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病院へお見舞いに行ってました

 上関原発反対運動の中で知り合い、友人として付き合っていただいた人のお見舞いに行きました。原発建設推進派が多いとされる、上関町の本土側で生活をされていた方で、本当にご苦労が多かったと思います。この波乱万丈の人生は、小説ものです。
 とても優しい人でした。家族にも、僕に対しても。

 今年の6月初めに、自宅の風呂で、くも膜下出血になって緊急入院・手術をされたそうです。僕は病気のことを、まったく知っていませんでした。2日前に、この人の奥さんから電話が有り、ぜひ顔を見せてやって欲しいと言われ見舞いに出掛けたのです。しかし病院に見舞っても、全然話しを交わすことは出来ませんでした。意思疎通も困難だったように思います。
 病室の中で奥さんは、「おとうさん、おとうさんの好きな人が来てくれちゃったんよ」と何度も声を掛けられたのですが、反応はありませんでした。かすかに開いた眼から流れた、薄っすらとした涙を見た時、数々の、嫌、山のような思い出が浮かんできました。まだ70歳になったばかりだというのに。

 上関町に原発建設問題が浮上したのは、1982年のことですから、年が明けたら32年になります。まさに生活も人間関係も、原発に翻弄された人生を送られたのが上関の人たちです。よく他の人から、他人事のように上関町民のことを言われると、「ムッチャー」腹立たしく感じることがあります。もちろん口には出しませんが。
 中学校の同窓生から飲み会の場で、「目立ちたいから、反対運動をしているのだろう」というようなことを言われた時は、首でも絞めてやろうかとも思いましたが、黙って店を出て帰ったものです。

 しかし、この活動を通じて多くの友人、知人を全国に、世界に持つことができました。いろいろな苦労が、僕を大人にさせてくれていると思います。これは何よりも変えられない収穫です。

 上関原発問題の歴史の中で、最大の被害は町民の中に「推進」「反対」という大きな分裂を作ったことです。親子でも兄弟姉妹の中にも、おじさん、おばさんの中では、まさに腐るほどの対立の構図を見てきました。人を見ると、男か女か、年寄りか若いかというように見る前に「スイシン」「ハンタイ」というように区分けされる構図です。

 3年前の中国電力株主総会で、僕の質問に応えて当時の社長が「上関原発問題では、原発推進の人にも反対の人にもお詫びする」という意味の答弁をしたことがあります。

 それが分かっているのなら、「さっさと計画の白紙撤回をしなさいよ」と言いたいのですが。
 
 年内にも、もう一度病院を訪ねたいと思います。できるものなら、もう一度柳井駅近くの小さないつもの店で、ビールを酌み交わしながら、美味しい魚を食べながら、町長の悪口やらをしゃべりたいよ。人の悪口をしゃべるほど痛快なものは無いですからね。(言っておきますが、悪口であって陰口ではありません。悪口と陰口の違いは微妙なのすよ)


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