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ネイチャーなこと

 子どもの頃から、親や学校の先生から言われた事は「誰にでも親切にするのよ」「仲良くするのよ」という言葉だったと思います。誰とも、仲良くし親切にすることは素晴らしいことだし、自然なことだと思っていました。

 しかし、今の日々の暮らしの中では、他人に親切にすることは悪いことのように仕向けられているような気がするのです。「まあー、仲良いわねえー」「親切なのねー」という言葉は、非難の言葉のような気がします。別に異性に対してだけ、親切でも仲良くしてもいないのですよ。この年齢になって嫉妬を受けることも無いでしょう。

 僕が子どもの頃、雨降りの時、傘を持っていない人に、その人が全くの赤の他人であっても傘に入れてあげたものです。あの頃の傘は、紙に茶色の油が塗られた、大きな傘でした。あの匂い、今でも記憶に残っています。電車の中で、こちらが座っていて、立っている人で、大きな荷物を持ってそる人がいたら、「どうぞ、お持ちしましょう」と声を掛けたものです。それも、極めて自然な形で。
 今そんな事をしたら、痴漢か、どこかの嫌らしいおじさんと思われるでしょうね。

 こういう時代に福島原発事故が起って、避難所暮らしを長くしている人から、避難所の中で女性は、下着の洗濯物を干すことにも、赤ちゃんにおっぱいを飲ませることも出来なかったという話しを聞いたことがあります。僕が子どもの頃は、下着が干してある風景も、赤ちゃんにおっぱいを飲ませる姿も、極めて自然な光景だったように思います。「嫌らしい気持ち」でその姿を見たことは無いように思います。それがネイチャー(自然)だったように思うのです。

 しかし、今は人間の死すら自然な形で表面化しなくなったような気がしてなりません。病院での死、葬儀場での葬儀、もっとたどれば、年齢を取ると老人ホームか介護施設に入ること。なぜか違うと思うのです。この状況は少し変だと。ターミナルな時も、ネイチャーに迎えられない。

 アバルトヘイト(人種隔離政策)に反対した、南アフリカのネルソン・マンデラが亡くなって、南アフリカの人のマンデラへの言葉が耳に止まりました。彼の死について「ネイチャー(自然)な、出来事だけど…。悲しい」というように話した言葉です。

 先週、くも膜下出血になって入院している知人を見舞った時から、人間の「生老病死」という事が、頭の中をくるくると行きかっています。

 食べることも、出すことも、寝ることも、泣くことも、笑うことも、怒ることも、病気になることも、死ぬことも、焼かれることも、すべてネイチャーなことです。そう思ったら、何だか気持ちが楽になりました。
 もちろん、人を好きになることも。嫌いになることも。ムカツクことも。

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