しいしそれは当然のことと思います。共同参画とか共生と言われるように、また健常者と障害者とを分離されている学校の在り方についても意見があるのも現実です。

 「声かけ運動」というのも一方で行われています。しかし、「声かけ」はフシンシャとして扱われる最たるものでもあります。子どもたちが賑やかな声を出して通学路を歩く姿は本当に可愛いものです。そんな光景を見ていると、気持ちも良いものですし、声を掛けるのは自然の姿だと思うのですが、それがフシンシャと思われるのは、やはり不自然だと思うのです。

 ちょっと変わったことをやると異質な人、フシンシャと扱われる社会は民主主義の状態ではないと思います。もちろん以前では考えられないような犯罪が起こっているのも事実です。以前では表ざたに成らなかっただけかも知れませんが。

 近所の人が話していましたが、目を交わすこともヤバイですよと。先日、上関町の祝島へイベントのために行きました。10年以上ぶりに猿まわしというのを見物することができました。その猿まわしをやらせているおじさんが、見物者に「猿と目を合わすと、猿が緊張して興奮するかも知れませんから、なるべく目を合わさないようにお願いします」と注意しました。この注意を聞いて、人間社会も猿並みになったかと変な気持ちで聞いていました。

 簡単にフシンシャを不審者にレッテルを貼って欲しくないのです。それはやがて国のやり方や政策に反対することを許さない社会に向かうような気がするからです。異質な考えを許さない、抜け駆けは許さないという方向へ向かうことの心配です。

 不審者は別にして、どうも最近は「不信者」は増えたように思います。信用できない人としましょうか。最たる人は安倍晋三かも知れません。上関原発の埋め立て免許の延長問題を、意味なく引き伸ばしにしている村岡嗣政山口県知事も、僕に言わせれば「不信者」だと思います。

 不審者に対しては厳しい目が向けられるのに、「不信者」にはどうも寛容な気がしてなりません。

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