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原発電気が安いという屁理屈

 こういう屁理屈が通るのかと、新聞を見て驚きました。経済産業省が検討している2030年の電源構成(エネルギーミックス)を決める議論の中で、電源ごとの発電コストを決める議論を視てのことです。

 福島原発事故が起こった2011年、当時の民主党政権は「コスト等検証委員会」において原発コストを決めました。この時は、原発のコストに事故による損害賠償や除染に伴う費用、原発を受け入れた自治体に国が支払う交付金など、これまでの試算では盛り込んでいなかった費用を加えました。

 その結果、これまで1㌔ワット時あたり5.9円としていた額を、1.5倍増やして8.9円としました。そして福島原発事故に対する損害額が1兆円増えるごとにコストを約0.1円ずつ増やすとしていました。それでも僕はこの額は安すぎると思っていました。

 この度、経済産業省に置かれた「発電コスト検証ワーキンググループ」は、4月中にも結論をまとめるとしています。このワーキンググループの中で委員から出ている意見は、原発のコストを下げるべきだというものです。下げると聞いて「ウソッ」と思われるかも分かりませんが、その理屈は次のことです。

 それは新しい規制基準によって、電力会社が行っている過酷事故対策工事で「事故の発生確率が少なくなった」という理屈です。原子力規制委員長ですら「適合審査申請に合格したからといって、原発の安全性が保証された分けではない」と発言しているにも関わらずです。反対に再生可能エネルギーは、送電網増強などのコストや、固定価格で買い取る制度(FIT)の賦課金を上乗せしたらもっと高くなるという理屈です。

 確かに各電力会社は過酷事故対策の工事を実施しています。しかし、どれもこれも対策の立証実験が行われていない対策です。沸騰水型に義務付けられている「フィルター付きベント装置」は、本番で本当に動くのでしょうか。動かしてどれだけの効果が出るでしょうか。動かしたがために、放射能をまき散らすことにはならないのでしょうか。

 中国電力も島根原発2号機の「過酷事故対策」で、明らかになっているだけの費用は、すでに2000億円以上とされています。そして新たに、テロや航空機衝突に備えた、特定重大事故等対処施設の敷地造成と施設の建設費で、合わせて約690億円を投じることも明らかになりました。僕は総額4000億円近くになると予想しています。4000億円とは原発1基分の建設費用に近い額です。

 それでも原発コストは安いというのでしょうか。廃炉は用意しているお金でやれると思っているのでしょうか。

 究極の屁理屈で「原発は安い」という、この感覚。福島原発事故などまるで無かったかのような政府・電力会社の感覚、空いた口が塞がりません。

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賃上げ要求と合理化提案

 「島根原発の運転再開の見通しが立たないので」という理由で、中国電力が人事・労務諸制度見直しという「合理化案」の第1弾を労働組合に提案したのは2013年1月のことです。この時は各種手当の「見直し」や助成金や給付金の廃止・減額でした。

 その第2弾が労働組合に提案されています。今度は組織の集約という名の廃止や集約が主だと聞いています。統廃合です。

 僕が昨年3月末まで働いていた会社も、集約・統廃合を急激に推し進めてきた会社でした。今のようにコンピュータ技術が進めば集約や統廃合は、やる気になればどんどん進めることは可能だとは思いますが、お客へのサービス低下は否めません。特に高齢者や障害者といった人は不便になるものです。

 一方で中国電力の労働組合は、6年ぶりという賃金のベースアップを要求することが新聞などで報道されています。ボーナスも引上げを要求するそうです。賃金の引上げ要求は2%という数字ですから、トヨタ自動車といったような大企業の要求水準と横並びです。消費税の引上げや円安による物価値上げの中で働く人の賃上げ要求は当然だと思います。

 話しは戻りますが、第2弾で労働組合に提案された組織の集約や統廃合は、第1弾とは大きく異なる働く者にとっても不都合が生まれてくることが多いものだと思います。何といっても職場が無くなるのですから、単身赴任や通勤時間の長時間化が増えてきます。そして子育てをしながら働いている人にとっては、やむを得ずに退職に追い込まれることにもなる問題です。

 上関町に地元の町会議員からの強い働きかけで中国電力が造った、原発PR施設の「海来館(みらいかん)」というのが在ります。展示もチャチイ物ですが、この館の中では地元から雇われたと思われる人が数人と、館長さんもいます。さまざまな情報から、この「海来館」が廃止されるのではという噂が上がっています。僕もたまにここへ来ることがあるのですが、地元の人たちが談笑をしたり将棋や碁をしています。ある意味、町民から大切にされている施設だと思います。
 「海来館」の廃止が、上関原発の白紙撤回に繋がるとは思いませんが、注目しているところです。島根原発に在るようなPR館を今造るとは思えませんし。

 しかし、労働組合はこの第2弾の集約・統廃合案を受け入れるでしょうね。それが賃上げの要求を中国電力が受けいれることとセットになっているように思えてなりません。労働組合は往々にしてこのような「合理化案」を組合員に説明する時、それを受入れることの理由に「働き甲斐」ということを言います。僕の頭の中では「合理化」と「働き甲斐」がどうしても結びつきませんが。

 テレビなどで写される労働組合の幹部が、会社側に要求書を提出するシーン、最近はどちらが会社側で、どちらが労働組合側かという判断が難しくなりました。僕が若い頃は、労働組合側はすぐに分かりました。組合の服を着ているというだけでなく、雰囲気で分かったものです。それが最近では判断が難しくなりました。どちらも「幹部」のような容姿だからです。僕が古い人間だからでしょうか。

 それと僕の頃の春闘は「国民春闘」と名前が付けられていました。自らの要求だけでなく、年金や福祉といったことも要求として掲げ、労働組合から行政に対する交渉などが行われたものです。この「国民春闘」という言葉、いつのまにか「死語」となったようですね。

国会の傍聴

 2月10日、国会を傍聴しました。忘れもしない初めて傍聴したのは19歳の時です。その時の総理大臣は佐藤栄作で、衆議院本会議の所信表明演説だったのを覚えています。
 それ以来ですから47年ぶりです。19歳の時には間に入って手続きをしてくれた国会議員さんも居なかったので、結構面倒臭かった記憶があります。

 この度は知り合いの議員さんにお願いした関係からすんなりとできました。傍聴したのは決算委員会です。

 まず思ったのは、傍聴券が演劇かディズニーランドの入場券かとも思われるようなカラー写真が印刷された立派なものでした。そして次に驚いたのは、警備の警察官だと思われる人の笑顔と親切な対応です。ニコニコと笑って「ようこそ」という感じでした。「やあー久しぶりなんですよ」と話しかけると「そうですか、ありがとうございます。終わったら新幹線でお帰りですか」とまで。しっかり広島から来ているということは知られていました。

 階段を降りてぐるっと回って、少し歩いてエレベーターで上にあがって、また少し歩いて、またまたエレベーターに乗って、あの赤いじゅうたんの廊下を歩いたら第8委員会室の傍聴者入口でした。まるで迷路です。それぞれのポイント部分には警備の人が立っていて、みなさんニコニコと笑顔で応対。もちろん荷物は全て専用のロッカーに、筆記用具やハンカチなどはOKですが、全て出してチェックされます。そして飛行機と同じ金属探知機を通ります。

 決算委員会では自民党の若い議員が、原発の必要性をしつこく迫っていました。「原発のことをトイレの無いマンションだとかいう人もいるけど、火力発電所から出てくる二酸化炭素なども同じだ」というのには、さすが驚きました。後で知れべたら、福井県選出の議員でした。

 大臣席には農林水産大臣と復興大臣や、その副大臣クラスが座っていました。政府委員席にはあの田中原子力規制委員長がいました。本物を見たのは初めてです。

 質問や答弁を含めて持ち時間が決まっています。一人当たりの時間は自民党が40分、民主党は35分、公明・共産は30分、社民党は20分というように細かく分けられています。共産党は一昨年の参議院選挙で議席を伸ばしたから、30分になったのでしょうね。

 面白かったのは質問者が交代すると、廊下に待機していたであろう政府委員に政府委員席ががっぽりと入れ替わることです。政府委員とはいわゆる官僚です。そんなにたくさんの官僚を連れてこなくても、大臣や副大臣、次官くらいで答弁できるだろうと思うのですが、20人くらいの政府委員が来ています。そして、大臣クラスが答弁するマイク席と官僚が答弁するマイク席が違うのも面白かったです。

 これだけの官僚を引き連れてくる姿を見て、「こりゃ議員、君たちがどんな難しい質問をしても何でも答えてやるぞ」という態度に思われました。そして官僚たちが若いのも驚きでした。

 質問する女性議員のスーツが、黄色やピンクといった派手な色だったのも、また発見でした。一人あの藤圭子に似ているのには「へえー」でしたが近づいてみたら、そうでもありません。服装と髪型が似ていただけでしたが。

 そして傍聴席、前側の席は記者席ですが記者の数は4~5人。それから議員が替わる度に、一般傍聴者がズラッと入れ替わることです。いちばん傍聴席が増えたのは共産党女性議員の質問の時でした。議員も傍聴席を相当意識して質問をしていたように思いました。

 次の待ち合わせの時間が近づいたので、最後の社民党吉田党首の質疑前には退席せざるを得ませんでした。警備の人が「この入場券、どうぞ記念にお持ち帰りください。またどうぞお越しください」なんとも丁寧です。

 つまらない映画を観たり、本を読むよりも、国会傍聴は楽しいですよ。なんといってもタダ(無料)ですし。



爽やかな風

 「イスラム国」の事件以後、僕の気持ちの中も重苦しい状態が続いていましたが、久しぶりに爽やかな風を感じることができました。

 中国新聞に「ヤングスポット」という10歳代の若い人たちの投書コーナーがあります。6日の記事に次のものを見つけました。当初の主は17歳の女子高生です。全文を紹介します。

タイトル:「反原発」30年に驚き
 部活動の練習試合の会場に向かうため、午前7時すぎに車で家を出発した時、平生町の交差点に「上関原発反対」と大きく書いてある旗を持って人が立っていた。
 私は驚いた。なぜなら、中学生だった2年前、やはりこの交差点を通った時にも「上関原発反対」と書いた旗を持った人を見かけたからだ。
 通りかかるとその人は、深々と頭を下げた。2年前もそうだった。「旗を持つ人、2年前にも見た。活動をずっと続けているなんて、すごいね」と運転していた父に話した。
 すると父は「俺が小学生の頃から続けているんじゃないか」と言った。となると、30年近くも原発反対の活動を続けていることになる。私はさらに驚いた。
 こんなに長く反対を訴えている市民の声は、建設計画を進めている人たちに届いているのだろうか。それともこれから先も同じ活動が続くのだろうか。原発問題が分からない私も関心を持った。
という内容です。

毎朝この活動をしている人は、ほんと30年以上前からの知り合いです。投書記事を見て、この人に電話をしました。電話をしてきたのは、僕が二人目だったようです。「ありがとう!ありがとう!記事を見てすごく嬉しかったよ。僕のことを見て、思っていてくれてる人がいるんだ」と、電話の声も爽やかでした。1年365日毎日やっておられます。こんなことを書くと「仕事をしていない暇人か」と言う人がいますが、しっかりと仕事もしておられます。

 上関に原発建設問題が表面化して、今年は33年目となりました。33年間も活動をし続けなければならないことは、本当にそれだけでたいへんなことです。

 上関町では、人を見ると原発建設に「賛成」か「反対」で区別されるようになりました。それは親子でも兄弟姉妹でも、オジオバ、従妹などの関係では、たくさんです。賛成・反対で考えが違うと冠婚葬祭といったことも、一緒には出来なくなりました。
 都会生活の中ではなかなか分かりにくいことでしょうけど、僕はそれを嫌になるほど見せられてきました。

 中国電力の苅田知英社長さん、山口県知事の村岡嗣政さん、この女子高生の投書を「裸の気持ち」になってしっかりと読んで、苅田さんは一日も早く上関原発建設計画の白紙撤回を表明し、村岡さんはそれを指導されたら如何でしょうか。

 この高校生の見た・感じたことをしっかりと考えてもらいたいと思います。それが大人の責任ではないでしょうか。


原水禁結成50年

 2月1日は原水禁結成50年という日でした。1965年のことです。
 その日、東京神田の全電通会館には、各都道府県の原水禁組織の代表、総評・中立・新産別等中央諸団体代表、婦人、民主団体、青年学生、学者文化人ら約500人が参加して結成大会を行ったと『原水禁ニュース』創刊号には記されています。原水禁は「原水爆禁止日本国民会議」の略称です。

 僕が原水禁に関わり始めたのは、1975年頃だと思います。1978年に誘われてアメリカに行ってますから、その頃からだと思います。その後も1987年にニューヨークで開催された核被害者世界大会にも参加しています。から、常任理事になる前から関わりがあったのだと思います。
 広島原水禁の常任理事という役目を担うようになったのは1994年となっています。しかし1987年にニューヨークで開催された核被害者世界大会にも参加していますから、常任理事になる前から関わりがあったのだと思います。

 あの頃の常任理事会には、もちろん代表委員をしていた森滝市郎さん、宮崎安男さん、詩人の栗原貞子さん、被爆者運動のけん引役だった近藤幸四郎さん、被爆教職員の会の石田明さん、理論家の松江澄さんらが凄まじい議論を行っていました。議論を交わすことの大切さを教えられたものです。

 結構怒られもしました。しかし根底ではつながっていたと思っています。つながっていたからこそ、爽やかでした。そして可愛がられたとも自分自身は思っています。原水禁運動の中心的な役割をしている東京に住んでいる有名人の人とも気軽に話しができる間柄にもなりました。

 原水禁運動の象徴的な立場におられた森滝市郎さんは、自宅が近くということから会議が終わったら一緒に帰ったものです。時々は自宅を訪ねて話し込んだものです。でも時の流れから、今ではあの頃を知っている人はほとんどが亡くなられました。

 森滝さんの言葉で「核絶対否定」とともに「人類は生きねばならぬ」というのがあります。最近はこの「人類は生きねばならぬ」というのを考えています。

 「大江戸エネルギー事情」や「大江戸リサイクル事情」という本を読んだ影響かも知れませんが、太陽の恵みを大切にしながら循環型社会の中で生きてきた僕たちの祖先、森の木も川の流れも農業という営みの中から作られる野菜やお米というものも、全てが太陽からの恵みだと思います。

 石油も何十万年という間に蓄積された、太陽を中心にした恵みによって出来上がったものです。明治までは太陽から得られた恵みを循環的に無くならないように使ってきたと思います。

 石油には可採年数という言葉が使われます。これから何十年は石油が採れるという意味からの言葉ですが、可採年数が100年だろうが200年だろうが、時間が経てば無くなるというものです。
こんなことを言うと、「江戸時代に戻れというのかー。原発反対運動をしている人は」と言われるかもしれませんし、現に何度か言われた経験もあります。

 もちろん僕だって江戸時代の生活に戻りたいとは思いません。
 新しいエネルギーの開発も進められていますが、しかし考えの根底には「人類は生きねばならぬ」ということを、最も大切な視点で考えて欲しいものです。

 数十万年という長さからみれば、100年200年なんかあっという間では無いでしょうか。100年先からは「野となれ山となれ」だったら可採年数の理論も分かるのですが、そんなものではないでしょう。「人類は生きねばならぬ」を改めて考えていました。


後藤健二さんの殺害とアベシンの責任

 後藤健二さんが「イスラム国」に殺害された、ボカシの無い本物の写真を友人が送ってきました。その写真を観て改めてその残酷さを知らされました。怒り・悲しさ・悔しさ・後藤さんを失ったことのもったいという気持ち・落ち込みという思いでいっぱいです。

 後藤さんら二人が誘拐されたのは昨年のことです。新聞にも記事があったのを思い出します。であるのになぜアベシンは1月に中東へ行き、あんな発言をしたのでしょうか。中東に行ったことを非難する気はありませんが、エジプト、カイロでの発言はどうしても許せません。

 全文は省略しますが「過激派イスラム国がもたらす脅威を食い止めるために、イスラム国と戦う周辺各国に2億ドルの支援を約束する」というものです。

 こんなことを外交の舞台で発言することは、「殺してもいいよ」と促しているようなものです。レベルの低いつまらない塊りのような男ですが、国民から選ばれて総理大臣という仕事をしているのは間違いありませんから。僕の周りにもすぐにカッーとなるのがいますが、総理大臣と一般人とは違います。

 後藤さんが殺害されたことが明らかになった朝の会見で、アベシンは涙を流していたと報じられていましたが、涙はこういうタイプ(ある種の病気持ち)の人間によくある性格というか体質だということを、何かの本で読んだことがありました。

 アベシンは集団的自衛権行使を容認した昨年7月の閣議決定で「武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある」と明記しています。この国は70年前に反省し、二度と戦争はまっぴらゴメンという気持ちから憲法9条を世界中に自慢したのではないでしょうか。

 一方で「自業自得」「勝手に行ったのだから」という声が起こっているのも、悲しくて寂しくて、その浅はかな発言に落ち込みます。「後藤さんには数回の渡航中止要請をしていた」という政府側の人の発言もされていました。これは日本人は「変な」思いを持たずに、スマホ携帯でゲーム遊びでもして、正義感や国のやることに疑問を持ったり反対するなどせずに、日々しっかりと働いていればいいんだと言ってるようなものです。

 ジャーナリズムが本来のやることをしないで萎縮し、ホントの現実を報道しないという状況の中で、後藤さんら本気のジャーナリストが頑張っていたのではないでしょうか。

 アベシンの責任は重大です。これぞ辞職ものだと思います。それにしても野党の追及も軽い。後藤さんのお母さんの「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはならないと信じます」という発言、これには涙でした。

 僕も子どもも孫もいますが、これらの子や孫が後藤さんのような仕事をしたいと言ったら、僕は許可すると思います。嫌、許可するもしないもなく、自慢したいものです。

300号

  「省ちゃんの前向き語り」も今号で300号となりました。どのくらいの方が読んでおられるのかは全く見当がつきませんが、時間と目そして頭を使っていただき本当にありがたいと思っています。第1号は一昨年の7月20日ですから、約1年半で300号になりました。

 自慢ではありませんが、ブログを書くのに「何かネタはないだろうか」と悩んだということはありません。「あーこの事を書かねば」と思い立って書くことの方が多いです。しかし最近何かと忙しいことが多く、時間が取れなくて後回しになることが多いです。

 書くということは、自分の中で不確かな事を不確かなままで書くことは出来ませんから、自分の頭の中や知識の整理をすることにとても役立ちます。それがとても良い経験となりました。

 そして如何に読みやすい文章にするか、読んでいて疲れることのないように工夫しています。年賀状でも何人かの人から「楽しみに読んでいます」というメッセージをもらいました。

 さて多分2011年の3・11前から、ある題名で本を書いていました。原発反対運動をしている人への悪質な嫌がらせや、マスコミに対する電力会社からの圧力など、この世界の闇の部分を自分の体験をもとに書いていたものです。原稿用紙換算で350枚くらいを書き終えていましたから、ほぼ完成状態でした。

 しかし3・11以降、この手の話題を週刊誌が書き始めました。僕にも2社の週刊誌から取材がありました。週刊誌が書きまくるので、書いていたものが僕の中でいっぺんに新鮮味の無いものになってしまいました。そこでほぼ完成状態だったものを凍結させていました。

 そんなことで中断していたのですが、最近は週刊誌も新聞やテレビなどもこんな話しを伝えなくなりました。そして出版社からも「完成させませんか?」と助言をされて、凍結状態から解凍することにしました。

 ほぼ出来ているのですが始めから見直して、もっと読みやすいもので完成させようと思います。この夏までには、本という状態にしたいと思っています。

 そんなことで、これからは「省ちゃんの前向き語り」も少し間隔を空けるようにさせて頂きたいと思います。終了することはありませんが、まあー月に5回くらいは書きたいですね。

 ちなみに宣伝になりますが、僕はこれまで3冊のハードカバーの本を出していますので紹介をさせてください。1冊は「ヒロシマ発チェルノブイリ 僕のチェルノブイリ旅行」2冊目は「僕のヒロシマノート」そして「原発スキャンダル」というものです。「原発スキャンダル」は増補増刷になりました。

 アマゾンなどで検索されたら、注文できます。4冊目の本、すでに題名は決まっているのですが、この場ではちょっと内緒にしておきます。自分で言うのもなんですが、「請うご期待」です。

こんな決め方は許せない!

 1月22日のブログ「20パーセントという数字」でも書きましたが、原発比率を含む2030年の電源構成(エネルギーミックス)を話し合う経済産業省の作業部会が1月30日から始まりました。

 僕は「有識者会議」が4月になって議論を始めるということを何かで見ていたようだったので、「あー4月からか」とまだもう少し先と思っていました。
 30日の会議は、これからの電源構成を検討する「長期エネルギー需給見通し小委員会」と、検討結果を報告する上部組織「総合資源エネルギー調査会基本政策分科会」の合同で開かれています。

 検討する委員は坂根正弘・コマツ相談役を委員長に14名で構成されています。「コマツ」とはブルドーザーを造っている小松製作所のことです。そしてこの坂根さんは広島市生まれで、原爆投下の2か月前に島根県浜田市に疎開していたという人物で、広島生まれの浜田育ちです。

 委員の名前を見て「よくもまあー原発好き人間」をかり集めたわという顔ぶれです。電力業界などがお金を出している公益財団法人・地球環境産業技術研究機構から二人も選ばれています。

 作業部会がスタートする前に新聞やテレビは「原発割合20%」という報道を行っていました。「慎重」な報道が売り物のNHKですら、1月26日8時31分にウエブサイトに「『原発割合20%以上』で検討へ経産省」という記事を載せています。こんな先走り報道にも首をかしげます。

 経済産業省が「20%」と決めてこの作業部会を開き、NHKも「20%以上」と先走って報道していて、自らの「特ダネ」の20%以上を批判することが出来るでしょうか。

 僕はあの民主党政権の時をほとんど評価しませんが、一つだけ評価するとしたら「革新的エネルギー・環境戦略」による原発比率議論を慎重に丁寧にやったということです。原発割合について選択肢を出して世論を聴き、全国各地で討論会も行いました。残念ながら「2030年代の原発ゼロ」を閣議決定できなかったという最後は「オヨヨ ヨー」になりましたが。

 この度の政府の決め方は許せないと思います。20%という数字が決まったら、まさに「福島原発事故など無かったかのような」原発復活の流れです。これから行われる3段階の「電力事業の自由化」プロセスの中で、電力会社の本音を無視して上関原発建設の流れも考えられます。

 この「20%」の報道に合わせたように全国ネットの民放テレビ番組で、上関原発が扱われた放送がされていました。インタビューに答えた推進派の代表者は「ぜひとも建設して欲しい」と話していました。

 アベシンの常套手段ではありますが、自分の取り巻き者を「有識者」として決めること。こんなやり方で、この国の将来を決めようとすることは絶対に認めることができません。


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