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広島の墓地

 7月30日は、母の命日です。1998年ですから17年前です。85歳で亡くなりました。この僕ですら、母が亡くなった後にうつ状態となり、長い間通院し苦しんだものです。

 しかし今では、30日だったか31日だったか分からない程に「回復」してしまいました。朝食の時妻に、「何日だったかいねえー」と聞いて確認したようなことです。

 ということで、今朝は墓に行きました。墓は歩いて10分くらいのところにある光禅寺のお寺の境内にあります。

 僕の住んでいるところは広島市内中心から約11キロの場所で、現在は広島市佐伯区ですが、以前は広島県佐伯郡五日市町でした。

 その場所にあるお寺の墓地ですが、墓の石に刻んである墓標は「昭和20年8月6日没」というもの、そしてその数日後というのが目立ちます。それも10歳にもならない子ども、10歳代の人が多く、これは原爆による死に間違いありません。広島市内の墓地ではもっと多いとも聞きました。

 改めて原爆の惨たらしさを実感しました。NHKの原爆に関する世論調査が明らかにされていますが、原爆の投下日時を知らない人、原爆投下は「やむをえなかった」としている数が「許せない」を上回ったこと、核の傘が必要だと認める人などが、予想外に多い数字を示していることには、少しがく然としました。

 先日、朝鮮人被爆者協議会の結成40年の集まりがあり、参加していました。強制的に日本に連れてこられ労働に従事させられ、原爆に遭い、亡くなった人、故郷に帰った人、韓国に住む被爆者はそれなりの援護施策を受けていますが、北に帰った人は国交が無いということで、何一つ援護の手は届いていません。北に住んでいる被爆者は約200人という報告もされていました。

 「被爆者はどこにいても被爆者」です。それも強制的に日本に連れてこられた人たち、国交が無いということで援護の対象から外されるということは納得できません。

 この集まりでは、広島市長の挨拶が○○局長という市の人が読み上げたのですが、ひと言も朝鮮半島に住むとりわけ北の被爆者へ思いを馳せる言葉はありませんでした。国の国交が無いのは仕方ないにしても、広島市は独自の施策として何らかの事をやったらどうでしょうか。

 若い頃、朝鮮人被爆者協議会の人と一緒に広島市内に住む朝鮮人被爆者の調査を行ったことがあります。「原爆スラム街」といわれたところに住んでいた人たちは、高層アパートに住み移ったのですが、この高層アパートを訪ねて話しを聞いたことを思いだしました。

 被爆体験の継承ということが言われてますが、継承とは素晴らしい人との出会いの中で、教えられ、期待され、託されたことを自分自身の使命として、今後の中でその思いを如何にして実現させるために努力をしていくかだと、僕は思っています。


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上から下からの広島県

 こういう自治体はたぶん無いのでは、と思います。それはわが広島県です。広島県が、島根原発からの避難者16万8900人受け入れることになっていることは、このブログでも書きました。橋の通っていない大崎上島町を除く全ての市町です。こんどは伊方原発からの避難者も受け入れることになりました。

 6月10日に広島、山口と四国4県、そして大分県、合わせて7県の防災担当者の会議が開かれ、広島県は伊方原発避難者も受け入れることになりました。これまでは、愛媛県内と大分、山口の両県に逃げることが決まっていましたが、プラス四国の残り3県と広島県でもと決まりました。

 広島県のどこで何人、どこの施設で、どういう避難ルートでということは全く決まっていません。先日の新聞でも「島根原発に続き伊方も避難先に 広島県対応まだ白紙 ルートや施設、課題山積」という大きな記事が載っていました。まさに「上から下から」という広島県です。

 伊方原発から広島県境までは約60㌔、島根原発からは約50㌔です。両方の原発で、同時に避難をする事態はたぶん起きないだろうとも思いますが、可能性がゼロとはいえません。

 「原発事故で避難は現実的か?」という問題は横に置いていても、広島県の対応が決まっていないのに、伊方原発3号機の再稼働について原子力規制委員会がOKとしたのは、まったく納得できません。

 そして愛媛県知事も当の伊方町長も、どちらかというと再稼働に前向きです。何よりも広島県知事が何にも言わずに、再稼働の動きについて知らんぷりをしていることが理解できません。

 広島県と四国の間には橋はありますが、瀬戸内海という海を隔てています。

 この間の原発再稼働をめぐる自治体の動きを視ていると、「他人事」という思いを強く感じます。
 「たぶん福島原発事故のような事故は起きないだろう」「起きるかも知れないが、広島県が関わることはないだろう」「広島県が関わることがあるかも知れないが、自分が働いている時にはないだろう」という、根拠のない「ないだろう」の楽観的というか脳天気な姿しか感じられません。

 広島県で避難を担当する県庁の危機管理監の新聞コメントは、「隣県での有事で連携するのは必要なことだ。これからしっかり協議を進めたい」としているようです。せめて「避難計画がキチンと決まらずに再稼働はありえませんよ」くらいは発言したらと思います。

 島根原発からの避難者で、広島県の人口は5.9%増えることになっています。神石高原町では21.3%増えます。伊方原発からのは決まっていません。そこまでしても「原発が必要」をいう人に、その本音を聞きたいのですが。やはり「ないだろう」が根底にあるのではと思うのですが。

童心寺物語

 小学生か中学生の頃かはっきりした記憶がないのですが、学校に「童心園(どうしんえん)」から通学している同級生がいました。正しくはこの地の、戦災児育成所の施設の中に建てられたのが、「童心寺」というお寺です。僕らの記憶では「童心園」で通じていました。

 戦災児育成所は原爆孤児たちが暮らしていた施設で、ある個人の人の努力で原爆の落ちた年の12月に開所しています。

 友だちになったのは、その中の二人です。男子の名前は、はっきりと覚えています。どこかでこのブログの事を知ったら是非とも会いたいので、あえて名前を書きますが福間如月(ふくま きさらぎ)くんです。如月くんですから、たぶん2月生まれなのでしょうね。

 昨日、佐伯区民センターで被爆70周年記念演劇 廣島戦災児育成所 童心寺物語が上演され、観にいきました。

 僕は原爆から4年後の1949年生まれで、如月くんも同級生です。だから原爆孤児では無かったと思いますが、彼には両親がおらず、ここから通学していました。お昼の弁当時間になったら、弁当を持ってこなかったのか食事もせずに運動場の端辺りに座っていました。ここから通っていた、もう一人の女子は食べていましたから、弁当を作ってもらわなかったのではないと思いますが。

 ここのことは映画「青葉学園物語」にもなっています。今はシャッター商店街の状態みたいですが、僕らが「マーケット」と言っていた商店街でロケをしたのも思いだしました。青葉学園の子ども達が広島市内の百貨店に遊びに行ったときシーンに、その通りが使われたのだと思います。

 それにしても舟入高校演劇部の舞台は感動でした。「原爆」や「ヒロシマ」をテーマにした創作劇に取り組んで、その歴史は40年以上ということですから、歴史も伝統もある演劇部です。僕も演劇は時々観るほうですが、高校生演劇は大人のよりも感動させると思います。

 このことを作家で同じように演劇に興味を持っている友人に伝えたら、「演劇は楽しいですよ!特に高校演劇は最高です。あざとくないからね。」と返事がきました。言葉を知らない僕ですから「あざとくない」の意味がすぐに分からずに、インターネットの辞書で意味を調べました。なるほどねーそういう意味なのか。

 この演劇部のモットーは「目線を高く、いい顔で」、これも良いですね。良い言葉などはすぐに取り入れる性格ですから、僕も今からはこれを頭に入れて明るい顔で前に向きたいと思いました。

 この童心寺は老朽化して、1980年1月に解体されました。戦災児育成所は、今は障害者通所施設の皆賀園(みながえん)となっています。

 ちょっとした違いで原爆の時に3歳だった姉は、原爆孤児になっていたかも分かりません。僕なんぞ、この世に生まれてくることすら出来なかったのです。原爆から70年、今「継承」ということを考えています。

 それにしても福間如月くん、今、どうしていますか?話したいことがたくさんあります。

1991年5月28日朝日新聞「天声人語」

 前号のブログで、次号には祝島修学旅行のことを書いた朝日新聞の「天声人語」を載せると書いたら、リクエストのメールが来ていました。今、8月6日の「ヒロシマの日」が近づき、何かと忙しくしていたので、ブログもサボっていました。

 1991年5月28日付けの朝日新聞「天声人語」で、祝島のことを書いた部分は次の部分です。
►大阪府富田林市の中学校が、来月の修学旅行で山口県の島に寄る計画を立てた。原発問題学習のためだった。ところが市教委が「原発反対運動に利用される」と待ったをかけたそうだ。原発を知り、調べ、いろいろな角度から考える。その機会として利用すればよいのに►その努力をするのが教育に携わるものの仕事だ。子供たちを、問題から遠ざければ安全、と考えることは子供のためにならない。学校を、純粋培養のための閉鎖された場所にするのではなく、市民生活への助走の場として考えることが大切だ

 柳井市の高校で安全保障関連法案の問題で、生徒たちが議論したこと、この「天声人語」の視点から見ても、県議会で自民党議員が教育長を責め、教育長も謝罪することなどもっての他だと思います。ついでに後日談ですが、村岡嗣政山口県知事が記者会見で謝罪答弁を「特段異論はない」と話したとのことです。

 「戦争法案」が衆議院を通過してしまいました。18日には全国一斉に「アベ政治を許さない」のメッセージを掲げる行動が行われました。僕はちょうど上京していて、東京水道橋駅近くの通りで30人くらいの人たちと通行人に向かって掲げました。

 この法案に対して、高校生や大学生という人も含めて若い人たちの中にも、反対運動が盛り上がってきているように思います。平和が脅かされる状況になった今、若い人も身体で直観的に危機感を持ったのだと思います。僕たち高齢者にとっては、これら若者の反対運動に対して、未熟だとか不満を思うかもしれませんが、ここは包み込むような大きな心と寛容な気持ちで、しかし優しく指導することも忘れないで対したいと思います。

 上関町の祝島を好きになった若い青年男性で、初めて映画を製作したという人の「祝福(いのり)の海」という作品をDVDで観ていました。初めての作品にしてはとても良いものだと思いました。

 今日は芥川龍之介の命日です。朝、レンタルビデオ屋へ行き「羅生門」の映画を観ていました。これは芥川龍之介が1915年、23歳という年齢で小説にしたものです。このような若さでこんな名作が書けたのですね。若い人の新しい感覚に多いに期待し、若い芽が萎縮しないように育てるのも僕の大切な役割だと思っていました。

現在の課題を議論してこそ教育ではなかろうか

 山口県柳井市の高校の授業で、安全保障関連法案を取り上げたとして、7月3日、山口県議会で自民党議員が一般質問の中で「政治的中立性があるのか疑問」と問いただし、教育長が「配慮が不足していた」「学校への指導が不十分だった」と謝罪したことが問題になっています。

 この質問が行われた前に、僕の知り合いの議員がこの問題を取り上げた時には全く問題にされなかったのです。にも関わらず、ここに至って教育長が謝罪するというのは、やはりアベシンの足下を証明する出来事だと思います。これで、ますます教員が萎縮し現在の課題を取り上げることなく授業をせざるを得ないと思うと、やりきれない気持ちです。

 来年の参議院選挙から選挙権が18歳以上に引き下げられるので、という理由からではありません。僕も以前(20年以上前)には、小学校・中学校で原発反対の話しをしたことがあります。そして中国電力からもやってきて、賛成の話しをしました。両方の意見を聞いて、生徒たちが議論しあうというのは面白いし、現在の課題に合う授業だと思いました。

 安全保障関連法案について高校生が議論しあうということは、素晴らしいことではないでしょうか。この法律を高校生が考え、議論しあうというのは当たり前の話しではないでしょうか。

 選挙権年齢が引き下げられることに関連して、自民党が主権者教育についての提言を安倍首相に出しました。教員の政治的中立性を徹底させ、その政治的行為の制限違反に罰則を科す法改正を求めるのには、あきれ果てました。提言では「教育公務員の政治行為の制限違反に罰則を科すための法改正を行い、偏向を防ぐ具体的手当てを確立すべきだ」と書き、高校生には「高校生の政治的活動は学校内外において基本的に抑制的であるべきだ」としています。

 日本の歴史授業問題点は、戦後を教えないということが言われています。聖徳太子や戦国時代は教えるけど、肝心な現在は教えない、だから歴史が「むかし、むかしあるところに…」の物語り授業になるのではないでしょうか。

 僕はアメリカの高校生に原爆に関する授業をしたことがありますが、「戦争終結のために必要だった」「日本は真珠湾攻撃をした」とか、「一般人を殺す兵器は許せない」ということで生徒たちは授業時間が終わっても、議論していました。

 「原発反対」は偏向教育だとしながら、中国電力の社員らは高校や大学などで、「原発必要」の話しをしているそうです。これこそ偏向ではないでしょうか。


 もう何年も前のことですが、広島に修学旅行に来た大阪府の中学生をフィールドワークとして、上関町祝島を案内したことがあります。祝島に住んでおられた原発で下請け労働をした人から体験談を聞き、その後名物の枇杷狩りを楽しみました。このことに対して、上関町教育委員会や町会議員から修学旅行を行った学校やその地の教育委員会に対し、「偏向」だという抗議の声が寄せられたのを思いだします。

 この修学旅行、生徒たちから人気があってその翌年も実施されました。当時の朝日新聞は天声人語でも取り上げてくれました。忘れられない出来事でした。天声人語の内容については、字数の関係で次号に譲ります。

「あの時は言える時代ではなかった」は聞きたくない

 NHKが放映した、フェイス「届かなかった声 ~新資料が語る“海の特攻”の真実~」というのを観て思いました。

 “海の特攻”といわれた人間魚雷「回天」と、潜水具を身にまとった兵士が竹ざおの先にくくりつけた爆弾で、敵艦を自爆攻撃するという「伏龍(ふくりゅう)」の話しです。

 どちらも大きな欠陥がありました。「回天」は、行き先をコントロールするハンドルが効かないのです。そして「伏龍」は海底で岩などに当たった時、海水が化学反応をして、毒ガスを吸い込んだようになって死んでしまうというものです。これらの欠陥は、どうも作った段階で分かっていたようです。

 テレビには、元・「回天」乗り組み員だった、既に90歳は超えた人が出ていました。これらの「兵器」の致命的な欠陥を明らかにした物を見て、「分かっていたけど、あの時は言えなかったのです」と、反省の顔で話していました。「言えなかったのです」というのも、時代が時代ですから分からないでもありません。しかし、なんとなくどうしても不愉快でした。

 これと同じようなことを、7月11日付けの朝日新聞「原発回帰 再稼働を問う」の核燃サイクル再開にらむ、の中で日本が核燃料サイクルでプルトニウムを持ち続ける政策についての記事から、思っていたからです。

 記事の最後部分ですが、1988年の時に外交官で、元原子力委員長代理だった人の言葉です。プルトニウムを持たない方が良いのではと思った部分で、「それは、みんなそう思ってるんじゃないか。私に言わせれば、心の中では思っていても、言ってはいけないことだが」とのくだりです。

 「回天」「伏龍」、そして核燃サイクルのことも、同一だったからです。誰を守るために、この人たちは「言えなかった」のかということです。それは多分に自分そのもの、家族、そこから生まれた社会的・経済的な地位、「バカにするな」と叫びたくなりました。

 中国電力もその時は責任ある地位だった人から、「あの頃は言えなくてねえー。ご迷惑をかけました」という類のことを聞くことがあります。「応援していますから頑張ってください」とまで言われると、蹴飛ばしてやろうとも思うのです。。

 僕も長い間サラリーマン生活をしましたが、職場でも言わねばならないことは言ってきたと思います。そのことを自慢しているのではありません。最近の状況を観ると、なかなかものの言えない構造になって来ているようにも思うからです。思っている意見が言われない社会、口を閉ざしてしまわざるを得ないような社会にさせてはいけません。
 「あの時は言える時代ではなかった」と言い訳はしたくありませんから。

やっぱりアベシン足下の県

 山口県は安倍晋三の足下(そっか)県と自認していますが、その通りでした。保守王国とはいえ、「足の下」まで言うことはなかろうがと思っていましたが。

 その山口県議会は、国民的な大反対運動が行われている「戦争法案」について、その成立を行うようにという「意見書」を7日の県議会総務企画委員会で可決し、10日の議会最終日の本会議で採決するようです。

 7日の委員会採決の3日後には本会議で採決ですから、これまた急いだものです。あれだけ丁寧に説明すると「足」が話しているのですから、いくら何でも早いと思います。早くやるものなら、7度目の補足説明を中国電力に求めるなど上関原発の埋め立て免許の失効の方が大切なのではないでしょうか。

 自民党の24人に、自民党から分裂した会派に公明党など38人の議員が賛同するようです。総勢47人ですから、見事に「右(極右)にならえ」です。同じ自民党系とはいえ、せめて2~3人の反対・棄権の議員がいるだろうと期待してはいましたが。

 これに対して、法案の慎重審議や廃止を訴える意見書提出などを求める請願などが5件ありましたが、委員会の中では自民党などの反対で否決されました。

 意見書案は安倍晋三が会見や国会で話していることのコピペですが、「今や、国際的な脅威は容易に国境を越えてやってくる」「平時から武力攻撃には至らないグレーゾーンの事態、我が国に対する直接の武力攻撃に至るまで、あらゆる事態に対処できる切れ目のない法制を整備する必要がある」「こうした法制を整備することは、抑止力を高め、争いを未然に防ぐ」と書いています。

 議会議長は畑原基成くんという人ですが、安倍晋三首相や菅官房長官とは携帯電話でやりとりする間柄だと自画自賛していました。このこと相当にうれしいのでしょうね。

 たぶん携帯友だちと自賛している、安倍晋三から電話があったのでしょう。舞い上がった畑原くん、「僕で出来ることなら何でもやります」と、二つ返事で了解したのでしょう。県民の気持ちなど全くそっちのけで。目に見えるようです。

 本会議での討論の様子は、山口県議会のインターネット中継で観ることができます。しっかり観て、賛成する議員は次の議会で落選させることだと思います。それにしても僕は公明党が許せません。近所に住んでいる創価学会の人は「この法律おかしいよねー」と話しておられるのですが。

七夕の思い出

 新聞の投書欄に、71歳男の人と思われるのが目に留まりました。「質素な生活懐かしく」というタイトルで、投書者が子どもだった頃の生活を書いておられます。

 裸電球の下で座って輪になっての食事。かやぶきの家で、天井から虫が落ちてきたこと。五右衛門風呂のこと。川の字に並んで寝たこと。テレビの洗濯機もなかったこと。しかし、どの家も同じような生活だったので、不満に思うこともなかった。と。

 それでも、そこには今のような殺伐とした世の中とは違った楽しさがあり、何か希望や夢が持てたように思う。とも書いています。

 僕の子どもの頃の思い出といえば、どの家にも煙突があったということです。どんな豪華な家でも煙突はありました。風呂で、煮炊きようのカマドなどでも、どうしても煙突が必要だったのでしょう。

 紙にしても木材類なども、燃やすことができました。煙突があるからです。「焚き火だ、焚き火だ、落ち葉たき」という歌詞の「たきび」という児童歌謡がありました。今、僕が住んでいるところでは、たきび自体が禁止されているそうです。

 ちょっとした紙きれでも、ゴミ収集用の袋に入れて決まった曜日に出さなければいけません。子どもの頃は、焼いた後の灰は油汚れや黒くなった鍋の下などを洗うのに使ったという記憶もあります。

 前置きが長くなりましたが、七夕が来ると思いだすのは、小学校の2~3年生頃のことだと思います。当時、わが町にもあった有楽座という映画館に母と一緒に映画を見に行き、夜の帰り道で星を観ながら母から聞いた七夕の物語りです。

 その映画館はとっくに無くなりましたが、母が話した道・場所は今でも鮮明に覚えています。あの夜の星は本当にキレイでした。七夕で夢が叶うのなら、夢でもよいからあの時、あの場所、あの会話に戻ってみたいものです。

 あの頃のわが家は、わら屋根のボロ家でした。それでも、思い出で嫌なものはありません。


政治家の発言

 吉田茂首相が国会の場で「ばかやろー」と発言したために、解散総選挙になったという話しを思い出していました。1953年のことですから、僕の中に現実的な記憶はありませんが、知ってはいる話しでした。

 広島県出身の総理大臣経験者ですが、池田勇人が大蔵大臣の時「貧乏人は麦を食え」と発言をし、政治の世界で大きな問題になりました。これも同じ池田勇人ですが、通産大臣の時には「倒産してもやむを得ない」とも発言し、大臣の辞職に追い込まれたというのも有名な話しです。

 安倍晋三が国会で、質問者に対し「早く質問しろよー」と言い、その前は「日教組!日教組!」とも言って自らが野次っていました。そして自民党勉強会での複数議員からのマスコミ攻撃の話し、それでももちろん安倍晋三は総理大臣の椅子に横柄に座っているし、勉強会での発言議員もノウノウと議員をやっています。

 こんな発言をしても、「本気」の責任は誰も取らない。責任を問う立場の人も本気で追及しない。「早く質問しろよー解散」があって当然だとも思うのですが、そこまでの責任が問われないことに怒ってます。

 これまでも政治家の「失言」は、後から言い訳をしたり取り消したりする例は後を絶ちませんね。自分の立場とかいうのを全く考えない、居酒屋での仲間通しの会話のような感じで、公けの場でも発言しているのを見ていると、本当に情けなくなってきます。

 僕は政治家の発言は「本音」だと思っています。「本音」だから、メモや原稿が無くても言えるのだと思います。「早く質問しろよ」なんか、メモにも原稿にもある訳がありません。

 今年の中国電力株主総会は、原発推進発言をする株主もおらず静かな総会でした。議長を務めた苅田知英社長の心は、まるで「心ここにあらず」で島根原発のデータ偽造のことばかりだったのでしょう。一人、会社OBの人が電力自由化に関する質問をしただけでした。

 この質問をした人の近くにたまたま座っていた知人が、その人が読み上げたペーパーには「与党質問」と記されていたそうです。しっかりと「与党質問」をされました。「ご苦労さんでした」です。

 政治家や有識者といわれる人の、考えられないような発言をたくさん聞かされると、軽率とだけで形容できない事態だと思います。生き方について、人生について鍛えられることなく育ってきたからでしょうか。

 二世、三世議員のおぼっちゃん議員だらけと言ってもいいような国会、誰もきちんとした躾をしなかったのでしょうか。人を上から目線で、「どうせ金で」「どうせたかり屋ばかり」というようにしか、考えないようにさせられたのでしょうか。

 収入も暮らしもますます大きくなる格差拡大状況の中で、僕たちが「アキラメてばかりいると」、やつらの思うツボになってしまうのではと思っています。

娘夫婦の愛犬が死

 娘夫婦が育てている愛犬の一匹が死にました。1日の夜、山口市から帰宅途中にメールで知らされました。僕はすぐに電話をしました。娘は泣いていました。

 娘らにとっては、旅行に行くのもその第一条件は犬同伴OKの宿泊先でした。そんなに可愛がっていた愛犬でしたから、その落ち込みぶりは相当なもので、「火葬するのは可哀そうだから、埋めてやる」と、同じ犬好きのいとこの家まで行って、泣き別れをしたようです。

 いとこも最近愛犬が死んだようで、娘に「お母ちゃんやお父ちゃんが死んだ時より、犬が死んだ時の方が悲しかった」と話したようです。「なんたる事」とそのことを聞いた時は思いましたが、分かるような気がしました。

 世界中の何億人かの人が急な事故などで死んだとしても、育てている愛犬の死の方が、悲しいのも分かります。それが「愛情」なのでしょうね。

 僕はメールで「人間もだけど、これで納得という死に方はなかなかないよ」ということを伝えました。戦争、テロ、交通事故、殺人、そしてこの前の新幹線内での巻き添え死などは、どう考えても納得出来ない死だと思います。そして最近はこの納得出来ない死が、多くなったように思います。

 今朝もニュースを聴いていると、アフリカのナイジェリアで約200人の市民が殺害されたという事件を報じていました。こういう事件が多すぎると、一つ一つの事件を、すぐに忘れてしまいます。「納得出来ない死」が増えることは、人も含めあらゆる生き物も命が軽んじられていることだと思います。
 その最たるものはやはり戦争による死でしょうね。安倍政権が強引に成立させようとしている「戦争法案」は、その前の努力を考えずに「死を前提に」外交を考えているようで、どうしても納得できません。

 話しは変わりますが、山口地裁で行われた上関原発スラップ訴訟での本人尋問で、上関原発に反対する祝島島民の気持ちをしっかりと話された橋本久男さん、尋問が終わってからの報告集会で話された橋本さんの顔を見ながら、僕はすでに亡くなられた橋本さんの両親のことを思いだしていました。

 上関原発に反対する強い気持ちとともに、人の心をまとめるための包容力も持っておられた人でした。今年で33年になる上関原発反対運動ですから、多くの人たちとの出会いと別れもありました。その中でも忘れることのできない人です。

 娘夫婦も愛犬のことは、いつまでも忘れないで心に留めておいて欲しいと思います。僕の中にも母と姉はいつまでも存在し、「褒められたい。悲しませたくない」という思いで日々の暮らしをしているつもりですから。

上関原発スラップ訴訟、新たな展開か!

 「どうせ裁判所は勝たせてくれるのだから」という、たるみきった気持ちで5年6か月も中国電力はダラダラと裁判をしていたのでしょうね。上関原発のスラップ訴訟です。

 6月10日と7月1日に山口地裁で行われた、中国電力から訴えられた4人の「被告」の本人尋問。僕も尋問終了後は、双方が最終準備書面を提出して年内に判決というシナリオを描いておりました。しかし、7月1日の尋問が終わった後、裁判長から今後の裁判の進め方についての進行協議の中で、「審議が不十分なので、このままでは判決が出せない。工事妨害で損害を受けたと判断した中国電力側の証人を出しなさい」と促したようです。そのために7月31日に改めて進行協議を行い、暫定的に次回公判日を11月4日に決めました。裁判所も4人の尋問を聞いて、中国電力の理不尽さが分かったのでしょう。

 2009年秋、前年に山口県知事が許可した埋め立て免許の条件とされた、1年以内の工事着手が予想外の強い抗議に遭い、騙しの手段で着手をやったものの、埋め立て工事を儲けたいという地元の土建業者から中国電力に対し、「早くやれー」という声が出ていました。

 電力会社が行う埋め立て工事などでは、大手ゼネコンと地元の中小ゼネコンとのJV(共同企業体)で行うのがほとんどです。理由は地元業者にお金を落とすためです。上関原発の埋め立て工事は、大きく三つの工事(埋め立て・造成・護岸)となっていましたが、地元上関町の業者とたぶん徳山市(現・周南市)の業者がジョイントを組んでいました。主にはそこから「早くやれー」という突き上げが中国電力にされたようです。
 そういう事情の中で、このスラップ訴訟が起こされたものと思っています。中国電力もこの年の12月18日に「原子炉設置許可申請」を行っていますし。

 さて、この時の中国電力側責任者は、地元では上関原発工事事務所長の、岩畔克典(いわぐろ かつのり)さんです。彼はたぶん今は、広島にあるテレビ新広島の常勤監査役をしていると思います。中国電力はテレビ新広島の大株主で、12.4%の株を持っているから、体の良い天下り(再就職)先となっています。これまでも中国電力取締役が、この放送局の社長になっています。
この岩畔さん、能弁な人で中国電力時代の記者会見(される側)でも、原発の必要性をとうとうと語ったことは有名です。

 スラップ訴訟について、この岩畔さんが決済できるほどの大物ではないと思いますが、本店に上申したのは彼でしょう。それを受けてたったのは、本店の常務で当時上関原発プロジェクト長という役職にいた福本和久さん、この人は2012年の人事で中国電力顧問になっています。そして何よりも、最高責任者は現会長で当時社長の山下隆さんです。

 証人申請はこの3人を行って、法廷で「生の言いわけ」を聞きたいものです。考えてただけで、気持ちがウズウズしてきました。

体質改善は出来ないのか?

 率直に言って、「見たくもない。聞きたくもない」という気持ちです。またもや、中国電力による書類偽造事件が発覚しました。腹も立ちますが、嘆かわしいという気持ちが大です。

 「体質」というのは、直らないということもハッキリしました。「体質」をインターネットで検索したら、1、からだの性質。遺伝的素因と環境要因との相互作用によって形成される、個々人の総合的な性質。「風邪をひきやすい―」「特異―」2、団体・組織などがもつ、性質や特徴。「日本人の―に合わない思想」と出てきました。これを見ていたら、そう簡単に直らないのが「体質」ですね。

 事件は島根原発の「低レベル放射性廃棄物」を、ドラム缶に入れて搬出するのに水とモルタルでかき混ぜる時、水の実際の流量と、メーターに表示される流量の値を校正することをしなければならないのに、それを本当は校正していなかった。にも関わらず、校正されていたかのように記録を偽造して、監査に提出していたというものです。

 手順書では、「校正後は6か月を超えて使用しないこと」となっているようですが、去年の5月に実施すべきところを行っていなかったというものです。

 この6月16日~19日の間に、発覚したようです。年に一度の株主総会前に発覚したので、社長も「困ったなあー」と思ったでしょうね。「どこへ行くのかよく分からなかったが、この頃、社長の出張が多かった」という情報もありますし、慌てたのでしょう。

 株主総会前に発表しないというのも、これもまた「だまし」というか「嘘つき」です。

 島根原発のPR館の前庭には、「誓いの鐘」というモニュメントが置いてあります。5年前の2010年3月、島根原発1,2号機で多くの点検漏れ、データ改ざん事件が判明しました。この年の6月3日に、再発防止対策を盛り込んだ最終報告書を国に提出しました。だからこの日を「原子力安全文化の日」と定めて、今年も苅田社長も出向いて、中国電力だけでなく協力会社の人を含む約640人が集まり、鐘が鳴らされ社長が5年前のことを風化させないようにと訴えたのでした。

 「誓いの鐘」が泣いています。いっそ毎日を「誓いの日」として、年中鐘を鳴らしていたらどうでしょうか。それが最大の再発防止の手段かも分かりませんね。

 僕も「体質改善」と思って、衝動的に買ったいろいろなサブリメントを試すことがありますが、これからは飲まないことにします。努力しても直らないというのが、この度の事件で分かりましたから。言葉は不適切ですが「バカは死ななきゃ直らない」というのを思いだしました。
 ヤレヤレ・イヤハヤ。





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