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東京都知事選挙

 東京都知事選挙、投票締め切りとともに小池百合子さんの当選が決まりましたね。自公の増田候補が当選するよりも、良かったという感想です。小池さんが増田さんよりも良いとか、悪いとかという話しは別にしてもです。

 もちろん、小池さんが後から自民党に取り込まれて、「追加公認」というようになる可能性があるにしても。とりあえずは、増田さんより良かったという気持ちです。もちろん増田さんは小池さんよりも、地方自治経験は豊富だとしてもです。

 今のこの気持ち、しかし何よりも民進党に言いたい言葉です。宇都宮健児さんでは民進党が押せないということで、宇都宮さん自らが立候補を見送り、知名度が高いということと、「顔」で鳥越さんに決めたのですし、その点で野党のみんなは民進党に譲歩したのでしょうけど、民進の「本気度」はほとんど感じ取られませんでした。

 民進には、鳥越さんという候補を決めるのが到達点だったようにしか思えないのです。一方で社共には、本当は宇都宮さんが良かったのだけどという本音が在るでしょうし、妥協の産物で鳥越さんになったのでしょうから。

 「後出しジャンケン」の鳥越さんで駄々をこねた民進には、大きな責任があると思います、参議院選挙直後で無かったら、民進は増田さんを推していたと思いますし、そういう意味では増田さんの落選は民進への批判だと思います。民進はここまで責任を感じる必要があると思います。増田さんでも「良いわ!」と本音で思っていたのはミエミエでしたから。

 政治家ならこういう流れは読めてシカリだと、僕はこのブログにも書いたことがあります。あの「舛添辞め辞めコール」は2か月早いと、僕はコールが高まった時点で思っていました。

 しかし小池さんに対し、石原慎太郎が「大年増の厚化粧が」と言ったという事、彼女は僕よりも3歳若いのです。こういう発言は、「右だろうが左だろうが」「男だろうが女だろうが」「若かろうが高齢者だろうが」ほっておいてはならない問題でしょう。

 小池さん、知事になったら都議会を解散させると公約していましたから、すぐに実行して欲しいですね。時間が経てば難しくなるのは間違いないと思いますし、二度言いますが自民に取り込まれる可能性が高いのですから。

 まあ、この間の二人の知事は任期を全うしていないのですから、2~3年後にまた都知事選挙があるかも知れませんし、そうなれば東京オリンピックには誰が都知事として参加するのでしょうかね。

 言っておきますが、2020年の東京オリンピックは辞退するべきだと思っています。まずは福島原発事故の解決が最重要です。本当にきれいになった日本で開催されるべきでしょう。そうなるのは、後何年先でしょうかね。50年?100年?、きれいになっていれば良いが…???

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裁判官ら、上関原発計画地などを視察

 昨日27日、山口地裁の裁判官らが上関原発計画地や祝島を視察しました。現在上関原発計画を巡る裁判は5件あります。すでに終了したものを含めれば、20件近くはあったと思います。

 しかしこれまで、裁判官が現地を視察するということはありませんでした。改めて現在係争中の裁判を挙げてみますと、山口県を相手にしている、埋め立て免許取り消し請求に関するものが2件、埋め立て免許失効確認請求に関するものが1件、損害賠償請求に関するものが2件と計5件があります。

 これらの裁判は全て山口地裁で行われていますが、この裁判の裁判長が現地視察を行ったのです。すでに終了した裁判を含めれば、上関原発がらみの裁判はたぶん15件近くありましたが、裁判官の現地視察は初めてです。

 メディアは「初めて」ということを大きく報道していましたが、考えてみれば数ある上関原発関連の裁判で、初めて裁判官が現地を視察したというのもオカシナことかも知れません。

 一行は田の浦海岸や祝島などを視察し、現地の人からも聞き取りをしたそうです。僕がこの視察するということを聞いて、山道を歩いて田の浦海岸まで行くのは、この暑さでは大変なことだというのを最初に思いましたが、中国電力に許可申請をして、作業用の道路を使用したそうです。

 あの田の浦の位置に立って、祝島を望めば上関原発に反対している人たちの思いは解ったことでしょう。そして上関原発が建設され事故が起れば、祝島の人たちの避難など到底不可能だということも解ったと思います。田の浦海岸では、希少生物のナメクジウオも見つけたと山口県内のテレビニュースは伝えていました。

 それにしても上関原発建設計画が公けになってから34年、前の前の知事だった二井関成さんは就任当初に祝島を訪ねたことがありますが、前知事の山本繁太郎さん、そして現在の村岡嗣政山口県知事は一度として現地を訪れたことはないのです。村岡知事など「私は行かない」と公言しているのですから、これは相当なる「根性無し」でしょうね。

 全国的にも大きな問題とされている上関原発計画、そして裁判では被告になっている山口県、何よりも自分が代表者である山口県知事なのです。もちろん知事選挙中にも、祝島には行かないのです。まさに何とも「イヤハヤ」考えられない男です。

 山口県の担当者も被告として同行していましたが、メディアから感想を問われても無表情に「特に無し」には、開いた口が塞がらないという思いでした。

 祝島では、島民の人たちが船着き場に集まり一行を迎えたそうですが、桑原直子裁判長が船から爽やかに軽やかな歩調で島に上がっている姿がとても印象的でした。



300から260へ

 「300から260へ」と書いても意味が分からないと思います。3~4日前のNHKのローカルニュースが、「中国電力は平均的な家庭の電力使用量を300kWhから260kWhに下げた」ということを報じていました。

 僕の見た限りでは、新聞でこのことを報じたものはありません。中国電力のホームページを探しても、プレス発表でこのことがタイトルになっているものは在りませんでした。

 調べてみると6月29日に発表した「平成28年8月分電気料金の燃料費調整について」というものの中に、そのことを探すことができました。燃料費調整というのは、財務省が発表するこの5月の貿易統計発表を基に、原油、石炭、LNGといった燃料価格に基づいて、電気料金が安くなったり高くなったりするというものです。

 この発表の中で、○従量電灯Aのお客さまのお支払額について、算定の元となる電気のご使用量を「1月あたり300kWh」から「1月あたり260kWh」へ見直しました。と書いてありました。

 この300から260への書き変えは、電気使用量が減っているということを現していると思います。節電意識と節電電化製品の普及により、電気の使用量が減ってきているのです。だから平均値も下がってきたのでしょう。

 電気を使ってもらって儲けている会社ですから、本音では「どんどん使ってください」と言いたいのですが、いくらなんでもそうは言えないというようです。

 この前まで、中国電力本店には「節電にご協力ください」という懸垂幕が下がっていました。しかし20日に本店へ行った時には、この懸垂幕が在りませんでした。中国経済産業局が「この夏は節電要請を行わない」としました。ようするに使ってくださいということです。

 同じく6月29日というこの日、中国電力は「電力供給計画」というのも発表しています。これを見てまたまた驚きでした。昨年度の8月の電力供給予備率(送電端)がなんと14.4%でした。今年度は19.2%という見込みです。電力使用量の最も多いといわれている夏8月に、19.2%も電気が余っているのです。

 予備率というのは、供給電力量から最大需要電力量を引いて、その余り電力量の割り合いのことです。僕たちは真夏では5%くらいで安心というように教わりました。多くみても8%もあれば、十二分です。それが19.2%、これは余り過ぎです。

 供給計画では、10年後の2025年度の予想も書いてありました。なんとなんとこの時には、22.1%もの予備率を掲げています。言っておきますが、この数字には上関1・2号も島根3号も供給量にないのです。

 この「燃料費調整」も「供給計画」も、株主総会が終わった翌日の発表でした。株主総会終了まで待っていたという、彼らの戦略が見えてきます。



藤田祐幸さんが亡くなられた

 7月18日21時45分、藤田祐幸さんが永眠されました。一昨年だから2014年10月26日に、広島市内で開催した「反原子力ディ集会」で講演してもらったのが最後となりました。

 2013年に胃ガンの手術をされたということを聞いていたので、広島での講演はどうだろうかと心配していましたが、その年の9月に東京の亀戸中央公園で開催された反原発集会で会いました。少し痩せられてはいましたが、無二の親友という広瀬隆さんと話しておられたので、「どうですか体調は?広島は来て頂けますよねえー」と言ったら、「そりゃー行かにゃあならないだろうー」と、あの笑顔で答えてくれました。

 慶応義塾大学の助教授として物理学を教えていた時は、関東地方に住んでられましたが、2007年に早期退職をし、長崎県西海市に移住されました。「浜岡原発が怖くて九州に逃げてきたのだ」と話しておられましたが、ホントのことは知りません。

 生まれは千葉県で、前広島市長の秋葉忠利さんと高校が一緒だったと聞いていましたから、本当に原発事故が怖くてというのが正解だったかも知れません。たまに「どうしておられますか?」と電話をすることがありましたが、「自給自足で自然を相手に農作業をするのが楽しい」と笑い声で話されていたのです。

 福島原発事故後は、全国各地で講演もされていました。事故後は事故周辺地を訪ね、広い範囲の放射線量を測定するなどを行い、その結果は雑誌に掲載されていたと思います。

 広瀬隆さんによると、この4月14日に発生した熊本地震の時は久留米の病院に入院されていました。広瀬さんに電話で「震源地に近いので、揺れが激しくて、夜も眠れない」と話しながらも、広瀬さんが「中央構造線が動いたんだよ」と言うと、「そうなんだ。余震を見ていると、きれいに中央構造線の上で発生している。こんなのは見たことがない」と、気力いっぱいの声で地震の解析をされたそうです。

 僕は高木仁三郎さん、久米三四郎さん、そして藤田祐幸さんという素晴らしい人生の先輩から「原発」を教えていただきました。「原発」の仕組みとかいうだけでなく、「原発社会」の不公正を教えていただいたように思います。

 しかし藤田さんで3人とも、あの世の方になりました。もちろんまだまだたくさんの方がいますが、3人は格別でした。すごく寂しくて、悲しくて、孤独感を感じています。

 今年の正月も藤田さんからの年賀状が届きました。青い海と空に一羽の鳥が飛んでいる背景の絵柄の中に、次の文が書いてありました。

頌春 2016年元旦
この一年、私たちは、平和や戦争、基本的人権や
命の尊厳、差別や偏見について、そして何より歴
史と哲学について、もっともっと語るべきである
ことを思い知らされました。野蛮を駆逐するのは
知性であることを学びました。
新たなる一年が希望の時代の幕開けになることを
心から祈念します。


 ウサギの島と鳩の街

 参議院選挙が終わったのを待っていたかのように、「8・6」関係などの会議入っていて、ブログを書くというゆったりとした時間が持てないでいました。それも昨日まででやっと落着きました。

 7月15日にNHKテレビのフェイスという番組で、「毒ガスの島 ウサギ人気の裏側で…体験を語り始めた人々」というのをやっていました。たぶん、中国地方だけで放送されたのだと思います。

 広島県大久野島、ここは戦時中毒ガスが作られていた島で、その毒ガスは中国などの侵略戦争などに使われたそうです。地図からも消されていた島で、秘密の島とされていました。僕がこの島のことに詳しくなったのは、写真家の樋口健二さんの写真集「毒ガス島」を見た時からです。

 大久野島には今でも、その歴史を残している毒ガス工場跡なども残っています。しかし今は「ウサギの島」としての方で有名かも知れません。この島の近くに住んでいる友人は「最近は外国人の観光客がいっぱいだ!」と話していました。島の中には国民休暇村、海水浴場、キャンプ場も在り観光地になっています。

 毒ガスは兵器として多くの人たちを殺し苦しめたと同時に、製造に関わった人たちを苦しめました。主に悪性腫瘍(ガン)や様ざまな呼吸器疾患に罹っています。製造には広島県内はもとより愛媛県などの周辺の島などからも、学徒・婦人会・女子挺身隊の身分で動員されたそうです。最盛期には5千人とも6千人ともいえる数の人が働いていたそうです。

 いつも思っているのですが、毒ガス工場で働いていた人は国との雇用関係で働いていたのに違いないと思うのです。原爆被爆者への国家補償が行われない理由に国は「一般戦災者との均衡」を理由に補償が行えないとしています。いわゆる「受任論」ですが、毒ガス製造に関わった人は間違いなく雇用関係があったと思います。

 赤紙で徴兵され、兵士として戦争に駆り出された人には今でも遺族年金が支払われています。しかしこの毒ガスで働いた人には、そういうものはありません。毒ガス被災者への対策法はあると思いますが、あくまでも特殊な被害だということで認定、非認定というように分類されて対策が異なっています。

 毒ガス障害の認定を受けた人には、俗にいう「毒ガス手帳」というのがあります。1980年代には広島県各地に毒ガス後遺症患者の会が生まれ、代表の人たちは繰り返し国に陳情などを行ってこられました。しかし全員への救済する道は開かれないままに、被害者は高齢化しています。

 国の毒ガス被災者と原爆被爆者への対策が、ほとんど同じだということも忘れてはならないと思います。しかし、毒ガス被災者と原爆被爆者が一緒になって国への働きかけなどの行動をしたというのは聞いたことがありません。

 この問題で「毒ガス手帳」と「原爆被爆者手帳」の二つを持っている人に会ったことがありました。毒ガス製造に従事していて体調を壊し、実家のある広島市に帰っていたら原爆に遭われた人でした。

 自宅を訪ねゆっくりと話しを聞かせてもらいました。この方も既に亡くなられています。まだまだ忘れてはならない広島の歴史を学んで、被害者にも加害者にもならない気持ちを固めねばと思っています。

 夏休みですし、この夏でも大久野島へ行ってみようかと思っています。ウサギを見て、海水浴もして、毒ガスの跡を見て考えてみようかと!





参議院選挙後を考える

 参議院選挙、終わりましたね。最近の国政選挙では「やったー」と喜びの声を挙げることが少なくなったという感じです。僕は昨年5月に「福島みずほを国会に送ろう広島応援団」を結成し、その応援団長に就任して頑張ってきました。

 その福島さんは当選を果たしましたが、せめて「もう一議席」と期待していた吉田忠智さんは落選、福島さんが当選したから「良かった」ともいえない気持ちです。

 それにしても、なぜ安倍政権が支持されるのでしょうかね。その現実というか有権者の思いが理解できません。非正規の増大、高齢者福祉の改悪、若者が希望したい学校に行けないこと、子どもの貧困、ほんの一握りの金持ちと大勢の貧困者という格差社会、原発再稼働、選挙結果を見ていて有権者の思いが分からなくなります。

 民進党の全国区当選者は相変わらず電力・自動車・電機といった、大会社の大労組を代表する人が多く当選をしているという状況では、なかなか弱い立場の声を代弁することにはならないと思います。

 ましてや原発を止めるための代弁者には、期待薄です。参議院選挙での野党共闘も電力会社や自動車、電機の労組が強い地域では共闘への結びつきも弱かったように思います。

 選挙が終わって感じたことや、今後の動きをつたない僕の頭で考えてみました。1人区での野党統一候補者が10人以上当選したそうですが、このやりかたは正解だったと思います。この流れを続けて欲しいと思っています。そのためには、14日に告示される東京都知事選挙で何とかして野党共闘を実現させる必要を感じます。

 しかし東京都知事選挙では現時点では共闘は難しそうですね。というより「しなくて良いよ」というようにしか見えません。結果として無理だとしても、実現のための努力はして欲しいと思います。

 憲法改正を発議するための要件である3分の2を、参議院でも得たというのはショックなことです。それもこのたび有権者になった18歳19歳の若い層が、調査では多いというのはどうしたことなのでしょうか。

 公明党の内部問題から、すぐに9条改悪にはならないでしょうが、おおかたの意見が「ここは改正しても良いよ」という部分から改正して、「憲法改正慣れ」をさせて、本音部分の9条改正に進む魂胆を感じてなりません。

 高齢の知り合いの方から電話がありました。この選挙について「私はもう先が少ないから、どうでも良いという気持ちだけど、この国はどうなるのでしょうかね。とても心配していますよ」と話されました。

 小学校1年生の孫が「あと何年したら、僕は選挙に行けるのか?」と聞いてきました。僕は「あと12年だ。その時は一緒に行こうかー」と、爺バカですがさすが僕の孫です。

 参議院選挙ではありませんが、鹿児島県知事選挙で三反薗訓(みたぞの さとし)さんが当選したこと、本当に良かったと思います。

五日市町が終わった!

 今は広島市佐伯区となっている、わが町。僕が生まれた時は、広島県佐伯郡五日市町でした。もっとたどれば、1955年に五日市町、石内村、観音村、河内村、八幡村の1町4村が合併して五日市町になったのでした。

 こんな歌があったのを微かに思い出します。「石内、河内がみんな出て、大五日市の町づくり…」という歌詞から始まったと思います。その五日市町も1985年3月、100万都市を目指していた広島市に合併しました。広島市と合併した15年くらい前から、五日市町は「合併賛成・反対」で大きな争いがありました。

 その合併反対で頑張っておられた、原田譲次さんが昨日92歳で亡くなられました。原田さんは当時町会議員を務められ、合併反対で町長選挙に立候補されたと思います。合併を決めた町議会の日、議場に発煙筒が投げられ大紛糾したのを思い出します。その運動のリーダー役だったのも原田さんでした。

 僕も合併反対で町内を回った時、お年寄りの方が「河内村が五日市町に合併した時、村有林を五日市に取られて損をした」と話されたことを忘れません。「平成の大合併」というほど多くの自治体が合併しましたが、「すんなり」と合併に進むことに多少の違和感を思います。

 合併反対の理由は大きなものに吸収されると、行政サービスが行き届かなくなるというものでした。行政は小さい方が良いというのが、原田さんの主張だったと思います。

 はっきりとした記憶ではないのですが、原田さんは若いころ米軍の岩国基地で仕事をしておられたと思います。その関係からか自分のことを「ジョージ原田」と笑顔で話しておられました。

 社会党(現・社民党)員として、地域に根差した活動家だったとも思います。僕は党員ではありませんが、たいへんお世話になったこともあり社会新報という機関紙を購読していました。

 自転車に乗って配達され、きちんと決まった日には集金に来られました。「原田さんといえば自転車」に直結します。地元から社民党の市議会議員になっていた人の選挙運動にはまさに「本気」で頑張っていました。

 何よりも新年旗開きかいう集まりで、多くの人と語り飲むのが大好きという人で、いつもユーモアと希望を持った笑顔がまさに「前向き」という感じでした。町内会のことや民生委員のようなことも率先して、その役を担っておられました。まさにユーモア・笑顔・話し好き・前向きが原田さんでした。

 親戚の「相続人不存在の申立て」というのをやったことがあるのですが、その時には財産管理人にもなってもらいました。

 僕も今でも「広島市佐伯区」よりも、「広島県佐伯郡五日市町」の方に馴染みがあります。そのシンボル的存在が原田譲次さんでした。2週間くらいの入院だったそうです。1週間前に見舞いをした友人が病院から帰ろうとすると、大きく手を挙げて応えられたそうです。

 あの当時、合併賛成で動いた当時の町会議員らもほとんど亡くなったそうです。広島市のベットタウンになっている広島市佐伯区、五日市町時代を知らない人が多くなった今、僕の中にも五日市町が無くなりそうです。

論争を避ける選挙戦

  「安倍首相、岡田党首、九州で論戦!」という新聞記事の見出しが目にとまりました。えー安倍くんも少しは大人になったのかと思って記事を読んでいると、なんということありません。たまたま同じ日に、二人が九州に入って選挙遊説をしていたというものでした。

 選挙の面白みは、党首クラスの人間の論争だと思います。それも直接やり合うところが魅力です。お互いの主張をぶつけ合い、そのお互いが発する言葉によって盛り上がるものではないでしょうか。

 新聞などには、それぞれの課題ごとに候補者や政党に問うたことが記事になりますが、それでは面白くありません。低投票率を上げるために大金を使って「選挙に行こう」キャンペーンが行われていますが、僕は比較的安く投票率を上げるには、候補者同士の論戦をやることだと思います。特に18歳からに引き下げられたのですから、なおさらではないでしょうか。

 選挙の仕組みとか模擬投票をやったという、まさに「子ども騙し」のニュースなぞを見ていると、これも大切ではないとは言いませんが、面白くありません。

 選挙公示前の6月21日に、東京で9党首による党首討論会が行われましたが、公示後は一度も行われることなく投票日を迎えることになりそうです。

 そして選挙戦の中で、原子力政策は特に避けられてきたと思っています。僕のように原発問題が一番気になる者としてみれば、とても不満です。原子力政策では、再稼働・福島原発事故対策・再処理・エネルギーミックス・放射性廃棄物・新増設・廃炉などなど多くの課題が在ると思っています。それもこの国のこれからの在り様に対する大きな問題だと思います。であるにも関わらず、あえて避けているように思えてなりません。それは政権政党だけでなく、野党にも言えるのではないでしょうか。

 政権政党は先の無い原子力政策を「自慢」することは言えないでしょうが、野党は選挙協力を維持するため、政党内での意見の違い、支持している労働組合に遠慮してか、避けているようにしか思えません。特に民進党には、民主党時代の政権交代をした時の「裏切り」からか、どうしても好きになれません。

 期待をしていない奴が期待できないのは、ある意味当然でしょうけど、ある程度期待していた者の裏切りは、数百倍腹が立つということを肝に銘じて欲しいと思います。

 選挙戦での論戦を避けるというだけでなく、最近特に思うのは立場の異なる者同士の論争が無くなったと思います。先日開催された電力会社の株主総会でも、ただ単なる単語による「止めやー」「長いぞうー」「原発ばっかり言うなあー」という声しか、原発を進めようとする側の人からは聞こえてきませんでした。

 そういう意味では、とても「ケンカの仕方」が下手になってきたと思います。川柳で「すぐ怒鳴る人、そういう人は小さく見える」というようなのがありました。

 相手の立場を尊重しつつ、意見の違いを論じあうこと、これが出来ない現在の風潮が特に最近目につきます。その先頭に立っているシンボル的な存在がアベシン君かもしれません。

 党首による討論会など、メディアが企画すれば実現出来ると思うのですが。

指導者なら読めていたと思うのだが!

 国民投票でイギリスがEU(欧州連合)から離脱することが決まって、今になって選挙の無効や、やり直しを求める運動が起っていることに少々は腹の立つ思いです。

 投票日当日にイギリスが大雨だったとか、離脱に投票した有権者から「選択が間違っていた」という声を聞いて、この腹の立つ思いはますます強くなりました。

 世論を二分し僅差の戦いといわれ、残留派国会議員が殺されるという痛ましい事件まで起こったにも関わらずです。スコットランドが独立したいという声が以前からあって、選挙が終わって「あーだ、こーだ」と言うな!という思いです。

 こんな事態になるのは最初から分かっていたのではないでしょうか。EU側からイギリスへの「離脱手続きを早くやるように…」という要請を、引き延しに掛かっているイギリス側のやり方は、離婚の話し決まったのに手続きをしない優柔不断な男・女のような思いがします。

 前回も前々回の衆議院選挙が終わった後に、「野党がバラバラになって、自民党の得票率は20%くらいなのに、議席で過半数を占めるのはおかしい」という声を野党政党のリーダーのような人が話していましたが、「こういう形で選挙をしたら、そうなるのは分かっていたじゃろうが…」と叫びたくなります。

 東京都知事選挙候補で自民党内が割れ、民進党も自民党が出馬要請をしている男性を担ぎたいと思っているようですが、今、まさに参議院議員選挙の真っ最中、相乗りを軽くは言えない状況でしょう。

 僕は舛添要一くんにあの時期に「辞め、辞めー」と迫って、実際に辞めさせて都知事選挙と参議院選挙が重なる状況になれば、与党も野党も困ることになるのではと予想していました。

 流れの中でそういう方向に行かざるを得なかったのでしょうけど、「困る状況になる」というのは予想されたのではないでしょうか。僕だったら、「武士の情け」でリオへは行かせてやって、現地で恥をかかして、その直後に辞めてもらうというシナリオを描きますが。

 その後の9月頃の都知事選挙なら、民進党も参議院選挙のことはまるで無かったかのように、相乗りが出来たのでしょうけどね。それにしても都知事選挙での自民党内の分裂状況を見るのは、痛快の極みです。「やれーやれー」とケンカを煽りたくなります。

 考えてみれば、この前の都知事選挙では反原発を訴える野党側候補が二人も出て、共倒れをして結局は舛添くんが勝ったのですから。

 参議院選挙では一人区では、野党共闘が成立して頑張っていることに応援しています。やっとこれまでの反省が実になったのでしょうね。

 話しは上関原発のことに移りますが、上関原発の建設計画が浮上して今年で34年になります。あの場所に建設の計画をして、真正面に祝島が在り多くの人が住んでおられているのに、強い反対運動が起るということは予想しなかったのでしょうかね。すでにあの世に行った当時の中国電力幹部の、読みの無さをつくづくと思います。

 「上関町田の浦に原発建設計画!」という記事が出た、その時の中国新聞を持っています。実はその前日に中国新聞が誤った報道をしていました。場所を「アツ地区」と書いたのです。「アツ」だったら祝島から直接視ることはできません。当時だったら、違う展開になっていたかも!?と思うのですが。


地域紙の在るところ

 前号のブログで書いた「嬉しい余韻」が、まだ残っています。前号の文章は現地からの連絡、そして尾道市に発刊元が在る「山陽日日新聞」という地域紙を参考にしました。

 中国新聞とか山口・山陽・山陰中央という新聞は大新聞社で、こういうのは地域紙ではなく地方紙と言うのでしょうけど、山陽日日新聞は「本気」の地域紙だと思います。

 この新聞の表紙を見ていると、明治31年5月10日創刊と書いてありました。僕の住んでいるところにも、「西広島タイムス」とかいうのがありますが、地域の商店や飲食店などの広告が主で、無料で配られている物です。

 しかし山陽日日は、祝日・日曜日の翌日のみが休刊という日刊紙です。購読料も1か月2160円というもので、こういう形で100年以上続いているというのに、驚きました。

 もちろん社会的な問題ばかりを書いている新聞ではないそうです。それは当然でしょう。僕がもう少し若くて、それなりの能力が在ったならば、こういう新聞を作る仕事をしたかったのですが、今さらは無理でしょう。

 地域紙といえば愛媛県の八幡浜市に「南海日日新聞」というのが在りました。元は朝日新聞に勤めておられた斎間満(さいま みつる)さんという方が、発行の責任者として頑張っておられました。斎間さんの死去後も何年間は継続していましたが、今は廃刊になりました。斎間さんはとても大好きで尊敬もしていた方でした。

 そして南海日日は、四国電力に最も嫌われていた新聞でした。四国電力だけでなく、大手新聞社からも一目おかれながらも、煙たがられていました。その理由は、いわゆる「特ダネ」が多かったからです。

 この度尾道市議会で、「伊方原発再稼働中止を求める意見書請願」の採択が行われたのも、この山陽日日の存在も大きかったのではないかと僕は思っています。改めて地域紙の存在というのを感じました。広島で見た中国新聞は、ベタ記事での小さな扱いでしたが、山陽日日は1面の大見出しの記事で写真入りでした。

 地域紙と言えども、この新聞が有料で続いているのは地元の人にとって大きな存在感があるからだと思いました。ましてや地元議員らにとっては、とても「気になる」新聞だと思いました。

 八幡浜と尾道を比べれば、人口数では八幡浜が約3万5千、尾道は約13万と大きく異なりますが、愛媛県と広島県の総人口での比率では、たぶん似たところがあるのだと思います。

 そういえば僕の住んでいる地域で出ている「西広島タイムス」というのに、僕は載ったことがあるのですよ、それも写真付きです。ただし頭の後ろからのものです。
 何だと思いますか、当てられたらプレゼントをしたいと思いますが、それは男性用カツラの使用前・使用後の写真でした。行きつけの理髪店の店主さんに、頼まれてモデルになりました。それでも切り抜きをして保存しています。




尾道市議会の決定に感激!

 それは中国電力の株主総会を終えて、少し遅い昼食をみんなと食べている時に掛かってきた電話でした。電話の主は、尾道の地域で長年に亘って市民運動をしている友人でした。

「○○だけど。まだみんなで食事しているところー?」と。
「そう、食事中だよ」と答えると。
「それは良かった。みんなに知らせて!さっき尾道市議会で四国電力の伊方原発再稼働中止と、九州電力川内原発の運転停止を求める意見書採択を求める請願が採択された」
というものでした。

 食事をしているみんなに知らせると、歓声が起こりました。同様の議会請願は、尾道市議会議員が現在の議員になる前の時、同じようにやったのですが、その時は否決でした。この度は賛成15、反対12で採択になったのです。

 前回否決された教訓から、しつこく議員に対する働きかけをしていました。そしてあの熊本・大分の大地震の教訓も、大きく議員の気持ちを動かしたようです。そして何よりも、原発以外のことでも議員たちとの繋がりを作っていたそうです。

 本会議での採択を前に、この請願は市議会総務委員会に付託され、21日の協議会で請願者の「フクシマから考える一歩の会」の長野寛さんと小西美智子さんが、請願に込めた思いの趣旨説明をしていました。

 長野さんは2011年、福島市から尾道に移住してきて、因島で柑橘栽培をしている方で、最初に「尾道の方には色々と支えて頂いている」と冒頭でお礼を述べました。そして「尾道のきれいな海と山を守りたい」と語ったそうです。もちろん僕もよーく知っている人です。

 委員からは、もし伊方原発から放射能が漏れたら、尾道にはどれくらいで到着するのかと聞かれました。討論の後、委員長を除く委員7人のうち賛成4人、反対2人、棄権1人で可決しました。

 そんな中での28日の本会議採択でした。この運動をしてきた友人は、この夜は嬉しくて眠れなかったと電話で話していました。尾道市には何人かの福島からの避難者が住んでいますが、他の自治体よりもとても優しい行政だと聞くことがあります。

 自治体は往々にして、住民側よりも国の方へ顔が向いているような感じがすることが多いのですが、この度の採択は住民側へ顔が向いた画期的なものだと思います。是非とも多くの自治体も、尾道市から学んで欲しいものです。

 伊方原発の在る隣県の高知県では、34市町村の内、26の市町村が『伊方原発の再稼働を認めないことを求める意見書』を採択しました。なんと約77%が「伊方NO!」の意思を示したのです。広島県でも島根原発2号機について同様の請願を行いたいと思っています。その後押しになったのが、この度の尾道市議会の採択だと思います。


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