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チェルノブイリ原発事故から29年

 4月26日は、旧ソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故から29年の日でした。

 新聞のスクラップ帳を振り返ってみると、事故から3日後の4月29日の新聞に小さく「ソ連原発事故か 北欧3国で強い放射能」という見出しに、記事としては「28日スウェーデンなど北欧3国の一部地域で強い放射能が観測され、3国の当局者はソ連の原発で放射能漏れ事故があったのではないか、としている」と小さな記事を載せています。

 30日からは、本格的に記事が多くなっています。当時の科学技術庁(現・文部科学省)が、放射能観測を開始したという記事とともに「日本へ影響少ない?」とコメントしています。何の根拠から「少ない」としたのか分かりませんが、原発推進の国としては「少ない」とした方が良かったのでしょうね。この日本の体質は今でも変わっていないし、当時のソ連が事故を直ちに発表しなかったのとそっくりです。

 僕がチェルノブイリ事故を実感したのは、5月の連休のことです。中国地方の交流総会を鳥取県で開いている時、雨の中から高い放射線量を観測しました。参加者みんなが驚いたのを覚えています。

 あれから29年、チェルノブイリから7年前の1979年、アメリカペンシルベニア州スリーマイル島原発でも大事故が起こっています。スリーマイル事故では、この時以降アメリカは原発の新規発注を止めました。チェルノブイリ事故では、特にヨーロッパを中心に原発を止める方向に加速しました。

 そして2011年の福島原発事故、スリーマイル島の時、チェルノブイリの時、「原発は止めよう」と決断していたなら、福島は無かったと思うと悔しいやら情けないやらという気持ちです。しかし福島からたったの4年だというのに、またもやこの国が原発復活に進もうとしているのを見ていると、救いようのない気持ちになります。

 上関原発反対運動の拠点といわれている祝島では、毎週月曜日に反原発デモが行われていますが、そのシュプレヒコールで「ソ連の事故で目をさませー」と声を挙げています。何時になったら目が覚めるのでしょうか。

 29年の日、広島市内では原爆慰霊碑前の座り込み、そして中国電力本店前ではリレートークなどが行われました。僕は両方に参加しましたが、中国電力前での時、20歳代と思われる背広にネクタイ姿の男が僕たちの掲げている脱原発の看板を見て「根拠を出せー」と声をあげながら足早に通り過ぎました。間違いなくチェルノブイリの時には生まれてもいなかったに違いありません。

 最近どうもこの手の若者が増えてきているように思います。若者だけではないかも知れません。「ネトウヨ」とかいう人たちもこの部類に入るかも知れません。こういう人に限って選挙には行かないようにも思います。

 中国電力前に来ていた僕と同年代の人が「抑圧されている気持ちをああいう形でなくて、世の中を変えるようにしてくれたら良いのにねー」と語りかけてきました。



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今年の給料はいくら上げようか?

 実姉から「省ちゃん、今年従業員らの給料をいくら上げたらよいだろうか」との電話がありました。久しぶりの電話です。

 実姉は、関西地方で従業員8人くらいを雇っている電気工事会社の社長をしています。関西広しと言えども、この業界で女の社長は異例です。と言っても、夫が昨年亡くなりその後を引き継いだ形ですが、夫は亡くなる10年ぐらい前から認知症がひどく実質的に姉が社長役をしていました。身内を誉めることは余りしたくはありませんが、姉は僕の自慢です。

 「そうだねーベースアップは3000円くらいで、定期昇給を入れて6000円くらいにしたら。6000円はちょっと多いと思ったら5600円、そう5600円で」と言ったら、「従業員がよう働いてくれるんよ。ここ10年ぐらいは上げてないし。5600円ね、分かった分かったありがとう」と自分の知りたいことだけを聞いたら、さっさと電話を切ります。こういう姉です。

 でも僕が関西に用事があったら姉の家に泊まっていますが、明日が休みという日は日が変わる時間まで話し込んでいます。しかし明日から仕事という前日には、9時になったら就寝して体制を整えています。

 僕が昨年まで勤めていた会社の賃上げを調べていました。正社員はよく分からないのですが、何らかの形で上がったようです。分かりやすく何円、何パーセント上がったというのなら理解ができるのですが、単純な頭ではなかなか理解できない形です。

 しかしはっきりと理解できたのは、いわゆる派遣社員という非正規社員の賃上げは無かったということです。ただでさえ賃金が低いのに、昨年春の消費税引上げ、円安による物の値段の上昇などなど、これで本当に良いのだろうかと他人事ながら心配になってしまいます。これではますます格差が拡大してしまいます。

 非正規の人はボーナスも無く、ほんの寸志です。僕が働いていた頃、僕らにはボーナスがありました。正社員らが悪気があるわけではないのですが、職場の中で、ボーナスがいくらあったという会話をしているのを聞くのは良い気持ちではありませんでした。

 しかし労働者を守るべき立場の労働組合は、「一定の前進を得た」と自画自賛をしています。こういうことをノウノウという労働組合の幹部を、僕は「爺(じい)が自賛」と言ってます。労働組合の幹部は男性が多いですし、年齢が高い人が多いので「爺」で良いと思います。「自慰」とは書いていませんからね。

 これで本当に良いのでしょうか。非正規社員の賃上げのために、要求が実現するまでストライキを行っても良いではないですか。それでも結果が得られないかも知れません。でもそこまでやってこそ、労働組合やいわゆるリベラルというか革新政党の評価が上がるのではないでしょうか。

映画・生きものの記録

 黒澤映画で1955年に公開された、「生きものの記録」というのがあります。原水爆禁止運動に関わっていて、僕らと同世代かそれ以上の人なら、いろいろな意味で影響を与えた作品だと思います。

 鋳物工場を経営している主人公の中島喜一は、「小金持ち」という、それなりのお金を持っています。かれは核兵器の脅威から逃れるために地下家屋を作ったりしましたが、ついにはブラジルに移住すると言いだし、そのために全財産を投げ打とうと本気で計画し、家族や何人もいる妾を誘います。そのためには鋳物工場も閉鎖するというのです。

 これに対して、家族から家庭裁判所に対して父・中島喜一を準禁治産者とする申立てが行われるのです。準禁治産者とは、本人が自分の意思で財産の処分が出来ないというようになることです。この喜一を演じる三船敏郎と、家庭裁判所の調停官役の原田を演じるのが志村喬です。ひと言でいえば、日本の状況に危機感を持ち行動を起こそうとする主人公が、日常の生活を優先する家族から攻められるというものです。

 喜一はとても「マメ」な男です。何人もいる妾に対してもきちんと生活費を渡し、その暮らしにも気を使っています。

 調停官の原田は喜一の訴えに心を動かされるのですが、結局は準禁治産の申立てを認めます。

 喜一は子どもたちから「どうせ人間は死ぬのだから」と説得されるのですが、この時の喜一の言葉が今でも僕の心に残っています。それは「死ぬのはやむをえん、でも殺されるのはいやだ」というものです。

 この映画に対する評価は、様ざまでした。映画監督の大島渚は「鉄棒で頭を殴られたような衝撃を受けた」と言い、弁士であり作家でもあった徳川夢声は黒澤に対して「この映画を撮ったんだから、君はもういつ死んでもいいよ」とまで言って絶賛したそうです。でも興行的にはお金にならなかったようです。

 「世界終末時計」とも「運命の日時計」とも言われるのがありますが、今年2015年は3分前としました。これは東西冷戦の時代と同じです。今年が3分前になった理由は気候変動と核軍拡が進んでいるとしていますが、福島原発事故や、着々と進められる戦争法律の動きを見ると実感させられます。

 黒澤明は「関東大震災の時の記憶が作品の根底にあった」と著書の中に書いていましたが、僕は福島原発事故によって、この作品のリアリティを強く感じています。

 映画の結末は、あえてこの場では書きませんが、最近改めてこの映画をレンタルDVDで観ました。皆さんにも観ていただいて、この映画の現在におけるメッセージについて熱く語り合いたいと思いますよ。

「安心と信頼?」

 先日JR電車に乗っていたら、吊り広告に「安心と信頼のために、できることのすべてを」というJR西日本自らの広告が目にとまりました。

 今月12日、JR山手線の支柱が倒壊したことで、あわや大惨事という事故が起こりましたね。支柱が電車と衝突すれば大事故になると思われます。この異変が最初に確認・発見されたのは10日夜とされています。工事中の作業員が発見したのですが、「すぐに倒れることはない」と極めて主観的に判断して、週明けに補修すればよいと、これまた勝手に判断したようです。

 まさに見通しの甘さが丸見えです。そして12日の午前に倒壊してしまったのです。この事態を受けて12日の夜、JR東の幹部は記者会見で「過去に地震以外で支柱が倒れたケースはなかった」と釈明しています。「ケースはなかった。だからどうなの」と言いたいです。

 後になって、「ああすれば良かった。こうすれば良かった」は誰でも言えることです。前兆現象があったのに、見通しの甘さから放置されていた責任は重大だと思います。

 僕はかって、まさに瞬時で判断し行動に移さなければならないという仕事をしていたことがあります。それも24時間体制での仕事でした。自らの判断で、スィッチを入れるボタンを押すというような操作を伴います。もちろん、二人でチームを組んでの仕事でしたが、そのためには知識と経験が大切でした。「さあーどうしよう」とマニュアルを開いて考えるということでは、時間が間に合いません。

 そして、耳にタコができるほど言われていた言葉があります。それは「空振りでもよいから、すぐに応援を掛けて呼び出すように」ということでした。しかし、深夜の2時3時に呼び出しの電話を掛けることには、やはりある意味での勇気というか決断力が必要でした。それでも電話をすると嫌な態度をされます。

 今回のJR山手線の事故、10日の夜の時点で「すぐに対応していたら、こんなことにはならなかった」というのは、出来の悪い管理職の言葉です。特に11日・12日が土日ですし、大したことで無かったら「休みに出さされて」とブーイングが聞こえてくるのが予想されます。

 昨年8月に発生した広島市内の土砂災害に関して、広島市長の対応の悪さが指摘をされています。市のトップという立場にある人間ですから、責任は当然あると思いますが、彼に言わせれば「だって、そんなに度々起こるものでは無いし。僕が市長に就任してからは起こって無いし」と開き直るでしょう。

 同じことが原発事故でも言えると思います。テレビ映像・メーターとかの計器類で「現場」を監視しているというのですから、なかなか判断が出来ないと思います。
事故が起きていない時だから、「安心と信頼」が言えるのです。

 「東電テレビ会議」という福島原発事故直後の対応を見るDVDを観ていました。
 事故直後というのに、はっきり言って「自分は責任を取りたくない」「マスコミに対して如何に対応して、言い繕うか」しか見えない、ある意味「のどかな会議」でした。


「粛々と」いう嫌な言葉

 辺野古への基地増強に関する、沖縄県の翁長雄志知事と菅官房長官との会談で、菅官房長官が連発する「粛々と」という言葉は、どんなことがあっても強引に問答無用で進めるという意味で不愉快だということを翁長知事が言って、菅官房長官も「これからは使わない」と約束したのはご存知と思います。この約束をしたにも関わらず、直後に安倍晋三が国会の委員会の中で忘れたかのように使いました。この感覚、どうしても理解できません。こういうの一種の病気なんでしょうか。

 原発についても、この「粛々と」いう言葉が通用するほど、国や電力会社などのやり方は強引で問答無用という感じがしてなりません。それが、特に電力会社の場合は本音ではないと思われることを感じさせながら使われるのは本当に不愉快です。

 山口県漁協は原発建設のための補償金は受け取らないという姿勢を崩していない祝島の漁師さんに対し、「漁業補償金配分基準(案)」を決める総会の部会を、4月14日午前9時から柳井市で開催するという通知を行いました。

 これまで4回ほど祝島公民館でこの会を開催するという連絡をしておりましたが、台風の到来や主催者側の間抜けと思われるほどの失態、そして2回は祝島の波止場で山口県漁協の職員が入島を阻止されて開催できませんでした。

 予想されなくはありませんでしたが、この度は柳井市で開催するということにしました。柳井市で開催するということ自体、まさに異常事態です。

 さかのぼれば補償金の受け取りについて祝島は、長年に亘って圧倒的多数の反対で拒否してきました。やがて祝島漁協から山口県漁協祝島支店になってから、補償金を預かっている立場にある県漁協は、執拗にも祝島支店の漁師さんにその受け取りを迫りました。

 2012年2月に開催された祝島支店総会では、重ねて受け取りの拒否をするとともに、この時の総会では「この補償金について祝島支店では今後二度と協議しない」という緊急動議を議決していました。

 しかし翌2013年2月の総会では、またもや受け取りを迫り、議長の選出方法も議場にはかることなく強引に決めるという規約違反をして採決を行いました。この議長の決め方は、「…議長の選任方法を議場に諮って議長を選任する」という規約に違反しています。

 補償金を受け取らないという漁師さんたちは、山口県漁協に対してこの点に対しての質問を行っていますが、県漁協側はまともな回答を行っていません。

 山口県漁協は中国電力や国と一体になって、何とかして祝島の漁師さんたちに補償金を握らせて、固い団結の一角を崩したいようですが、それこそ問答無用で強引な「粛々と」という態度ではないでしょうか。

 祝島の漁師さんの中に「上関原発はどうせ建たないのだし、ほかの支店の漁師らは受け取っているのだから」という気持ちの人もいます。この気持ちも全く理解できないわけではありませんが、国のエネルギーミックスの議論で2030年に原発比率20%以上が決まろうとしている中、上関原発の建設計画が浮上してくる可能性も無いとは言えないと思います。

 「粛々と」という言葉、僕流の言い方ではまさに「ストーカー」です。「もう私を追っかけるのは止めて」と言っても、強引に暴力的に追っかけまわすこのストーカー、「粛々と」といえば上品そうに思われるかもしれませんが、「おかみにたてつくな」とも思われる品のない嫌な言葉です。

統一地方選前半戦が終了

 統一地方選挙の前半戦が終わりました。前号のブログでも書きましたが、僕の住んでいる広島市佐伯区は、市長、県会議員、市議会議員のトリプル選挙でした。

 いつもより繰り上げて放送された「花燃ゆ」を観て午後8時、広島市長はすぐに「当確」が出るであろうことは想像していましたが、まさかの北海道知事選挙で当確が出たのには驚きでした。結果は別にしても、最後までもつれにもつれるものだと予想し期待もしていました。

 知事や市長といった首長は、やはり現職が強いというのを実感しました。その意味でも、沖縄県知事選挙での翁長さんはすごいと改めて思いました。

 選挙を終えて思うこと、なんといっても投票率の低さです。広島市のようにトリプル選挙になれば、なんとか上がるものでしょうけど、これが県議会選挙だけだったら、もっと下がっていただろうと思います。それでも41%少しです。

 先日、中国新聞の「今を読む」という欄に、文芸評論家の斎藤美奈子さんが「18歳選挙権」というタイトルで書いていたのを思い出しました。

 「なぜ若者は選挙に行かないのか」と首をかしげる大人には「では、なぜあなたはAKB48の選抜選挙に参加しないのか」と問うてみたい。多くの人が絶句して、「だって興味がないもの」「私には何の関係もないし」と答えるだろう。特にこの部分です。

 沖縄県知事選挙に辺野古移転反対の翁長さんが当選して、沖縄県の人たちの意思がハッキリしても国は「粛々と進める」という。こんな民意無視のことをやられたら「選挙に行っても変わらない」という気持ちになるのは当然かも知れません。でも選挙権を持っている人がこういうように思うことは、とても恐ろしい時代の到来が来ると思います。

 原発問題について、新聞は「原発是非 深まらぬ議論 生活に密接 争点化回避も」という見出しで書いていました。北海道知事に当選した高橋はるみくん、この人は原発推進のゴリゴリです。それでも原発問題については、争点化をあえて避けたような感じです。民主党が押した新人の佐藤くんは「再稼働はしない」と明確でしたが。その民主党が各地の選挙で自民と相乗りをするという一貫性の無さは、「ウソもの」に思えてならないのです。広島市長に当選した松井一実くんの後で「バンザイ」を繰り返す、連合や民主党の代表者の顔は偽物の顔でした。

 そして選挙でもう一つ思うことがありました。それは候補者の親の時代からその地域での有名人で、絶対に落ちることはないだろうと思っていた人の落選です。西区の候補者のお祖父さん、亡くなった僕の母親がまだ元気に働いていた頃からの有名人でした。

 南区の宇品というところでは絶大な支持を受けていると思われていた候補者で、かつて長い間市議をやり市長選挙にも立候補した経験のある人、この人のお父さんはこれまた有名な国会議員でした。しかし落選しました。

 僕は山口県議選挙で宇部選挙区から立候補した佐々木あけみさんを応援していました。といっても宇部市に知り合いがいる訳ではありませんが、選挙カーにも乗り、ウグイスならぬカラスをやり、個人演説会では前座の応援のあいさつもしました。この度は定数1名減になり現職が必ず落選するという選挙でしたが、最下位ですが見事に滑りこみました。心底、嬉しかったです。

 「山椒は小粒でもピリリと辛い」というのがありますが、佐々木さんには47名の議員の中で「ピリリと辛い」存在になって活躍して欲しいと思っています。



上に立つ者の資質

 僕の住んでいる広島市佐伯区では、地方選挙の真最中です。市長、県会議員、市議会議員のトリプル選挙です。国会議員も知事選挙でも、ほとんど候補者カーは見かけないのですが、トリプルですからわが家の前の通りを走ります。

  「広島を変えます」「元気のでる広島にします」「若さと行動力」とまあー、抽象的なことをノウノウと言うわという思いです。「広島を変える」どこをどうしてどう変えるのでしょうか? 「元気のでる広島」どこに元気が無くてどうやって元気にするのでしょうか?「若さが行動力」若ければ行動力に結びつくのでしょうか?最近の若者は「若年寄り」の傾向が強いと言われているのです。

 昨年山口県知事に就任した村岡嗣政くんは、国内で二番目くらいの若い知事というのが、「売り」でした。同じように「若さと行動力」をアピールしていました。でも上関原発でも岩国基地でも、その政策には彼の言動には何の行動力も若さも感じられません。

 沖縄の辺野古基地問題で、今日に菅官房長官が翁長沖縄県知事に会うそうですが、なぜ安倍晋三くんは会おうとしないのでしょうか。会談の方向で調整中というニュースもありますが、これは「会った」というセレモニーだけのものとしか考えられません。アベシンの頭の中は自分のことしかないという、ある意味で政策も配慮も無い男ですから。ヘルメットをかぶって辺野古で反対行動をしている人のところに出向いて、「説得」をしてみるだけの根性や勇気も無いのでしょうね。

 思い出すのは、上関原発の埋め立て工事に着手する時の平生町田名埠頭での、中国電力側の灯浮標(ブイ)搬出をめぐる時の攻防です。中国電力は事務所の職員にマイクを握らせて、「みなさん、早く祝島へ戻りたいでしょう」「これからは第一次産業、二次産業の時代ではありません」と訳のわからない「説得」をしていました。その顔にはまったく「本気度」は無しでした。
 僕は中国電力に言いました、「これぞ最高に説得が出来る機会と場なのに、なぜ山下隆社長(現・会長)さんは、この場所に出向いて説得ができないのでしょうか。いつも反対派の人に理解を得ることが大事だと言ってるのは、嘘なのでしょうか」と。

 自分に自信がないのでしょうね。これでは人の心は動きません。もう20年近く前といわれてますが、沖縄の基地問題で当時の橋本龍太郎首相は、10回以上、同じく当時の太田昌秀沖縄県知事と話しをしたそうです。人を説得するのなら、これぐらいの努力と行動をすべきではないでしょうか。

 話しが横道にそれますが、最近の若者は好きな女性に「好きだ」ということを言うのが、苦手になっている傾向が強いと聞きました。伝えることをせずして、どうして彼女の気持ちを得られようか。変に曲がってストーカーにしかなれないのか。

 嫌なことは自分ではしたくない。自分で基地も原発も嫌なことだと思っているのなら、当然に地元の住民は嫌なことです。

 政治家から候補者から、「本気」が聞こえてきません。抽象的なアピールを何度も聞かされるのは、まさに嘆かわしい限りです。


小津映画を観て

 僕は映画好きで、近くのTSUTAYAでは常連です。特に金曜日は60歳以上は旧作1本無料ですから、ほとんど毎週行ってます。

 以前からですが、日本映画では小津映画や黒澤作品を観ています。木下恵介も好きです。好きな女優を挙げろと言われたら高峰秀子ですから、これらの監督作品に高峰秀子さんがたくさん出演しているからかも知れません。

 先日、1961(昭和36)年の「小早川家の秋」という小津映画を観ていました。小津安二郎は1963年に亡くなっていますから、数ある映画のなかでも終わりに近い作品です。

 映画では家屋、家の中の椅子や机、ウチワや扇子、そして主人公の仕事である酒屋、酒屋の中では従業員が使うソロバン、子どもの玩具、そんな物をたくさん観ます。そこで思ったのですが、これらの中に元々の原料が石油というのは一つもありませんでした。ほとんどが木です。

 家屋の塀も廊下も全て木製品だと思いました。僕の部屋では、「あえて」という感じで木製品を使っているつもりですが、計算は電卓を使うし椅子や書棚の元をたどれば原料は石油ですね。

 ホームセンターなどで売っている家具も、見た目は木のように見えても、合板に木をデザインしている物が貼り付けてあるので、これも石油ですね。
 もちろん当時はエアコンも在りません。ウチワや扇子で涼を受けていました。そして、家そのものが木で出来ているし密閉されていないので、それだけでも、涼しさを感じます。

 飲食をしているシーンもありますが、テーブルに載っている刺身が今より新鮮にすら見えました。汚染されていない分、魚も新鮮だったに違いありません。

 先日のブログにも書きましたが、電力問題を議論する時に石油が後何年採取できるかという事を言われます。「石油が無くなるから原子力を」という脅しにも似た宣伝です。
 石油は後300年ともいう説がありますが、その後に原発を使うようになったとしても、並行して原発を使うにしても石油が無くなってしまえば、今の石油漬けの社会では玩具も椅子も机も家の壁もどうするのでしょうか。原子力で椅子も家の壁も作れません。分かりきった話しです。

 「木の感覚」というのが、今さらまたという感じでブームのようにもなっています。

 木や竹といったような植物は、太陽の光と水といった自然のエネルギーが在れば何時までも、いくらでも作ることが可能な物質だと思います。1961年といえば、ほんのこの前のことですよね。



エイプリルフールではありません。

 3月30日のことですから、エイプリルフールではありません。
 30日、友人からメールで連絡がありました。この友人がある内科の開業医さんに行ったら、待合室に反原発新聞と僕たちが2か月に1度の間隔で発刊しているニューズレターが置いてあるということでした。

 メールに書いてある病院名を見て、すぐに分かりました。わが会の会員で反原発新聞も購読されている方です。メチャクチャ嬉しい気持ちになりました。

 僕たちは往々にして口では知ったようなことを話しても、そして身近ではないところでは偉そうなことを言っても、自分の一番身近なところでは黙っている傾向が多いと思います。

 この人の場合、開業医さんという仕事の性格から普通の勤め人とは違うかもしれませんが、これで患者が減ったかもしれませんが、たぶん増えたと思います。

 ある商売をしている友人が話したことを思い出しました。「私らの世界では、宗教と政治問題はタブーだ。それを言うとお客が減るんだ」と。

 これまたある友人の話しですが、この人は行くところ行くところにいつも署名用紙を持っていました。もちろん原発に反対することを求める署名用紙です。この心構えにはいつも感心していました。

 意味のないことが書いてあるTシャツを着ているより、「原発反対・再稼働反対」というようなのを書いてある方が、着ている方は結構プレッシャーを感じるかも知れませんが強いアピール力があると思います。
 僕も若い時は、こういうこともしていましたが、年齢とともにまさに「自己抑制」する傾向になってしまいました。

 正々堂々と例えば電車の中でも、自分の考えを主張できる服を着ることは法律違反でもないし、実行すべきことですね。これが恥ずかしいと思わないような根性も大切ですね。

 最初に書いた開業医さんに今後は、待合室用と本人さんように、それぞれ2部送るようにしようかと思っています。春から嬉しい気持ちになる出来事でした。

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