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「ゴメン」も無く、先送りされていく

 今年も今日で終わり、何もかもが先送りされているという思いがしています。一番は何といっても「反省」です。あれだけの原発事故を起こしても、東京電力も政府も「ゴメン」と言いません。

 朝方から孫が母親から怒られているようです。何の理由で怒られているのか分かりませんが、孫がどうしても「ゴメン」と言わないようです。東京電力も政府も「ゴメン」と言わないのですから、孫の気持ちも分からないでもありませんがね。

 以前、「ケンカの仕方」という一文を書いたことがありましたが、最近は子どもも親世代も、謝るということをしなくなったように思えてなりません。謝ることは責任を取ったことになり、責任を取れば金を取られるということに通じるのでしょうか。子どもに、そんな気持ちが働いているようには、思えませんが。

 先送りといえば、放射性廃棄物の地層処分について「科学的有望地」を年内に公表すると言っておりましたが、先延ばしにしたようです。最初はそう言ってましたが、間からは「科学的有望地を明らかにする時期を、年内に明らかにする」に変わったようですが、それさえも示されていません。

 もう一つは民進党の「2030年代原発ゼロ戦略」の工程表ですが、これも年内に明らかにすると蓮舫さんは発言していたと思います。これも無しのつぶてのようです。

 国民は忘れただろうと思って「知らんぷり」をしておこうと思っているかも分かりませんが、それでは国も民進党も責任在る組織の立場とは言えないでしょう。明らかにできないのなら、まずは「ゴメン」と言って、その理由を説明する責任は当然在るのではないでしょうか。

 高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が決まりましたが、1兆円以上の大金を使っておいて、どこがどうして失敗だったかということを、まずは「ゴメン」と言って総括するのが、社会の基本原則ではないでしょうか。責任が経産省や文部省だけに問われるのでは、これも違うと思います。中国電力も「資源の少ないわが国では、原発から生み出されるプルトニウムを…」という決まり文句を、ずっと使って金も人も注ぎ込んでいたではありませんか。

 安倍晋三くんが真珠湾に行きましたが、「ゴメン」は言いませんでしたし、広島に来たオバマくんもそうでした。

 孫が「ゴメン」と言ったようで、元気な声をだして遊びに出かけました。これでわが家の雰囲気も、和んだという感じになりました。

 1年間、「省ちゃんの前向き語り」に付き合っていただきありがとうございました。皆さんくじけずに、2017年に挑みましょう。

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年越し、「後継」を考えています

 昨夜が今年最後の忘年会でした。「あほくそうてやっとられるかい」という仕事をしていた頃の仲間の会で、大いに盛り上がりました。この会の名づけ親は僕なのですが、とても気に入っている名前です。

 今日は、午前中は年賀状書きのラストスパートと何通かの手紙、午後には溜まっている新聞の切り抜きをやって、だいぶ空が暗くなり始めた午後4時半過ぎにやっと一段落となりました。

 今年を振り返って、僕自身ではなんといっても短い期間でしたが、8日間の入院生活だったでしょうか。風邪かと思っていたら肺炎で、肺炎では自宅で薬を飲んでいたのですが、それから直腸炎になり入院となりました。5日間は飲み水を口に含ませるぐらいで、食事はまったく摂ることは出来ませんでした。

 入院中には、如何に自分のテンションを維持するかということに苦労しました。ちょうど国会の委員会開会中で中継を観ながら、質問者への感想などをメールで議員に送ったりしていました。

 そしてたった8日間とはいえ、久しぶりの入院で「後継」ということを改めて考えていました。僕の場合は、「原発の無い社会を作るため」の後継です。世論調査でも、原発に反対する声は圧倒的に多いのですが、なかなか活動の中枢になる人が育ちません。関心を持っている人は多いのですが、難しいところが在ります。

 関心は大いに有るのに活動のリーダー的な存在に成れない、その理由を本気で考えていると、仕事との両立がとても難しい時代になってきているのではないかと思いました。非正規の増加など雇用の安定しない時代に、職場から睨まれるようなことをすると、「首」になる恐れがあるということだと思います。ひと昔前なら、労働組合というものが守ってくれているということや、労働組合運動を通して、社会運動に関わることが出来ましたが、今はとても後退していると思います。

 企業もコンプライアンスというような事を言って、広く社会運動に関わることによって視野を広げ、多様な人間関係を作るようにとは口では言いつつも、平和活動とかいうのは違うようですね。

 活動も人材ですから一朝一夕に出来上がるものではないでしょうけど、思い切って「任せる」というのも必要かも知れません。こんなことを思い悩みながらの年越しという感じになっています。

クリスマスイブ

 クリスマスイブですね、昨日のお昼に娘が住んでいるマンションで一日早いクリスマスの食事会をやりました。子ども、孫、娘の夫のお母さんら総勢18人くらいが集まったでしょうか。僕がこの中で最高齢者になります。

 娘の住んでいるマンションは、この街の中でも一番と思われるほどの高層マンションです。その最上階にこのような集まりが出来る部屋が在り、天気も良く安芸の宮島もNTTビルの鉄塔も小さく低く見えました。

 クリスマスといえば、思い出すのは1956年、昭和31年のクリスマスイブのことで、僕は7歳でした。その3年前に父親を亡くし、親戚が持っていた、わら屋根の古い家に住まわさせてもらっていました。仕事から帰ってきた母が僕へのプレゼントをこっそりと、ご飯を炊くカマドの方へ持っていくのを見ました。凧が見えたので、分かりました。それまではサンタは何の疑問をなく信じていたのですが、この時「もしかしたら」と思いましたが、そのことは言いませんでした。この年齢になっても、その日の夜のことは忘れません。次の朝、マクラの上には凧ともう一つ何かが置いてありました。

 クリスマスを3か月くらい前に控えていた頃、「○○が欲しい」と母にねだると「サンタにお願いしんさい」と返されたものです。しかし今の子どもたち、玩具をねだるとサンタまで待つことなく、だいたい買ってもらっていますね。親が買わなくても、祖父さん、祖母さんという手段も今はまだありますから。

 新聞を読んでいると、今年の出生数が100万人を割る見込みという数字が出ていました。100万人を割るのは統計を取り始めた1899年以降、初めてということです。出生数が最も多かったのは1949年の269万7千人で、まさに僕が生まれた年です。一方、今年亡くなった人は昨年より約6千人多い129万6千人とみられるそうで、人口の自然減は過去最大の31万5千人と推計されるそうです。

 同じく新聞ですが、“脱ポピュリズム 「昭和の社会」と決別を”と題して歴史社会学者の小熊英二さんが文章を載せていました。ポピュリズムとは一言では「大衆迎合主義」との意味です。エリート層と対峙し対決して、政治の支持を受けようとする考えで、アメリカ大統領に就任するドナルド・トランプもこのことを訴えて大統領選挙に勝利したのだと話す人もいます。

 今月は二度の講演を行いました。一度は広島で「これからの原発状況はどう動くか!」と題したもの、二度目は下関市で「被爆二世として歩んだ道」というタイトルでした。

 いつもは早目に出す年賀状も全部書いていません。今日は午後「(仮称)エネルギーパンフ」の編集会議、1月6日が締め切りという約4000字の原稿が一つ、本の編集作業、そして27・28日は連チャンで忘年会です。年明けは1月7日の新年会からスタートです。今夜、サンタが僕にも来るでしょうかね。凧でも良いけど!!

34年間の資料整理

 上関原発の建設計画が公けになったのは1982年ですから、今年で丸34年間が経過したことになります。僕はこの問題を最初から見つめてきましたから、資料もたいへんな量になります。大きなBOXファイルで15箱以上になっています。何時かこの資料が必要な時があるだろうと思いながら、置いておくだけという感じでもありますが、チェックしながら年数ごとにファイルしなおすことに取り掛かりました。

 その資料は、手書きのチラシやメッセージ文、新聞コピー、行動のスケジュール、原発に反対している人への嫌がらせのチラシ、中国電力の資料などなどです。

 それらを丹念に見ながらの作業ですから時間が掛かりますが、すぐに終わらせる必要もないので、懐かしい方の名前や写真を見ながら、思い出しながら進めています。

 多くの人が亡くなられています。現在闘病中という方や、施設に入所している方もおられます。もちろん今での第一線で頑張っている方もいます。原発推進の方の動向は詳しくはありませんが、町会議員をしていた方で、この問題が浮上した時からずっと現職議員という人は一人だけだと思います。

 原発建設に反対しふる里を守りたいという手書きのチラシからは、本当に熱い思いが伝わってきます。じっくりと読みながら、涙が出てきました。その人の家に泊めてもらい、夜遅くまで語った思い出が湧いてきました。

 当時は僕よりも相当な年上で頑張っていた方も、今の僕よりも若かったのだという方がほとんどです。あの時のあの人は、すごい先輩という感じの存在でしたが。

 34年という時間、中国電力の人ですら20歳くらいで入社しても、すでに54歳という定年退職前の年齢です。会社内部では、上関に関係する資料というのはどれくらい保存されているのでしょうか。最初から詳しく知っている人というのは、どれくらいいるのでしょうか。

 ましてや、中国電力が計画していた鳥取県の青谷、山口県の萩や田万川、豊北での原発建設計画までを知っていることになれば、皆無になるのではと思います。

 一つの計画で現に34年間も達成しないという状況、それでも「必要です」「ご理解を得ます」という言葉を繰り返しながら、止めないということは、まさに犯罪ではないでしょうか。

 27日火曜日の今年最後の古紙収集日までには、なんとか終わるだろうと思っていましたが、まあー来年の年末くらいまでは掛かるでしょうか。

 それにしても繰り返しになると思いますが、「上関に原発を作らせない」「きれいなふる里を子や孫に残したい」という熱い思いを持ちながら、亡くなった多くの人たち。その人たちが走馬灯のように、面影や声が見え、聞こえてきます。僕も継承を考える年齢になりました。

これじゃあ選挙に行く気がなくなるよ

 7月に鹿児島県知事選挙で三反園訓さんが当選した時、「参議院選挙には落胆したが、鹿児島で勝ったから」と喜んだはずでした。しかし、その後の新聞記事の中で、マスコミ記者が川内原発の問題で多く質問したら、知事が「原発ばっかり質問せずに」と顔色を変えて怒ったというのを見たことがありました。

 僕はその時、言っちゃあ悪いけど鹿児島県知事のニュースが全国版になるのは、「原発問題が在るからだよ」とテレビニュースを観ながら声を出したものです。「三反園君、解っちゃあいないなあー」とも思いました。

 川内原発再稼働反対を大争点にした知事選挙だったのですから、本気でこの問題について全力で取り組むべきではないでしょうか。川内原発の再稼働を止めることに全力で頑張ったら、他の鹿児島県の課題も解決に向かうのではないでしょうか。

 川内原発のことで本気度に疑問を持つと、他のすべてのことが「?」になってしまいます。沖縄県の翁長雄志知事は、普天間問題で最高裁での敗訴が確定的になっても「普天間移設を止めるために全力を尽くす」と言われるから、県民からの信頼が失われないのではと思うのです。

 運転再開については、「私に稼働させるかどうかの権限はない」という発言も大疑問です。それなら昨年再稼働した時に、なぜ当時の県知事の「OK」が、お墨付きになったのでしょうか。

 九州電力に対し即時停止を要請しても拒否されたことについて、三反園さんは「仮にどういう対応をとろうが、九電は稼働するのではないか」と他人事のような発言を繰り返えされた時、こんな腰抜け発言は聞きたくも有りませんでした。

 自民党衆議院出身とは言え、まだ小池百合子東京都知事の方が、「森喜朗たなからぼた餅・老害男」を相手に頑張っていると思います。

三反園さんのように変節をされると、選挙に行っても変わらないという有権者が増えるのではないでしょうか。特に選挙権が18歳に引き下がられたのですから、若者への悪影響も大きいと思います。

 三反園さん、あらゆる手段を使って川内原発を止めるために、全力を尽くしてください。諦めないでください。とりあえず、少し寒いけど九州電力本店前で全国の原発に反対する人たちと共に、座り込みでもやりませんか。僕は応援に駆けつけますよ。まだ貴方に諦めていませんから。

東京、3日間

 6日~8日まで上京していました。僕は几帳面というかイラチな性格で、新幹線内で食べる弁当は広島駅売店で売っている大関弁当、お土産はあの人には安芸紫、あの事務所にはもみじ饅頭の9個入りというように前もって決めています。新幹線の中では、あの文章を仕上げて、弁当は何時に食べるというのも決めるという感じです。でも帰りは、いい加減です。

 東京での用事は、橋爪文さんという被爆詩人の方の出版予定著書を校正、加筆、編集するというのが大きなものでした。橋爪さんは14歳の時に広島で被爆された方で、これまでも何冊かの本を出版しておられます。本人が言われるには「これが最後の本になるだろう」とされていますが、まだまだ頑張って欲しい貴重な方です。

 6日の午後2時頃には、橋爪さんの自宅に着きました。3人の人が手伝うために来ておられましたが、雑談もほどほどに作業にかかりました。夕方、3人の方も帰られて夕食は食べましたが、日にちが変わって1時が過ぎた頃に、どちらかともなく「今日はここらで終わろうか」ということで、明日への持越しになりました。翌7日は朝から午後3時過ぎまでやって、出来上がったものをプリントして、「もう一度、じっくりとチェックしよう」と決めて、文さん宅を後にしました。

 夜はある雑誌社の編集長さんと、食事をする約束をしていました。この出版社から、時々8000字くらいのものを書いているのです。ちなみに今年は、「電力自由化問題」と「オバマ大統領の来広」のことを書いています。ホテルにチェックインをして、約束のJR田町駅に向かいました。橋爪さんの作業の終わりが分からなかったので時間は決めていませんでしたが、6時に会いました。駅前の通り、ここを正月の箱根駅伝で選手が走るのだそうです。居酒屋に行って二人で飲み、食い、語り合いながら、次に何を書こうかという話しをしました。

 8日は参議院議員会館に福島みずほさんを訪ね、ついでに参議院厚生労働委員会を傍聴しました。国会議事堂には大勢の小学生と思われる子どもたちと、おばさん、おじさんたちが見学に来ていました。子どもたちを見て、今日の国会見学がキッカケになって、大人になった時に政治に関心を持つようになって欲しいなあーと本気で感じました。というのは、僕自身もその時は18歳くらいですが、国会傍聴をしたのが政治に関心を持つようになったキッカケの一つになっていますから。

 12時30分に新聞社に勤めている人で、以前に広島支局勤務をしていた人と会いました。結構上の立場にいる人で、なんとハイヤーで向かえに来てくれました。長い人生ですが、ハイヤーに乗るのは初めてです。ハイヤーにはメーターもいわゆる提灯という車の天井にあるマークもありません。大きな車で「すごい、すごい」を連発しながら昼食を予約していただいた場所に行きました。虎の門のアメリカ大使館近くで、あーこれが「トランプの日本ブランチ」だと思いました。食事をするところに着いて、キャリーバックを降ろそうとすると、「降ろさなくていいよ。食事が終わったらこの車で東京駅に送ってもらうから」と。

 楽しい食事を1時間半くらいして、新聞記者の友人とはここで別れました。ハイヤーの中で一人になって、「僕、靖国神社を見たことがないのですが、どの辺りですか」と運転手さんに訊ねると、運転手さんは「その辺りに回りましょう」ととても親切に言われて、ハイヤーでのミニ東京見物となりました。

 最高裁、裁判所、法務省、警視庁、靖国神社、イギリス大使館、千鳥が淵墓地、箱根駅伝のスタート、ゴールの場所になる大手町の読売新聞社前などなど、東京には2~3か月に一度は来るのですが、こんな形の東京見物は初めてです。小津安二郎の映画「東京物語」も思いながら親切に案内してもらい、夜8時頃に帰宅しました。

 なんと言っても感激はハイヤーに乗って都内を見たことでしょうか。翌日、この新聞社の人から、「昨日はありがとうございました。多くを学ばせていただきました」というメールが届きました。「また話しをいたしましょう」とも書いてありましたが、ハイヤーでの東京見物は一度で堪能でした。まあーこんな3日間でした。




高齢者の闘い

 反原発にしても、戦争法に反対する活動にしても、その活動に関わっている人の多くは高齢者が多いと思います。高齢者を何歳からにするかと云うこともありますが、まあー60歳前後から上の人でしょうか。もちろんたまに30歳代というのも見かけますが、そういう人を見ると「珍しい」というように感じます。

 若い人は仕事というゾーンの中で、生活がかかっているのですからなかなか難しいという状況にあるでしょうし、今の社会ではこういう問題に関わっているとすぐにレッテルが貼られてしまうという、周辺状況が在ると思います。これが一番大きな問題かも分かりませんが。

 アメリカ大統領選挙でも、トランプを当選させた勢力の多くは古きよき時代を懐かしむ高齢者世代だと、ある人が話していました。

 先日読み終えた内館牧子さんの「終わった人」の中に、「金時モチ」という言葉がありました。お菓子ではありません、お金と時間を持っているオヤジのことだそうです。愛情などまったく無いのに、若い女性たちから「オネダリ」のターゲットにされるオヤジのことでもあります。

 まあー「金時モチ」のような人もいるでしょうけど、年金は引き下げられる、医療費は上がる、介護保険料は上がる、などなど高齢者が住みにくくなる状況は増していますね。そういう中でも、この国が悪い方向へ向かうことに対し、子どもや孫たちに少しでも良い世界にするためにと、頑張っている僕ら世代の貴重な存在の人たちだと思います。

 高齢者が住みにくくする政策は、今でも社会運動の中心にいる人を、まさに「兵糧攻め」で関わらせなくするというように見えるのは、僕が相当にヒネクレテいるでしょうかね。一方でカジノを解禁し、そっちに金をつぎ込ませてしまおうという政策でしょうか。アベシンなら、こういう発想もするのではないかとさえ思ってしまいます。

 と云っても、高齢者になって活動している人もこの年齢になって関わり始めたという人は、そんなに多くはないと思います。若い頃から社会状況に疑問を持ちながら、いろいろなことを勉強して今になったのではないでしょうか。

 僕も前期高齢者の真っ只中にいて、高齢者ではなく後継者のことを考えるようになりました。しかし、僕世代が考えているある意味ワンパターンの発想ではない、新しい発想の中で活動をする若い世代が必ずや出現することを期待しています。

 ある意味、まだ元気だと思っている高齢者世代の「頑固さ」「かたくなな態度」が若い世代を押さえ付けているのかと思ったりもしています。しかし若い世代の人へも、過去の経過については話しておかねばとも思います。

 上関原発建設問題が公けに明らかになったのは、1982年です。今から34年前のことです。当事者である中国電力社員にしても最初からその経緯を知っているのは、もう退職前の人ではないでしょうか。22歳で入社した人も56歳、特に会社ではずっと同じ部署にして上関を担当しているのは、皆無に近いでしょうから。先日、中国電力に申し入れをした時、上関町長選挙の不正転入事件のことを言ったら、担当者がまったくそのことを知らないみたいでした。

 間違った歴史を、しっかり学んでこそ同じ失敗を犯さないのではないでしょうか。最近そんなことを強く思っています。

聖の青春・終わった人

 「忙中暇あり」というほどではありませんが、まあまあ忙しくしている中、長女と一緒に「聖の青春」という映画を観にいきました。

 29歳という若さで亡くなった、将棋棋士の村山聖さんを題材にしたもので、村山聖棋士は松山ケンイチさんが演じていました。物語としては単純な内容ですが、子どもの頃から腎臓の病気になり、それでも将棋の世界でトップに昇りたいという希望のために全力を尽くすものです。

 最後は余命3か月という状態の中で、羽生善治に挑む対局シーンは壮絶なものでした。なんとかして聖に勝たしてやりたいという思いで観ていました。羽生善治が頭を掻き、汗を拭きながら、一方で聖は背中を押さえ身体の痛みを我慢しながらの対戦シーンでした。

 自分の目指すものに対して全力を尽くす姿勢は、感動的でした。こういう映画を観ていると、どうしても自分の場合はどうだろうかと思い、いつも反省をしてしまいます。

 内館牧子さんの「終わった人」という、ベストセラーの本も読みました。これはまさにいっきに読める本で、帯には「定年って生前葬だな。これからどうする? 今の、将来の(あなたのこと)が書かれています」とあります。さすが売れっ子作家ですから、スーと読めるというものでした。

 内館さんは独身と言われていますが、夫婦の微妙な関係、定年後の男が家の中で面倒臭く思われることなどが、本の中から見えるように描かれています。

 この中に登場する主人公は東大を出て、大手銀行に入り、しかし出世コースから外れたのですが、辞めた時の資産が1億円を超えていたというのは、僕の場合とは大違いでした。しかし仕事を退職しても「やることがたくさん有る」という僕と比べれば、主人公は不幸だったと思います。

 病気に苦しみながらも将棋の道を究めたいという聖、麻酔をすると「頭の冴え」が鈍って将棋の戦いに影響するから、麻酔無しなら手術をしてくれと医者に要求するシーン、そして手術後の夜中にパチン、パチンと音をたてながら将棋の練習をするシーンは感動的でした。

 「聖の青春」も「終わった人」も、これからどういう生き方をしていくかということを考えさせてくれる物だと思います。

 今日、これから知り合いの文具屋さんへ年賀状の印刷を頼みにいくことにしています。年賀状の言葉、やっと決めました。今は秘密にしておきますが、受け取った人が励まされるとともに、何よりも自分自身を奮い立たせるようにと思っています。来年はとり年ですから、串焼きの焼き鳥にビールでも付けてと思っていますが、そんな挿絵は有るでしょうかね。


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