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拝啓 二井関成様

拝啓 二井関成様
 益々、ご健勝のこととお慶び申しあげます。
 さて、二井関成様におかれましては、この5月末で山口県立美術館館長を辞職されるとの新聞報道を拝見いたしました。新聞によりますと館長を辞職されることで、県関係の公職はなくなるとも書いておりました。

 まずは、長期に亘って山口県のために仕事をしてこられましたことに対し、心からの「ご苦労さんですした」というメッセージをお送りいたします。

 私にとって忘れられないのは、なんといっても2011年3月11日に発生した、東日本大震災と東京電力福島第一原発の大事故に対する貴殿の対応であります。

 貴殿は福島第一原発事故の発生した、二日後の3月13日に中国電力に対し、上関原発の建設計画地の埋め立て工事に対し、「極めて慎重に対応するように」との申し入れを行われました。翌日の日本経済新聞は「山口県知事、上関原発の工事中断を要請」という見出しで報じております。

 それから2週間が経過した3月24日、貴殿は記者会見において「原子炉許可がない段階で埋め立て免許が出ている。法的には問題ないが、これだけの事故が起き、それでいいのか。埋め立てが完了しても許可が出ないとどうなるんだ」と述べられ、そして原発の安全確保について厳密に検証するべきだと強調されました。「検証ができる前に、埋め立て工事を進めてはいけない」と断言されています。

 この発言を聞いた時、私はこれで埋め立て免許は失効となる。免許の延長などは在りえないと確信をしたものでした。そう確信したものですが、その後知事が貴殿から山本繁太郎さんに交代しました。中国電力からは埋め立て免許の延長申請が行われ、ご存知の通り現在に至るも山口県は失効させることなく、たな晒しの状態が続いております。

 今、私にとってとても残念なのは福島第一原発事故が発生した時に、貴殿が勇断を持って「上関原発の建設計画は白紙撤回するように」と、中国電力に対し申し入れられておられたならば、中国電力も内心では「ホッとした」という気持ちで、上関原発から足を洗うことが出来たと思うのですが、如何でしょうか。返すがえすも残念でなりません。

 その後、2012年夏に貴殿は知事を辞められ、山本繁太郎さんに交代しましたが、山本知事は貴殿の「埋め立てはあり得ない」という考えを踏みにじりました。山本繁太郎さんは病気のために急逝されましたが、その後知事になった村岡嗣政さんも、山本繁太郎さんと同様に埋め立て免許はたな晒し状態としております。

 この状態の中で、一番苦労しているのは「生活を賭けて」上関原発の建設に反対をしている人たちです。貴殿が福島第一原発事故前に埋め立て免許を交付された時、「上関原発建設に反対している、祝島の人のことを思うと胸が痛む」という意味のコメントを出されましたが、重ねて今日の状況をどう思われているでしょうか。

 山本繁太郎さん亡くなられる前に知事を辞職され、新たな知事候補者を選ぶ時に、貴殿が再び立候補したいという気持ちを持っておられたということを、どこからとなく聞かされました。

 貴殿とは、出来ることならお時間を取っていただき、ゆっくりとお話しが伺いたいと思っております。新聞によりますと、貴殿は退職にあたり「県との関わりがなくなり、さみしさもある。これからの人生をどう生きるか考えたい」と話されたとのことですが、是非とも上関原発建設計画白紙撤回のために、お力を頂きたいと思う次第です。ご連絡をお待ちいたしております。

 ご自愛ください。
敬具

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イラチの省ちゃん

 「イラチ」というと、「気が短い」とか「すぐ怒る」というような意味で捉えられるかも知れませんが、僕の場合は良い意味では「几帳面」、悪くいえば「セッカチ」というイラチです。

 例えばゴミの収集日、曜日ごとのゴミの種類も、休日でも収集がある日、無い日も覚えています。それと覚えているといえば、郵便ポストの収集時刻もです。

 友人らと外食をする時は当然ですが、一人で外出した時もこのルートを歩いて、どこどこのうどん屋で天ぷらうどんを食べるという感じで、計画を立てて行動します。逆に他人に任せた時には、絶対に不満を言わないということを心に刻み込んでいます。逆に、その人から「どの店にしようか?」と、問われるとこれは困るのです。

 朝も6時24分に携帯がアラーム、手持ちのラジオで6時25分からの「中国地方のニュース」を聴きます。そしてラジオ体操、それから「NHKマイ朝ラジオ」をローカル放送の前までを聴いて、フトンから起きだして小学校に入学した孫を送ります。それから朝食、食事を終えるとゴミ出しと庭の草むしり、そして今では小さな庭とプランターに植えている野菜に水を加え、「早く食べられるようになれ」と、睨みつけるように覗きこんでいます。9時に携帯電話が再びアラーム、「はい作業終了」となるのです。切りが悪く5分くらいオーバーすると、「あー5分残業したー」と一人言。

 収集日でない物を出しているのを見ると、とても心が痛みます。「頭にくる」というのは無い方ですが、粗大ゴミのように収集してもらうには手続きをする必要があるとか、こちらから持参しないといつまで経っても、置かれたままになる物の場合は、「どうしたものか」と悩みます。そして出した人に怒りも湧いてきます。

 マンションに住んでいる長女のところは、何をいつ出そうが管理人さんがきちんと区分けしてくれるから関係無いんだーと、話していました。しかし他人任せはいけないと思いますが、口には出しません。わが家にいた頃は、ゴミの収集日なんかまったく知らなかった3女は、結婚してゴミ収集日を知ることになりました。この前、「収集日で無い日に出している人がいる。腹がたつよ」と話しているのを聞いた時には、『こいつも大人になったわ』と一人で笑ったものです。

 前置きが長くなり過ぎましたが、ゴミといえば「核のゴミ」です。原発の廃炉が始まる中で、放射能を含んだゴミが普通のゴミと同じように扱われるようにされたら、たいへんなことです。しかし放射能を含んだゴミの処理が困難な中、「少ない放射能」なら一般ゴミと同じように処理しようとする、「あしきり政策」が行われようとしています。

 放射能の受けている鉄が、再利用されて料理に使うフライパンにでも化けてしまうことも予想されます。

 わが家が出すゴミ収集場所に、2週間くらい前から黄色のソファーの物が置かれたままになっています。このままだと永久的に放置されたままになりそうです。誰か出した方、それなりの処理をしてください。放射能のゴミは、処理が出来ないのです。こういう物が出る発電だとは最初から分かっていたのですから、原発はやってはいけなかったのです。

修学旅行生の案内

 平和公園は、外国人が多いですね。そして、これからは修学旅行生の多い季節です。特に中学生が多いように思います。昨日はチェルノブイリディの座り込みが原爆慰霊碑前で行われたのですが、その時もたくさん見かけました。

 この季節、修学旅行生に原爆のつめ跡というか慰霊碑案内をさせられることが多いのです。僕はまだ少ない方ですが、今日の午後が今シーズンの最初です。岡山県の中学生で、三十数人を4人で案内するので一人の受け持ちは8人程度です。来月は今のところ2回ほど予定が入っています。

 これまでも何度かやっているのですが、中学生の案内というのは、それなりに気を使うものです。そもそも自分から好きこのんで広島市に来た訳ではないでしょうし、原爆のことを勉強したいという生徒は稀だと思いますし、何よりも楽しいことではありませんから。そして案内時間は多くて2時間くらい今日は1時間で、これは案内役にとってはとても難しいものです。

 この時間に中学生と最低限でも感じの良い人間関係を築き、大人になった時に「あー中学校の修学旅行で広島へ行った時、変なおじさんが話したなあー」ということを懐かしく思いだして欲しいと思うと、大人に話すより緊張するかも知れませんね。

 ボランティアで平和公園のガイドをしている知人に電話をして、改めて平和公園ガイドの1~2時間ではどういうコースを選ぶかなどを、現地で事前学習させてもらいました。

 今はレストハウスになっている、原爆当時は「燃料会館」だった建物は平和公園内では珍しい被爆建物です。頑丈なコンクリート建物だったために半壊にとどまったそうです。この「燃料会館」の地下室には許可を得れば入れるということで、許可を得ておきました。

 話し・見学・そして出来れば折り紙で鶴でも作ってみて、71年前をほんの少しでも想像して欲しいものです。もちろん両親のことや原爆後の暮らしなど、親の「生きざま、死にざま」についても話すつもりです。しかし、嫌味たらしくなく、誇張することなく、淡々と、分かりやすく、何よりも「みんなと会えたことが嬉しい」という気持ちでやってみます。そして、短い時間ですが広島で得た経験、感じたことを今の世界に、日本のこれからに、生徒同士の人間関係の中でどう生かしていくかということを、感じて欲しいのですがね。

 大人を案内する時、「中学生の時に平和公園に来て、それ以来はこの度が初めてなのですよ」という方も多いのです。何十年前?のことをリアルに覚えていると、それが気持ち良いプレッシャーにもしたいのですが。外は雨ですね。

 チェルノブイリから30年

 少しご無沙汰でした。それなりに広島を離れる用事が続いていて、ブログを書きたいという要求を果たすことが出来ませんでした。

 チェルノブイリ原発事故から、明日で30年ですね。僕がチェルノブイリを訪ねたのは、事故から10年後の1996年3月のことでした。日本のチェルノブイリ救援運動をしているグループの方が、ベラルーシの首都ミンスクと、ウクライナの首都キエフで、原爆写真展を開催するので同行しました。この年にはもう一度チェルノブイリを訪ねていますが、3月の時はとても寒かったのを痛烈に覚えています。

 写真展の会場に来た人の、質問に答えるというのが役割だったのです。多くの人から質問を受けました。
「広島・長崎の原爆被爆者に、日本の国はどのような支援策を行っているのか」
「被爆者の人の健康状況は」
「被爆二世、三世の影響は?」
「社会的な差別は?」
などが主なものでした。

 チェルノブイリで事故が起こった時、日本の国の指導者は「ソ連のような国だから…」ということを、なんの根拠も示さずに言ってたものでした。ソ連だから事故が起って、日本では起らないという意味でしょうけど、あの時こんなことを言った人は、今どう思っているのでしょうかね。責任を取ってもらいたいものです。

 福島原発事故が起って日本でもいくつかの法律が作られましたが、肝心な法律は未完成という感じがしています。賠償を円滑に進めるため国の資金を投入する「原子力賠償支援機構法」(2011年8月10日)、「汚染状況重点調査地域」を定める「放射性物質汚染対処特措法」(2011年8月30日)、福島県の復興・再生を重点課題として位置づける「福島特措法」(2012年3月31日)などが主なものです。もちろんこれらの法律が不要とかダメとか言ってるのではありません。

 しかし、一番大切な法律が抜けていると思うのです。それは被災者の今、これから、次の世代への長期的な保護義務を定めた法律が見当たらないのです。日本政府は20㍉シーベルトで戻れるという考えで、被災者への支援打ち切り、帰還政策を強引に行おうとしています。作業員の緊急時の被ばく限度を、この4月から250㍉シーベルトにするということも決め施行されました。

 一方、「ソ連のような国…」と言ってたところ、ウクライナやベラルーシでは通称「チェルノブイリ法」といわれる法律が制定されています。1991年2月にウクライナで制定された「チェルノブイリ法」では、原発から30kmゾーンにいた人には強制的に避難をさせ、5㍉シーベルトを超える追加被ばくがあるところに住んでいる人には移住が義務づけられ、1㍉シーベルトは避難の権利を持つ人とし、0.5㍉シーベルトを超える地域を汚染地域と定めています。

 支援策にも医薬品費用の免除、住宅保証、保養費用の減免、遺族に対する補償、避難元の不動産や財産の補償、避難先での雇用保障などの支援策がされることになっています。

 何よりもチェルノブイリ法では、被害を補償する責任は「国家」にあることを明確に示しています。第13条の規定を読むと身震いするほどの感激です。この規定を書いておきます。
 「国家は市民が受けた被害を補償する責任を引き受け、以下に規定する被害を補償しなければならない。……チェルノブイリ大災害によって被害を受けた市民およびチェルノブイリ原発事故の事故処理作業者に対する、時宜を得た健康診断、治療、被曝量確定を行う責任をまた国家にある」

 「法律はあっても、お金が無いからきちんと実行できていないのだ」ということを日本の中で言う人もいますが、これは筋違いの嫌がらせのようなものではないでしょうか。やる気の無いことの言い訳にされるべきではありません。


 熊本の大地震

 熊本県を襲った大地震、友人が何人かいるので電話をしました。合志市に住んでいる友人、彼の義父は被害が大きかった益城町に住んでいて、家が完全に押しつぶされていました。

 マスコミは九州電力の川内原発、玄海原発は問題無しと、まるで大本営発表のような報道を行っていますが、僕のもっと大きな心配は、四国電力の伊方原発のことでした。それは、この度の震源地とされている布田川(ふたがわ)断層と日奈久(ひなぐ)断層、その分岐しているYの字部分から、東側に向かっているのが日本で最も大きな活断層線とされている中央構造線だからです。

 中央構造線は、伊方原発から北方向に6kmのところを東西に通っています。布田川断層と日奈久断層が震源になり、地震の発生がその後東方向に移動していることが、とても気になるのです。

 この地震で新幹線は脱線し、高速道路も一般道路も通行不能となっている中で、改めて原発事故が発生した時に本気で住民の避難が可能だと思っているのでしょうかね。原発事故は地震だけで起きるものではありませんが、福島原発事故は地震でしたから、地震との複合性を考えると避難など出来っこないと思いました。

 味も臭いも無いとされている単独の放射能事故の方が、考えようによってはもっと怖いとも思いました。熊本でも「水が無い、水が無い」と言われてますが、水は「在るのに飲めない」という放射能事故だと大混乱になると思います。

 それにしても川内原発について、九州電力は何が何でも止めないという感じですね。苦労して!?つかんだ再稼働ですから、死んでも離さないという思いでしょう。再稼働を前にした時は、「何かの時には、すぐに止めて対策する」と言ってたのを思いだします。

 川内原発は距離があるのですから、あの大地震ですぐに福島原発事故と同意用の事故が起きるとは思いません。しかし異常があってからでは遅いのですし、何よりも市民が「川内原発のことが心配」という気持ちを持っていることが、「何かの時の何か」なのですから。

 私たちがよく使うガルという加速度の単位がありますが、この大地震は1362ガルだったと防災科学研究所は発表しました。最大は1580ガルという報告もあります。阪神大震災の891ガルを大きく上回っています。四国電力は、伊方原発の基準地震動(ここまでの地震には耐えられるように設備しているという数値)を、自慢げに650ガルに引き上げたといいました。中国電力は島根原発2号機の再稼働に向けて、600ガルから800ガルに引きあげたと、「これ以上の安全策はない」といった調子で話していました。

 川内原発の基準地震動は620ガルです
 夏までにも伊方原発3号機は再稼働するのでは、という感じで動いていますが、ここで原子力規制委員会が「伊方原発の審査合格取り消し。川内原発は運転中止に」ということを指示したら、それこそが独立した信頼のある国民に目線を向けている組織だと思うのですが。



個人商店の良さ

 自宅のポストを閉じるフタの部分の金具が壊れたので、その部分を取り外して近所の大型ホームセンターに行きました。親切な店員さんが探してくれましたが、結局はそのホームセンターには在りませんでした。小さな部品ですが、これが無ければポストの扉が閉まらないので困ります。

 ポストそのものを取り替えるのは難しいし、困ったなと思いながら考えていました。

 そこで、僕が小学生くらいの頃からあった、近くの金物屋さんが思いつきました。その頃は○○○金物店という小さな店で、決して愛想が良いとはいえない女性店主さんがおられたのを思い出しました。その店は今では今流の「デポ○○○」と名前が変わっていました。応対してくれたのは、僕より10歳以上は年上と思われる男性の店主さんでした。しかし顔を見て、息子さんだなあーと直感しました。「子どもの頃に、よくここで買ったものですよ。お母さんは亡くなられたでしょうね」と、昔を振り返っての世間話しをしました。すでに10年以上前に、100歳で亡くなられたとのことでした。

 「この部品の役目を果たす物が欲しいのですが」と話すと、その店主さんは「同じ物があるかどうかは分からないけど、問い合わせてみるからこれを預からしてちょうだい」と話しながら、「あったとしても百円そこそこ、これ一つでも送り賃が600円くらいするから、要らんのんじゃあないの。もったいないよ」と、買わないことの「説得」をされました。でも僕は必要な物なのでお願いしたのです。

 大型ホームセンターで無かった物なので、半分以上は諦めながらも、もしかしたらという思いで吉報電話を待っていました。そしたら数日後、電話がかかり「まったく同じ物ではないけど、在ったようだけど、本当に注文してもいいの。送料を入れたら700円を超えるけど」と再び「説得」されましたが、注文のお願いをしました。

 そしてその物を購入しました。部品が金属製からプラスチック性になっていましたが、バッチリと同じ役目を果たしました。

 また、近所に小さな八百屋さんがあります。店のおばさんは、もう60年くらい前から知っています。夫を早く亡くされましたが、僕と同じ年の子どもさんを育てられた苦労人です。僕は甘夏とか夏みかんといった柑橘類を毎日といっていいくらい、一つは食べるほどの大好物です。だからその店の前を通った時に、美味しそうな甘夏などが在ったら、買ってきます。だいたい3個で100円という値段です。

 店に入って「おばさん」と声をかけても、だいたいおばさんはコタツに入って眠っています。2~3回声をかけて、やっとおばさんは気が付くので「おばさんゴメンなさい。起こしてから。悪かったねえー」と謝るのですが、おばさんは「起こして起こして、たまにゃあ起きにゃあいけんじゃろうから。お客さんがほとんどこんし。でも物が無くなることはないよ。ええ(良い)お客さんばっかりじゃけえー」と言って笑っています。

 お金を持っていない時、それでも美味しそうな甘夏を見つけた時は、「お金はいつでもええよ。持って帰りんさい」で、商売が成立するのです。

 金物屋さんも八百屋さんにしても、いつまでも在って欲しい、在っておられる店でいて欲しいものです。


広島に来ただけで核兵器は無くならない

 広島市中心部の平和公園辺りは、1か月以上前から警察による警備が強められていました。10日~11日にかけて、「G7・欧州連合(EU)外相会談」が開催されるからです。報道によると、全国から約4300人の警察官が動員されているそうです。

 G7外相らが広島にやってきたのだから、5月の伊勢志摩サミットではオバマ大統領にも来て欲しいというラブコールも行われています。外相やオバマ大統領が広島市を訪れることに、反対する気持ちはありませんし、むしろ歓迎です。

 この外相会談に合わせて、10日午後広島市内で「核兵器禁止条約に向けて 市民シンポジウム」というのが、核兵器廃絶日本NGO連絡会と核兵器廃絶をめざすヒロシマの会の共催で開催されました。会場には約100人の人たちが集まったでしょうか、取材のマスコミ関係者も目立ちました。

 核兵器廃絶を訴えても正直、実現は難しいという気持ちを多くの人が持っていると思います。まさに「言うは易く行うは難し」という感じですが、僕は世界のリーダーたちが「本気」になって、目標時期をきちんと決めて行動を始めれば、難しい問題ではないと思っています。

 核兵器のことを非人道兵器だといいます。しかし考えてみれば非人道兵器というのは、ほとんど国際条約などによって禁止されていると思うのです。生物兵器は生物兵器禁止条約で、化学兵器は化学兵器禁止条約によって、対人地雷やクラスター爆弾というものも、条約などによって禁止されていると思うのです。

 もちろん条約に加わっていない国や、内緒で秘密に作っている国などは在るでしょうけど。こんなに非人道兵器の多くが禁止されているにも関わらず、その最たるものといえる、核兵器が禁止できないのは不思議でもあります。

 しかもよりによって「唯一の戦争被爆国」と自らも言ってる日本が、「核の傘」の下で平和が守られていると、なんの恥じらいもなく主張しているのは「おかしい」の域を超えているものだと思います。

 4月1日、政府は閣議で「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定したというニュースがありました。つき足しで「非核3原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」とはしていますが。政策上の方針と憲法では当然に憲法が上です。

 僕は常々、平和を脅かしているものは極めて具体的でリアルな存在と思っております。平和都市広島といえども周りには米軍岩国基地が在り、海田市には自衛隊が、呉には潜水艦基地が在ります。そして広島市に本店が在る中国電力は原発からのプルトニウムを持っています。

 お題目だけの核兵器廃絶の嫌らしさを、多くの市民は知っています。「禁止が先か?廃絶が先か?」という言語明瞭なれど意味不明な言葉が飛び交っていますが、「禁止あっての廃絶」というのは当然の話しです。そして他の非人道兵器は使うことが出来なくなっているのですから、核兵器を無くすことが出来ないはずはありません。

 日本被団協の藤森俊希さんが語られた「(原爆は)人として生きること、死ぬこともできなかった」と語られました。そして広島県原水禁の金子哲夫さんは、1955年の第1回原水爆禁止世界大会の宣言を引用して、「原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができる」話されました。

 シンポジウムは6人のパネリストとコーディネーターで運営されましたが、その発言はすべて心に強く残り、やる気を起こさせる内容だったと思います。


 孫が小学校に入学

 4月8日、孫の小学校入学式がありました。だいたいにこういう集まりには出席できないことが多いのですが、この度は行きました。前日は強い雨が降っていましたが、この日は晴天で校門前の桜もまだ残っていました。

 新1年生の数は160人くらいでクラス数は5組まで、1クラス35人程度です。体育館の檀上正面には「日の丸」が掲示されていました。式次第には「国歌斉唱」というのが3番目に入っていました。

 保護者席は式が始まる15分位前には、ほぼ一杯で直前に来賓の人たちが入ってきました。この校区を地盤にしている自民党系で「日の丸、君が代」大好き市議会議員は、歩く足を止めて日の丸に向かって最敬礼。この最敬礼の入場間隔がちょっとずっこけた感じで、後が少し詰まりました。この市議会議員の最敬礼に習ってか、後から入場してきた人も2~3人は、日の丸に向かってピョコンと頭を下げていましたが、その後ろは目をくれることなく早足で来賓席に。

 僕は「日の丸・君が代」に対して、特に強い反対の気持ちとかはありません。しかし教員が起立しなかったとか、「口パク」でも指導・処分をしたという事件があるので、この時に児童や保護者を含めどんな顔をするだろうか、とても興味を持って見ていました。まさか「反対ー」と叫び声を挙げるような人はいないだろうとは思いましたが。

 長女が卒業した高校では、「君が代斉唱」と司会者が発言したと同時に教員のほとんどが着席したのを思い出します。余談ですが、この時の司会者が僕の中学校同級生だったのには、笑ったものです。

 式次第の中で、まずは「一同起立礼」で始まり次に「開式の辞」と続き、そのまま起立した状態で「君が代斉唱」とくるのは、なかなかのテクニックです。着席している人を「一同起立、君が代斉唱」とやれば、聞こえていない人などが起立しないというのは在りえるでしょうが、ずっと最初から立っている人に「君が代斉唱」をさせるのは、いくら「口パク」であろうが形にはなるのでしょうね。

 式では何の問題も起きませんでした。感心したのは、在校生として数日前に6年生になった児童たちの、君が代の上手なことです。

 入学式の翌日に、数人の友人と花見をしたのですが、中学校の教員をしていた人が「学校では、君が代をきちんと唄えるように指導をしているんだ」と話していました。もう一人の友人は「俺だったら、インターナショナルを唄おうかなあー」と話していました。インターナショナルなんか唄っても、若い教員や保護者には「この歌なんじゃろか」というようになるかも分かりませんね。その辺の事情を知っていないと思われる人たちとも、話しをしてみたいですね。

 たくさん興味深々なことがあったのですが、スペースの関係でもう一つ二つとさせて頂きます。それは児童が付ける名札のことです。名札をくるっと回すと、名前が見えなくなる名札なのです。学校内では名前が見えるようにして、通学中には見えないようにするそうです。

 そして校長もPTA会長も、あいさつの中で「不審者に注意すること」を何度も語りました。分からないではありませんが、見た目だけで「不審者」というレッテルを貼ることは、やはり不愉快です。

 「テロリスト」とか「不審者」という言葉、簡単にこういうレッテル貼りはどうかと思います。抜けがけを許さない社会状況、みんな同じでなくてはならない、そんな世の中は嫌です。
 広島で「山下清展」が開催されるという案内を新聞で見ましたが、彼なんぞ今の時代だったら「不審者」とされたのでしょうね。僕の周りには「不信者」はいますがね。

株価・為替・原油

 興味の対象ですが、株価と為替と原油の価格を毎日チェックしています。昨日の日経平均を円の単位まで言うのは不可能ですが、今年に入ってからのこれらの値段傾向は言うことはできます。

 なんといっても今年の株価、正月明けに連日下がり続けどこまでいくのやらと興味深々でした。何日かして落ち着き少し上向きましたが、また下がり傾向です。為替の方は株価が下がると円高になるという一般的な傾向がありますから円高気味ですね。僕としては、円高の方がガソリン代金などの輸入品の値段が下がるので、歓迎ですね。原油は下がり続けていましたが、最近少し上がり落ち着いているという感じですね。

 忘れもしない出来ないのが、3・11の日の東京電力株価です。この日の終り値はきちんと「覚えていない」ことにしていますが、2300円くらいだったと思います。14時46分の地震では、その日の内に株価への反応は在りませんでした。あの日が金曜日で且つ市場が閉まる直前ということは、株価的にはとても微妙だったと思います。原発事故がすぐに明らかにされなかったということからすれば、「原発は危ない」という情報から、どれくらいの時間で株価に反映されたであろうかが、予測されません。

 しかし週明けから株価は下がり始めました。まるでジェットコースターのようにという感じです。僕はその時、100株ほど持っていました。東京電力を成長企業だと見ていた訳ではありません。株主総会で株主の立場から、総会に原発に反対する議案などを提出するという行動が行われていますが、それに協力するという「純真」な気持ちからです。とはいっても潰れる心配の無い会社で、1株当たり年間60円の配当がありました。100株だったら税込ですが、6000円です。金利が無い時代ですから、この配当は魅力でした。

 それがどうでしょうか今の株価は500円台、配当はありません。当然といえば当然ですが、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」という金づるが筆頭株主で、私たちから税金や電気代金、国債でお金を巻き上げ、見かけ上は黒字にして、ツケだけは子々孫々に回すこと、とても納得ができません。

 配当が復活することも、株価が事故前に戻るということも、たぶん僕が生きている内にはないでしょう。「純真」な気持ちからは、あってはならないことです。今、持っている東京電力株は、僕が経営陣に対して起こしている「株主代表訴訟」の原告として、恨みを晴らすことだけです。

 アメリカから本を注文することがあるのですが、1ドル80円台の頃は本当に儲かっているという気持ちでした。以前は船便というのがあり、時間は掛かるけど安いという魅力からとても良かったのですが、船便は廃止されました。 
 今は「FedEx」とかいうのを使わざるを得ないのですが、早く届くけど送料が船便時代より3倍近く高くなり、円安と送料高でとても高い支払いになりました。

 昨日、証券会社に行き6月末に開催される株主総会の準備のために「個別株主通知」という手続きをしました。株主総会を考える時期になれば、1年が過ぎることの早さを実感します。

 核セキュリティサミットから外相会合

 3日間、大阪に行っておりました。公けの用事は3日に開催された、「チェルノブイリ30年・フクシマ5年国際シンポジウム」に発言者として参加することだったのですが、前後を実姉のところに泊まっていました。

 たった3日間なのですが、帰宅すると原稿の直し、ある物を持ってきて欲しい、メールでの返事、溜まった新聞の切り抜きなどなどで、とても忙しくしていました。ということで4月に入って最初のブログになってしまいました。

 3月31日から4月1日の二日間、ワシントンで開催された「核セキュリティサミット」、マスコミ報道は「核テロ防止のために、日米が協力していくことになった」とか、「北朝鮮の脅威に対し、日米韓が協力して対応することを決めた」を大きく報道していました。

 しかし日本が溜め込んでいるとされている、約48トンともの大量のプルトニウムについては脅威ではないのでしょうか。このプルトニウムから、約6000発の核爆弾を製造することが可能なのです。発表された日米の共同声明では、プルトニウムを防護するための秘密情報を共有する方向での交渉を開始するということは盛り込まれましたが、持っていることこそが脅威だと思うのです。

 広島市では10日~11日の「G7外相会合」で、連日警護訓練などが行われています。平和公園の入り口では、10日以上前から24時間体制で警察車両が止まっています。テレビのニュースでも会場になるホテルでは、要人警護のものものしい訓練の様子を報じていました。

 しかし肝心の会合で、具体的に何を決めるのか、決めなければならないのかについては、ぼんやりとしている感じです。核兵器禁止条約についてはどうするのか、NPT体制をどうするのか、日本のプルトニウム保有をどうするのかについて、広島1区選出の岸田文雄外相は何を提案するのか、「原爆の実相を知って欲しい」だけでは、いくらなんでも能がないでしょう。

 今朝、用事で平和公園に行っておりました。何台もの警察車両とともに、要人や関係者が乗るであろうと思われる品川ナンバーの黒塗り車を何台も見かけました。被爆者で、英語でも証言活動をしている知人に会いました。彼女は「今日も外国の人に会ったり、東京のマスコミから外相会合について取材を受けるのだけど、日本の状態を知っているからこそ悲しい、落ち込む、プレッシャーよ」と話していました。

 去る3月22日、プルトニウムを積んだ輸送船が東海村を出港し、アメリカサウスカロライナ州のサバンナリバーに運ばれています。サウスカロライナ州知事は強い拒否の姿勢を示しています。一昨年サウスカロライナ州に行き、そこで会った、現地の平和活動をしている人たちの姿が目に浮かびました。

 そして高速増殖炉「もんじゅ」を、新法人で存続する方針を文部科学省が示したとのことです。率直な気持ち、このままなら外相会合は広島市で開催せずに、福井県の原発銀座辺りで開催されたら如何でしょうか。世界の平和運動を担っている人たちから発せられるヒロシマへの「期待」、それに応えられないことが、大きなプレッシャーになっています。「前向き語り」でなくて御免なさい。

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