Entries

言葉探しの1年総括

 孫たちにサンタがやって来て、やっと年末という気分になりましたね。僕の日課であり楽しみであるものは、新聞と本を読むことです。新聞はだいたい夜の10時半くらいから始めて、約1時間はかかります。切り抜きをして残す記事と、ただ読むだけで新聞紙の束になるものを区分けして、翌日に切り抜きをします。

 年末ですから、新聞や本の中から心に残った言葉や記事を順不同で書いてみたいと思います。ここに載せたもの以外にもまだありますが、スペースの関係でほんの一部です。

(8月20日 朝日新聞 教養なんていらないの?)
 さくらの息子の満男(吉岡秀隆)から「何のために大学に行くの」と問われた寅は「(人生の一大事に直面した時に)勉強したヤツは、自分の頭できちんと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいかなと考えることができるんだ」とも言っている。

(5月22日 朝日新聞 テレビ、正直だから面白い 黒柳徹子さん、番組と人生語る)
 故、小沢昭一さんに「私は100歳まで生きる」と話したところ、「考えてごらん。そしたら周りには誰も友達がいないんだよ」と言われたことを思い出します。その時は、大泣きしました。


(9月30日 中国新聞 福島菊次郎さんを悼む 那須圭子)
 福島さんが投げ掛けたのは、「孤立をすることを恐れないで。集団の中にいては、大切なものが見えなくなる」という言葉だった。

(1997年3月8日発行 「もやい ある大学教授とその教え子たち」より 中尾英俊著)
 あのとき飛行機がもう少しおくれていたらどうなったであろう。会見の約束を破った男として信用を失ったのではないか。と、この日のことは今でも忘れることができない。

(8月13日 中国新聞 戦後70年 破滅の道 再び進むのか 野坂昭如)
 言っておく。国は国民の生命、財産について保障などしない。国が守るのは、国家、国体である。かつて愚純なリーダーの下、大日本帝国は崩壊していった。戦後70年、今再び日本は破滅に向かって突き進んでいる。安保法制は、戦争に近づく。

(12月21日 毎日新聞 思いもよらぬところへ 阿川佐和子)
 今の若い人たちは、自分の好き嫌いや、得て不得手を急いで決めすぎだよ。

(10月31日 毎日新聞 広島から長崎から 世界核被害者フォーラム関連 木原省治)
 来年は、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年を迎えます。広島は70年前、米軍による原爆投下を受け、核被害者のフロントランナーともいえる場所。世界の人が広島に対して期待を寄せており、広島には期待に応える使命があります。「さすが広島」と言われるような、世界の「ヒバクシャ」を勇気づけることができる提言を広島から発信することが必要です。

(10月21日発行 「リクと白の王国」より 田口ランディ著)
 「森っていうのは、とっても大事なものだってことを、人間が忘れてしまったからな。昔の人間は知っていたんだよ。昔の人間は知識はなかったが智恵はあった。生きるための智恵だ。だからほんとうに大切なものは何かって知っていた。だが、だんだん、智恵を忘れて知識ばっかり頭に詰め込むようになった。そして、知識しか知らない奴がのさばるようになった。だから、世の中がめちゃくちゃになっちまったんだ。原発だってそうだ、知識だけでつくったものは、かならず暴走するんだよ」

(2015年11月号 反原発新聞 四国電力の皆さんに 伊方集会での近藤誠さんの訴え)
 私たちはなんとしても再稼働を阻止して、そして原発のない社会づくりを私たちは進めていく。電力会社の皆さんとともに進めていく。それしか、今後私たちは、自分たちの子どもを守り、自分たちの子孫を守っていく方法はないと確信しています。四国電力の皆さんも含めて、私たちは原発をなくす社会づくりをしたいと思います。


スポンサーサイト

祝島へ行ってきました

 12月22日、ひとりで祝島へ行ってきました。あえて大きな目的があった訳ではありませんが。週間天気予報でこの日は晴天で、気温も高く、また海も穏やかだということで、この日を選びました。

 お歳暮というかクリスマスプレゼントを何人かに送るのですが、広島の百貨店などに売っている物を送るより、祝島のヒジキや枇杷茶などの方が良いだろうと、送り先の住所などを書いたものを持って行きました。島の郵便局から発送しました。

 定期船で島に降りると、何人かの方が「よく来っちゃったねえー」という感じで声を掛けてくれました。島の人たちに挨拶をすることも、島の状況を聴くことも、そして広島に住む僕に何の協力ができるかということを考えるのも大切なことです。島の人たちは、とても暖かく言葉を掛けてくれます。

 中国電力は今でも「工作員」を祝島へ行かせて、共有地主の切り崩しとか漁業補償金を受け取るようになどの工作をしているようです。今年の株主総会で中国電力社員が中国電力と名乗らずに、3年前から祝島で工作をしていたことが明らかになりました。その工作員が中国電力とは知らずに宿泊させていた旅館の経営者さんが、「分からなかった、見抜けなかった。島のみんなに迷惑をかけた」と自分の責任を感じて、落ち込んでおられたということも聞いていたので、その方ともお会いしました。この経営者さんは少しも悪くないのに。

 3・11以降、上関原発問題は現地の埋め立て工事が中断となり、表向きは「静かな」な状態になっていますが、いろいろな事件が中国電力の悪どいやり方で起きています。どんなことが起こっているかについて今は書けられませんが、こういうのを挑発というのでしょうね。

 実行者は「はね上がり者」というか、目立ちたがりというか、どこの世界にも居るものです。今でも上関原発工事事務所には約50人の社員を配置しています。もちろん建設計画は白紙撤回にして、事務所の閉鎖を行うべきですが、せめて今の状況なら、4~5人の人間を残して後の人たちは他部門に回すべきではないでしょうか。

 来年春からの電力小売りの完全自由化が始まるのですから、「適材適所」に人を置くことが必要ではないでしょうかね。

 とても心配なことを聞きました。島に在る診療所の医者が、この28日で辞めて島を出ていくそうです。高齢者の多い島ですし、診療所の医者が居なくなることは大問題です。町も新しい医者を探しているそうですが、離島での医療に情熱をかけて仕事をしてみようという方はおられませんか。ぜひとも紹介していただきたいと思います。もちろん住居も収入も保障されますし、島は気候も温暖ですし、何よりも人情のあるところです。ただ原則、24時間365日体制をお願いしたいそうです。都会で医者をやるよりは、考えようによっては生きがいを感じられる働き場所だとも思うのですが。

 17時05分祝島発の定期船で帰広しました。冬至のこの日、祝島の空は薄暗くなりかけていました。


近藤誠さん追悼集会

 四国電力の伊方原発反対運動に全力を尽くされてきた、「伊方原発反対八西連絡協議会」のメンバーだった、近藤誠さんが10月15日に亡くなられたのはお知らせしましたが、12月20日に八幡浜市で追悼集会が行われました。

 この日は追悼集会に先立って、伊方原発前ではゲート前抗議行動も行われました。終了後に、八幡浜市内のホテルを会場に追悼集会となりました。全国から160人が参加しました。

 僕が伊方原発のことを知ったのは、1978年4月のことです。1973年から始まった、伊方原発1号炉の設置許可取消を求める裁判の判決が松山地方裁判所で行われた日でした。前日に被爆者で原水爆禁止運動のリーダー的存在だった森滝市郎さんと、当時中国電力の中で活動していた労働組合の役員をしていた方と3人で、広島から行ったと思います。中国電力の労働組合と言っても、この労働組合は原発反対を活動方針にしている「まともな」労働組合の方でした。

 この時の経験が、僕は伊方原発を知ったと当時に、原発そのものを知った日でした。春の暖かい日差しの晴天だった思い出があります。

 追悼集会では参加者の半数くらいの人とは、「伊方原発反対同窓会」という感じでした。みんなそれなりに年齢は重ねていましたが、伊方原発に反対する思いは同じでした。そして新しい顔ぶれの半分の人たちは、主に3・11以降に原発反対の気持ちを持ちだした人でした。近藤さんとじっくり話しをしたことも無いという人も多くいました。でも頼もしい限りでした。

 近藤さんはガンを患っていましたが、この人の伊方原発を止めたい、伊方原発に反対する気持ちを一人でも多くの人に知ってもらいたいという考えは、特別なものがありました。

 僕が電話で「○○の日に伊方原発に人を案内して欲しいのだけど、予定は空いていますか」とお願いすると、近藤さんは「〇〇の翌日に、入院という予定だが前日はOKだよ」と心よく了解の返事をくれました。少し早口で高いトーンの声で、情熱的に話された声は、今でも頭の中に残っています。

 僕だったら入院の1か月前くらいからでも、落ち込んで案内役など到底出来ないでしょうし、する気にもならないでしょうね。

 長年ともに活動してきた「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斎間淳子(さいま じゅんこ)さんが話していました。「私の夫が亡くなった時よりも、近藤くんが亡くなった今の方が寂しい」と。斎間淳子さんの夫は斎間満(さいま みつる)さんと言って、近藤誠さんとともに、地域紙「南海日日新聞」の編集発行人をしていたのです。

 僕のことを、「夫(妻)が亡くなった時より寂しい」というようなことを言う人は絶対に居ないでしょうね。その方が気楽でしょうけど。


独占会社の問題点

 伊方原発のことで愛媛県に行くことが、たびたびあります。愛媛県の海の玄関口は松山観光港です。距離的にみれば松山から広島は近いのですが、海を隔てるということから、それなりに時間がかかります。

 独占会社の問題点を感じるのは、松山観光港からの連絡です。その前に言っておきますが、広島から松山へはスーパージェットという手段と、フェリーという手段があります。スーパージェットに乗れば1時間少しですが、フェリーだと3時間近くかかります。もちろんスーパージェットの料金は高額です。だから僕はよっぽどのことがない限り、フェリーを使います。

 そこで気分が良くないこと。まずそれはフェリーで松山観光港に着いたとき、到着時間の4~5分前に松山市内に行くリムジンバスが出発していることです。リムジンがたびたび来るのなら問題無しですが、次のリムジンは1時間後になります。リムジンの時刻をスーパージェットに合わせているのです。というより、フェリー客に対する嫌がらせだと僕は思っています。

 しかたないから観光港から近い伊予鉄の高浜駅に向かうのですが、バスに乗ればほんの2~3分の距離ですが、バス代金が160円もかかります。高浜駅について伊予鉄電車に乗るのですが松山市駅まで360円、広島市内を走っている広島電鉄の市内電車に少し毛の生えている程度でゆっくり走り、その上1時間に3~4本しかやってきません。

 なぜ海の連絡口である松山観光港に、伊予鉄の電車が直接乗り入れていないのでしょうか。そして伊予鉄からJRの松山駅に行こうとすれば、大手町という駅から歩いて5分くらい歩かなくてはなりません。こういう感じですから、広島から愛媛は近くて遠い場所になるのです。伊方原発のある伊方町には、松山駅からJRに乗って八幡浜に行かなければならないので、本当に遠いと思います。

 伊予鉄という、この地方ではほぼ独占状態にある私鉄が闊歩しているので、こういう状態になるのでしょうね。愛媛に来るたびに気分を悪くすることです。伊予鉄は、この頃「IYOTETSU」というロゴを使っているようですが、「しゃれた」ローマ字とは似合わない体質です。

 独占会社といえば戦後の電力会社は我々庶民にとって、ほぼ独占状態でした。僕たちが中国電力は原発を使っているから、他の電力会社にするということは出来ませんでした。電気料金も言われるがまま、電力会社の儲けも、原発を建設するために湯水のごとく使う工作資金についても、それに対して文句の言いようはありませんでした。

 だから電力会社はその地方にとっては、大きな態度で君臨していたと思います。中国経済連合会という企業の連合組織がありますが、僕の記憶では歴代の中国経済連合会の会長は全員中国電力の会長か社長がやっていると思います。今の会長も中国電力会長の山下隆くんです。

 この独占状態も来年の春から、「電力小売りの自由化」によって崩れることのスタートとなります。かつて電電公社がNTTになった時のように、最初は少しもたつくかも知れませんが、「原発の電気は使わない」という新しい電力会社を選択できるようになって欲しいものです。

 そして「IYOTETSU」も、お客の便宜性を考えて欲しいものです。それでも思うのですが、地元の人がこの不便さを普通のことのように思っている姿が不思議です。慣れというのは、新しい発想を潰すのでしょうかねえー。




アンバランスな懲戒処分

 今年6月に発覚した、島根原発の「低レベル放射性廃棄物」の処理に関する虚偽事件について、中国電力は16日に30歳代の男性担当社員を、この日付で諭旨解雇としたとする懲戒処分を発表しました。この社員の上司については、3人については休職1カ月、1人は出勤停止10日、2人を戒告にしました。

 こういう不正行為で担当者の処分を公けにしたのは、役員クラスが自主的に報酬返納する以外には、僕の記憶ではありません。この虚偽事件が社会的に大きな問題となり、未だに尾を引いているという状況が反映したものだと思います。

 この事件が発覚したのは、株主総会が終わった直後という極めて「政治的」な日でしたが、事件そのものは2年くらい前から行われていたようです。日本原燃という放射性廃棄物の処理を担うところの監査というのが、事件の発覚のキッカケとなりました。たぶん外部が入らないと、事件の発覚は無かったと思います。

 報道の見出しだけが目に入った時は、「解雇は厳しいなあー」と思いました。しかし上司6人も処分と書いてあったので、「ウンウン」と納得しようかと思いましたが、上司の処分が余りにも軽いので「またもやスケープゴート」でした。担当者個人への責任転嫁です。処分の余りにものアンバランスに驚きました。

 事件が発覚した時、マスコミは中国電力の「体質」だと大きく書きました。僕も同感でした。人間と同じで体質は、そう簡単に治るものではないと思います。

 この事件も中国電力が明らかにした調査報告書を読む限り、多くの部署が関わっています。一人の担当者が、一人で起こすということはあり得ないシステムになっていると思います。もっと言えば、これだけの大会社が一人で「やる」ということ自体、あってはならないことだと思います。

 中国電力の不正事件といえば、上関町の町長選挙で行った不正転入事件、岡山県の土用ダムのデータ改ざん事件、島根原発での点検データの改ざん事件、この時は担当部門の幹部が宿泊先の松江市のホテルから飛び降りするという、痛ましい事態も起こりました。また、今年の株主総会では中国電力社員が上関町祝島で自らを「NTT社員」だと嘘を言って、祝島島民に対して原発推進工作を行っていたことも明らかになっています。

 これらの事件では、道義的な責任という形の処分は行われたのですが、この度のような末端部分へ「実害」が起こったのは初めてです。もちろん窃盗や痴漢、殺人という事件を起こし処分されるのは別問題ですが。

 僕らは毎月、原則第3水曜日の昼休みに中国電力前で、通行人や中国電力の建物内で働いている人たちに対して、原発問題を訴える街宣行動を行っています。そこで最近特に思うのですが中国電力のビル内で働いている人の男も女も、その表情や外見に「覇気」が感じられないのです。僕の年齢の影響でしょうかねえー。

冬至は好き、夏至は嫌い

 冬至が近づいていますね。今年は22日だそうです。僕の朝は、6時24分の目覚ましアラームから始まります。24分という中途半端な時間ですが、1分間の余裕を持って、25分からラジオの「中国地方のニュース」を聴きます。そして6時30分、ラジオ体操です。「ラジオ体操の歌」が掛かっている時に起き上がり、南側のカーテンを開き、天気の良い日は遥か江田島の山影を観ながら、ラジオ体操を始めます。

 冬至前の6時30分は、ほんの少しオレンジ色が見えるような感じもしますが、ほとんど真っ暗です。時々は目覚ましのアラームを「嘘だろう」と思うほど暗いからです。夏は太陽がたか高く昇っていて、歩く人やジョギングする人も多く見かけました。

 自宅に居る時は当然ですが、他所に行ってる時もラジオは持参していますから、この生活パターンです。だから他所に行くときは、必ずその行き先のラジオ周波数のチェックは欠かせません。この土日は愛媛県八幡浜市ですが、1368KHzを確認しました。

 冬至は好きですが、逆に夏至は嫌いです。暗いのが好みという訳ではありません。どちらかといえば、明るい方が良いと思います。じゃあなぜ冬至かといえば、これから昼が長くなる方向に向かうという希望が生まれるからです。「あー底をついた」ということから生まれる希望です。

 逆に夏至は、これから夜が少しずつ長くなってくるという、暗い気持ちになる始まりだからです。だから冬至は待ちどうしいし、夏至は早くきて欲しくないという気持ちになるのです。

 僕の父親は11月27日に、急死しました。命日を迎えるたびに、こんな暗くて寂しい時候に急死し、妻であった僕の母親はなんと寂しかったことかと、毎年思い出します。

 株式に関心があるのですが、株価も冬至(底)と夏至(天井)が読めたら、損はしないし儲けになるのでしょうけど、それは思うようになりません。といっても、僕は株を売ったことはたぶん一度しかありません。

 言っておきますが、株の銘柄はそれなりにありますが数はありません。特に電力株とエネルギー関連を持っているのですが、東京電力は「3・11」以降、桁が一つ変わるほど下がりました。電力株は東京電、関西電、中国電、北陸電を持っているのですが、事故を起こした東京電力、原発比率の高い関西電力の株主配当はありません。無くて当然でしょうが、原発比率の低い中国電、北陸電は1株当たり年間50円の配当が継続しています。

 冬至、夏至の話しから株価の話しになり、僕自身の頭も混乱してしまいましたが、22日の冬至には日帰りで年末のあいさつを兼ねて祝島へ行き、夜はゆず湯に浸かり、もうすぐ始まる新年を希望の年にする決意をしたいものです。その決意を固めるのは、やはり祝島の人たちに会うことだと思っています。

これで衆参同日選挙になるのか

 自民党と公明党との消費税に関する軽減税率の議論を見ていて、僕の中では来年の夏は衆参同日選挙だなという気持ちが強くなりました。ここで選挙をしないと、消費税が10%になってからの再来年では自民・公明は負けるでしょうし、今「予想外」の軽減税率枠にして実際に上がる前に選挙をやってしまおうとする思惑ではないでしょうか。

 共産党が提案した「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」構想も、安倍晋三くんの中では、総選挙をやろうという方向に動く要素になるのではと思います。国民連合政府構想も、選挙というその具体的な戦いの場を衆議院選挙にまで拡大するのは、少し時間不足とも思う部分があるからです。

 自民・公明は国民連合政府について、たぶん「現実性は薄い」と思っていたのでしょうが、「そうでもない感じ」ということから「衆参同日なら」ということが作用したのではとも感じるのです。

 「オリーブの木」という言葉があります。イタリアで中道左派勢力政党が結集した時に出てきたもので、欧州議会選挙でも4つの政党が集まって「オリーブの木」が作られたと聞いています。オリーブが「平和の象徴で、丈夫な実がなり」というのだそうです。

 前回でも前々回の衆議院選挙でも、「自民党の得票数は野党票より少なかった。自民党は有権者の支持を受けていない」という、まるで負け惜しみの声があちこちから聞こえましたが、僕に言わせるなら「結果で負けたら負けは負け」と野党に言いたかったです。

 軽減税率の導入で入り不足が生じた金について、それをどこに求めるかという、まるで「脅し」とも思われる発言が相次いでいます。その額が1兆円と聞き「なら高速増殖炉もんじゅを止めろ」と自然に声が出てきました。

 人生には、無駄や間違ったお金を使うということがたくさん在ります。ふり返れば、僕なんぞ自慢にはなりませんが「あり過ぎ」という感ですが、それは教訓として直せば良いと思うのです。

 「もんじゅ」も、ここまで失敗がはっきりしたのですから、一日でも早く撤退することでしょう。

 それにしても軽減税率、ヨーロッパの国のように生活必需品、知識を得るための書物や新聞など毎日必要な物はゼロにして、そうでない電化製品とかゼイタク品、たまに買う物には、20%くらいの税を掛けるということをやればと思うのです。もちろん「もんじゅ」のような無駄な金は止めることです。

 この国の中途半端なやり方、目先のことしか考えない「後は野となれ山となれ」は、「本気の無さ」の象徴ではないでしょうか。

被爆体験から学ぶこと

 「被爆体験の継承」といったら、聴いたり、観たり、読んだりした体験から、想像によって「その時」を自分の中に再現」し、「もう二度と原子爆弾はいけない、平和な世界を」という気持ちになることだと、思っていました。

 12月6日、「原爆被害者相談員の会」の主催による講演会が行われ、それに行ってきました。講演をしたのは長い間、医療ソーシャルワーカーとして病院や大学で働いてきた方でした。これまで、たくさんの原爆被害者に接してきてことからの体験を、淡々と話されました。

 その体験から講師の方が得たものが、次のことでした。これには強烈なインパクトがありました。
1、凛として生きる。
2、修羅場を超えてきた人が持つ揺るがないド根性。
3、権力に怯まない。
4、困難を抱えた人への優しさ。
5、公憤を抱き続け諦めない。
6、自己開示に潔さ。
7、衰えない学習意欲。
8、助けを求める勇気。
9、仲間への親和性。
でした。「平和」とか「放射能」とかいう言葉はありません。

 この話しを聴いていて、思い出したのは母のことでした。自慢のようにもなりますが、母はそんな女でした。あえて無いところと言えば、8の「助けを求める勇気」は身内以外にはしなかったように思います。

 エピソードになりますが、母は郵便局で働いていました。爆心から2㌔少しの皆実町というところで原爆に遭いました。夫、僕からは父ですが父は42歳で亡くなりました。僕が4歳の時です。母は結婚してからは専業主婦でしたが、結婚前に郵便局で仕事をしてた関係から、当時にはあった「未亡人対策」で、郵便局に復職し、3人の子どもを育てました。

 母は、郵便局で扱う外国郵便の宛先が読めず、こっそりとその郵便物を自宅に持って帰り、僕にどこの宛先なのかを訊ねました。同じ郵便局で働いている人に聞けば良いものをと思いましたが、それはしませんでした。
ただ「USA」だけは覚えていて、「USA」だったら安心したようです。今なら処罰ものですね。今でなくても処罰ものでしょう。見方によっては、とても勝気な母だったのです。

 上の9個の項目に、もう一つプラスするとしたら「孤立を恐れない強さ」だとも思います。だから「他人とつるんで何かをやる」というのは苦手だったことに通じていました。

 ここまで書くと、なんだか冷たい嫌われるタイプを思われるかも知れませんが、親分肌ではありましたが、それなりの人気者でした。当時の母を知る人からは、「お母さんは優しい人でねえー」というのは、何度も聞きましたから。

 上の9項目、地獄のような辛い体験をし、その中で人間の本性のようなものを観て、だからこそ持つことのできた、「体得」したものなのでしょうか。講演のレジメとして配られた物には、最後に次のような言葉が書いてありました。

 日常的な生きる姿を受け継ぐことで、自らの思考を選択する。子や孫に意図的に伝える。理不尽なことや、困った人々の力になるため、変化を生みだす働きかけに向かわせる。そして最後のゲーテの言葉「人はただ自分の愛する人からだけ、学ぶものだ」というものです。

 生きていたら102歳の母ですが、こんな話題で話しがしてみたい。(涙…)

伊方原発再稼働の住民投票をめぐって

 四国電力伊方原発3号機の再稼働を問う住民投票の実施を求めて、八幡浜市内で展開されていた署名活動は、11月3日から12月2日までの1か月間行われ、有権者市民1万1175人分の数が集まりました。

 八幡浜市の場合、条例制定を請求する署名数は、選挙人名簿登録者数(3万776人)の50分の1(616人)以上の署名が必要です。この数は上回るのは確実でしたが、その数を大きく超えて、八幡浜市の有権者の36.3%という数になりました。最終的な署名数の確定は年明けになるようですが、大きな数字です。「住民投票を実現する八幡浜市民の会」の皆さんには、本当に敬意を表します。

 八幡浜市というところは、伊方原発のある伊方町の隣りです。四国電力の職員の社宅もあり、四国電力が大きな顔をして存在しているところです。10月に亡くなられた近藤誠さんから聞いたのですが、小学生でも「お前の親は原発に反対しているだろう」とイジメを言われたり、四国電力に勤めている親の肩書き(地位)が、地域の序列にも影響するというところでした。

 この署名簿に載っている人は、これからチェックされるために名前は全て明らかになります。こんなしがらみの中での、1万1175人です。この条例制定請求は、1月に開催される八幡浜市の臨時議会で決められます。市議会議員は16人いますが、9月17日の市議会に諮られた「伊方原発3号機の早期再稼働を要請する請願」には、7人の議員が反対の意思を持って議場を退席しました。なぜ「退席」かは、よく分からないことなのですが。

 しかし大城一郎市長は、議会での請願が議決される前に、さっさと再稼働を認め、愛媛県知事に連絡しています。その時のコメントが、これまたよく分からないのです。コメントは「議会は関係無い」というものでした。

 こんな状況の中12月8日の市議会では、市当局から考えられない発言が飛び出しました。住民投票の実施について「相当な経費もかかる」と費用対効果に言及したものです。実施費用の見込みは示さなかったのですが、総務企画部長は住民投票制度について「重要施策に関して住民の意思を直接反映できる」と評価する一方、「地域社会の対立を招きやすく、設問によって結果が左右されやすい」との懸念を示したそうです。

 まさに「開いた口が塞がらない」という気持ちでした。このニュースを地元の愛媛新聞で読んで、思い出したのは上関町のことでした。

 昭和天皇が闘病の中にあった時、上関町長選挙でいわゆる「架空転入事件」というのが起こりました。町民で無い者が、上関町に住民登録をして推進側の町長候補に投票したという事件です。当然、反対派の人たちは告訴を行い、議会でも追及しました。その時に町の商店の店先に貼りだされた紙に書いてあった言葉です。「天皇陛下様がご病気中の時に静かにしましょう」「町民が町民をいじめるようなことは止めましょう」というものでした。

 伊方原発にしても上関原発にしても、根本の原因は誰が作ったかを忘れてはなりません。それにしても、この住民投票条例の動きに目が離せません。

無題

 今日は「太平洋戦争」が始まった日ですね。8日~10日まで外出する用事が無くて、久しぶりに自分の用事ができます。まずは、いつもお願いしている文房具屋へ行って年賀状の印刷を頼みました。そして昨日の朝から起っている眼球の中に蚊が飛んでいるような症状のために、近くの眼科病院に行きました。

 こんなゆったりとした中で、思っていることを数点書いてみます。
 まずは、IS(イスラム国)に対する壊滅作戦の行為です。もちろんISのやっているテロを正当化する考えは全くありません。しかし、戦争というか攻撃というのは「宣戦布告」をして行うものではないでしょうか。それが無しの形で「掃討作戦」とか銘うってやることです。犯人を特定させなければ、そしてきちんとした罪が決まって処罰ということにならなければ、攻撃はできないのではないでしょうか。

 もっと譲って、国連安保理ででもISに対する攻撃を決議したのでしょうか。ISでテロ行為を行った人と、攻撃によって殺された人が同じならまだしも、特殊部隊のようなものに急襲されて、普通の人たちが殺されたらたまったものではないと思います。

 僕は株のことを考えたり、関連ニュースを見るのが趣味の一つです。今日のダウを言えと聞かれたら答えることもできます。電力株を中心に銘柄だけは、8個くらい持っています。その関係からか、証券会社から案内の届く投資家のための企業説明会とか、「さる年の株価の動向」とかいう講演会にも行きます。 
 そこで興味深い話しがありました。安倍首相が出生率を1.8にすると発言したら、そこで値上がりするだろうと予想されるのが、不妊治療の薬を販売している製薬会社の株なのです。現実に大きく値上がりしました。安保法が成立したら、兵器を作っている会社の株は「買い」となったのです。忘れもしない2020年に東京オリンピックが決定した週明けの、アルソックの株価は急騰しました。アルソックは有名な警備会社です。
 政治家の発言だろうが、人の不幸だろうが株価には大きく影響を与えるということを実感させられています。

 最初にも書きましたが、近くの眼科病院に行きました。眼科は8割~9割の患者はお年寄りです。この病院の院長夫妻、よりによってという感じで愛想の無い人です。この院長夫妻がお年寄りに対する接し方が、優しかったら売り上げは倍になるのにと思いますが。小さい声でボソボソと「右向け、左向け、右下見ろ、左上見ろ」と指示され、それにきちんと応えなかって怒られたらもうお年寄りにはパニックです。

 そこで思い出したのはもう10年以上前に亡くなった、母親のことでした。母を車椅子に乗せて、この病院には何度となく来たものです。病院の待合室も検査をする部屋もその当時とほとんど同じでした。あの頃に治療をしていた院長は、たぶん今の院長の親だと思います。今の院長も親譲りの感じの悪い人です。

 母は何かにつけ、この病院の院長宅に届け物を持って行きました。姉の住んでいた徳島の「すだち」は忘れられません。要するに院長に優しく対応してもらいたいという、一存からでした。徳島の姉も、母のことを考えてたくさんの「すだち」を送ってきてくれました。当然ですが、運び役を僕でした。年寄りという弱い立場の人間がする対応策です。

 そんなことを考えながら待合室に座っていたら、とても腹立たしくなりました。いざ僕の診察になり、院長がエラそうに言ったら「罪と罰」を覚悟でこちらから怒鳴りあげて、机でもひっくり返してやろうか思いましたが、僕には普通の対応でした。残念なりです。

 僕の眼球はまったく異常無しでした。「老化による飛蚊症。誰でもなる。薬もいらない」とのこと、もっと優しい言い方もあろう。特に年寄りには。


上関原発計画の今

 CDで音楽を聴いていたら「時代をかけていいことと、今すぐやらねばならないことがある」という歌詞が聞こえてきました。朴保(パク ポー)さんの「今こそ流れを変える時」という曲です。彼らのグループの公演を横浜市で聴いた時に、購入したCDでした。

 上関原発の建設計画は「3・11」で計画地の埋め立て工事が凍結となり、来年で5年となります。上関町には中国電力の上関原子力発電所準備工事事務所というのがあり、所長・副所長のほか総務・広報・渉外・立地・土木環境の部門があり約50人の人が働いています。町内には単身者の寮や家族持ち者の社宅もあります。

 今年の株主総会で祝島から出席された株主さんが、祝島に「得たいの知れない」人が泊まっているので、その人に「あなたはどこから来たのですか」と訊ねたら、その人が「NTTから来たのです」と答えたので、「名刺をください」と言ったら「持っていません」と答えたという「事件」がありました。本当は中国電力の社員でした。このことは、「省ちゃんの前向き語り」でも書きましたので覚えている方もあると思います。

 この事件以降も、祝島へは中国電力職員が「理解を得るため」として通っているようです。今度はNTTいうように嘘を名乗るわけにはいかないので、正々堂々と中国電力と言ってるそうです。しかし島にある旅館には泊まらずに、推進派の家に泊まっています。

 そして主な仕事としては、共有地の共有地主への工作を行い、共有地主の持っている持分(権利)を中国電力が購入しているのです。僕が調べたところ土地の課税に関するものなどに出ている値段の、約200倍の価格で購入しているということも明らかになりました。

 それとやはり、漁業補償金を受け取るようにとの工作もやっているとのことです。

 まあー事務所にいる約50人の職員も、「ただ飯」を食うわけにはいかないでしょうし、何かやっておかないとという感じで仕事をしているようです。

 中国電力社内の雰囲気も「もう上関原発はないだろう」という感じですが、国が決めた「2030年の原発比率20~22%」というエネルギーミックスのことが頭にあり、「引きたいけど引けない」というものではないでしょうか。

 かつて同じく山口県で計画のあった豊北原発計画について、まったく無理が分かっていたのに「国の計画にある」ということで、事務所を長い間、維持していたことがありました。上関原発の事務所も、せめて職員を10人くらいにして、白紙撤回の時を迎えてほしいものです。

 しかし忘れてはいけないこと、それは原発計画の中で「人のつながりを引き裂いたこと」です。そしてこれまでにいくらの金を使ったでしょうか。この責任が問われないままでいることは許せません。



残り1か月ですね

 今年も1か月を切りましたね。数少ないであろう「省ちゃんの前向き語り」ファンの人から、最近ブログの間隔が開いているという声が聞こえてきました。「ありがとうございます」という感謝の気持ちでいっぱいですが、11月は特に忙しくしていました。書くことは嫌いではないですし、書きたいテーマもたくさんあるのですが、ゆっくりとパソコンの前に座ってという時間が取れませんでした。

 今年はいつもよりたくさんの喪中ハガキが届いています。親が亡くなったというのが多いのですが、本人が亡くなったというのもあります。本人が亡くなった場合は本人からは喪中は送れないのですから、連れ合いや子どもさんからのものです。喪中ハガキの数に比例してか、偲ぶ会とか送る会とかいう案内も届きます。今月は12月20日に愛媛県八幡浜市で、10月15日に亡くなられた「伊方原発反対八西連絡協議会」の近藤誠さんの偲ぶ会が行われるので、そちらに参ります。

 最近いわゆる「先生」と言われる人と話すことが多いのですが、自分の専門分野のことしか話題にならないという人は嫌ですね。そう人とは一度話したらそれ以降は余り仲良くしないことにしています。最近は専門「分野」というのがもっと小さく分けられているようで、これなんと言うのでしょうかね「ユニット」が適切でしょうか。全体を構成する要素とか単位のことだと思いますが、少し極端ですが、それしか話せないというのが多いように思うのです。

 こういう人たちが、有識者とか専門家といわれて政策に反映させる提言などを行うから、おかしくなるのではと思うことがあります。

 先日、博多で中尾英俊弁護士を偲ぶ会が行われました。中尾さんは昨年12月に亡くなれたのです。中尾さんは上関原発の入会権裁判で代理人をしていただきました。入会権問題では国内一とまで言われるほどの専門家でしたが、それ以上に幅の広い活動をしておられました。偲ぶ会で奥さまが「夫は列車が好きで、時刻表を見ながらここで何分待合せ、ここで追い越されるということを実際にダイア表にして作っていたのです」と話されました。そして作られたダイア表が置いてありました。本当に幅が広く、ユーモアもあり、明るくもあり、且つ何でも興味を持っておられました。偲ぶ会で、久しぶりに涙を流しました。

 話しはまたまた変わりますが、11月1日から毎日新聞の購読を始めました。別に毎日新聞の販売員ではありませんが、面白いですね。これまでは朝日でしたが、朝日はさっき出来上がった汁粉に入れたばっかりのお餅としたら、毎日は次の日の味がしみ込んだお餅という感じです。

 読者が応募した川柳が毎日載っているのですが、これは最初に読むものです。この間、手帳に写したものを4句挙げておきます。
いつまでもあると思うな支持基盤
餅食えば忘れるだろう安保法
死にたいとすぐ言う妻の医者通い
辞めたいと言う部下辞めたい俺が止め

笑えましたか?


これ以上火力発電も要らない

 僕は「中国地方反原発反火電等住民運動市民運動連絡会議」という、長い名前の団体の事務局長もしています。そこでよく言われるのが、「原発にも火力にも反対して電気はどうするんだ」という言葉です。もっと極端には「原始時代の生活に戻れというのか」とまで言われることがあります。

 30日からパリで始まったCOP21(国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議)を前に、日本でも新たな石炭火力の建設を認めないという方針が示されています。

 そこで合点がいかないのが、島根県浜田市に計画されている中国電力の三隅石炭火力発電所の建設問題です。当初、三隅火電は1・2号機の建設という計画で始まりました。1号機は100万kwの出力で、1998年に運転が開始されました。しかし電力需要が伸びない中で、2号機(40万kw)は無期延期の状態でした。地元からは2号機を建設して欲しいという要求は、ずっと出されていました。中国電力管内での電力供給を心配してのものではありません。建設に伴って地元に「落ちる」お金が目的です。

 この火力発電所が、今年になって急に建設されるということになりました。それも計画の40万kwではなく、100万kwという大きなものに引き上げられました。計画では2018年に着工し、2022年に運転開始とされています。もちろん最近急激に電力需要が伸びてきたということはありません。逆に落ちています。今年の夏は、猛暑とももっと上の酷暑とも表現されましたが、冷夏で雨の多かった昨年夏とほぼ同じ値です。

 中国電力は火力発電の中でも、特に石炭火力が多い会社です。山口宇部パワーという会社が、同県の宇部市に石炭火力発電所を建設するという計画を経済産業省に出しましたが、これに対し環境省は二酸化炭素排出削減の観点から、その建設を認めないという環境影響評価の意見書を提出し、この計画は止まりました。

 要りもしないのに、火力発電をこれ以上建設する必要はないと思いますが、三隅火力は認めて宇部パワーの火力発電は認めないというのは、既存の電力会社は守り、新規に参入をしようとする新電力には妨害するという嫌がらせだとしか思えません。

 石炭火力というのは、すぐに立ち上がって発電を開始するという性質ではありません。ゆっくりと発電を開始し、開始すると同じ出力で発電を継続できるというもので、だから休日でも夜でもこれ以下には下がらないという「ベース電源」とされています。需要の変動に対応できるのは、水力であったり火力でもLNG(液化天然ガス)や石油火力発電です。

 なのになぜ石炭火力を三隅に建設するのか、理解できません。三隅では1号機が建設されて17年が経過しましたが、行政や経済界の期待とは裏腹に町は衰退し続けています。1号機が建設された時に急速に建設した多くの施設(箱もの)の維持費が市の財政を圧迫しているのです。

 たびたび使う言葉ですが「今だけ、金だけ、自分だけ」、こんなことをいつまでも求め続けていて良いのでしょうか。

地球温暖化防止と経済成長

 COP21(国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議)が始まりましたね。安倍晋三くんも開催地のパリに到着したようです。テロ事件の直後ですから大厳戒態勢です。パリでは環境保護団体が「地球を救え」と連呼しながら約2㌔にわたる「人間の鎖」をつくったそうです。

 どうも好きになれない安倍くん、安保法を成立するためにこの法律の「意義」について、「国民の命と平和な暮らしを守る」と話していました。しかしこれを強行採決した直後からは、国民の目をそらせるためにか「経済政策を最優先する」と言明しています。

 政治家や経済界の中には、「地球温暖化防止も大切だけど、それは経済成長の妨げになる」という意識が強いですね。そして温暖化防止は地球全体の課題ですから、「自分ひとりくらい抜け駆けをしても…」という気持ちになるのでしょう。

 しかし日本はこの小さな島国で2012年の数字ですが、中国・米国・インド・ロシアについで5番目の二酸化炭素排出国です。一人当たりの排出量では、米国・カナダ・韓国・ロシアについで5番目の排出量です。そして日本が、2030年度までに削減するとした目標値は、2013年度に比較して26%を減らすという数字を出しているようです。

 僕は削減の基準というか元になる年は、1990年にすべきだと思います。もうたくさん出すことが定着している、2013年ではいけないと思います。90年比で40%を減らすことが目標にされるべきです。世界中から、日本のことを、温暖化対策交渉の足を引っ張る国だと強い批判が出ていることを忘れてはなりません。日本の政策に本気度が感じられないのです。

 広い地球で、二酸化炭素排出量の半分以上をたった6か国が出しているということを肝に銘じるべきだと思います。そして地球温暖化の被害の多くが発展途上国に及んでいることも本気で考える必要があります。

 エコロジカル・フットプリントというのが在りました。今の生活を維持するためには、地球が何個いるかを国ごとに示したものです。環境省が作成したもので2006年という少し古いデータですが、食料や燃料などを維持するために必要とする地球の数です。日本人では地球が2.5個必要となっています。米国は5.4個とダントツですが、世界平均では1.25個だそうです。
 このエコロジカル・フットプリントには生態系負荷度という数字も出ていました。国ごとの資源消費量とその国の自然生産能力を面積で換算したものです。日本の資源消費量は4.3/人で、自然生産能力は0.8/人というものです。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、グラフで見るとよく分かります。「身の程知らず」を戒めるデータだと思います。

 要するに、私たちは地球に負担をさせないで生活をしていくことを考えなければならないという忠告です。国連の潘基文事務総長が「COP21に期待すること」というものを新聞に寄稿していました。
 その中で「全てのおじいちゃんと同じように、私は自分の孫たちに美しく健全な地球が与えてくれる恩恵を享受してほしいと願うからだ。また、全ての人と同じように洪水、干ばつ、山火事が激しさを増し、島国が消え無数の種の生物が絶滅していくのを目にするのは心が痛む」と書いています。


Appendix

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR