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私は忘れない

 先日、青森県弘前市に行った時、街中の小さな古本屋さんで有吉佐和子さんの「私は忘れない」という本を見つけました。70円で、すぐに購入しました。有吉佐和子さんは、「複合汚染」や「華岡青洲の妻」などで有名な作家です。もう何年も前に亡くなっています。

 「私は忘れない」は、1959年に朝日新聞に連載され、本としては、1969年に初版が出たものです。鹿児島県の黒島という小さな島が舞台です。東京でモデルをしていた主人公万里子が、モデルとしての仕事に挫折し、ふと見た雑誌でこの黒島に行って何日間か島の人たちの中で暮らし、その中から強くなったという小説です。

 本の表紙には、「日本のめざましい経済成長の陰に、電信電話もなく台風の被害も報道されない僻地、海の荒れる時は定期便の船さえ近づけない閉ざされた南の離島、黒島。スターの座を夢みながらチャンスを逃した門万里子は単身黒島へ旅立ち、自然との闘いの中でたくましく運命を切り開く人々の純朴な姿に心打たれる」とありました。

 現在の日本列島の中では、この島のようなところは、たぶん無いだろうと思いますが、1959年頃はあったと思います。連絡手段が無いのですから、病人が出て死にそうな状況の中でも、病院の無い島の中では何時やって来るかもしれない、船を待つばかりです。まともに来たとしても、4日に1回です。船が島に近づいても、風が強ければ港に近づくこともできません。この部分には、強い衝撃でした。そんな島の中でも、人間関係の軋轢や「好き嫌い」が有りながらも、島の人たちは暮らしているという、ある意味では単純なストーリィかも知れません。日本には黒島という名前の離島が多いそうです。「苦労する島」から、黒島になったとも言われています。

 僕が若かりし頃、祝島に電話を掛けようとすると接続してもらうのに、長い時には1時間も掛かっていたように思います。中国地方の中でも祝島は、ダイヤルで電話が掛かるのが一番遅くなった所だったと思います。だから、僕にとってとても印象的な島です。

 もちろん、今の祝島はインターネットも出来ますし携帯電話も自由です。しかし、やはり祝島は「不便」だと言われるかも知れません。定期船の数は少ないし、高校以上の学校は無いし、スーパーマーケットもありません。
 でも、都会暮らしをしている人にとっては、とても好きになる島です。もちろん、僕も大好きな島です。そこに有るのは、島の人たちの温かい気持ち、心です。でも、原発という物が入り込んできて、島の中に原発「推進」「反対」という対立構造を作りました。

 原発の最大の害悪は、人間関係の対立です。たかが電気を作るという機械だというのに、どんな理屈をつけても、人間関係を破壊しても良いという理由はあり得ないと思うのです。

 今度、時間が有ったら、鹿児島県の黒島にも出向いてみたいものです。地図で探したら、種子島や屋久島の西側にある小さな島でした。今では、定期船が鹿児島港から出ていましたし、何軒かの民宿もありました。

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コメント

[C11]

来年は、木原さんと会う機会が激減すると思います。

来年、一度祝島に連れて行って下さい

柳井港から船に乗って・・・
  • 2013-12-18 15:50
  • まさやん
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