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2011年3月7日

 2011年3月7日、前日の6日に京都市で反原発新聞の編集・経営委員会があり、その日の夜遅く茨城県の水戸市のビジネスホテルに着いていました。
 1990年9月30日に発生した東海村JCO事故の現場を見て、事故によりPTSDにかかってJCOを訴えられた方の話しを伺ったりして2日間を過ごし、9日から11日までは福島に行き、福島原発で働いた経験のある方にも、話しを聴くことにしていました。
 またJCO事故で亡くなれた方のお母さんにも電話をして、お会いしたい旨を伝えたのですが、お母さんは「許してください。話しができません。申しわけありません」と涙ながらに話されたので、それは諦めていました。

 水戸はすごい寒さだった記憶は鮮明です。雪のようなミゾレが降り、なんとも冷えていました。

 福島原発で働いた方は、その方の連れ合いが亡くなれた直後だったので、四十九日が終わるまではと遠慮して福島行きは中止しました。9日は原発事故で労災申請をされた方の問題で政府交渉を行い、この日の最終に近い新幹線で広島に帰りました。

 10日は通常通り職場に出勤し、翌金曜日は11日でした。金曜日は友人と「夕食でも」という約束をしていました。午後2時半頃、休憩室で休んでいた時、運命の2時46分を迎えたのです。福島原発のことが気になり、その日の夕食の約束はキャンセルにして帰宅しました。その後はテレビとインターネットに釘付けになりました。

 最初の希望通り9日に福島へ行き、原発で働いていた方の話しを聞く予定通りだったら、11日の午後に帰広としていたと思います。そうすれば当然のことですが、あの震災を経験したことになります。もしかしたら、死んでいたかもしれません。死ななかったとしても、すんなりと広島に帰ることは出来ないことは間違いなかったでしょう。確実に!

 どちらにしても、60数年の人生の中では最大の経験をしていたことになります。言葉は悪いのですが、「貴重」な体験だったとも思います。

 あれから3年。運命ということを思わざるを得ません。広島に投下された原子爆弾も、あの朝病気をして広島市内に行くのを中止したので助かった人、その逆の人もあったと思います。広島市で被爆し、避難のため長崎市に行き、2度も原子爆弾を体験した人もいます。

 福島原発事故などまるで無かったかのように、政府や電力会社は原発回帰の方向に進もうと思っています。嫌、思っているようなポーズをしています。今日、アトランタに住む友人と電話で話しました。この友人は、「どうも背後にアメリカがいるような気がしてならない」と話していました。アメリカの原子力発電における世界戦略のために、日本は原子力発電を止めてもらったら困るのか。アメリカはシェール革命といわれるような、新たなエネルギーの方向に歩み出しているのに?!

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