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市民科学者について考える。その3

 高木さんが病気になった時、友人がわざわざ長野県上田市の別所温泉にある安楽寺というお寺に行き、住職の書を買い求めて、高木さんにプレゼントしました。友人は、この書をお前のことだよと言って高木さんに渡しました。次のようなものです。

本気
本気ですれば
大抵のことができる
本気ですれば
何でもおもしろい
本気でしていると
誰かが助けてくれる

と言うものです。
 僕も、この書が欲しくなって、安楽寺に電話をしました。1枚100円で、代金はアジアの若者たちが、教育を受けることの援助にするために使わせていただくと、住職さんは話されました。僕は50枚注文しました。早速送られてきて、何人かの友人に差し上げました。まだ、40枚くらい残っています。欲しい方は、ご連絡下さい。

 高木さんは、この色紙を見ながら「本気」について考えてようです。その光景が目に浮かびます。
 そこで、次のようなことを考えていたよういです。「市民科学者として生きる」の中には次のように書いてあります。
=この「本気」を、もう少し分析していくと、確信と希望ということに尽きると思う。理想主義者の私は、核のない社会が必ず実現する(出来うれば自分の目の黒いうちに)ことへの強い確信をもっている。さらにそのことのために本気になれば、私自身が少なくとも一人分の貢献ができるだろうとことへの、確信と自信をもっている。だから、私はいつも希望をもって生きていられる。先天的な楽天主義者と評されるが、それでよい。生きる意欲は明日への希望から生まれてくる。反原発というのは、何かに反対したいという欲求でなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である=

 高木さんは、次のようにも書いています。
=現在の危機は、人々のあきらめから来ている部分が多いと考えたからである。企業や大学における科学者・技術者の態度も、主要には、「今さら自分が何を言っても世の中が変るわけではない」というあきらめが支配しているためである=と。
 また次のようにも書いています。
=欠如しているのは、人々の未来に対する希望である。先に「理想」として述べたような、安全で自由な暮らしと未来に対する人間としての当然の希望、そのために努力しているという基本的な意欲は、誰でも持っているのに、あきらめの浸透が希望を抑えこんでしまっているのだ=
 自分が投票に行ったところで、世の中が変るわけではないので、選挙に行かないというのと似ていると思います。

 知識をたくさん持つということは、とても大切なことだと思います。知識が無いと、行動はおこせないものですから。しかし、頭でっかちばっかりでは、単なる物知りでしかありません。

 僕は、この1月で満65歳になりました。職場という場を持ちながら、細々ではありますが、原子力に反対する活動をしてきました。この3月末で完全に退職を迎えます。職場という場からは、市民感覚というものを得ることができました。この事は、学者とか研究者というだけでなく、市民科学という面では大きな体験を得ることができました。

 高木仁三郎市民科学基金の助成選考委員という立場になって、改めて高木さんが考えていたことを思い直し、その尺度で選考委員としての職責を果たしたいと思います。

 これで、3回に亘った「市民科学者を考える」を終わりにしたいと思います。
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