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竹弘盛三さんが亡くなられました

 竹弘盛三さんが亡くなられました。87歳でした。上京中の新幹線の中で弁護士さんから連絡が入りました。竹弘さんと出会ったのは上関に原発建設計画が浮上した時からですので、32年前になります。住んでおられたのは、上関町四代(しだい)というところでした。

 竹弘さんとの主なつながりは、上関原発建設計画地の中にある四代正八幡宮の神社名義による土地の入会権をめぐる裁判を通じての関係からです。

 この土地は八幡宮名義の土地でしたが、四代地区の人たちがみんなで家庭の煮炊き用や風呂の燃料として、また火鉢などの暖房のために小枝や枯草などを採っていた土地です。こういうようにその地域の人たちが共同で使う土地のことを、入会地と言います。電気やガスなどを使っている現代では、入会地の存在意味も無くなってきたでしょうけど、全国では入会地はいたるところに存在しているのです。入会地は意味が無いから廃止すると言ってしまうと、土地問題は大混乱になるのは必至です。入会地という土地だけでなく、入会池や魚を集めるための「魚付林(うおつきりん)」も入会権です。

 神社名義地になっていたこの土地について八幡宮の宮司さんは、神社の土地を原発建設のために売るなどということは「神の道」に反するので絶対に売らないという固い決意を持っていました。しかし原発建設によって金を得たい神社の総代たちは宮司さんの偽造辞任届を作って、宮司さんを辞任させてその土地を中国電力に売却してしまったのです。

 竹弘さんはこの神社の氏子でした。土地が入会地という地区の共有地であるために、入会権者である氏子の同意を得ずに中国電力に売却した行為は入会地権者全員の同意を得ていないもので違法行為だとして裁判を起こされました。ざっくり言ってこれが「上関原発神社名義地裁判」です。最初は4人の原告がいましたが、亡くなられたり老人施設に入るなどで四代から出て行かれ残ったのは竹弘盛三さんだけになったのです。

 裁判は山口地裁→広島高裁→最高裁→差戻しで再び山口地裁→広島高裁→最高裁と進んで、最高裁で再びの裁判が行われている最中でした。

 四代というところは人口が70人くらいで上関原発計画地からは最も近いところですが、そのほとんどの人は表向きは原発賛成派です。その中で竹弘さんは、原発反対の信念を曲げることなく頑張っていました。小さな集落の中では、何をするにしてもその地域の人たちの世話にならなくてはやっていけません。

 20年近く前に妻を亡くされました。僕は宇部市に住んでおられる息子さんのところに帰られたらとも思いましたが、四代から引っ越すと入会権者では無くなります。そのために、四代から離れられませんでした。

 竹弘さんが亡くなられた正確な日時は分かりません。病院に行って帰宅して連絡が取れないので家族の人が自宅を訪ねたら亡くなられた姿が見つかったのです。

 竹弘さんは「私は100歳まで生きますよ。裁判に勝って上関原発の建設を止めなければなりませんから。絶対に勝ちますから」と話されるのが口癖のようでした。こう話される顔はいつも笑顔でした。

 竹広さんが亡くなられて僕の慰めになるのは、最高裁が判決を出さなかったことです。最高裁の判決が出なかったことは、この裁判は「負け」では無かったのです。そして福島原発事故により現在は上関原発建設計画の工事中断中です。この神社名義地の土地は中国電力に購入はされましたが、まだブルトーザーも入っていない、そのままの姿です。

 竹弘盛三さんの意志を継いで、改めて上関原発の白紙撤回への決意をしたところです。それにしても32年間もの長い間、原発建設問題で住民を苦しめ続けるということ、こんなことは許されてよいのでしょうか。


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ますます「廃炉」が言えなくなったか!

 26日、関西電力が高浜1号機・2号機の運転延長をするための「特別点検」を実施することを明らかにしました。1号機は今月で運転開始から40年が経過した物で、2号機は来年11月で40年を迎える老朽原発です。

 関西電力は40年超え原発の運転延長審査手続き期限である来年7月6日までに、「特別点検」を実施することにしています。国は現時点の決まりでは、「原則40年」にしている原発は、基準を満たせば1回だけ最長20年の運転期間の延長を認めているのです。そのために通常の定期点検よりきめの細かい「特別点検」を行わななければならないことになっています。

 経費は約1000億円とされています。田中俊一原子力規制委員長も「(運転延長は)相当に厳しい」「時間はかかる」「簡単ではない」と発言しているような代物ですが、そうであるにも関わらず莫大な費用を費やしても、運転延長の道を選んだようです。

 延長申請を行ったとしても、規制委員会の審査が長期化した場合は時間切れで不認可になることも予想されるのですが、それでもあえて大金を使っての「大博打」です。大博打といえば、福島第一原発2号機で行おうとしていりタービン建屋からの高濃度汚染水の流れを止めるための「氷の壁」ですが、水の流れが強くて役に立たないとされています。「この際、何でもやってみよう」という根性は良いと思いますが、全て大金が使われているのです。同じ金を使うのなら、もう少し研究・検討を行って実行に移すべきではないでしょうか。「青天井の日の丸金」だと思っているのかも知れませんが、税金である電力料金なのですから。

 さて、わが中国電力の島根原発1号機、今年3月末に運転開始から40年を超えて今年の5~6月頃までは、苅田知英社長の「廃炉を含めて検討している」とか松浦正敬松江市長からも「廃炉」の発言出てきましたが、このところどうも「ダンマリ」のようです。

 社長も市長も本音は「廃炉」でしょうけども、高浜原発の「特別点検実施」の発表で、ますます「廃炉」が言えなくなったでしょうね。なんと言っても関西電力の八木誠社長は、電力会社の集まり体というか「原子力ムラ」の総本山である電気事業連合会の会長でもあるのですから。「特別点検」を行うと発表した記者会見の席で満足そうなというか憎たらしげな笑みをしていました。

 来年の7月6日まで残り7か月少し、一方で「廃炉」や電力事業の自由化後も原発の支援策を行うとしている経済産業省、一度書いたと思いますが原発は60歳になっても親のスネをかじっているような、バカ息子・娘みたいなものだとつくづく感じています。

 僕らの要求は1号機の廃炉、2号機は再稼働しない、3号機は運転開始しないの「3点セット」です。

11月19日は「世界トイレの日」でした。

 例えば11月22日はゴロ合わせから「いい夫婦の日」とか、そういうのが日本にはまさに一年中あるようですが、11月19日は昨年の国連総会で制定された「世界トイレの日」でした。日本では11月10日が「トイレの日」です。これもゴロ合わせですが「1110」が「いいトイレ」となるからだそうです。

 国連が制定した「権威」あるこの日は、今年が制定後初めての記念日ということでしたが、日本では目立った行事は無かったようですね。世界トイレ機関というのが国連の制定に基づいてシンガポールで決めたそうです。世界トイレ機関は英語ではWTOと呼びWORLD TOILET ORGNAIZATIONの略だそうです。同じWTOでも、世界貿易機関とは違いますから。


 この機関が出した報告書を読んでいると世界の人口約69億人の内、3分の1にあたる約25億人がきちんとしたトイレの無い生活をしているそうです。その内の約10億人が自分の家にも近くにもトイレの無い暮らしだそうです。その10億人の内、6億人はインドだそうです。

 トイレが無いということは道端などで用を足すわけですから、病気や衛生上の問題が起こりこれは生死の事態を引き起こします。それと性犯罪を起こすということも指摘されていました。

日本の最近のトイレはウォッシュレットが普通になってきた感じですね。最近のトイレを観ていると、用を足して立ち上がるとともに水が流れてくるとか、暖かい便座は当然のようですし、ペーパーも柔らかい紙でもったいないような素材ですね。僕の知っている範囲ではウォッシュレットというのは日本だけみたいです。

 最近の若者ではボッチョン便所はおろか、ウォッシュレットがなければ「デキナイ」というかもわかりませんね。

 トイレといえば「トイレの無いマンション」というように、原子力発電から作り出される放射性廃棄物は処理・処分出来ないということで、僕たちは原子力発電のことを「トイレの無いマンション」と形容していました。

 人間が出す廃棄物の方はその物を見ることもなく、流れる水とともに姿を消してしまいますが、「トイレの無いマンション」の方は、だれも責任を取ってその処分について解決策を考えようとしないから厄介なことだと思います。

 国連も「世界トイレの日」とともに「原子力発電トイレの日」を制定して欲しいものです。こちらの方は世界の人口69億人に全て係わる問題ですから。福島原発事故が発生した3月11日は如何でしょうか。その大前提はたちまち原子力発電を止めることだと思います。

チェルノブイリとフクシマのお母さん

 チェルノブイリ原発事故から10年後の1996年、チェルノブイリ周辺のベラルーシとウクライナを訪ねたことがあります。この年、あまり間隔をおかずに2度ほど行きました。

 チェルノブイリ原発の近くのベラルーシに、ウクライナとの国境近くにゴメリ市というところがあります。ここの町の小学校だと覚えていますが、お母さんらとのミーティングに参加しました。

 その中である人が話した言葉、今も忘れていません。「毎日、毎日チェルノブイリ事故のことを思って悩んだりしている訳ではないけど、頭の片すみにはいつも事故のことが在る」というものでした。とても素直な気持ちを話されたと思っていました。

 福島原発事故から3年8か月が過ぎましたが、今でも事故は継続状態中です。福島第一原発には、毎日6000人を超える人が働いていると言われてます。そして広島にもですが、フクシマから避難している人もたくさんいます。ここで「フクシマ」と書いたのは、福島原発事故の被害者総体を指す意味からカタカナにしました。東京を始め関東地方全体からも避難している人もいます。マスコミも「汚染水」から、いくらいくらの放射能が検出されたというニュース報道しますが、避難している人の思いや悩みについては、あまり報道しないように思います。

 避難者に対して「関東地方から避難しているなんて、まあー贅沢ですよねー」ということを言う人がいます。もちろん本人らに直接言うのはありませんが、もっとズバリと痛烈なる嫌味を言う人もいます。「○○ミリシーベルトですから、健康に問題はありません」「気にしているから病気になるのです」とかの言葉を投げかけられると、避難者の人は、心配していてもだんだんと無口になり黙って悩む人も出てくることになります。

 それはやがてフクシマの人たちの中に、分断と差別を生み出してきます。ヒロシマ・ナガサキの場合でも、被爆二世・三世問題では特に親である被爆者本人も相当に心配し苦しみました。しかし、この悩みをだれかれとには話せなかった経緯があります。

 福島原発事故当時18歳未満の人たちは、18歳を越えても甲状腺検査を国が責任を持って無料で行うようにとの要求運動があります。僕は当然の要求だと思います。しかし一方で差別と分断を生むから、この要求運動はけしからんという意見もあります。

 このことでは、夫婦や親子の間でも意見や考えの違いが生じていて、それで離婚したりする例もあるそうです。このことはチェルノブイリ近くのゴメリのお母さんもフクシマのお母さんも、ヒロシマ・ナガサキでもあったことだと思います。

 国や評論家という人が「問題無い」を繰り返すほど被災者の人はダンマリになり、悩みが内にこもってしまい大きな悲劇が起こることも予想されて心配です。とりあえずは何でも話せるような、聞いてもらえるような場所というかスペースを作ることが必要ではないでしょうか。

高倉健さん

 高倉健さんが亡くなりましたね。人の心を演じられる俳優が、またいなくなったという感じです。渥美清、緒形拳、大滝秀治、そして今年は米倉斉加年さん、そしてこの度の高倉健さんです。

 映画好きの僕ですから、高倉健さんの作品では南極物語・居酒屋兆治・幸福の黄色いハンカチ・鉄道員(ぽっぽや)・ホタル、そして最後の作品となった「あなたへ」など、気にいったら同じものでも3回は観たものもあります。

 高倉健さんが特に好きになったきっかけは、本になっている「あなたに褒められたくて」というエッセイ集を読んだ時からです。この作品の中の「あなた」はお母さんのことでした。お母さんへの想いをシンプルな書き方の中でも、愛情深く書いたものでした。鈍感な僕は「あなた」がお母さんへのことだというのは、たぶんこの本の最後になって分かった次第でした。

 それと何時のことか忘れましたが、NHKの「クローズアップ現代」でキャスターの国谷さんとの対談では、高倉さんの気くばりに学ばされました。これは「ホタル」が完成した直後かその時期ですから2001年頃の番組だと思います。

 僕たちに大人の見本というか、大人としての在るべき姿を教えられたと思います。いつも口走る愚痴のようなものですが、こちらがだんだんと年齢を重ねてくると、こういう存在の方は少なくなってしまいます。自分自身が大人になれない僕ですから、これは寂しいという気持ちです。

 女優さんでは高峰秀子さんのファンでした。といってもこれはごく最近になったものです。東京からやってきた友人が、高峰秀子さんのファンだと聞いて彼女の著書である、わたしの渡世日記・にんげん住所録・まいまいつぶろ・を読んで、映画も立て続けに二十四の瞳・カルメン故郷に帰る・カルメン純情す・名もなく貧しく美しく・喜びも悲しみも幾歳月・衝動殺人息子よ、を観ていました。

 高峰秀子さんは生まれて少しで養母に育てられ、たいへんな苦労をされた方ですが、その苦労をいつも自分自身の中で前向きに処理されて、ある意味「ノホホン」と歳を取ってきた方だと思います。映画の世界からはここだと思った時に引退して、たくさんの本も書いています。

 そしてなんといっても顔が好きです。鼻と上唇の間の狭いのが僕の好みなのですがその通りです。違う意味で鼻の下が長い僕ですから、そうなのかも分かりません。新潮社が出版した「まいまいつぶろ」の表紙の写真を毎日眺めて、ホンワリとした気持ちになっています。

 この高峰秀子さんも4年前に86歳で亡くなっています。もう少し早く高峰さんのファンになっていたら、何とかして連絡を取って会っていたのになあーオシイ。

解散の大義

 昨夜は三つの選挙結果を気にしていました。一つは沖縄県知事選挙です。翁長雄志(おなが たけし)さんが、裏切り者の仲井間弘多現知事に対して約10万票の大差をつけての勝利は、まさに快挙だと思いました。

 それと後二つは尼崎市長選挙と鳥取市議会議員選挙でした。二つの選挙に僕と関わりのある人が立候補していたからです。尼崎市長では当選でしたが、鳥取市議は残念ながら落選でした。

 アベシン君が今夕帰国するようですが、今でもよく分からないのは、解散の争点が「消費税の10%引上げを先延ばし」という、ある意味各論をそれにしていることです。目先のことが一番気になる市民にとっては、消費税の引き上げが少しでも遅くなることは、とりあえずは「良かった」となると思います。その結果、アベシンのやり方が評価されたと自画自賛するのが一番怖いのです。

 もっと大括りの「アホノミクス(ごめんアベノミクス)」政策全体の評価を争点にすべきです。1パーセントといわれている富裕層は、この政策を支持かも知れません。しかしまともに考えたら残りの99パーセントは、「アホノミクス」については「NO」という判断を示すと思います。もちろん集団的自衛権や秘密保護法、原発再稼働への傲慢なやり方についても、アベシンを支持するはずがないと思っています。

 消費税を争点にするのなら、「引上げ」か「白紙撤回」かを争点にすべきです。「引上げの延期を争点」というのは、どうしても理解のできないところです。

 考えてみれば「○○を争点に」というのは、マスコミや選挙でメシを食っている評論家連中が勝手に作ったものですから、それに惑わされてはならないと思います。前々回の選挙では「政権交代がされるか否か」が争点にされ、前回では「政権交代が元に戻るか否か」が「争点」とされました。これが争点ですと言われれば、だいたいに「争点」の方向に向かうのが世論の常だと思います。

 7月~9月のGDP(国内総生産)の速報値が発表され、市民の生活がますます悪くなっていることも明らかになりました。円安による原材料の輸入価格も上がっています。バターやパンなどといった原料を輸入品に頼っている物は軒並み値上げという方向に向かっています。しかし売る側も消費者のフトコロ具合を見ていると、値上げがなかなか出来ないという現実があります。その矛盾のホコ先は、人件費の引下げに通じていくと思うからです。ガソリンもこのところの原油価格が下がっている状況では、もっと下げても良いとは思うのですが、こう円安が進むと下げられないという状況だと思います。

 夕方帰国するアベシン君。沖縄県知事選挙の結果を見たり、GDPの値を見てから「やっぱり解散は止めたー」と言いだすなら、まだまともな考えが少しでも残っているでしょうけど、まあたぶんないでしょう。

 それにしても最近のアベシンの、「キレル」体質は相当に重症化していると思います。すぐに怒る・キレル・怒鳴るそこには「僕ちゃんの考えが一番、庶民はバカばっかり」という傲慢な姿がみえます。

 年上の僕からアベシン君に提言「今、解散しないほうが政権は長持ちすると思うよ。庶民は君が考えているほどバカじゃあないのだから。選挙後にまたお腹が痛くなって昭恵さんに迷惑をかけて、ますます頭が上がらなくなっても省ちゃんは知らんぞー」。

米国と日本の似たところ

 少ししつこくなりますが米国連邦議会の中間選挙、僕なりにいろいろと考えていました。そして出来るだけの情報収集をしていました。そこには日本の米国の様々な点で似たところがありました。

 まず投票率です。ニューヨークタイムスの電子版を見ていたら「過去72年間で最低の投票率」と書いてありました。州ごとの投票率が発表されていますが、全米平均では36.3%です。日本でも国政選挙も地方選挙も投票率の低下傾向ですが、米国も同じです。この度の中間選挙では、民主党支持層の若者やいわゆるマイノリティ(社会的少数派)の人たちが、投票に行かなかったといわれてます。

 現職候補への有権者からの怒りや批判も多かったようです。これについては、共和党から行われた民主党候補への執拗な妨害工作も非難もされていますが。そしてオバマへの怒りや批判です。この問題の根は深すぎるほど深いのですが、人種偏見、ワシントンの政治的混乱の責任をオバマ民主党に取らされたことは、リベラル派の失望を深めたようです。

 ISIS(イスラム国)やエボラ熱問題も作用していると思います。米国人というのは、すごく神経質で恐怖心の強い傾向の人種だと思っています。だから銃を持つことを許す体質があるのだと思います。恐怖心は共和党への投票につながりやすいと思います。選挙までは、この二つの問題はしつこくニュースになっていたようでしたが、選挙の終了とともにぱったりと報じられなくなったようです。

 それと企業献金です。日本でも経済界からの政治献金が復活しましたが、連邦最高裁が企業献金の限度枠を外して以来、選挙資金に説明のできないお金が流れこんだといわれてます。この中間選挙では40億ドルが使われたという報道もありました。その多くが共和党候補に流れたものだと思っています。

 これも日米共通だと思いますが、情報不足というか今何が米国社会の中で大事なことなのかということが争点に成らなかったことだと思います。人びとは聞きたいことだけに耳を貸す傾向がありますが、誤った情報や情報操作によって有権者は動きました。この点ではメディアも有権者も悪いというか、無知だと思うのです。

 いくつかを挙げましたが、日本と米国の全ての面で似た部分を感じざるを得ません。アトランタに住んでいる友人からメールが入っていました。「選挙の結果には、とてもがっかりしているし理解できない。私も今までの選挙献金のなかでも最高額を献金したのに」と書いていました。

 僕たちの生活感覚はGDP(国内総生産)でもダウでもありません。みんなの暮らしがよくなることだし、原子力発電など無いこの国だと思います。

一世代下の人たちの悩み

 僕よりプラスマイナス1~3歳くらいまでの人は同世代という感じですが、5~7歳くらい下の人たちは一世代下という感じがしています。彼ら彼女らから悩みを聞くことがたくさんあります。

 「私らあー60歳になっても年金は出ないし、今でもやっとの思いで仕事には行ってるけど、土日は疲れはてて寝込んでいるのだ」というのが多いです。一方で「今の65歳、70歳はまだまだ元気、仕事もバリバリできるよう」という声も聞きます。

 年金の支給年齢はどんどん先送りされていくにも関わらず、定年退職年齢はどうもそれに連動していないように思います。仕事に行けるにしても、大方の会社は60歳を過ぎたら再雇用や非正規という形になって、それまでより収入はグーンと減ってきますから、この5年間は苦しいことになってしまいます。

 しかし定年退職年齢が引き上げられるだけでは、なんの解決にもならないと思います。仕事を辞めても食える生活ができるということが大切だと思います。健康でバリバリやれる人ばっかりでは無いのですから。

 65歳までやっとの思いで仕事をしたら、65歳からは「高齢者・お年寄り・老人」への仲間入り、悠々自適的な感覚で且つまた健康で第2の人生を送る時というのは在るのでしょうか。

 話しは変わりますが、衆議院の解散が確定的になりましたね。僕は来年の通常国会が終わった後の7月くらいと読んでいましたが。昨日の夜、知人の国会議員からの電話では、来週の水曜日(19日)に予定されていた、ある公聴会が中止になったから、この日の解散にほぼ間違いないと話していました。

 消費税10%引き上げに今一つ現実味が無い状況のなかで、円安やその他の原因で庶民の生活は来年になったら、ますます苦しくなることが予想されています。だから生活の苦しさのリアリティの無い今が、アベシンの頭の中では「この時」と読んだのだと思います。「アベノミクス」を「アホノミクス」とは最近では「チョウドアホノミクス」という評論家もいますが、僕も庶民には何の恩恵もなかった政策だと思っています。

 自民党の過半数割れはないと思いますが、議席を減らしても勝と思います。来年になったら「国民の審判は受けた」と開き直ると思います。そして来年の自民党の役員選挙で総裁に選出されて、そこからはますます悪い方向に向かうのだと思います。

 この選挙では、何といっても自民・公明の議席を減らさせることだと思います。この前の衆議院選挙では「自民党の得票率は過半数ではなかった」だの言って、負けさむらいが自らの傷を舐めていましたが、なんといっても野党が伸びることだと思います。

 与野党間では、大義名分のない解散だという議論が行われているようですが、これ以上悪くならない生活のために、ここはチャンスと受け止めていくしかないでしょうね。福島原発事故の反省もなく、原発輸出・再稼働にいく世界への恥知らずも争点にされなければなりません。

 野党からは、選挙が終わった後に再び前回と同じ「反省」は聞きたくありません。来年春には統一地方選挙、そして再来年は参議院選挙です。ここで政治が僕たちに光を射してくれないと、この国では文句が言えないところになりそうです。しかし「イシン」とか「ジセダイ」だのいうのは訳が分からん。

一年納めの大相撲九州場所

 友人・知人の何人かは国技とか国家、国民というように使われている「国(こく・こっ)」を嫌う人が多いようですが、すみません僕は大相撲が大好きです。もちろん観ることです。

 今場所の大関心といえば、やはり白鵬が大鵬とならぶ優勝歴代トップの32連覇を達成するかということになります。

 子どもの頃で思い出すのは、千代の山・鏡里・栃錦・そして先々代の若乃花です。広島出身の双葉山には記憶がありません。テレビ受像機を持っている人が極めてマレな時代でしたから食堂のようなところに行って、大勢で一台のテレビを観て応援をしたものです。

 思えば母が大の相撲ファンでした。もうとっくに引退をし、相撲協会も定年退職をした旭国、親方になってからは大島親方といってましたが、彼のまさにオッカケでした。たぶん若くして亡くなった夫に似ていたのだと思っています。大阪場所、九州場所はもとより名古屋場所にもいっしょに行ったのを思い出します。旭国が引退してからも母は相撲を観るのが好きでした。

 「テレビで観ていたら」という方もおられますが、九州場所に母とともに行った時、目の見えない方が息子さんに連れられて来ていました。こちらは車いすに乗せている母でしたから、「障害者どうし」仲良くなり話したものです。その目の見えない方が、「見えないけど、この臭い大歓声の声援を感じるのが最高なのです」と話されていたのは今でも強く印象に残っています。臭いとは、力士が髪を結う時に使っているビン付油の臭いだと思います。

 母も亡くなりましたが今でも僕が相撲を好きなのは、これから土俵に向かう力士が花道で、お尻や顔をパンパンと叩きながらそして弟子を相手に立ち上がりの練習を大きな声を出して行い、いざ勝負という状態に心も身体も持っていくという姿です。そして土俵に上がって相撲を取り、負けても勝っても花道を戻ってくる時の表情の差です。もちろん勝った時は嬉しそうです。その前後の差を観るのがだいご味です。

 このことが、僕の生活の中でも在り得る「いざ勝負」という時に高めなければならないテンションの参考になるのです。広島にも年に一度ほど巡業がやってきますが、巡業には一度行っただけで行きません。巡業は巡業で楽しいのですけど、緊張感が無いからです。

 大相撲の場合この前まで大力士だった人が、受付けとか会場整理係などで見かけることができるのも楽しみです。

 広島ではプロ野球の広島カープというのが頑張っていますが、マツダスタジアムには仕事をしていた頃には、付き合いで見物に行ったこともありますが、入口で持ち物をチェックされるのが嫌で止めました。グランドに物を投げ入れるということを心配しているのは理解していますが、大相撲の場合は酒だろうがビールだろうが何を持ち込んでもOKです。入口でのチェックはありません。入口にあるのは「暴力団関係者はお断り」と書いた案内で、それなりの分かる人が監視しています。それと支度部屋の入口には、力士が持っている携帯電話置き場があります。八百長事件があってその点の管理は厳しくなりました。

 これまで九州場所は毎年家族で行っておりました。複数で行くと「こだま往復割引キップ」が使えて交通費が安くなっていたからです。しかし、今場所は子どもたちから「新たに就職してまだ有給が取れない」とか「子ども(僕からみれば孫)が、この前行ったレオマワールドの方が良いと話しているから」などと言われて、今場所は一人高速バスの往復で行くことにしました。10日目です。

 逸ノ城、遠藤という人気力士も楽しみです。ちなみに僕は隠岐の海、高安そして十両に落ちている豊真将のファンです。こう言っても、この力士の名前すら知らない方が多いのですよね。まあー僕が知っているカープの選手はマエケンくらいですからね。
 相撲を書いたら長くなりました。ごめんなさいね。


3だけ主義

 ラジオ派の僕は朝6時43分からの、NHK「ビジネス展望」を聴くのが朝の始まりです。11月7日、経済アナリストの藤原直哉さんが話された「今だけ、カネだけ、自分だけ、3だけ主義の克服と新しい日本」はとても聴きがいのある内容でした。

 「3だけ主義」の意味は、誰でもその意味は理解できると思いますが、藤原さんは次のように話していました。

 今さえよければ先々のことを考えずに借金ばかり積み上げるとか、未来の成長の芽を摘んでしまうとか、姑息な問題の先送りとか危機を隠すとか、将来の子孫のことを考えずに環境を汚すといったこと。

 カネだけというのは、とにかくカネをもらえば何でも言うことを聞くとか、カネが儲かるなら何をしてもいいとか、カネのためなら何でもするとか、カネ以外の価値観が何もないとかいうこと。

 自分だけというのは自分さえよければというもので、他人や弱者や社会や未来の人たちのことなどどうでもいいとか、環境を汚してもいいとか、自分自身の利害損得以外は何も考えないとか、そういうこと。

 「昔の日本はこんな3だけ主義の人はあまり表に出てこなかったし、世の中をリードするような立場に付くことはなかったが、最近はそういう人が本当にあちこちにいて、しかも政治や経済の結構地位の上の人にそういう人が多くて、多くの日本人がうんざりしている」とも藤原さんは話していました。

 僕も「今」も「カネ」も「自分」も大切です。しかし「今のみ・今しか・カネのみ・カネしか・自分のみ・自分しか」という考えは持たないように心がけているつもりです。

 僕の中では、3だけ主義の中枢というかそのシンボルの存在が原子力発電だという結論になりました。原子力発電は今だけの「便利さ」のために何十万年以上に亘って放射性廃棄物を管理し続けなければなりません。カネだけということで、自治体や経済界は原子力発電を作ろうと持ち込もうとしています。自分だけというのも、カネだけと共通点を持っていると思います。貧富の格差が拡大していることも、環境が破壊されていることも、この3だけ主義がその原因の根底に流れているように思うのです。国の借金は1000兆円以上在るというのに、「どうにかなるさ」という感じて、ますます増やしているというのもそうだと思います

 しかし、この3だけ主義を克服しようとする動きが、私たちの中で近年あちらこちらで言われているということは、せめてもの救いのような気もします。 
 この藤原直哉さんのお話しはインターネットで聴くこともできます。NHK「ラジオあさいちばん」の「ビジネス展望」から11月7日のところをクリックすると聴けます。

 今度、時間が取れたら「ラジオあさいちばん・ビジネス展望、広島サロン」というようなのも作りたいなあーとも思っているのですが。皆さん如何でしょうか。


つるんでやる事

 酒を飲むにしても旅行をするにしても、仲の良い者同士でやる方が楽しいし、決めるのも早いに決まっています。時には「あいつは憎たらしい」として、つるんだ者同士が暴力を使っていじめるということも多々あることです。

 九州電力川内原発の再稼働問題を見ていて、「つるんでやる事」を思っていました。つるんでいるのは、政府・九州電力・鹿児島県知事・薩摩川内市長です。薩摩川内市長の顔を見ていたら、赤ずきんちゃんを襲うオオカミにそっくりだと思いました。人の顔をどうこういう資格は無いとは思いますが、やはり性格は姿かたちになってくるように思います。

 仲良しの仲間が飲み会や旅行を計画する話しなら、つるんでやっても全然問題ないと思いますが、ことは原発の再稼働に対する判断です。30㌔圏内というコンパスで半径をまわすという考えにも疑問を持っていますが、この範囲にある原発再稼働に疑問を持っている自治体にも、同意を得ることです。同意が得られないのなら再稼働を中止することです。

 最近の世の中を見ていると、どうも議論をするということが大人も子どもも政治の世界でも、みんな避けているように思うのです。議論をすることが苦手になっているように思います。議論の「武器」は、言葉ですし書いたものだと思います。

 もちろん仲の良い者同士が決めることの方が、ストレスも在りませんし楽なのは当然でしょう。せめて理解を得る努力や対策を実施することが大切だと思います。

 秘密保護法が強行採決されて内閣支持率が下がったとき、安倍晋三首相は「もうちょっと丁寧に説明をすればよかった」という言い方をしました。彼の理論は「議論が足りなかった」という反省ではありません。「相手の言うことを丁寧に聞きましょう」というのではありません。彼は自分が一番正しくて、分かってもらえないのはバカな国民への説明不足です。議論ではありません。

 川内原発での再稼働ゴーは、川内を「かわうち」と読む程度しか能の無い大臣が県庁を訪ねて「原発を自分の目で確認した。再稼働後に万が一事故が起こった場合でも国が法令に基づき責任をもって対処する」言うという、くさいくさい田舎芝居のような発言をして、「分かった了解」というSMバーでの芝居は止めて欲しいものです。

 こういうことが続いていると人間は往々にして、「何をやってもダメ」と思って「あきらめ」という思いを持つものですが、国民をあきらめさせるのが独裁者のもっとも効果のある対市民政策だと思います。「ここであきらめたら男が、女がすたる」という思いを持っていたいと思います。

気になる米国中間選挙

 「カッコつけて!」と言われるかも知れませんが、さっきから開票が始まった米国連邦議会中間選挙が気になっています。特にジョージア州の上院です。この4月ジョージア州アトランタに行った時、僕を受入れてくれたNGOの人たちの家々の玄関先には「Michell NUNN」という新聞紙1ページ分くらいのビニールで作られたポスターのようなものが掲示してありました。

 ジョージア州は共和党が強いところで、現上院の2議席は共和党が独占しています。今回の改選は1議席ですが、それに共和党と民主党のミシェルさん、そして日本のマスコミにはほとんど載りませんが、政府の役割りを極力抑え、個人の自由を最大限尊重することを公約とするリバタリアン党という政党からも立候補しています。僕ら的な感覚からはリバタリアン党が近いとも思いますがね。

 1議席に対して3人の戦いです。いずれの候補も過半数を取らなかったら、来年1月に再選挙という米国の選挙制度です。そんな中でジョージア州の周りの州では共和党の当選者が続出しているので、今となっては再選挙を望むばかりです。ほとぼりが冷めて再選挙をした方が、ミシェルさんに有利に働くような気がしていますから。

 アトランタに行った時、民主党の選挙資金を集めるためのパーティが小さなレストランで開催されていました。150人くらいがいたでしょうか。薄暗いまさに居酒屋という感じの店で、みんな帰り際には小切手のような物にサインをして受付けの人に渡していました。民主党の関係者以外は普段着で、そんな感じもアトランタという感じでした。

 今、ボランティア活動でニューヨークに行っているという友人は、ジョージア州で選挙をすると話していました。

 「イスラム国」問題や、エボラ熱問題で慎重に対応するオバマ大統領への批判票が共和党に流れるといわれてますが、つくづく米国人というのはセッカチな人が多い国だと思います。「9・11」直後に、すぐに攻撃を仕掛けたブッシュのようなのが好まれるのでしょうか。

 確かにオバマの政策については優柔不断というか決断力の無さを感じますし、日本に要求している原発政策にも、核兵器に対する姿勢にも苛立ちは感じますが、大統領としての任期も残り少ないのですから、大胆に自分が思う本気の政策を実行して欲しいものです。

 先日、アトランタの友人と電話で話したら、米国では日本以上に貧富の格差が大きく、米国のような国に日本はならないで欲しいと話していました。弱肉強食の米国の姿は、日本のお手本にはならないと思っています。

追記:米国ABCテレビが日本時間の13時40分、共和党候補の当選確実を報じました。ミシェルさん落選です。開票率95%で共和党候補55.6%、民主党ミシェルさん42.4%でした。

フクシマに対する広島・長崎の責務

 僕のFacebookに「広島から福島被曝者に対する被曝者援護法の制定運動がなぜ起こらないのか?」というコメントがありました。コメントをして頂いた方の言われることにほとんど同感です。

 僕の両親と姉二人が被爆者です。もっといえば母親の両親、祖父母になりますがこの二人も被爆して即死でした。両親もすぐ上の姉も亡くなりました。僕自身は1949年生まれですから、被爆二世です。この生きてきた環境が、平和運動にとりわけ国家補償に基づく原爆被爆者援護法の制定運動に向かわせました。

 当時は多くの被爆者の方たちが、この運動にまさに全身全霊を傾けていました。「この運動(援護法制定運動)は、銭金の問題じゃあない。二度とヒバクシャを作らないための運動だ」という話しは、まさに耳にタコができるほど聞かされたものです。

 国家補償の考えの中で、「三つのホショウ」という言葉を聞きました。一つは「補償」のホショウです。これは、原爆によって亡くなった人たちへの補償要求です。そして二つ目は「保障」のホショウです。これは今を生きている被爆者への生活保障を指します。そして三つ目は「保証」のホショウです。この保証は、再びヒバクシャを作らないために国に政策を求めるものだと聞いていました。

 はた目からは似てはいますが、次のように言われることもあります。補償は戦争責任の追及。保障は権利としての社会保障を求めること。保証は平和的生存権だというのがあります。どちらにしても同じように解釈してよいと思います。

 「二度と広島・長崎のようなヒバクシャを作らないための保証」が、まさに福島原発事故によって侵されました。保証が裏切られたのだと捉えています。そういう視点から考えれば、福島原発事故は原爆被爆者援護法の精神への背信行為です。

 原爆被爆者援護法は三つのホショウを求める運動として、だからこそ被爆者だけの運動ではなく「国民運動」として取り組まれたと考えています。福島原発事故被害者への援護法の制定運動はとても大切ですし、取り組まれなければならない運動だと思います。その先頭というか大事な立場に広島・長崎はあると思います。

しかし現実問題として原爆投下から69年、被爆者の高齢化という問題もあります。そして原爆被爆者援護法の制定を求める運動が盛り上がった時期には、多くの被爆者が勤労者をしていた時期でもありました。労働組合も積極的にこの運動の主体としての役割を果たしていました。そして自治体も、野党もみんな援護法制定では一本化していました。

 だからといって現在の被爆者援護法が全て完璧なものとは思っていません。被爆二世・三世対策はほとんど何もありません。

 しかし福島原発事故被害者援護法を求める運動は、ヒロシマ・ナガサキを経験したこの国では逃れることは出来ないと思います。2012年1月30日に日本弁護士連合会が発表した「福島の復興再生と福島原発事故被害者の援護のための特別立法等に関する提案」というのは、とても参考になる文書だと思っています。



ロベルトユンク・原子力帝国

 「原子力帝国」本を書いたロベルトユンクは、ドイツ出身のユダヤ系ジャーナリストで、1913年に生まれ1994年に亡くなりました。何時のことだったか記憶に薄いのですが、彼は広島に来たことがあります。顔を見ただけで気難しそうな人ですが、何故かユンクと意気投合したのを思い出します。

 彼は広島には三つのタブーがあると話し始めました。それは「カープ(プロ野球の広島東洋カープ)」「浄土真宗安芸門徒」そして「被爆者」と言いました。この問題の掘り下げは別の機会として、彼は僕に買い物に付き合って欲しいと言いました。買いたい物は広島カープの応援歌の入ったカセットテープでした。そのカセットテープが、ドイツのユンク記念館に展示してあるそうです。

 ユンクは原発社会について、それは市民の動きや考えが監視される社会だと言いました。原子力という物を扱うためには、「危険人物」という人をあらゆる面から監視し「核ジャック」を未然に防ぐためにこのような社会が来て、自由が失われるということを警告しました。そのことを書いたのが「原子力帝国」です。この本は1979年に日本語訳で初版が出版された比較的古い本ですが、福島原発事故後再び見直されました。特に去年はユンクの生誕100年ということもあり、隠れたブームにもなりました。

 僕はある大手通信会社の株を100株ほど持っています。この会社は個人情報を扱っている関係から、その管理は慎重にやっているものだと思っていました。

 昨年までこの会社の株主総会にも出席して、それなりに質問をしたりして株主から愛される会社になるように優しく追及していました。今年は僕にとって本命で出なければならない株主総会と同じ日の開催となっていましたので、この通信会社には「無きの涙」で欠席となりましたが。

 この会社が株主総会の場で「顔認証システム」を導入していることに確証を得ました。顔認証システムは分かりやすくいえば、顔をテレビなどで写しておいてコンピューターで覚えさせておけば、その人が株主総会に出席しているか否か、やり方によってはどこの席に座っているかを即座に知ることができるものです。まあーこの会社の株主総会には3000人を超える人が出席するのですから、やって不思議はないとは思いますがやはり不愉快な話しです。

 今、全国各地に監視カメラが僕たちの顔を監視しています。大義名分は犯罪の防止ということらしいですが、この監視カメラと「顔認証システム」がつながれば、即座に僕がどこで何をしているかが分かってしまうのではないでしょうか。誰と歩いてる、誰と喋っている、こんな個人情報が筒抜けになる社会はまさに「原子力帝国」だと思います。

 もう秘密の内に、もしかしたら実行されているかも分かりません。考えただけで鳥肌が立ってしまいました。ロベルトユンクが予想し危惧していた「原子力帝国」です。

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