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墓参りをしてきました

 今日の午前中、墓参りをしてきました。わが家の墓は、自宅から歩いて10分ばかりの光禅寺にあります。昔からあった墓ですが、14年くらい前に建て替えました。先祖の墓で誰がその中にいるのかは詳しくは知りません。近いところでは両親と伯父さんとその妻、そして従兄弟がいます。

 僕たちが子どもの頃は、この寺の近くの小学校に通っていました。今では、線路より南側は五日市南中学校です。小学校へも、歩いて10分くらい。
 当時、僕の住所は「佐伯郡五日市町海老塩浜(かいろうしおはま)」です。文字通り海の近くです。今では、埋め立てで海側に住宅地が広がり、海が遠くなりました。

 家から出ると小さな水路がありました。周りには草が生え、夏前には蛍をたくさん見つけました。水路には、めだかやアメンボウ、ザリ蟹も見ることができました。今では、その水路は暗きょになり、水路があったことさえも忘れられ、歩道になっています。
 そして国道2号線、あの頃は「観光道路」と呼ばれていました。その道路沿いには、木造の五日市町役場がありました。役場の横には、雑貨屋と理髪店でした。今は、広島市佐伯区役所で雑貨屋と理髪店の跡は、区役所の駐輪場の部分だと思います。

 線路は、今でも同じですが、当時は真っ黒な蒸気機関車でした。そこを渡ると、中央商店街。当時はマーケットと呼ばれ、和服店、肉屋、魚屋、八百屋、文房具屋、化粧品屋、理髪店などが軒を連ね、母親は買い物かごを持って買い物に行ってものです。今では、ほとんどの店が営業を止めたようで、理髪店だけが営業をしていました。

 この商店街は、以前「青葉学園物語」という原爆孤児をテーマにした映画のロケにも使われました。この青葉学園物語を書いた吉本直志郎さんが11歳の時、自らも孤児施設に入所し、その経験をもとに作られた作品です。原爆孤児の施設は「広島戦災孤児育成所」と呼ばれ、五日市町にあったのです。今は、障害者の施設になっています。
 商店街の横には、有楽座という映画館がありました。小学校では、課外学習で生徒がそろって映画館に行ったものです。もう何十年も前に無くなっています。映画館が無くなる前は、ポルノばっかりだったと記憶しています。
 その先を突き当たって右に曲がれば、光禅寺の方へ、左に曲がればわが母校五日市小学校です。光禅寺側には、五日市町に合併する前の役場があったようで、今では小さな公園になっています。その時代のことは、僕でも知りません。小学校側には、電電公社の電話局がありました。平屋の建物で中には、女性の交換手さんが働いていたと思います。

 そして、光禅寺。この光禅寺の参道には(参道といっても、ほんの20メートルも無いのですが)「誓いの松」というのがあり、その松の下に「五日市町原爆死没者慰霊碑」というのがあります。その慰霊碑には、森滝市郎さんが書かれた碑文があります。直筆を碑文にしたもので、森滝さんから懇意にして頂いた僕は、すぐに分かる字体です。

 いつも墓参りに行く時には強く意識して通る道ではありませんが、今日改めて碑文を見てメモをしました。次のように書いてありました。
 「原爆の犠牲となった人々を忘れず、原水爆のない平和な世界を築こう」と。

 案内をご希望の方がおられましたら、連絡を下さい。喜んで!案内しますよ。

 終わったら、近くの居酒屋で「ふりかえり会」も良いですね。
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