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生きる価値(ブログ200号です)

 水戸巌著作・講演集「原発は滅びゆく恐竜である」という本の「まえがき」の中に、京大原子炉実験所の小出裕章さんが「人は誰も、ある時に生まれ、そして必ず死ぬ。生まれ落ちる場所と時代を自分で選べるわけではない。死もたいていの場合は自分で選ぶのではなく、突然にやってくる。自分で選べるのは生まれて死ぬまでの間をどう生きるかということだけである」ということを、書いていました。

 先日、わが家の前の道路で猫が車にはねられて死んでいました。考えてみれば、人間として生まれたのも運命のようなものでしょうし、猫で生まれて交通事故で死ぬることもあるでしょう。その他の動物や植物として生まれることも選ぶことが出来ないものだと思います。
 たまたま人間として生まれ、その時が1949年という戦後まもなくの時期であったということです。僕の場合、特に両親が原子爆弾に遭遇していますから、ちょっとした運命で自分というものが存在して居なかったのではということは、たまには思うことがあります。

 もし戦時中だったら、僕は軍国青年だったかも知れないと思うことがあります。もしかしたらではなく、間違いなくそんな気がしています。お国のために死んでもよい、「天皇陛下万歳」と言って特攻隊に志願したかも分かりません。嫌、戦争反対を訴えて「非国民、アカ」とか言われて刑務所に入っている自分に自信が持てません。

 そうであるからこそ、運命というものを強く感じるのです。だから今の自分の生き方を大切にしなければということを思うのです。

 65歳になり職場を完全退職し、役所から送られてくるのは、満額支給になった年金の書類ですし、広島市が運営している娯楽施設の入場割引証、ニュースなどから聞くのは「65歳以上の高齢者」という言葉です。

 人生には生まれる、学校に入学する、卒業する、仕事に就く、結婚する、子どもが出来る、孫ができる、退職するというようなケジメというか、節目というものが通常のパターンではあるものでしょうけど、退職の次にくるケジメというのは「死」ということなのでしょうか。

 だからといって、省ちゃんは弱気になっているというものではありません。逆に開き直っているという感じです。僕の自慢だと思うことに、年上の友人が多いというのがあります。それも、仕事をしていた頃だけでなく、現在でもそれなりの社会的な立場にいる人です。最近、そういう人と一杯飲みながら話すことが数回ありました。

 もちろん、原則的に割り勘です。何度かは、省ちゃんの退職お祝い会ということでゴチにもなりましたが。そういう人と3~4時間も話し込むのでうすから、楽しいものです。そして共通する話題は、職場を退職した後からの過ごし方です。
 運悪く病気になって、思うように身体のいうことを効かなくなるという場合もあるとは思いますが、それなりの社会に対する影響力は持つことが可能だと思います。

 後2か月もすれば、ヒロシマの日がやってきます。恒例になった8月6日の夜の飲み会ですが、行きつけのいつもの居酒屋で楽しい会が待っています。今年はわざわざ青森県から90歳を超えた方も来るという連絡がありました。今から楽しみです。なにぶん、僕が一番の若年者ですから。

 ところで計算したら、今号のブログで200号になりました。去年の7月21日に衝動的に始めたものです。何人の方が読んでいるのかも、まったく分かりませんが、これからも思ったことを正直に書いていきたいと思います。
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