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反原子力の日

 今日は「反原子力の日」です。よりによって、この日中村時広愛媛県知事が伊方原発3号機の再稼働同意を表明しました。まったく根拠の無い同意です。

 今日は夕方、中国電力前で「反原子力の日」の街宣をすることにしています。アピール文(案)を作成して欲しいといわれ、次のようなものを作りました。

   「反原子力の日」アピール
 10月26日を迎えた。
 「10・26」は政府や電力会社にとって、この国で初めて「原子の火」が灯った日として「原子力の日」と名付け、原子力発電推進の行事を行っている。
 私たちはこの日を「反原子力の日」とした。「核と人類は共存できない」という原点に立ち、原子力発電に反対する決意を確認しあう日として、全国の人たちと連帯してさまざまな行動を行っている。
 私たちは思っている。この国に「原子力の日」が無かったら、福島原発事故は起きなかった。10万人を超える人たちが、故郷を捨てて生活することにはならなかった。放射性廃棄物という究極の「毒」によって、私たちの子々孫々まで苦しめることにはならなかった。
 福島原発事故の真相は、明らかになったであろうか。福島第一原発の、廃炉に向けての道すじは定まったであろうか。事故被害者の救済対策は、確立したであろうか。とりわけ子どもたちの健康被害に対策は打ち出されたであろうか。
事故からたったの4年と7か月少しという状況の中で、この国は「まるで福島原発事故など無かったかのように」原発回帰の方向に向かおうとしている。
 住民の強い反対の声が起きる中で、九州電力川内原発1・2号機の再稼働が強行された。次は四国電力伊方原発3号機だという声も、「原子力ムラ」の中から伝わってくる。伊方原発の再稼働問題では、マスコミ・自治体・市民団体などによって、周辺地域に住む人たちに対し、様ざまな形でその賛否についての世論調査が行われたが、結果は全てが「再稼働NO」であった。それにも関わらず、極秘裏に再稼働に向かおうとしている。
 私たちは、2013年9月から原発無しの状況で生活をした。とりわけ今年は「酷暑」という表現がされるほどであったが、全ての電力会社管内で、電力不足による事態は起きなかった。福島原発事故によって市民の中に広がった「原発は嫌だ」という声は、再生可能エネルギーを選ぶ方向に向いている。政治の意図的に仕組まれた再生可能エネルギー潰し政策の中でも、市民の賢明な選択の道を止めることはできない。
 今年のノーベル文学賞に、チェルノブイリ原発近くのベラルーシに住む、スベトラーナ・アレクシエービッチが選ばれた。彼女の著書「チェルノブイリの祈り」は1998年に発刊されたものであるが、その中に書かれていることは、今の「フクシマ」と全く同じである。チェルノブイリの経験から、今の福島原発事故の苦しみを予言していたにも関わらず、私たちは、なぜ原発の無い社会を選択出来なかったのか、自らの責任を含めて強い怒りを感じざるを得ない。
 ヒロシマは今年70年という年を迎えた。2016年は、福島原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年という、節目の年を迎える。
 「10・26」にあたり、私たちは原発のない社会づくりを進めていく。それが、自分たちの子どもを守り、自分たちの子孫を守っていくことだと確信しているからである。
当面の課題として、次のことを強く訴える。
1、 伊方原発3号機の再稼働を止めること。
2、 島根原発2号機の再稼働を止めること。
3、 上関原発の建設計画を白紙撤回すること。
2015年10月26日
「伊方、島根再稼働を許すな!上関原発は止めろ」反「原子力の日」集い
参加者一同

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究極の「何でこうなるの!?」

 11月1日に松山市で開催される「STOP伊方原発再稼働! 11・1全国集会 in 松山」に、広島からも貸切バスによるツアーが準備され、僕はバスの中での案内役になりました。その資料を作るために、この間の伊方原発に関する地元新聞記事などを振りかえって見ていました。

 どうしても理解に苦しむのが、自治体のことです。まず砥部町で、この町は焼き物の砥部焼で有名なところです。ここは伊方原発からは30㌔の中には含まれない町です。9月14日、砥部町議会総務委員会(6人)は、「伊方原発の再稼働について公開討論会を開催することを要望する意見書を中村時広知事に送付するよう求める請願」を、委員長を除く委員5人による採決を行い、採択4人、継続審査1人という結果で採択していました。

 当然4日後に開かれる本会議でも、採択されることと思っていました。しかし本会議では「中村知事は『地元の理解などを踏まえて総合的に判断する』としており、県民の意見を聞いていないとは思わない」などという反対意見が出て、反対10、賛成5で否決されたのです。なんとも物わかりがいいというか、究極の「ゴマすり」です。

 次は伊方町議会です。10月2日に開かれた原子力発電対策特別委員会で、早期に再稼働を求める陳情と、再稼働に反対する陳情が審議されました。結果は全会一致で「同意」したのですが、この特別委員会は冒頭のみが公開され、審議部分は非公開で秘密に審議されました。その理由を中村敏彦委員長は「(町議が)意見を言いやすいように非公開を決めた」と説明しているのです。これは理屈が通らないことではないでしょうか。再稼働反対の陳情が出ているのです。再稼働了解の理屈に自信がないのでしょうね。

 究極は八幡浜市長で、早々に議会が開かれる前に中村知事に「再稼働了解」をした理屈は「議会は関係ない」というものでした。

 言っておきますが、マスコミによる世論調査も、自治体が「再稼働に賛成するだろう」と思った人に対するアンケートも、市民団体が行った独自の調査でも、数の大小はありますが全て「再稼働」に反対なのです。

 このブログを書いていたら、明日21日に林幹雄経産相が松山に来て中村時広知事と、山下和彦伊方町長に面会するという情報がNHKの独自取材という形で入りました。今週中に経済産業大臣が松山に来るであろうということにはなっていましたが、何時というのは伏せられていました。言いわけは「抗議行動が行われて混乱する」というものでした。
中村時広知事はいつも「オール愛媛で…」ということを発言します。「オール」で再稼働が了承されるはずがありません。自治体首長は何が働いてか、見た目は「オール」になったかも知れませんが、県民は再稼働に反対しています。県知事室には昨年から頻繁に大きな顔で四国電力が出入りしていたそうです。

 「そこまでしてやるか」と思いながら、「こうでしかやれない」原子力発電ではないでしょうか。

悲しい連絡が続きます

 一昨日のブログで横田悦子さんの悲しい心を書いたら、昨日は伊方原発反対八西連絡協議会の近藤誠さんが亡くなられたという連絡がありました。

 もう何十年の付き合いの方です。近藤さんは伊方原発の隣りの八幡浜市に住んでいます。今は亡き斎間満さんと、地域新聞である「南海日日新聞」の発刊をされていました。僕とは「反原発新聞」の編集委員としても活動していました。

 まさに伊方原発に関しての、「生き字引」「生き証人」という人でした。その生き字引を亡くしてしまいました。もう悲しくて、切なくて、秋の夕空を観ていると腰が抜けたような気持ちで涙が出てきます。

 暖かい笑顔、少し早口ですが、本気で熱く語る顔が浮かびます。ガンを患い入退院を繰り返していることは本人の口から伝わっていました。そういう状況の中でも僕から「○○日にそちらに行きたいのだけど」と電話をすると、「あー、その次の週が入院だけど、○○日はいいよ」と付き合ってくれました。

 10月11日に開かれた「第29回伊方集会」には、入院先病院の医師の反対を押し切って参加され、伊方原発のゲート前でまさに体力と気力を振り絞ってのメッセージを話されたそうです。四国電力の総務課長も聞いていて、近藤さんの遺言となったのです。その一部を紹介します。

 私たちはですね、ぜったいにこのようなあなた方のトリックやごまかし、その中でこれからの生活を営んでいくことは、とてもできません。私たちはなんとしても再稼働を阻止して、そして原発のない社会づくりを私たちは進めていく。また電力会社の皆さんとともに進めていく。それしか、今後私たちは、自分たちの子どもを守り、自分たちの子孫を守っていく方法はないと私たちは確信しています。四国電力の皆さんも含めて、私たちは原発をなくす社会づくりをしたいと思います。

 一部ですが、全文が欲しいという方は連絡をください。愛媛新聞には写真入りで訃報記事が載っていました。その中で、長年ともに活動をしてきた「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斎間淳子さんは「(伊方3号機が)再稼働する動きが強まっており、心残りだったと思う。大事な人が亡くなった」と惜しんだ。僕も同じ考えです。

 八西連絡協議会といえば、長年会長をされていた広野房一さんのことです。1978年4月25日、松山地方裁判所で伊方原発1号炉の設置許可取消を求める裁判で住民側が敗訴した瞬間、広野さんが掲げられた「辛酸亦入佳境(しょうさんまた かきょうにはいる)というものです。これは日本の公害反対運動のシンボル的なものである足尾銅山反対運動で、田中正造が書いたものです。「何ごともすべてを打ち込んで事にあたれば、どんな苦労でも喜びに変わる」という意味です。

 近藤さんの逝去の連絡が入って、多くの人が悼むメッセージを寄せていますが、次のようなのがありました。「私が本格的に反原発に関わったのは3・11以降です。もっと早く近藤さんにお会いしてればと悔やまれます」というものです。

 近藤さん、反原発の声は大きく拡がっていますよ。



年下友人の死

 今年の残すところ2か月半となりましたが、年下ですが尊敬していた友人が二人も亡くなりました。一人は5月30日に亡くなり米子市議会議員をしていた中川健作さんです。大腸ガンになり昨年6月に行われた市議会選挙には立候補せずに、素晴らしい後継者に引き継いでいました。

 僕より1歳下ですが、僕など足元にも及ばないほどの何よりも真面目で誠実な人でした。最後に会ったのは、後継者として当選した人の「お祝い会」でした。いつも笑顔の人で、困った時も困ったなりの悲しげな笑顔の人でした。

 そしてこの10月10日には、岡山県議会議員をしていた横田悦子さんです。この春の選挙にも立候補し、県議としては3期目の当選をしていました。県議の前に市議会議員を3期していました。享年63歳の若さです。

 横田さんは何よりも明るい人でした。明るさという意味でも、僕には足元にも及びませんでした。2004年に行われた参議院選挙に、僕は中村敦夫さん率いる「みどりの会議」から全国比例の候補者になったのですが、横田さんはまさに本気になって応援してくれました。選挙結果は全員落選でしたが、僕には最後まで笑顔で立候補してくれたことを感謝されました。

 「みどりの会議」はキャッチフレーズとして、SLOW・SMALL・SIMPLEを掲げたのですが、横田さんはその後に「and ビッグ スマイル」を入れて笑っていました。まさに「ビッグ スマイル」の似合う人でした。

 最後に会ったのはたぶん2年くらい前だと思いますが、広島に講演に来てもらい終わった後、広島駅の食堂街でお好み焼きを食べながらお酒も飲んだ時だと思います。この時もビッグ スマイルで、「せえーでなー」の岡山弁を激発し話しまくったものです。

 中川健作さん、横田悦子さんも二人の共通点は「市民派」の自治体議員として、最後までやり通した人です。二人とも年下ですが、僕はいつも彼らをお兄さん、お姉さんとして慕っていました。

 昨日の夜はふとんの中で、大きな喪失感を感じていました。そして僕はこれから何を残すために、何をしなければならないかということも考えていました。

 この人は年上ですが、写真家の福島菊次郎さんが94歳で最近亡くなられましたが、新聞にフォトジャーナリストの那須圭子さんが「福島菊次郎さんを悼む」と題して書いていましたが、その中で那須さんが福島さんから励ましの言葉として「孤立することを恐れないで、集団の中にいては、大切なものが見えなくなる」言われたそうです。
 これは孤立することを恐れないでいるから、人に優しくできるのではないだろうかと自分に言い聞かせています。まだ強い喪失感の中にいます。



安倍改造内閣

 第3次安倍改造内閣の顔ぶれが出てきました。替えないポストと、替えるポストがハッキリしているようですね。麻生太郎・高市早苗・岸田文雄・塩崎恭久・菅義緯らは替えないポストですね。甘利明も石破茂もそうかも知れません。 
後は入閣待望者を一期ごと入れるという感じですね。

 大臣の顔ぶれを見て、最初に感じたのは僕より年上はたったの3人しかいないということでした。「65歳以上の高齢者…」という言葉が現実として痛感させられました。

 大臣個人では、復興大臣に高木毅くんなったことです。この人のお父さんは、長い間敦賀市長を務め、原発誘致の旗振り役をしていた高木孝一さんです。「オヤジはオヤジ、俺とは違う」と言えばそれはそれですが、新聞に載っていた「新閣僚に聞く」という記事には、「尊敬し政治家として目標としていたのが父」と在りましたから、要注意です。このオヤジさん「原発はお金をつくる“打ち出の小づち”一人や二人の奇形な子どもが生まれても…」という意味のことを発言し、大きな問題になったオヤジです。

 まあー自民党内の原発推進議員連盟の事務局長でもあります。なおこの議員の集まりの親分は、島根県から選ばれている細田博之衆議院議員です。そして国家公安委員長などになった河野太郎くん、去年の春だったと記憶していますが、広島市内で少し話しをすることがありました。脱原発をいう自民党の中では異端児だと言われていますが、入閣の時の記者会見で「これまで発言していたことは、大臣の立場になったので封印する」と発言していたことには、「なんや、こいつもこれだけのもんよ」と独り言が出てしまいました。

 林幹雄(はやし もとお)経済産業大臣、これは新聞の記事ですが「原発の新増設は考えていない」と発言した記事には、あの「かわうち原発」の前任者よりも「まあー、ましかなあー」と思っています。そういえば前任者は広島県選出でした。

 そしてこれは替えないポストの一角ですが、松山市を選挙区にする塩崎恭久厚生労働大臣、この男がなぜかアベシンくんと親しいのですよね。松山に行くと、中村時久愛媛県知事とは仲が悪いとも聞きましたが、この度の伊方原発再稼働で安倍晋三くんからの「原発事故が起きたら、国が責任を持つ」の「お言葉」の引出しに貢献したのでしょうか。

 なんといっても岸田文雄外務大臣、戦争法に加担し核兵器禁止条約にも反対しない大臣です。こういうのが選りによって広島市から選出されている大臣だというのは、大きな恥だと思っています。これに反対する声がヒロシマから大きなものにならないのは、まさに恥ずかしいことです。

 それと極め付けは高市早苗総務大臣、彼女の場合は新聞の「留任閣僚に聞く」に出ていましたが、「これまで大したことは何もしなかった」を自慢そうに話していましたが、アベシンからは信頼されているそうです。反抗しないのがアベシンの好みなのでしょうか。高市早苗くんの顔を見るたびに、そのシンボルのように見えて仕方ないのです。

アレクシエービッチさんおめでとう

 8日、午後8時が少し過ぎた時刻、電話が鳴り出しました。ノーベル文学賞が発表され、ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが受賞したことへのマスコミからの取材でした。

 取材電話に対し、一瞬アレクシエービッチさんの顔と名前が一致しませんでした。外国人が広島に来て、講演会を開催したりすることが多いので、なかなか思い出せません。取材記者の方にこちらから、「何時のことでしたかねえー」と聞いたような次第です。教えてもらって、明確に思い出しました。ノーベル賞発表前の朝日新聞に、大きなスペースを使ってアレクシエービッチさんのインタビュー記事が載っていたのも思い出しました。

 彼女は2003年10月に全国6か所で講演会を行い、その一つとして広島を訪れ、広島市内で講演会を開催しました。その会を主催したのが、僕たちのグループだったのです。

 文学賞は村上春樹ではないかというか、なって欲しいという希望が国内では多かったようですね。しかしノーベル賞を選考したスウェーデン・アカデミーは、賢明な選考をしたと思っています。

 アレクシエービッチさんは98年に、「チェルノブイリの祈り」(岩波書店)を書きました。今もでしょうけど当時この「チェルノブイリの祈り」は、チェルノブイリの救援活動を行う日本の市民グループの間では、バイブルのように読まれていた一冊でした。アレクシエービッチがチェルノブイリ事故で被ばくした一人一人に会って、その胸のうちを取材した貴重なドキュメントだと思います。

 彼女はもの静かでアジテーション的に話す人ではありません。しかし、内側に強いパワーを秘めた人です。原発事故も戦争も、その出来事をセンセーショナルに書くのではなく、その後の人間の悲惨さを書く人だったように思います。

 僕は、これも彼女の著書ですが「アフガン帰還兵の証言」(日本経済新聞社:1995年刊)を何度も読み返しました。この本も緻密な取材と丁寧な文調で書いています。

 取材を受けた時間が夜だったので、少しアルコールを入っている中で彼女のことを「多く語る人ではないが、話す時は的確に力強くものを言う人、僕とは全然違う」と語ったら、「僕とは全然違う」は外されましたが、このコメントが翌日の新聞記事になっていました。

 この記事を見た友人から、「口数は多くはないが、的確に話をする人、まるで省ちゃんのような人ですね」という、皮肉たっぷりのメールが届きました。思わず大笑いしてしまいました。

 今はインターネットで、現地に行かなくても何でも調べられる時代になったように思います。しかし、そこには「生」で感じる「ブルル」としたものは無いように思います。彼女のノーベル賞受賞をキッカケに、僕も彼女を見習ってもう一度原点に戻って「現場」に出向くことを多くしたいと強く思いました。

 それにしても、同年齢台のそして僕と少しでも関わりを持った人が受賞したことを、本当に嬉しく思っています。


まだ、こんなことを発言する人がいるんです

 まだ、こんなことを堂々とそれも公けの場で発言する人がいるんです。まさに「およよ!」という感じでした。それも県会議員です。

 6日に開催された愛媛県議会のエネルギー危機管理特別委員会、この日、伊方原発の再稼働に関する委員会が開催されたその委員会の場です。再稼働に賛成する議員が「原発が動かずにいると、ローソクを使う生活になってしまう。だから再稼働だ」と発言したのです。今では電力会社も政府も言わない言葉です。少々、カルチャーショックのような気持ちもしました。何十年前には、原発推進派が言ってたことだからです。

 まだ何か所か、初歩的な間違いもありました。原子力規制委員会を間違える、PWRが出てこない、そりゃー議員といえども人ですから、何もかも知っているべきというのは酷なことです。しかし、この特別委員会はもう何か月も前から、原発問題をやっているのです。僕だって急には出てこない言葉もありますから、これも許すとしても「専門的なことを私は知らない」という、これも正々堂々と何の恥じらいもなく話されると、「この恥知らずめ」と叫びたくなりました。

 時を同じくしてこの日、政府では「原子力防災会議」が開かれ、議長である安部晋三くんは「原発事故が起きた場合、国民の生命や身体、財産を守るのは政府の重大な責務だ」と発言したのです。この場には、中村時広愛媛県知事も出席していました。

 この発言は中村知事にしてみれば、まちに待っていた「お言葉」だったのです。この発言は愛媛県議会の特別委員会でも、再稼働推進派を勇気付け元気付けました。

 前々号のブログでも「浪花節かよ愛媛県」で書きましたが、まさに臭い「田舎芝居」「出来レース」です。田舎芝居と書いたら、本当にそれをやっている人に怒られますね。

 ということで、この特別委員会は12名委員の内、2名の再稼働反対の議員以外の賛成で、愛媛経済同友会や愛媛県商工会議所連合会など4件出されていた「再稼働を求める請願」が採択されました。求める請願は4件でしたが、反対する請願は56件あったと思います。

 再稼働を求める請願で、個人が出したものは在りませんでした。個人で再稼働を求める請願をするような人はいないのです。

 僕も第25号議案となっていた「広島県内での、伊方原発の過酷事故時における避難者受け入れ体制が確立するまで、伊方原発の再稼働をしないように求めることについて」という請願を出していました。しかしこの議案は、傍聴していた時間内の範囲では、だれ一人この問題について発言する議員はいませんでした。どちらの立場でもよいから、発言して欲しかったなあー!

今、被爆者が望んでいることは?

 このブログ、松山行きのフェリー船の中で書いています。明日の午前、愛媛県議会の特別委員会で、伊方原発の再稼働に関する請願の採択が行われることになっているからです。

 この文、書くべきか止めるべきか悩んでいました。書かないでパスしてもよいのですが、それだとどうも心に引っ掛かるので、やはり書くことにしました。

 二つのことがありました。一つは最高裁判所で原爆被爆者援護法を外国に住んでいる被爆者にも適用すべきだという画期的な判決が出され、北朝鮮に住んでいる被爆者にも当然適用されるようにすべきと思っていたことからです。このことは、このブログにも少し書きました。この判決は、被爆者援護法を求めていた人たちの、長年に亘る大切な要求でした。それが最高裁判所で決定され僕は本当に喜んでいました。

 そこで、ある会議の場で被爆者団体のリーダー的存在の方に、「この北朝鮮の被爆者への援護法を適用させる運動の進め方」について訊ねました。そしたらその方は「被爆者の人には、北が嫌いという人もあり、そういう運動は出来ない」と言われたのです。僕は本当に強い衝撃でした。そりゃあー、北が嫌いという人がいるのは当然です。しかし、これが被爆者運動のリーダー的存在の人の語る言葉でしょうか。

 会議の場で横の席にいた人が、僕の気持ちを察してか「聞き流しなさい」と繰り返し小声で話しかけたので発言は控えましたが、これは本当にショックであり悲しくも思いました。

 それと市役所の被爆者対策の担当者も加わっての、被爆者の声を聴く会合の場でのことです。被爆者手帳を持っている人には、放射線被害の特殊性から健康管理手当や、認定被爆者になれば月に10万円を超える認定手当をもらうことができます。健康管理手当は8割を超える人たちが受給しています。しかし認定被爆者になって認定手当を受給することは大きな関門があります。認定被爆者は「原爆が原因になっている病気に現にかかっていて、今その治療を継続していること」というのが条件になっているからです。

 言っておきますが、原子爆弾という放射能被害を受けた被爆者がその特別な被害であるために、その条件に適合されれば健康管理手当も認定手当も受給するのは当然だと思っています。

 さてこの市役所の担当者も同席した会議で、出席した被爆者から認定の壁が大きいこと、結果の連絡が遅いことなどが語られました。これも当然ですが、認定の壁が大きいことも、いたずらに時間をかける姿勢も大問題です。

 それはそれとして、これまた被爆者団体の人が大きな声で「皆さん、認定を受けるためには、決して通院を止めることはしないでくださいよ。病院を変えてみるのも手段。○○病院の医者はなかなか書いてくれない」ということを言われました。

 そりゃあーそうか分かりません。しかし市役所の担当者も同席している場で、こういう言い方は無いでしょう。僕だったら「個別に相談しましょう」にすると思いますが。

 以前は被爆者であっても、手帳を取ることによる差別の問題や、自らの子ども(被爆二世)や孫(被爆三世)の差別問題などから、手帳を取らない被爆者が多くいました。しかし、今では被爆者手帳があると医療費が掛からなくなる。、手当がもらえるということで、手帳を取って「被爆者になりたい」という人が多くなったそうです。
70年という歳月の中で、二世も三世も差別のことなどを心配することが少なくなったということもあるでしょうけど。

 繰り返しになりますが、被爆者への支援はまだまだ十分とは言えないと思います。とりわけ在外被爆者への支援は重要だと思います。それらを行わせることを国などに求めることは、被爆者団体としては当然の責務ではないでしょうか。

 福祉がどんどんと切り捨てられている現在、被爆者が「うらやましい」と思われることから、少しでも脱却するためには何をすべきかということを考える必要があるでしょう。そして省ちゃんとしては、言わなければならないと思うことは、きっちりと発信し続けていきたいと思います。

 是非とも、皆さんから異論・反論を含め意見を聞きたいと思います。よろしくお願いします。

浪花節かよ愛媛県知事

 愛媛県議会の四国電力伊方原発3号機の再稼働に対する判断が、来週9日にも行われるようです。9月11日に始まった愛媛県議会は10月9日に最終日を向かえ、この日に再稼働をしないこと、再稼働を認めることの両方の請願を採決することになりそうです。この県議会の決議を受けて、中村時広知事が判断するという段取りになっているようです。

 9日の本会議の前に、6日に開催される特別委員会で両方の請願を採決するようです。まずもって、この委員会の名前が気に入りません。「エネルギー危機管理特別委員会」というものだからです。原発が動いていないから、「危機」だと言っているようだからです。

 僕も広島県民として、再稼働をしないことを求める請願を提出しました。だからこの委員会を傍聴するために県庁に参ります。委員会の傍聴席は6席くらいと聞いていましたからくじ引きになるようで、ダメの可能性が高いのですが、とりあえず参ります。

 それにしても中村時広知事、浪花節というか白々しいこと甚だしいという男だと僕は思っています。少し歌舞伎役者という顔付きで、自らを「イケメン」とも言っているようです。松山市長から知事になった人物ですが、女性からの人気が多く女性票が多く集まったとも言われてます。その顔の判断はみなさんにお任せですから、ホームページからでも顔を拝見してください。

 この中村くんの今のスタンスは「白紙の状態」としています。これも白々しいのです。彼は伊方原発の再稼働については、「3条件」というのを出しています。それは「国の考え方」「四国電力の取り組み姿勢」「地元の理解」です。

 9月県議会で各会派からは、再稼働判断は中村知事の「安倍晋三首相との面談」の正否だとの見方が出ています。知事は「首相の言葉にこだわる。2,3分でも時間を頂ければ東京へ行く」と主張し、首相の「言質」を大きな判断の材料にしています。

 首相の発言というのにこだわる気持ちも、全く分からないではありません。それは8月に再稼働した九州電力川内原発では、首相の発言というのが無かったからです。今後の再稼働問題で、首相の発言という「お墨付き」というのが必要条件ということにしたくない政府サイドの抵抗です。

 だからといって、たかが安倍晋三から「再稼働には責任を持つ」という「お言葉」をもらって、それが何になるというのでしょうか。バカバカしくて白々しくて、これぞ究極の浪花節、ヤクザの手打ちで汚い指を「落とす」ようなものだと思います。

 再稼働問題に対して、伊方原発の周辺自治体ではマスコミによる世論調査や、市民団体などのアンケートが行われていますが、その全てが再稼働に反対です。それでも伊方町議会を含め、30㌔内自治体の議会では、再稼働に理解をする決議などが相次いでいます。

 それが30㌔を離れると、再稼働反対になるのです。隣りの高知県ではほとんどで再稼働反対です。9月16日には松山市で小泉純一郎元首相の講演会が開催され、「今までの『核のごみ』の処分場もないのに、再稼働すればまた増える.伊方であろうが、どこであろうが、再稼働はすべきではない」と熱く語っていました。


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