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1月を振り返る

 長いと感じた1月でした。その大きな理由は、大晦日の夜に亡くなった和田長久さんのことから始まります。原水爆禁止運動の大恩人で、本の題名ではありませんが「あなたに褒められたくて」との思いから和田さんに応えたいという気持ちから活動してきたので、まさに支えを失ったという喪失感で、これは今も続いています。

 そして青森県六ヶ所村に行ったこと、ここで聞いた「原燃(日本原燃株式会社)さんが来たので、出稼ぎに行かなくてすむようになった」「息子が地元で就職できた」「出稼ぎが多いということで、この地方では離婚が多かったのだが…」という話し、この国の根本的なイビツな過疎・過密の弊害が原燃の危険、迷惑施設によって解決されるということ、なんともやるせないという思いでした。

 東芝が原発建設事業から撤退するという報道、やっと決断したかと気持ちです。僕はこうなることを見越して、大企業で配当もしっかりとある株を半分売却して、昨年東芝の株を1000株購入していました。もちろん今売れば大損ですし配当もありません。株主として東芝の今後を観ていたいという気持ちからです。これから多くなる廃炉について、廃炉産業として伸びていって欲しいと思っています。

 民進党が3月の党大会で「2030年原発ゼロ」とする「原発ゼロ基本法案(仮称)」を、公表すると発表しましたが、僕は半信半疑です。その理由は東京電力などの電力会社組合の幹部という人が、多数国会議員として存在しているからです。電力会社だけではなく、電機会社、自動車会社という原発推進労働組合の出身議員が大きな顔をしているので、その本気度にはいつも強い疑問を持っているからです。

 元総理大臣の小泉純一郎さんに、上関へ来ていただいて講演をして欲しいということで手紙を書きました。力(リキ)を込めて書いたと思っています。ぜひとも実現させたいものです。

 そして俳優の中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」というのを、広島でやりたいと準備をしています。若い人にあの「木枯らし紋次郎」といっても知らない人が多いようですが、数年前にNHKの朝ドラに出演していましたね。中村さんは福島県の生まれ、東京電力の会長だった勝俣さんと同級生だったと話していました。

 東京のMXテレビで放映された「ニュース女子」なる番組、基地反対運動について徹底的にニセ情報を流すという、怒り心頭というかその低レベルな煽り方には、言葉も出ないという気持ちになりました。僕が特に感じたのは、この番組の出演者の特に女性の服装や笑い方でした。1月2日の番組であるのに、ノースリーブに短いスカート、バカな笑い面(つら)、男出演者の発言に応える態度や姿は、まさにクラブかバーのホステスという感じでした。

 そんなこんなの1月でちょっと思うところがあり、2月から週に二日くらいで曜日も僕の都合を考えてくれるという贅沢なものですが、デイケア―の施設で仕事をすることにしました。「ちょっと思うところ」というのは、今度説明したいと思いますが、僕自身がそろそろデイケア―のお世話になる年齢に近づいた中、学びたいという気持ちからです。

 サッカー好きな孫と、近くの公園でサッカーをするのが楽しみです。15分ハーフで携帯電話のアラームを設定しています。大きな声を出してやっています。そうすると、誰ともなく子どもたちが「僕も、私も一緒にやらせて」と加わってきてくれます。こういう年代(小学1~3年生くらい)の人と話したり交流することの少なくなり年齢になった今、貴重な体験となっています。

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大人(たいじん)はいないのか?

 “「うるさい」で開園断念 大人がいなくて残念―園児”というのが、毎日新聞の「ふんすい塔」という小さなコーナーの中に在りました。とても興味深いものだったので切り取っていました。

 本当に最近、「大人がいなくなった」ということを感じます。この年齢になっても、僕自身がまだ大人に成りきっていないと思うので、大人とはということを考えていました。

 もう一つこれは新聞投書欄で、29歳の会社員女性のものでした。タイトルは「あいさつ禁止のマンション?」というもので、マンションの住民総会で小学生の親御さんから「知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください」と申し出があり、あいさつ禁止が決定してしまったという内容でした。

 投稿した女性は最後に、家族や親せきをはじめ、友だちや周りの人たちとのコミュニティーなどの関わりやふれあいを通じて、色々経験し、感じながら心豊かな人間に成長していくのだと思う。と書いていました。

 新聞のことばかりで申しわけありませんが、昨日の朝日新聞の「論壇時評」という記事に、歴史社会学者の小熊英二さんが「他者を思う大人(たいじん)はどこに」題して文を載せていました。

 その後半の部分に次のように書いていました。
 「大人(たいじん)」とは、社会の責任を負い、他者を助けるだけの余裕がある人のことだ。それに対し「小人(しょうじん)」は、自分のことで精一杯の人を指す。そして「大人」であるか否かは、資産や才覚の有無だけでは決まらない。巨万の富があるのに他者も社会も顧みない「小人」はいる。だが「子どもの貧困」の前では、誰もが「大人」の役割を引き受けざるを得ない。そして、他者と社会を直視する余裕を、ひねりだす努力をするようになる。

 そして最後には、人が他者を思い、結びつくこと。そこからしか、政治と民主主義の再生も始まらないで、結んでいました。

 「大人」はどこに行ったのか、「貧すれば鈍する」という言葉が在りますが、この「貧」というのには単に経済的に困っているだけではなく、心の中にある「貧」も在るのでしょうか。寛容さ、心の広さが持てなくなっているという状況も在るのではとずっと考えていました。

 そして100年先、200年先を見据えて、今を生きる者としての役割りを考えなければならないのではと、思ったりもしています。

 2020年のオリンピックを成功させるためにという口実で「共謀罪」が必要だという安倍晋三首相、こんな理由を堂々という品位の無さを思います。戦争に勝つためには、市民の基本的な権利をも侵して良いというようにしか思えないのです。こんな刑罰まで作ってしか、オリンピックが成功しないというのなら、いっそオリンピックは中止しろという議論が起こってもと思っています。

エネルギー基本計画

 安倍晋三首相の施政方針演説をテレビで観ていて、エネルギー政策に一言も触れないことに、まさに異常という気持ちを持ちました。それにしても彼は民主党政権を痛烈に非難していました。確かに民主党政権にはガックリでしたが、それを攻撃の弾(タマ)にするのは「ウマイ」とも思いました。また日本時間の明日未明に行われる、トランプ米大統領の演説も気になります。

 さて今のエネルギー基本計画は、2014年春に閣議決定されたものです。決定の過程で段々と悪い方向に変更されたのを思い出します。この計画に基づいて経済産業省は2030年原発比率を20~22%にするという「エネルギーミックス」を決めました。

 エネルギー基本計画はエネルギー政策基本法により「少なくとも3年ごとに検討を行い…」とされています。

 その3年が今年から来年にかけてやってきます。福島原発事故の前年2010年エネルギー基本計画では、民主党政権は原発新増設を積極的に行い50%にまで増やすと決めていました。それが福島原発事故後、「革新的エネルギー・環境戦略」と題して、2030年代原発ゼロを決めかけましたが、直前になってズッコケたのを、覚えている方も多いと思います。

 前置きが長くなりましたが、そのエネルギー基本計画の検討を、国民みんなが参加する形で行わなければならない時期が来ていると思います。

 2014年の計画では、原発を「ベースロード電源」として再稼働を推進するとし、高速増殖炉の早期実用化、核燃料サイクルを推進することとしていました。

 まるで福島原発事故など無かったかのような厚顔無恥の計画に、強い非難の声が上がっていました。中国電力ですら、「20~22%」が在るから上関原発の計画は止められないと、まるで他人(国)に責任を転嫁するようなことを言ってたほどですから。

 そのエネルギー基本計画が来年改定されることになります。必ず改定しなければならないという物でも無いようですが、これまで3年毎に変えられていますし、何よりも高速増殖炉もんじゅが廃炉になったのですから、間違いなく改定です。

 しかし今日の安倍首相の演説では、この問題については一言も触れませんでしたし、僕が見る限りメディアも新年になってこれを記事にしたのは在りません。福島原発事故後の革新的エネルギー・環境戦略では、少なくとも各地で原発比率に関する意見交換会などが開催されるなど、それなりに議論が展開されたと思います。

 私たちが声を挙げないと、政府の得意とする「有識者」と称する「原子力ムラ」のムラ人の会議で、今まで通り決められる恐れがあります。こういうやり方でエネルギー基本計画を決めるのは許されないという、強いメッセージが大切だと思っています。

六ヶ所村でもらった核燃料サイクル図

 六ヶ所村原燃PRセンターでもらった「原子燃料サイクル施設の概要」の中にある「原子燃料サイクル図」、一目で抜けているところが在ると思いました。

 核燃料サイクルと言わずに原子燃料サイクルというのは、「カワイイ」で済みますが、このサイクル図の中に肝心な物が無いのです。

 核燃料サイクルを説明するまでもないと思いますが、ウラン鉱山からの採掘から始まって、原発での運転、運転が終われば使用済み核燃料は再処理工場に行き、そこから得られる?プルトニウムを使うというのが、簡単なサイクルの説明です。

 これまでのサイクル図には、再処理工場で得られたプルトニウムは高速増殖炉で使用されるというのが流れでした。その高速増殖炉でというのが、このサイクル図に無いのです。

 「概要」には、作成年月日が「2016.07」と書いてありました。高速増殖炉もんじゅは、昨年末に廃炉が決まりました。国は廃炉にしても高速炉を諦めないとしていますが、この図の中から高速増殖炉の記入が無いというのは、本当に良かったと思いました。

 その代わりと言ったら変ですが、再処理工場の次はMOX燃料加工工場でした。プルトニウムとウラン燃料を混ぜた物を、一般の原発でプルサーマルという形で使うというMOXサイクルです。

 一般の原発は本来プルサーマルを想定していないので、正常な使い方ではないのです。核兵器の燃料であるプルトニウムを、この国が約48トンも持ち、国際機関からも多くの国々から懸念を持たれていること、プルトニウムは常に「入りと出」がイクオールでなければならない中、溜め込むというのは許せないことです。

 高速増殖炉は諦めるという中、使い道はMOXしかないという中で無理して原発で使うということは、本当に無理なことです。

 僕はこの図を見て説明員の方に、丁重に「これまでのサイクル図では、高速増殖炉があったと思いますが?」と質問しました。そしたら「そういうことはありません。最初からMOXです」と頑なに言われました。

 以前のサイクル図を持っていた訳ではありませんから、「証拠」でもって反論することはやりませんでした。プルサーマルでプルトニウム利用の理屈を作ろうというのは、無理があると思います。

 「もんじゅ」の廃炉は歓迎ですが、しかし「もんじゅ」のためにどれだけの税金を使ったのか、そして今からも諦めようとしない、それは違うでしょうと言いたくなります。

 他のプルトニウム利用、それは核兵器でしかありません。以前は「まさか」という気落ちでしたが、最近は「そうなんだ」という思いが強くなっています。

六ヶ所村

 「家族はみんな一緒に暮らすのが何より大事なことですよ」
 「ここはずっと出稼ぎの村でした。今は出稼ぎをしなくてもやっていけます」
 「子どもも此処で就職しました」
それは本当に良かったですね、としか言いようがありません。

 先週青森県に行き、六ヶ所村に住んでいる人から聞いた話しです。六ヶ所村要覧を見ると南北33km、東西14kmの広大な大地の六ヶ所村は、六つの村が合併して出来上がったのだそうです。この時期で、しかも夕方で強い風が吹いていたので、特に感じたのだと思いますが、本当に寂しいという感じでした。

 家族で暮らせるようになったのも、出稼ぎをしなくて良くなったのも、子どもの就職も、それは「原燃さんが来てくれたから」という理由です。

 ここにはウラン濃縮工場、いつまでも試験段階中にある再処理工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、工事中のMOX燃料工場が在ります。まとめて「原子燃料サイクル施設」と言い日本原燃株式会社が行っています。

 過密・過疎と言われるように、またこれから中国地方でも住民のいない町や村が出てくるというように、この問題は深刻なこれからの全国的な課題だと思います。六ヶ所村は、原燃を受け入れたことによって、過疎地の冷遇から逃れることが出来たのです。考えてみれば「迷惑施設」を受入れることによって、生活が豊かになったというのは、どうしても納得が出来ません。

 日本中に存在する「過疎地」と言われるところが、全部原子力のような迷惑施設を受け入れて「発展」させようとすると、日本列島は原子力施設だらけになるでしょうね。

 僕たちに話された六ヶ所村の人には、一連のサイクル施設が動こうが動くまいが、「止めた」と言わなければ仕事が在るし、出稼ぎをしなくても良いというように捉えているように思いました。

 僕は、「また福島原発事故のようなのが起っても、原燃には反対されませんか」という質問をあえてやってみました。この質問には、何の回答もされませんでした。

 何年か前にも六ヶ所村を訪ねたことがあるのですが、その時は車でそれぞれの施設の近くまで案内してもらいましたが、今回はPR館だけでした。

 そして驚いた事、風力発電の風車だけでなく太陽光発電施設がたくさん設置されていることです。

 PR館に来る人が、大幅に減ったとのことでした。何年か前は年間約13万人くらいだったそうですが、今は3万人くらい「たぶん電力会社も、こういう案内旅行にお金を掛けなくなったのでしょう」と説明員の方は話されました。

 そしてフランスの技術を使っている日本の再処理技術ですから、近くにあったフランス人の専用アパートにも、住んでいる人が大幅に減ったそうです。これは何を意味しているのでしょうかね。

黒い巨塔

 友人が日本経済新聞の本の広告欄の切り抜きを見せて「この本読んだら、信用できるものが無くなった」と話しました。それは「黒い巨塔」というタイトルの小説でした。

 山崎豊子さんが1965年に書いた「白い巨塔」という小説は、大学の医学界の腐敗を追及したもので映画では観ていましたが、この「黒い巨塔」は最高裁判所の内幕を書いたものです。

 著者は瀬木比呂志さんという方で、本の帯には「いま初めて暴かれる最高裁の闇! 第二回城山三郎賞受賞作家にして最高裁中枢を知る元エリート裁判官が描く本格的権力小説!」とあります。発行日は昨年10月27日ですから、まだまだホカホカの作品です。

 さっそく購入して読み始めました。だいたい本というのは特に終盤になると、早く読み終えたいという気持ちになるのですが、この作品は終盤になってから特に「気になるけど、しかしすぐに知りたくない」という気持ちが強くなりました。

 改めて最高裁が時の政府の意向に反発しない・出来ない、権力機関だということを実感させられました。本の内容を少し知っていただくために、帯の反対側に書いてある部分を、少し長いのですが紹介したいと思います。

 「原発は止めん。それがわしの意思だ!!」最高裁に君臨する歴代最高の権力者にして「超」エリートの須田謙造最高裁長官。司法権力躍進のために手段を選ばぬ須田は、頻発する原発訴訟で電力会社に有利な判決を出すよう、事務総局を通じて裁判官たちを強引にあやつる。徹底的な信賞必罰による人事統制に恐れをなす司法エリートたちは、誰一人須田にさからえない。ソ連の強制収容所を彷彿とさせる思想統制に違和感を覚える民事局付の笹原駿は、図らずも須田と対峙する道を選ぶ。最高裁中枢を知る元エリート裁判官が描く、あまりにもリアルな、司法荒廃と崩壊の黙示録! とあります。

 この小説の舞台になっている時は、「3・11」より以前になっています。だけど猛烈に「3・11」を意識して書いています。

 裁判官の独立という憲法の規定は、「すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」というものです。

 とはいえ裁判をやる裁判官も人の子、出世志向の強い人は時の権力に反するような判決は書けないのでしょう。国の意向を踏んで原発反対の判決を出すなという長官の意向を踏んでいる局長レベルの人間に対して、これに挑戦する主人公が会議の中で正々堂々と自論を展開し議論する場面は、まさに圧巻で僕の身体も凍りました。

 弁護士をやっている友人が、「最終的に裁判で原発を止めようというのは今の制度では無理だよねえー」と話していました。それはそうだとしても、否、そうだからこそ、地裁などの下級審で再稼働を止めさせた裁判官に対し本当に頭が下がります。是非ともお薦めの小説作品だと思いました。

 明日から3日間、青森県六ヶ所村に行ってきます。なんと明日から相当寒くなるようですね。寒さの中の六ヶ所村も興味深いです。


電力会社に自主性は無いの

 電力会社に自主性は無いのですかと訊ねたら、「そうですよ。マスコミも原発は国策民営と言ってるじゃあないですか」とかえってくるかも知れませんね。

 しかし改めて基本的な考えに戻りますが、あくまでも原発を作り動かすのは事業者である電力会社の判断です。このことを曖昧にして置くと、誰もが責任を取らない無責任体質を認めることになると思います。

 国は「できればやってください。でも経営判断は電力会社ですよ」という立場なので、何かあっても電力会社の責任ですし、それらに伴うコストは電力会社の負担が建て前です。しかし実際はいろんな形で政府が補助金を出したり、様ざまな支援の肩代わりをしていますが、それはきちんとした法律になっている制度でもありません。少なくとも現時点では!

 なぜこんなことを思ったのかと言いますと、1月6日に中国電力の苅田知英会長、清水希茂社長らが山口県庁と上関町役場へ行き、村岡嗣政山口県知事と柏原重海町長と会っているという新聞記事を見た時です。

 社長らが年始のあいさつに行くというのは毎年の恒例になっていますが、上関町長とのあいさつの中で「古い原子力が廃止される中、日本で唯一の新規地点の上関は非常に重要…」と述べたという部分です。もちろん僕がその場所に同席していたわけでは在りませんし、新聞記事だけで読んだものです。

 これを見て、なんとも「自主性の無さ」を実感しました。このあいさつの中に、『中国電力』が見えないのです。まず「古い原子力が廃止されるなか」これは全国的な動きですし、国の判断でそう動いたものです。

 そして「日本で唯一の新規地点である上関…」の部分、中国電力としての強い思いというか覚悟というか、泥臭ささのような自主性が全く受け取れないのです。まさに究極の建て前です。

 いつも言ってることですが、上関町長にしても上関原発が建とうが建つまいが、「止めた」という状況にならなくて「建てたい」という状況が続くことであれば、様ざまな「恩恵」を受けられるということで良いと思っていることでしょう。しかし地元で反対運動をしている人にとっては、堪ったものではありません。

 中国電力は発送電分離・小売り自由化に対応して、来年春の新規採用者を増員させるそうです。一方で上関原発工事事務所には約50人もの職員を置いて、無駄メシを食わせています。清水社長は、地元での理解活動や新規制基準に対応するためのデータ収集をしているそうですが、人口3千人台の上関町でこんなに多くの職員はいらないでしょう。まずもって、僕のように暇なのが好きな人以外は、働いている人のテンションも上がらないでしょうね。

 2月1日は中国電力の定期人事異動日です。上関事務所の人員がどうなるか、これも関心の一つです。

誕生日を迎えました

 68回目の誕生日を迎えました。この日はなんといっても、産んでくれた母に感謝する日です。Facebookや電話で皆さんから「おめでとう」という祝福のメッセージをいただき感謝感激しています。

 長女から「元気に長生きしんさい!」というメッセージが届きました。この言葉、僕の方から言うことはあっても、人から言われることはまだ当分先のことと思っていましたが、言われるようになったんだ!と可笑しな感動を受けています。

 昨年の誕生日の時、「ヒロシマの若者としてテレビや新聞に出ていたのですが…」というのを書いたら、これも子どもですが「ええ年なんだから、いつまでもこんなことを言うな」と、怒られていました。

 今年はこんなことは言いません。それはなんといっても、大晦日に亡くなった和田長久さんのことがあります。いろいろな意味で和田さんに頼り、生き方を教えてもらっていたのですが、残念ながら「もう頼る人はいない」と決意せざるを得なくなり、「ヒロシマの若者…」という甘え体質からは卒業しなけれればならないと、まさにこの年齢になって意識することになりました。

 僕と同じ誕生日の人は、世界的に超有名なのは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩さんです。昨年は誕生日前の6日に核実験を行い、今年ももしかしたらと心配をしていましたが、行わないようですし大規模な祝賀行事も無いということで、マジに安心しています。

 日本では、あの小泉純一郎さんが誕生日です。小泉さんは「原発反対」を訴え全国で講演されています。ぜひ上関原発を建てさせない世論を強めるために、こちらにも来て欲しいと思っています。

 年賀状も一通り来るべき人からは届いたという感じになりましたが、今年95歳になられる大恩人の方からは来ていませんでした。たぶん亡くなったとしても連絡をするような人ではありませんから、「もしかしたら」と思って電話を掛けました。

 そしたら大きな声で「元気ですよ。この6月に『医療と社会』のセミナーを行う予定なのでぜひ来て講演して」と頼まれました。長い時間、社会のこと原子力発電のことなどを話しました。そして僕が雑誌などに書いたものがあれば読みたいから送って欲しいとも頼まれました。

 多くの素晴らしい先輩たちに育てられながら、ここまで来たという感じです。そして後輩たちが、後から繋がっています。何かを見せながら、前へ進みたいと思っています。といっても何時までも「省ちゃん」ですから、皆さんの期待に応えられるやらどうやら、という思いです。

発送配電の分離

 1月5日の中国新聞が一面トップで「送配電部門を分社化 中電が検討5000人規模」という見出しで記事を書いていました。たぶんスクープという感じで書いたのでしょうけど、中味は薄かったですね。スクープに重点が置かれすぎていて、そちらを優先したなと一瞬思いました。それが悪いと言ってるわけではありませんが。

 新聞記事を読んでいない方もあるでしょうから、中文を書いておきます。
 中国電力が、発電所から家庭や事業所に電気を送る業務を担う送配電部門を100%子会社として分社化する検討をしていることが4日、分かった。国が全国の大手電力に2020年4月までに求めている「発送電分離」に対応する。新会社の従業員は約5千人と、全従業員の半数に上る規模になるとみられる。 
と、こんな文章です。

 昨年4月から全面的な電力小売り自由化になりました。少し時間的な経過を書いておきますが、福島原発事故により13年4月に「電力システムに関する改革方針」が閣議決定され、15年4月に全国の電力融通を指揮する広域的運営推進機関が設立されました。北海道から九州まで、地域間の電力融通が行われるようになったのです。今までの中電は原則的に中国地方に電力を供給するという方式を、全国の送電線網を使って全国に融通させるというものでした。

 原則としてと書いたのは、「売買電」というのが在りますが、中電の電気を関西電力に売ったり、逆に関西電力から買うというのがありました。しかし、送電線は繋がっていても、日本列島は周波数が西は60ヘルツ、東は50ヘルツという壁が在り、「周波数変換」という課題が在りました。これを第一段階の電力システム改革といいました。

 そして昨年4月からの小売り自由化が、第二段階の改革とされました。そして第三段階の改革というのが、2020年4月から行われる予定の、発送電分離です。

 第二段階の小売り自由化と、第三段階の発送電分離は大きく関わりが在ります。小売り自由化によって新電力会社がたくさん誕生しました。新しい発電会社も出てきましたが、電気は送配電線を使って消費者に届けられるのです。しかし、この送配電線網を持っているのは中国地方では中電です。新電力は中電に託送料という使用料を払って商売をすることになります。

 この送配電部門を分社化するという中電の方針が分かったというのが、5日の新聞記事でした。この発送電分離の形態には、いくつかの形態が考えられますが、僕の考えを先に言っておきますと、「所有権分離」という形にしなくてはと思っています。新電力もたくさん誕生しているのですから、平等に送配電会社に繋がり、負担もサービスも「エコヒイキ」されないように切り離し、新規参入企業も送配電網を公平に使えるようにする必要があると思います。

 分離の形には、東京電力でやっているような持ち株会社が頭に立つ子会社方式、中電が検討しているという子会社の形があります。また会計分離、機能分離というのも考えていました。しかし子会社の形態では、どうしても中電のような大手電力の独占という、これまでの形に変わりません。

 小売り自由化は送配電の分離がきちんとなることによって、成功すると思っています。なし崩し的に今までの状態になるのであれば、意味がありません。
 この問題、省ちゃんの前向き語りでも書いていきたいと思っています。

やっぱり長久さんだった

 1月2日のブログで書きましたが、昨日大阪豊中市の葬儀場で和田長久さんの葬式が行われ行ってきました。家族葬であり、偲ぶ会も計画されていると聞いていましたが、やはり生身の長久さんを見て別れをしたいという気持ちから参列させてもらいました。

 葬式は無宗教という形で行われ、最初に全員で黙祷をし、何人かの友人・同志が短いスピーチをし、その後に焼香、そして長久さんの娘さんと喪主のあいさつ、最後のお別れという順番でした。

 なんと会場に着くと、「2分くらいの短いスピーチをして」と本当に急に頼まれました。既にスピーチの予定者の中には、名前が書いてありました。そうなっているのなら、昨日の内にでも連絡しておいて欲しいとも思いましたが。

 それはそれとして娘さんのあいさつに、とても長久さんの日常が目に見える感じでした。娘さんはアメリカの人と結婚し、アメリカに住んでおられますが、週に一度くらいスカイプで長時間話していたようです。年に一度は、日本に帰っていたようです。

 長久さんは政治の話しがとても好きで、アメリカ大統領にトランプが当選したことをとても憂いていたようです。トランプが大統領に就任する1月20日は見たくなかったので、それまでに亡くなったのだろうということを語られましたが、長久さんと娘さんとの話している感じが目に浮かびました。

 また長久さんはキューバの革命家で国家評議会議長を務め、昨年11月25日に亡くなったフィデル・カストロのファンだったようです。カストロが亡くなった時には、長久さんにそのことを知らせようかどうか考えたそうですが、まあ90歳だったから良いかと思って伝えたそうです。

 そして新聞を読むのが好きで、闘病のためベットでいる時間が多くなっても「新聞を読みたいので持てきて欲しい」と頼まれたそうです。

 僕も長久さんを見習いたいと思います。子どもや孫と、政治について熱い議論を交わしながら、ただ政治を観るだけでなく自分の考えを持って語り合う、そして人生を終えるのは羨ましいとも思いました。

 改めて、長久さんは人生を歩む上での恩人であり、理想の姿だと強く思いました。



どうしてもヒッカカッタ、ニュース原稿

 朝方にNHK広島が放送した中国地方向けのニュース、どうしてもひっかかってしまいました。「何を今さら、最近のNHKに期待するのが間違い」と言う人もいるでしょうけど、このニュース原稿を書いたと思われる記者を知っているので、どうもNHKはで決めつけることができません。

 ニュースの内容は、昨年の4月から電力小売り全面自由化が始まったが、12月2日現在、中国地方で中電から新電力会社に移ったのは1万1千件で中国地方の全契約口数529万件の0.2パーセントである。中国地方には44の新電力事業者が参入している。まあー、ここまでは何とか許せるでしょう。

 問題は次です。中電では島根原発2号機の再稼働が無い厳しい状況にも関わらず、他の電力会社のように電気料金の値上げもしないでいるから、中電から逃げる人が少ない、という決めつけです。

 そしてニュースは、この4月からガス事業も自由化されるが、中国地方では導管(ガスのパイプラインのこと)網が未発達なために、新たなガス事業者はいないだろうと結んでいました。

 まず、前半部の「何とか許せる」という部分ですが、この中では「教えて?」という部分が在るのです。移ったとしている1万1千という数ですが、中電の湯水のようなコマーシャルにより、何もしなかった顧客が中電を選べる電力会社の一つとして選択し、契約した数は含めているのでしょうか。中電社員の人から、その立場による会社からのプレッシャーで、数を増やすために自社を選択したということをよく聞くことがありますが、それにしてはとても少ない数字だと思います。

 この内容のニュースを書くのなら、福島原発事故後、原発に頼らない電気を選びたいという顧客の希望に応える新電力会社が、中国地方ではまだ無いといったことも、言うべきではないでしょうか。

 また一番ヒッカカッタのは、後半部の島根原発の再稼働が無いけど料金値上げをしなくて済んだというくだりです。島根原発の再稼働があれば、料金がもっと下げられるという、中電の宣伝文句をそのまま使っています。中電は電力会社の中でも原発比率が低いので、料金値上げをしなくて済んでいるというのが、正しいのではないでしょうか。

 電力需要がまったく伸びない中で、島根原発の再稼働に向けの「安全対策費」のために莫大な費用をつぎ込んでいるという状況や、福島原発事故対応費用を払わされることになろうとしている状況も、キチンと視て欲しいものです。

 そうは言っても天気情報も入れて5分間の中の、2分間くらいの枠ですから、様ざまな問題点を話すのは無理でしょう。それは理解できますから、せめて中国地方向けの金曜日午後7時30分からの枠の中でも、この問題を深めた番組を作って欲しいものです。

 そしていつも思うことですが、テレビやラジオというのは耳や目に入ったことが、すーと抜けてしまうのを残念に思っています。いつもメモ帳を持ってテレビ・ラジオに向き合っている訳ではありませんから。今朝のこのニュースも、3回目のラジオニュースで数字などをメモすることが出来ました。

和田長久さん追悼

 とりあえず、新年明けましておめでとうございます。希望とお祝いの気分になかなかなれないという感じですが、元旦にはわが家に12人の一族が集まり、正月らしい食事をしました。

 しかし心の中には大晦日の夕方に亡くなられた、大阪豊中市に住んでおられた和田長久さんのことが、離れませんでした。享年84歳です。和田さんとの出会いがなければ、僕が反原発運動に関わることは無かったと思います。この運動を通じて、国内はもとより世界中に多くの知人、友人を作ることができ、成長させてもらいました。

 名前は長久と書いて「ながひさ」さんと読むのですが、僕らの間では「ちょうきゅう」さんで通っていました。思えば1978年のことです。この年の春にニューヨークの国連本部で開催された第1回国連軍縮特別総会を前に、アメリカの草の根平和団体と交流するというツアーを、和田さんがリーダーになって、大阪の市民団体の人たちによって企画されました。

 約20日間の旅行でしたが、アメリカ国内を横8の字のように旅をしました。20日間の旅の中でホテルに宿泊するというのは3日間くらいしかありませんでした。ほとんどがホームステイ、教会、中には野宿というのも在りました。このツアーに僕を誘ってくれたのが、和田さんでした。

 それ以来、長い付き合いが始まりました。8月6日を中心に開催されるヒロシマの日の行事でも、和田さんは予定より一日早く来て僕と話しをするのが楽しみだとも言われました。

 たくさんの思い出があり過ぎて、多くを書くことができませんが、和田さんは運動には女性の参加が必要で、全員男性というような会議を嫌っていました。妻は明子さんというのですが、いつも「明子さん、明子さん」と名前で呼んでいました。また、とても美食家で広島の牡蠣が好物でした。昨年の2月に送ったら、電話がかかってきて、「広島のを食べたら、大阪で売ってるようなのは食べられへんわ、ありがとう」を連発していました。

 そして何よりも、原水爆禁止運動の生き字引でした。たくさん励まされ、話しをさせていただき、指導もされました。運動を組織するために、極秘に作戦というか、仕掛けをしたこともあります。

 和田さんが亡くなられたことを、何人かの友人に知らせたら「モスクワにあるチェルノブイリのリクビダートル(事故を収束するために働いた労働者)のミチンスコエ墓地で和田さんが号泣されたことを思い出しました」というメールが帰ってきました。

 最後の著書となったのは2014年8月に発行された「原子力と核の時代史」は、486ページの超大作でした。

 さよなら長久さん、本当にありがとうございました。決して忘れません。広島牡蠣の最も美味しい時期となりました。今年も送りたかったです。

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