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若者はなぜ祝島にIターンするのか

 10月25日、上関町室津の埋立て地で開催された「いのちの海を守れ!さよなら上関原発!10.25反原発デー県民集会」の内容を報告してくれた方からのメールには、「祝島では最近Iターン、Uターンが増えているが、今回の集会やデモでは最前列で横断幕を持ち、元気よく大きな声を出している祝島の若者が多く、勇気づけられた。Iターン、Uターンの人たちが本物の祝島住民になり始めているように感じ、感動した」と書いてありました。

 人口約450人ばかりの祝島、高齢化率は山口県内でもトップと言われてます。そんな祝島には、都会にあるような若者が遊ぶところも在りませんし、大会社はもちろんのこと、「きちんとした」就職先もありません。決して暮らしも「便利」とはいえません。これはあくまでも比較の問題であり、価値観の問題でもありますが。こんな島ですが、若者は島が好きになってIターンをしてくるのです。

 どこかにこの島の魅力があるのだろうかと考えています。無理して学校を卒業して就職しても「ブラック企業」であったり、搾りとられるばかりに使われて精神的に参ってしまい、うつ病といったような「こころの病気」になる人が多い都会生活です。自分のプライド(誇り)やアイデンティティ(人間性)を持つことが困難と言われてる若者に、祝島では失われたプライドやアイデンティティを持つことが出来る魅力があるのではないかと考えていました。

 祝島へ行くと、若者が笑顔で明るい声であいさつをしてくれます。そして、今どんな仕事をしているのかということを意気揚々と話してくれます。仕事といっても、それはヒジキを採ることを手伝ったり、自家製のパンを作って販売しています。ある若者は、都会暮らしをしている時に知り合ったという恋人とともに島に来て、彼女は「もう少ししたら産まれるのよ」と大きなお腹を抱えて笑っていました。

 話しは変わりますが本質的な部分では変わらないとも思うのですが、30日の朝日新聞の「あすを探る」という欄に、濱野智史さんが「イスラム国へ追い込む絶望」と題して文を載せていました。濱野さんは1980年生まれですから、34歳くらいだと思います。日曜日の朝、TBS系列で放送しているサンデーモーニングに時たま出演している人です。その濱野さんの文章の最後の部分です。

 むしろ私たちが向き合うべきは「内なるイスラム国」であろう。つまり、イスラム国のような「ここではない、どこか」に一抹の希望を見てしまう若者を、いかにして「いま・ここ」の日本社会が受け入れることができるのか。すべてはそこにかかっている。と。

 「イスラム国」行きを希望した大学生を決して擁護する気はありませんし、ましてや祝島と「イスラム国」を一緒にする気など毛頭ありませんが、現在の若者の中に在ると思われる暮らしにくさというか、「何かを求める」気持ちの共通点を少しばかり感じたのです。



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島根原発見学旅行&買い物旅行

 僕は、広島に在る平和団体WFC(ワールド・フレンド・シップセンター)のピースセミナーの講師を20年続けています。8月と12月を除く毎月第4火曜日の午後に核問題を中心に話しをしています。話しを聞いてくれるのは、全員女性です。

 3・11以後は、原子力発電に関することやエネルギー問題が多くなりましたが、3・11以前はNPT(核拡散防止条約)の問題などもテーマにしていました。

 セミナーで10月は島根原発を1泊2日で見学に行こうということが決まりました。そこで、10月28日~29日に行ってきました。宿泊は松江しんじ湖温泉。こういう宿泊での企画は初めてのことです。

 広島からレンタカーに乗って島根原発へ、道中僕は案内をしていました。みなさん熱心に?聴いてくれました。島根原発のPR館に到着して中国電力の人から「原発の必要性」を聞かされましたが、そこでは中国電力さんをばっちりと虐めていました。PR館には長い間島根原発に反対運動をしている地元の芦原康江松江市議会議員さんにも来てもらい、彼女の話しを聞いて、原発が地域の発展には何の役にもたたないこと、原発麻薬に侵されている自治体の話しなどを聞きました。

 夜は宍道湖が一望できる温泉宿、夕食では生ビールで乾杯。僕は2杯ほど飲みましたが、皆さんは1杯だけでますますお喋りになりました。僕はまだ飲める口ですが、飲み過ぎて醜態を表してはならないので、品良く?話題に載っていました。夕食後はみなさん大浴場に入られたようですが、僕は一人部屋でテレビを観ていました。

 翌日はリクエストに応えて出雲大社に。出雲大社は皇室が出雲大社の人と結婚したということで、大きなブームになっています。あちこちのお土産屋さんでは「おめでとうございます」の紙は店先に貼ってあります。それとテニス選手の錦織さんブームでもあります。

 しんじ湖温泉でも出雲大社でも、皆さんの土産屋さんでの買い物パワーには、圧倒されました。ついでにということで日御碕灯台にも足を延ばしました。そこでも買い物、帰りの高速道路のサービスエリアでも買い物、買い物です。

帰宅したら「ありがとうございました」のメールが届いていました。こんなメールもありました。「あの澄み渡った海と美味しい魚を、放射能で汚してはいけないと、しみじみ感じました」と。

 来年は四国の伊方原発を見学して、道後温泉に宿泊しようということになりそうです。なぜか原発の周辺には温泉が多いものです。家族旅行も楽しいものですが、気の合う仲間との旅行も楽しいのでしょうね。特に女性は。おかげで僕も楽しい時間を過ごさせてもらいました。

広島市内での反原発デーパレード

 10月26日は「反原子力の日」、この日に合わせて全国各地で原発に反対する集会などが開催されているようです。今年は日曜日と重なったこともあり、広島市内では「STOP!川内原発の再稼働 10.26広島集会」を開催しました。集会では物理学者で元慶応大学助教授の藤田祐幸さんから「再稼働を止めて原子力の終焉を」と題した講演をしてもらい、様々な報告の後に市内パレードをしました。

 パレードの出発を待ち受けていたように雨が降り始めましたが、パレードコースにアーケードのある本通り商店街があるため、そんなに雨の影響は受けなくてすみました。アーケード内は雨を避けて歩いている人も多く、すごく賑やかでした。

 今、広島にはたくさんの外国人が来ています。一目で外国人と分かる人も多いのですが、顔は日本人と同じでも言葉を聞いているとハングル語、中国語という人も多いのでその数はとても多いと思います。日本で人気のある観光地は広島や京都ということだそうですから、広島市民にとっては嬉しいことです。

 パレードをしている僕たちの一団に対して、カメラを向けたり笑顔で手を振ったりしてくれました。そして3人の女性の人がパレード隊に入ってきました。

 こういう時、日本人のほとんどは無表情です。共感するでもなく反発するでもなく、まるで意思表示することが大損でもするかごとくです。僕はこの4月に米国ジョージア州のアトランタ市で、毎週月曜日の定例デモに参加しましたが、自動車の中からバスの中から共感のサインが送られました。パレードで訴えていたのは、「貧困に反対」するというものでした。

 パレードの解散地点は平和公園内の、「原爆の子の像」前でした。パレードに加わった3人の外国人は最後まで付き合ってくれました。ドイツ人とアメリカ人でした。

 パレードの参加者は250人くらいでしたが、外国から広島に来て原発に反対するパレードを観てそれに加わったことは、それぞれの国に帰った時にお土産話しになるだろうと思っています。

 広島はその意味では、世界中にメッセージを伝えることが出来る場所だと思います。

 広島を訪れた観光客が、日本の反原発運動の一端を知ってくれることはとても影響力があるので、このパレードコースを選んだのはとても良かったと思います。

 世界からの外圧とも一緒になって原発の無い日本をと思います。それにしても、日本人の無表情という顔が気になります。僕たちに賛同して欲しいとは思いますが、原発賛成でも良いから自分の考えを持つ人になって欲しいものです。

責任者としての役目

 今年の3月末で運転開始から40年を迎えた島根原発1号機、中国電力が事業者として廃炉を決断するか否かが大きな焦点となっています。40年を超えた原発を再稼働する場合、普通の点検より中身の濃い特別点検というものを実施しなければなりません。その結果を原子力規制委員会に報告し、その後に新しい規制基準に適合する対策を実施して、再稼働申請という手続きに入ることが決められています。

 特別点検には10か月から1年の期間を要するとされています。特別点検を実施したら、その点検結果を来年の4月から7月までの間に原子力規制委員会に報告しなければなりません。今は10月の終盤、特別点検が9か月で終わるとしても、今月中がタイムリミットです。

 しかし中国電力は、特別点検を実施するともしないとも表明していません。それなら廃炉ということになるのが普通の流れでしょうけど、廃炉も表明しない、こんな無責任なことは無いと思います。

 原発は運転していなくても、経費が掛かります。運転されていなくてもポンコツであろうとも、原発が原発として存在していれば中国電力の資産ですが、廃炉になれば損益として処理しなければなりません。だから廃炉を判断しないともいわれてますが、再稼働をする気のないものは廃炉とすべきです。

 その決断をするのは、事業者としての中国電力です。廃炉も言わない、再稼働も言わないこんな無責任な態度は無いと思います。

 原発が事故を起こした時の避難計画が議論されています。上関原発の建設計画地の真正面約4㌔のところに祝島があります。祝島には約450人の人が住んでいますが、上関原発が建設されて事故を起こした時に祝島の人たちはどうやって避難をすれというのでしょうか。

 このことは何度も中国電力に指摘したことがあります。答えは「避難計画は自治体が考えること」とか「原発が建設された後に考える」などと言ってました。自治体が考えるというのであれば、その責任は山口県であり上関町です。

 しかし、山口県は避難計画について何の提案もしていません。福島原発事故で5㌔圏内や30㌔圏内に避難計画の問題が議論されていますが、祝島の人たちはどうするというのでしょうか。今年就任した村岡嗣政山口県知事は埋立て免許の延長問題についても結論を先送りし避難計画についても何も言わない、それは無いじゃろうーと叫びたくなります。

 まあ知事になっても一度も祝島へ行かないという人ですから、言葉はキツイけど、考えたくない、考えることを放棄し、責任者としての役目を果たさない無能知事と言われても仕方が無いように思います。


明治座観劇会と原発見学旅行

 小渕優子経済産業大臣が辞任しましたね。地元後援会の人たちを東京・日本橋浜町の明治座に連れて行き、劇を見学するというツアーを企画し集めたお金と明治座に支出したお金との間に謎の差額が約1300万円以上在り、観光バスの貸切代金や弁当代などを含めた差額が有権者への買収になるというのが、大きな疑惑です。「後援会御一行様」で巨人戦を観戦するというのもそうです。マスコミなどで内容は皆さん知っていることでしょうから、詳しい事件の内容は省略しますけど。

 議員先生の感覚も、有権者のおねだり根性も何とも日本的ですね。でも似たようなことは、いろいろなところで在りますね。

 労働組合の大会などに、いわゆる組織内議員というのは必ず挨拶にやってきます。夜は当然のように宴会(交流会)です。これまた当然のように議員先生はウイスキーやお酒を提供します。ご相伴になる方も、あまりありがたいとも思わずに受け取り飲んでいます。

 退職者の会の日帰り旅行でも、旅行代金として支払う以上の待遇を受けます。これらは旅行に行かない会員を含めての会費が充当されているのですから、まあーこれも役得ですね。僕らの世界でも、額は小さくても在る話しです。

 そこで思ったのは「原発視察旅行」です。上関原発の建設計画が浮上した当初はすごい旅行への誘いが行われました。婦人会・消防団・青年団・商工会などなどが「旅行に行こう。旅行に行こう」と誘いました。だいたい2泊3日が定番だったようです。

 原発を軽く見学した後に、旅館で宴会。原発を2か所くらい見学して京都見学をしたりしたようです。多い人は7回も8回も行ったと言いますからすごいものです。全て「タダ旅行」です。もちろん旅行に連れて行くという目的は原発推進の意思を持ってもらうものですから、これも立派な買収だと思います。
費用は電気料金か電源開発促進税という税金です。

 保守系というか、社会に反対しない政党や組織に属しているというのは、やはり大きな役得がありますね。だからお互いに止められないのでしょう。

 18日~19日にかけて松江市で、中国地方の仲間による連絡会議総会を開催していました。前後がとても忙しくて、この「省ちゃんの前向き語り」も書けないような状況になっていました。楽しみにしている方??には、申しわけありませんでしたが、今週末も来週も多忙な予定が入っています。書くことは嫌いな方では無いのですが、その時間も取れないような状態です。

それでも夜は明ける

 1~2日前、「それでも夜は明ける」という映画をDVDで観たところでした。この映画、元々のタイトルは「12 Years a Slave(12年間奴隷として)」というもので、第86回のアカデミー賞の作品賞をはじめ様々な映画賞を受賞した作品です。

 映画は実話を基に映画化されました。1841年にワシントンD.Cで誘拐され奴隷として売られた自由黒人ソロモン・ノーサップの奴隷体験記です。日本国内の映画館公開は、今年の3月でした。ひと言でとても残酷で悲しくなる実話です。余韻がまだ残っている時に新聞を読んでいると、「イスラム国」が奴隷制の復活を宣言したという記事が目に留まりました。

 新聞によると、イラクで拉致したクルド民族少数派ヤジド派の女性や子どもを人身売買している。武力拉致した女性や子どもは「戦利品」として、作戦に参加したイスラム国の戦闘員に分け与えられた。10代の少女が千ドル(約11万円)で売買されたとの証言もあり、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の声明によると、強制的な改宗や結婚、性暴力の実態があると指摘していました。

 もちろん奴隷制というのは知っていましたし、社会科の教科書でも勉強したものです。しかし「それでも夜は明ける」を観た直後の、この新聞記事は相当に堪えました。

 アメリカの奴隷制の中でも、女性の奴隷は性暴力の対象でした。同じことが「イスラム国」でもです。

 オリバーストーン監督のベトナム戦争を扱った「プラトーン」でも、日本映画の「聞け、わだつみの声」でも、兵士は戦争現地で女性に性暴力を加えています。改めて、戦争は弱い立場の人たちが犠牲になるということが明らかにされました。

 戦地という「死が隣りあわせ」の極限状態に置かれている兵士が、その状態のストレスから抜け出たいから性暴力を振るう。幸いにも僕の場合、そんな状態にならないで良い時代に生きてるから、「えーカッコ」が言えるのかも知れませんが、孫たちの時代にはそんな加害者にも被害者にもならないで欲しいと思います。

 「それでも夜は明ける」、今月始めからレンタルが始まりました。ぜひとも観て欲しい作品です。言い忘れましたが、僕の趣味は良い映画をレンタルで観ることです。日本映画、外国映画を問いません。60歳過ぎると、金曜日に限り旧作DVDが1本無料で借りられます。レンタルDVD店の女性従業員さんが、毎週金曜日に笑顔で迎えてくれます。

経産省前テントが襲撃される

 12日午後5時半ごろ「経産省前テントひろば」が、襲撃されたという連絡が入りました。襲撃したのは女1名を含む4名です。

 以下は「経産省前テントひろば・運営委員会」の声明文からですが、そのメールの一部を紹介します。「で・ある調」で書いてありますので、そのまま書きます。

 10月12日午後5時半ごろ、経産省正門方向から接近した女1名を含む4名がテントを襲撃した。テント前の横幕などを引きはがし、特に第2テントの内部に侵入し、乱暴の限りをつくした。天幕を破り、備品を投げ、足の踏み場もないまでの狼藉を働いた。その間30分、途中から丸の内署の警官がかけつけるが、幸い居合わせた10人近いテント関係者に負傷はなかった。設置以来3年余、右翼の襲撃は何回もあったが、これだけの破壊行為は初めてである。

 襲撃の一部始終は、襲撃者の一人である女がツイキャスでネット上に流している。売名行為のつもりだろうが、自らの犯罪を証明した。動画を通して続く女の低劣な「おしゃべり」が連中の正体をよく示している。「ぶっ壊せ~」の叫びはまだしも、傑作にも、テント前のスローガンを読もうとしたが、「廃炉」の漢字が読めなかった。そして「竹島はどうなんだ」という難癖。脱原発テントは竹島問題などと関係がない。敢えて言えば、竹島などという無人島の何千万倍もの面積の「国土」が福島で失われている、今も原発事故によって十数万もの人々が故郷に帰れないでいることを知っているのか。

 この声明文にも書いてありますが、経産省前には3年以上も原発反対を訴えるテントが置かれています。僕も上京した時に2度ほど訪ねたことがありますが、若い人たちを中心に笑顔で迎えてくれました。それにしても、この出来事をマスコミは何も報道していないのは、これも何かをビビッているのでしょうか。

 原発に反対する人に対する嫌がらせは以前からもありました。それは手紙やハガキによる脅迫、注文もしていない物が受取人払いで送られてくるというパターン。僕の場合、送られてくるものにはポルノビデオ・アニメビデオを経験しています。友人の中には、高級ベッドといった家具や避妊具、痔の薬という人もいました。しかし直接的な要するに顔が見える形でやられたことはありませんでした。

 3・11以降は少し鳴りを潜めたいたようでしたが、それがこの度のように直接的な行為で行われたというのは、何を意味しているのでしょうか。相手が焦っているというように簡単に片づけることもできません。最近は言葉よりも手の方が早いというようにも思います。それだけ、この国が平和でない方向に歩もうとしているのか。格差拡大の中で彼らの憤まんが、やけくそのような行動に走らせるのでしょうか。「廃炉」という字が読めなかったのですから、「原発推進」に「理論武装」しているようにも思えません。

 どうも最近の傾向として原発反対運動の中でも、「揚げ足取り」「重箱の隅をつつく」ような個人攻撃を目にしています。特にネットを通じてです。傾向としては、新たに運動に加わった人たちや、原発に反対なら集団的自衛権も秘密法も「反対しなければならない」「すべきだ」というように決めつけいるとも思えます。

 それはそれでやって行くと人はいくとしても、小泉・細川といった元首相ですら原発に反対という時代ですから、もっと大きな視点でやらないと輪は広がらないと思うのですが。

 これもチェルノブイリ事故後に反対運動が盛り上がった時には「オールドウエーブ」と言われ、この度の3・11では「化石」のような存在になっていると思っている僕らのヒガミなのでしょうかねえー。

広島市草津町

 広島市草津町(現・広島市西区草津町)の秋祭りは、毎年シーズンのトップで行われていました。今でもそうです。その理由は草津町が魚の町だったからです。今は広島電鉄の宮島線の電停で「草津南」という駅になっていますが、以前は「魚市場前」という駅名でした。

 魚の町と秋祭りがトップということの関連が分からない人も多いと思いますから、説明をしますが魚の町には蒲鉾を作るところ、売るところ、もちろん魚市場もありました。広島特産の牡蠣養殖も行われていました。秋祭りといえば、海産物が売れます。だから草津はさっさと秋祭りを終えていて、他所で行われる秋祭りは忙しく仕事をしなければならないという考えの上だったようです。魚市場の横路地にはリヤカーでシャコを売る女性も見かけたものです。シャコとは、にぎり寿司のネタになるあれです。

 この話しは母から聞いたものです。夫を病気で亡くした母は、僕たち子どもを育てるために、草津郵便局で勤め始めました。僕が4歳の時です。当時の草津郵便局は旧国道沿いにありました。最近の人は旧国道といったら、現在の国道2号線を言い、西広島バイパスを新国道という人もいるようですが、江戸時代「したにー。したにー」と参勤交代が歩いていた道のことです。母は広電電車で草津町に通勤していました。

 寂しがり屋の僕は、広電五日市駅に母を迎えに行ったり、時には電車に乗って草津町に行ったこともあります。現在は旧国道沿いにあった草津郵便局は民家になっていて、現在の郵便局は本当の国道2号線沿いにあります。

 草津の電停近くに「いなりや食堂」というのがありました。それがなんと今でも、同じ場所にほぼ同じ雰囲気で存在しているのです。電車の車窓から、この食堂を見る度に行ってみたいと思っていましたが、なぜか踏み切れませんでした。しかし先日、勇気を持って昼食を食べにノレンをくぐりました。80歳近いと思われる女性の店主さんにむかし話しを聞きました。なんと、この店は戦後すぐに開いた店だったようです。

 草津町の移り変わりをずっと見ていた人です。「草津はねえー魚の町だったのだけど、普通の町になったらまったく衰えてしまったんですよ。あの頃は魚屋さんが多くあって蒲鉾屋さんがあった頃が良かったですねー」という話しで盛り上がりました。魚臭いあの臭いが懐かしいです。僕の中では「くさつ」は「くさい」から来たのだと本気で思っていたくらいですから。活気があったように思います。

 今、ほとんどの町に個性が失われてしまったように思います。個性の薄くなった町には魅力を感じません。

 今日は僕の住んでいる町でも秋祭りでした。孫を連れて「子ども神輿」の横を歩きました。神輿の口上をいう人は僕と同年齢です。「口上を唄える若い人を育てんといけないねえー」というような話しをしていました。子ども神輿の横を、こちらを見るでも無く無表情に走る車、子ども神輿の世話役をしている大人たちは安全第一でマイカーの人には「すみませんねえー」と頭をペコペコ下げていました。僕は「神輿が通り過ぎるまでマイカーは停車して待っておけえー」そう叫びたいような心境にもなりましたが、黙っていました。

川内原発の住民説明会

 9日に薩摩川内市で、原子力規制委員会による審査結果を住民に説明する会が開かれました。福島原発事故後の「再稼働」トップになるとされている川内原発の説明会で、また鹿児島県で予定されている5か所の最初ということですから、新聞も大きく取り上げるだろうと思っていましたが、中国新聞は全く記事無し、朝日新聞も小さくという感じでした。

 川内市の住民だけが説明会に出席できるということでしたが、約千三百人が参加を希望し抽選で約三百人が落とされました。午後7時から始まり、原子力規制委員会による説明が1時間、質疑が30分というまさにセレモニーの会でしたが、午後9時頃の時点で主催者が「既に予定時間を過ぎた」として質疑を打ち切ったようです。質問を受け付ける内容について、事前に司会者から「新規制基準に限ります。再稼働や避難計画は含みません」とくぎを刺したそうで、これにも不満の声が上がったようです。

 避難計画や再稼働は含まないというのなら、この問題について鹿児島県や薩摩川内市は改めて、しっかりと説明会を行うべきだと思います。

 地元の新聞などでは「審査、説得力ない」「核のごみ たまるばかり」「質問大半が再稼働疑問視」「住民の不安解けず」「質問 強引に打ち切り」と書いています。

 ヨーロッパなどでは住民説明会は、住民が希望すれば何回でも開くということを聞いたことがあります。まったく時代遅れのこの国に本当に嫌気を感じます。再稼働にチョー積極的な伊藤祐一郎鹿児島県知事は、再稼働するために同意が必要な「地元」は「県と(立地自治体の)薩摩川内市だけという態度ですが、これだけ住民の不安が解消されなければ、この考えも考え直さなければならないだろうと東京新聞は書いていました。

 話しは変わりますがノーベル平和賞に、17歳のマララ・ユスフザイさんが受賞することになりましたね。本当に良かったと思っています。彼女が書いた「I Am Malala(わたしはマララ)」という本を読んで感動していましたから。この本の表紙には、教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女と書いてあります。

 憲法9条は残念でしたがマララさんなら納得です。祝杯と重なりましたが、昨夜は友人と飲み過ぎました。どこからタクシーに乗り本当にお金は払ったのかの記憶も無いくらいですから。でも朝起きるとしっかりと自分の部屋でした。まあこんなことも1年に一度くらいなら許されるでしょう。言いわけになりますが、飲み放題という店ではどうしても飲み過ぎになる卑しい根性は、60歳過ぎ人の直せない体質でしょうかね。

憲法9条がノーベル賞候補に

 10日に公表されるノーベル平和賞に、憲法9条が受賞するとの予測がされているという新聞記事を見ました。受賞者は日本国民にとされていますから、僕も安倍晋三も受賞者です。予測をしたのは、ノルウェーのオスロにあるオスロ国際平和研究所という民間の研究機関です。

 アベシン政権が憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を認めることを閣議決定するという、まさに暴挙を行った後ですから大いに期待して10日を待っています。

 まあー安倍晋三の大叔父にあたる佐藤栄作も1974年のノーベル平和賞を受賞しているのですから大いなる皮肉です。佐藤栄作からみれば安倍晋三は大甥です。もっとも9条がノーベル平和賞を受賞することに危機感を持っているのがアベシン政権だとも新聞は書いていました。

 ノーベル平和賞もこの佐藤栄作を始め最近ではケニアで貧困に苦しむ女性を動員して植林運動を指導したワンガリ・マータイさんやオバマ米大統領も受賞しているという代物です。たぶん日本の組織なり個人が単独でノーベル平和賞を受けたのは佐藤栄作ただ一人だと思います。

 高乗正臣という憲法改正(改悪)論者は新聞の中で「集団的自衛権の行使を容認している現実がある。違憲状態が放置されたまま9条がノーベル賞を受賞すれば、欺瞞(ぎまん)と言われるだろう」と述べていました。このコメント裏を返せば、集団的自衛権を憲法違反と認めたことになるのだと思い笑ってしまいました。

 9月20日土井たか子さんが亡くなりましたが、土井さんは「憲法と結婚した」とまで自らが言われるほどの9条を護る護憲論者でした。非核3原則に傾けた情熱は、まさに本物でした。憲法9条がノーベル賞を受けたら一番喜ぶのは土井さんだろうと思います。

 僕が特に土井さんのファンだったのには、個人的な理由もあります。客観的に見れば違うかも知れませんが、背の高いところ、その声、生き方、取り組む態度、心の大きさなどが母に似ていることです。土井さんが亡くなられた後の新聞で知ったのですが、大腿骨を骨折し手術・車いす生活になり85歳で亡くなったということもそっくりだからです。

 アベシンのことですから、「僕の大叔父さえ貰えたノーベル賞だから、大した価値があるもんじゃあないですよ。ノーベル賞も間違いはありますから」と開き直るような気もしています。LEDでノーベル物理学賞を貰った日本人にアベシンから電話をしたそうですから、憲法9条がノーベル賞になれば、彼はどんなコメントをするのでしょうかねえー。これも興味深いところです。

こんな厄介な発電設備は要らない

 鹿児島県川内原発の再稼働に向けて、鹿児島県主催による住民説明会が明日から始まるようです。明日は薩摩川内市からです。1000人の参加者が予定されているようですが、このような説明会が原発から30㌔圏内の自治体5か所で開催するとしています。当初は3か所3回だったようですが、5か所5回に増やしたと、鹿児島県はもったいぶって説明していました。

 川内原発から半径30㌔圏内には2005年の数字で、約23万2千人が住んでいます。1会場が1000人として5000人が対象です。30㌔圏内人口の0.02%です。1か所1時間半の所要時間のうち説明が1時間、会場参加者からの質疑にはたったの30分です。福島原発事故前に、原発の建設をめぐる公開ヒアリングなどの説明会がいわゆる「セレモニー」と言われてましたが、まったく同じことの復活です。こんな馬鹿げた話しは、一応民主主義国家と言われている国ではあり得ないことだと思います。

 御嶽山の火山噴火で、火山と原発の問題が指摘されています。川内原発の原子力規制委員会の審査でも、火山の問題が指摘されていました。原子力規制委員会の見解は、3万年と原発の運転期間を天秤に掛けています。そして、でもしかし火山噴火の予兆が見られたら、原発の運転停止を命じるという何とも「すごろくゲーム」のような感じです。

 九州地方は日本でも有数の火山地帯です。川内原発の敷地は、過去に起こった火山爆発の溶岩であるとも言われてます。

 それと原発から5㌔内に住む要援護者や介護者の避難計画が決まっておらず、まさに「置き去り」にしてしまうということです。これが住民の健康と安全を守るというのが建て前だけであっても、県などの姿勢として許せることでしょうか。

 福島原発事故後埋め立て工事が中断されている上関原発計画ですが、計画地から真正面の位置、約4㌔に祝島があります。島民は生活をしています。中国電力も山口県も、この祝島に住んでいる人の避難については、公式には何も発言したことが無いと思います。知ってはいるでしょうけど、考えないような顔をしているのでしょうか。本当に無責任な話しです。

 そもそも今のこの時代、「避難計画」を策定しなければならないような発電所を作らなければならない時代でしょうか。時同じくして青色の発光ダイオード(LED)を開発した3人の日本人が、ノーベル物理学賞を受賞したという新聞記事です。

 こんな時に何が原発でしょうか。原発の発電方式はまさに「黒船時代」の遺物だと思います。黒船来航は1853年ですから、あれから約160年です。しかしもしもあの時に原発をどんどん作っていて、運転を終えた巨大な異物を、この時代の僕らが見たら怒るでしょうね。「なんでこんな厄介な物を残したのかー」と。

あと5年と6ヶ月

 10月1日に厚生労働省が「健康寿命」というのを発表していました。「健康寿命」というのは、介護を受けたり寝たきりにならず日常生活を送れる期間というものです。健康寿命は、国民生活基礎調査で「健康上の問題で日常生活に影響がない」と答えた人の割合や年齢別の人口、死亡数などから算出したものだそうです。

 こういうのがあるということ自体、僕は知りませんでした。2012年に初めて発表されて、今回が2回目だそうです。

 この度発表されたデータは2013年のものですが、男性は71.19歳、女性は74.21歳です。この年の男性の平均寿命は80.21歳で女性は86.61歳ですから、平均寿命との差は9年~12年在ることになっています。

 今の時代いつどんなことが起こるか分かりませんし、明日はどうなることやらという感じですが、僕の友人には100歳になっても元気でそれなりの立場で頑張っている友人もいます。こんな方はうらやましいと思います。しかしそれはそれとして、僕の場合の「健康寿命」は残り5年6ヶ月です。

 この発表を見ながら、これからの暮らしの中での基本的なスタンスを考えてみました。

 まず小まめに動くようにしたいと思います。この年齢に近づくと冠婚葬祭や法要、同窓会、お見舞いなどが億劫になるものですが、やはり生きている間に交わっておかないと亡くなってでは後悔が残るばっかりだと思うので、小まめに友人とは話し、その人のエキスを吸収しておこうと思います。

 そして上関原発の建設計画は、この期間中には白紙撤回を実現したいと思いますし、中国電力の社長が形だけでも良いから、涙ながらに「残念ながら白紙撤回をする」と話す会見を聞きたいものです。

 先週の金曜日から今日まで大阪に行っておりました。特別な用事があった訳ではありませんが、僕が原子力に反対する運動を行うようになったキッカケを与えてくれた人に会うことが大きな目的でした。1978年のことですから36年前のことです。その人は83歳で現在肺気腫などの病気を患っていますが、この夏には「原子力と核の時代史」という512ページに亘る大作を書いて出版しました。

 原水爆禁止運動に、まさに命を懸けて取り組んでいる人たちの苦労話しを聞きました。僕ら世代は、まだこれらの人たちの名前と姿がすぐに出てくる年代だと思います。午後3時頃から一段落して時計を見ると午後9時が近づいていました。

 そして実姉の家に行きました。姉の夫が今年1月に病死して、その時は僕の方に予定が入っていて葬儀にも行けなかったのですが、この度はじっくりと話し込むことが出来ました。姉は10人くらいの従業員のいる電気工事会社の社長をやっています。大阪圏広しと言え、このての会社の女社長は自分だけだろうと話していました。姉にとっての課題は、後継者を誰にしてもらうかです。

 改めて時の流れの速さを実感していたのです。

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