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こだわりと柔軟性の調和

 30日に放送されたNHKクローズアップ現代を、興味深く観ました。「東大紛争秘録 ~45年目の真実~」という内容です。1960年代後半に、学生紛争が盛んになった頃、「大学の自治」を守るか「機動隊の導入」という手段を選ぶかに悩む大学関係者の秘録です。
 機動隊導入を決断した加藤一郎総長代行は、40歳代で若くて男前だったのを思い出します。加藤さんも、2008年11月に86歳で亡くなったということでした。

 「大学の自治」とは、大学という学びの場所で起こった紛争に対して、機動隊という国家権力に解決を求めるのでは無く、あくまでも大学内で解決したいという考えです。

 紛争の発端は、東大の医学部自治会による登録医制度に反対すること、いわゆるインターン制度の導入に反対する運動からといわれていますが、背景にはベトナム反戦運動、第二次安保闘争があるともされています。学生たちは、「なぜ大学で学ぶのか」「大学は何のために在るのか」そうすることによって、権力に取り込まれることに悩む姿も見えるように思うのです。
 今だったら、「大学は良い働き先を探すこと」という答えがかえって来るかも知れませんね。

 この時期、東大正門近くで下宿生活をしていたことがあります。延べで半年くらいでしょうか。1969年1月の、安田講堂事件の時は見ていません。しかし、あの時期です。正門の周りには、たくさんのスローガンを書いた看板が、貼られていたのを思い出します。御茶ノ水にあった日本大学の屋上では、旗を持った学生がヘルメットを被って座っていました。

 番組を観ながら、高木仁三郎さんの事を思い出していました。高木さんのことは簡単に書きますが、東大を卒業した高木さんは日本原子力事業という会社に勤めた後、東大の原子核研究所の助手になり、その後紆余曲折を経て原子力資料情報室を立ち上げ、研究者として、又、運動の担い手として、反原発運動のカリスマ的存在とまで言われた人です。もう一つのノーベル賞とまで言われている、ライト・ライブリフッド賞を1997年に受賞し、2000年10月に62歳の若さで亡くなりました。

 亡くなった年の12月に、高木さんの遺志により高木仁三郎市民科学基金が設立され、今もこの基金から助成を受けた人たちは、日本だけでなくアジアの地域でも頑張っています。

 僕は、高木さんとは親交がありました。こんな話しをしたことがあります。学生紛争の時、学生の気持ちに同情的な高木さんでした。しかし、助手と言えども大学側の立場です。学生と大学側の板ばさみになり、相当に悩んだという話しです。

 あの頃学生だった人も、その多くが65歳を超えた老人に仲間入りしている時期になりました。

 学校のことは学校で決めるということに、こだわり続けた関係者。
 今、特に若い人に対して言いたいことです。こだわっても、思い通りにならない時代ではありますが、右だろうが左だろうが、こだわるものを持って生きて欲しいと思います。

 あの頃の僕は、喫茶店で同年代の友人と社会について、政治について大いなる議論を交わしたものです。最近は、こういうことの出来る喫茶店のような場も少なくなりましたね。
 今の僕は「こだわりと柔軟性の調和」という言葉を実践しています。

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