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ウクライナの首都キエフ

 ウクライナの首都キエフでの、デモ隊と治安部隊が衝突しているニュースをテレビで観ていて、僕が宿泊したことのあるホテルが見えたと、思わず声がでました。もしかしたら違うかも知れませんが、あの位置に建てられている、形も似ていました。独立広場と言われるところです。

 現在、衝突は約3か月続いていて、死者も77人とされていますから、深刻な事態だと思います。その内、2月20日だけで50人が死んだとされています。

 僕が、キエフを始めて訪れたのは1996年です。1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故から10年目の年に、ベラルーシの首都ミンスクとキエフで、原爆展をやるということで行きました。たぶん、この2月の時期だっと思います。凄い寒さだった記憶があります。キエフからチェルノブイリ原発までは、約100kmです。

 大きなホテルでしたが、風呂のお湯の出が悪く湯を入れたつもりでしたが、まさに水風呂になっていて、自然と歯がガクガクとなるような寒さを感じたのも思い出です。

 衝突のきっかけは、ウクライナのヤヌコビッチ政権がヨーロッパ連合(EU)との関係強化を棚上げしたことに憤った野党との問題とされています。旧ソ連の国々がヨーロッパ連合に加わる、加わりたいというのは、やはり今の生活の貧しさに原因があるのではなかろうかと思います。旧ソ連だった、バルト3国と言われるエストニア、ラトビア、リトアニアはヨーロッパ連合に加盟して「豊かな」暮らしをしているというように見えるのでしょうか。

 ヨーロッパ連合への関係強化を求めて幸せを求める若者層と、そうはいかんぞ、ウクライナはウクライナだという保守層との対立が根底に在るのかも知れません。そんなにウクライナを知っていないのですから、軽く言うことは控えたいと思います。しかし、ウクライナの国が分裂するのではという報道には、暗い気持ちになります。

 1996年の旅行はベラルーシとウクライナだったのですが、これは僕が思った感じに過ぎませんが、ベラルーシの人たちはおとなしいというか、国家に大きな反対を訴えるような感じには見えませんでした。もちろん、ベラルーシで宿泊したホテル近くの広場で行われていた反政府集会を見ることはありましたが。しかし、ウクライナはとても個性の強い人が多いという感じでした。キリスト教の聖地であり、世界遺産にもなっている多くの歴史的な建物や像もあります。テレビで出ていたあの独立広場では、絵画や遺恨を路上で売っている人たちが何人もいました。自称画家という感じの人たちが、絵筆を持ってキャンバスに向かっていました。

 ベラルーシもウクライナも、チェルノブイリ原発事故では大きな被害を受けたところです。「受けた」と過去形で語るのはいけないと思います。「受けている」が正解だと思います。

 キエフは歴史的な背景から、京都市と姉妹都市の関係を結んでいると思います。京都には、キエフと名のついたレストランも何軒かあります。機会があったら、京都で京料理ではなく、ウクライナ料理を食べるのも、興味深いかも知れません。
(1996年のチェルノブイリ旅行については、「ヒロシマ発チェルノブイリ 僕のチェルノブイリ旅行」という著書があります。:七つ森書館発刊です)


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