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今年の笑い納め

 嫌なことも多くあった1年ですが、今年の笑い納めをしました。

 NHKの「大相撲この1年」を観て、笑ってしまいました。解説の北の富士勝昭さんと、舞の海秀平さん、今年はこれに高見盛、現在の振分親方が加わり、大相撲のこの1年を振り返る番組です。

 そこで出てきた話し。中味を詳しく言うのは省略しますが、話題は稀勢の里の優勝と横綱問題になりました。笑ったキーワードは、次のところです。

稀勢の里は、希望を持たせたり、ダメになったり。
近づいてみたり、離れてみたり。
まるで、魔性の女みたい。
しかし、いつか僕の気持ちにも限界というか、あきらめがくる。
君はそういう気持ちで相撲解説をしているのか。

 これには、まさに大笑いをしました。
 この北の冨士勝昭さんと舞の海秀平さんという方、性格は真反対のように思われます。北の富士さんは、ベランメイ調で言いたい事、思っている事を衣着せずに言う人。若い頃は相当に遊んだと思える人。舞の海さんは、真面目一本で周りにも気配りのする人。しかし、本当はムッツリ○○という感じ。

 いよいよ明日は「紅白」ですね。NHKが、紅白の宣伝番組をたくさん放送するのを観ていて、それだけの効果が在るのだろうかとも思ってしまいます。
 だいたい、紅白を観ないような人はNHKの普通の番組も観ていないよと。

 このNHKの姿を見ていて、僕自身の活動について考えてしまいました。僕たちは、原発問題や憲法問題などで学習会とか講演会というのを何度か行うのですが、参加するのは多くが内輪の人です。もちろん内輪の人も知識に差があるのですから、必要なことですけど、やはり多くの普通の人に打って出ることの必要性を感じています。外輪とでもいうのでしょうか。外輪に対して宣伝するのは、やはりマスコミを使うことや、街頭宣伝でしょうかね。紅白のしつこいばかりの宣伝番組を観ていて、フンフンと考えていました。

 紅白と言えば、あの泉谷しげるさんがどう発言するのか。彼は僕らと同世代ですし、興味のあるところです。

 泉谷くん。ただ単につまらない揚げ足取りで、紅白を非難するのではなく、今のNHKの体質、安倍晋三との結び付きの問題など、観ていて「ナットクー」というようなパフォーマンスをしなさいよ。

 最後の最後の夜に笑わせて締め括ってください。そうでないと、もう君の「イムジン河」など聴かないよ。
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勝手な理屈

 25日、中国電力が原子力規制委員会に対して行った、島根原発2号機の規制基準適合審査申請(再稼動申請)に対し、27日、中国電力に抗議行動を行いました。
 とても寒い中、中国電力本店前には広島の市民グループの人たち約30人が集まり街宣行動を行い、会社内では、島根県や鳥取県の人たちら10人で抗議申入れを行ないました。

 この度の再稼動申請は、自らが公約としていた、年内申請というスケジュールのみを優先した「出来レース」です。耳にたこが出来るほど、「原子力については、住民の理解が得られるように最大限の努力を行う」という言葉は聞かされていましたが、これが大嘘だったことを天下にさらしました。

 中国電力は、「福島原発事故は、津波によって発生したので、津波対策を行った」としていますが、国会事故調査委員会の報告書では「津波が押し寄せてくるまでに、全電源が失われ事故の引き金になった」としています。福島原発事故後、東京電力、政府、国会、民間の4つの事故調査委員会が報告書をまとめ提出していますが、これらの報告書に対して検証も議論もされていません。東京電力も政府も事故原因は「想定外の津波」としています。「想定外」と言えば、みんなが許してくれるとても思っているようですが、「想定外」という言葉を、そうシャーシャーと使うなと言いたいです、 「想定外」で予測不可能だったのなら、最初から原発をやる能力などないということです。リスク管理もできずにいて大事故がおこれば、人類の将来が無くなるということは、最低限原発をやる最初からわかっていたはずです。
 「『想定外』に頭に来て、あいつを殺した」という理屈が、世の中で理解されないということと同じです。

 抗議申入れで、中国電力の担当者は「原発に100%安全は無い」と、正々堂々と「胸を張って」話していました。ほんのこの前まで、「原発は100%安全です。万が一事故を起こしても、放射能物質が外部に漏れるようなことはありません」と言ってたのは何処の誰でしょうか。考えてみれば100%安全なものを、万が一事故を起こしても…という理屈は、どうも合わないと思うのだけどなあー。
 先日、苅田知英中国電力社長が、100%安全は無いと言った発言を追認したものです。

 「福島原発事故が起っても、原発推進の上関の人たちの意識は変わらないのですか」と聞かれることがあります。僕が思うのは、もちろん原発の恐さや心配という意識は強まったと思います。しかし、まさか、ここ上関では同じ事故は起きないだろう。嫌、起きたとしても自分が生きている間には無いだろう。という感覚だと想像します。そうなら、貰えるものは貰って都会に暮らす、子どもや孫たちのために使いたい、という意識ではないかと思っています。

 今日から年末年始の休みに入りました。高木仁三郎市民科学基金の国内枠の助成選考の作業をじっくりと行いたいと思います。
 もちろん大掃除も、やりますよ。孫に遊んでもらいながら。
 でも部屋の中の膨大に散らばった資料は、手付かずにしようと結論付けました。変に掃除して新年を迎えたら、活動の継続性が失われるかも知れないという、極めて自分勝手な理屈からです。
 そして初めて購入した宝くじも楽しみです。40枚も買ったのですから。7億円当たっても、誰にも言わない。しかし、顔に出そう!
 高木仁三郎市民科学基金に1億円くらい寄付するかなあー。そうしよう。

「エネルギー基本計画」を決めた委員たち

 この委員なら、原発推進・復活をもくろむ「エネルギー基本計画」だと思う顔ぶれです。12月6日に、「エネルギー基本計画」の素案が明らかにされましたが、「まるで、福島原発事故など無かったかのような」に腹立たしく思っていましたが、委員の名前を見て妙に納得してしまいました。

 民主党政権が決して良かったとは思いませんが、2011年5月、菅直人首相(当時)が、これまでのエネルギー基本計画を、「白紙」から見直すことを発表して、この年の10月28日、政府での横断的な検討をおこなう「エネルギー・環境会議」が国家戦略室のもとに設置されました。

 エネルギー・環境会議は、基本計画を白紙から見直すという機運のなかで、それまで経済産業省が選管していた国のエネルギー政策を官邸主導で横断的に見直す体制へと変更したという点で評価されていました。また、革新的エネルギー・環境戦略を策定するにあたり、国民的議論を踏まえた進め方を行うために、パブリックコメントに加え、全国11箇所の都市で意見聴取会が行われ、討論型世論調査という従来にはない道すじが作られました。まあ、ここまでは民主党政権も良かったと言えるかも知れませんが。

 この時、総合資源エネルギー調査会基本問題委員会というのが作られました。この委員の数は、委員長を含め総勢25人。原発に批判的な人も加わりました。「原発は嫌だ」という世論が、圧倒的に多数という状況の中では当然なことだと思います。むしろ少ないとも思いました。僕の知り合いでも、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さん、立命館大学の教授で原発のコストに詳しい大島賢一さん、原子力資料情報室の伴英幸さんらが入りました。

 しかし、どうでしょう。この度の「エネルギー基本計画」を決めた委員の顔ぶれを見ると、圧倒的に原発推進派で占められています。それも、たちの悪い推進派です。まずメンバーは15人となりました。

 委員長は三村明夫日本商工会議所会頭、これは変わっていませんが。秋元圭吾地球環境産業技術研究機構の人、この人は福島原発事故の事故処理コストを、発電コストから外すべきだと主張した人。持続可能な社会をつくる元気ネットの崎田裕子理事長は、高レベル放射性廃棄物の地層処分推進論者として悪名高い。豊田正和日本エネルギー経済研究所理事長は、元経済産業省の役員。京都大学原子炉実験所の山名元教授は、福島原発事故後に「それでも日本は原発をやめられない」という本を書いた人です。電力会社・原発メーカー・政府から、この研究グループが8億円のお金を受け取ったということで、公正性が疑われた人です。そして、原発マネーズブズブの西川一誠福井県知事。まあー、顔ぶれを見て原発に批判的な人といえば、日本消費生活アドバイザーの辰巳菊子さんくらいでしょうか。

 この度の「エネルギー基本計画」は決め方というところで、構造的な欠陥を含んでいます。こういう「エネルギー基本計画」は、その部分だけでもリコールされるべきでしょう

島根原発2号機の再稼動申請

 12月25日、中国電力が島根原発2号機の再稼動申請をすることになりました。中国電力が、誰に約束していたのか知りませんが、年内実施という「公約」を実施することになったと言ってます。

 この問題については、このブログでも何度か書いたと思いますが、まさに「出来レース」です。主役は、中国電力と松江市、島根県です。福島原発事故が発生して、原発から30キロ圏内も、50キロ圏内の自治体も「新たな地元」として定められましたが、30キロ圏内自治体の権限というものが、国によって明らかにされていないのを理由にして、これらの自治体に対して、中国電力はこれまでの10キロ圏内の自治体と締結している「安全協定」を拒否しました。

 島根原発から30キロといえば、島根県では出雲市、安来市、雲南市が加わり、鳥取県では境港市、米子市が含まれます。50キロ圏内では広島県の庄原市も加わります。これらの「新たな地元」は、完全に出来レースの主役から外され、脇役に追いやられました。そして、住民・市民は完全にこのレースのステージに上げてもらえませんでした。

 じゃあ筋書きを書いたのは、誰か。ずばり経済産業省の官僚でしょう。経済産業省がエネルギー基本計画を決めて、沸騰水型原発の再稼動申請の動きが急激な勢いで、強まろうとしています。
 あの震災を受けた、東北電力女川原発2号機(82.5万KW)も再稼動申請をするという報道がされています。再稼動では、蚊帳の外に置かれていた北陸電力の志賀原発も、直下のあるとされる活断層の評価を見直そうとしています。

 一方、先日の上関町議会で柏原重海上関町長が、エネルギー基本計画に「新設原発について、明確に記されていない」と不満をぶちまけていました。こういう姿を見ていると、泣き虫子どもが「欲しい、欲しい」と癇癪を起こして、泣きわめいているような姿です。

 僕らは、27日に中国電力に出向いて、再稼動申請の撤回と、原発の廃炉を求める申し入れを行うことにしています。島根、鳥取の両県からも参加されます。中国電力の外では、広島の市民グループの人が支援のために加わります。

 今年も残りわずか、ぎりぎりまで忙しくされます。消去法的に言って、島根原発の再稼動一番乗りという不名誉なことにならないように、頑張るしかないようです

清須会議

 三谷幸喜作品の映画「清須会議」を観ました。本当にあった話しで、実際は「清洲会議」と言うようですが、映画は「清須会議」となっていました。本能寺の変で明智光秀に殺された、織田信長の後継を決める会議のことです。

 後継者に織田信孝の擁立を狙う柴田勝家(役所広司)と、三法師を擁立しようとする羽柴秀吉(大泉洋)が、尾張国清洲城(現在の愛知県清須市)で開かれる会議に臨むものです。

 僕は、もの事を決める会議というものが、どのように展開され人の気持ちというものが、どのような事で動かされ、変わっていくのだろうかという事に関心がありました。それは、今も昔も変わりません。決め事は、酒の席で決まり、人の心を変えるのは、やはり出世の約束だということを、つくづく思いながら笑って観ていました。肩書きがどうなるかが勝負です。特に男はそうだと思いました。羽柴秀吉の妻は、「私は、今のままでも充分に良いのよ」と語ります。
 もちろん、男性も女性もいろいろだとは思いますけど。

 この際、大所高所からの判断に基づく「あるべき姿」というのは、余り無いように思います。こういう事、今の政治の世界でもあることですね。国政の場から果ては村議会でも、仕事の世界でも嫌になるほど見せられました。もっと言えば、小学校でも保育園でもあることです。しかし、優柔不断が良いとも限りません。こういう人は、信用されない。変わるのなら、パッと一瞬で変わるのが一番。
 相手の能力よりも、相性が合うか。好きか嫌いかでの判断が大きく作用するようです。面倒な人、煙たい人は嫌われるようです。

 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていたであろう」という言葉は有名な話しですが、やはり女性の存在というのは、大きく作用するように思います。信長の妹、お市様を好きになった柴田勝家は、お市から秀吉を暗殺すように頼まれます。たぶん、暗殺など本位ではなかったか勝家ですが、しのびの者を使って暗殺を企てます。結局は、失敗に終わるのですが。やはり女性から頼まれると嫌と言えないのは、これも古今東西同じだと思いました。

 僕がメモ帳にサッサッと書いた言葉。たぶん、勝家の質問「年下の女に好かれる秘訣は?」ということに、誰かが答えていました。年下の女とは、お市を指すものです。
その答え。
 「年上の女は年下のように、年下の女は年上のようの扱うものだ」と。

 「なるほどねえー。なるほどねえー」と何度もうなずきながら、映画館を後にしたのでした。

猪瀬直樹の辞任

 猪瀬直樹東京都知事が、辞任を表明しました。ニュースを見ていると、「私の説明が理解してもらえなかった」と、本人は話していました。なら「辞めるな」と、思わず僕の口から声が出てしまいました。

 「理解してもらえなかった」ということは、自分は悪い事はしていないけど、分かってくれないから辞めるという意味となります。弁の立つ人ですし、作家でもあったのなら、理解されるように努力すべきだと思います。

 辞任表明をしたら、都議会での追及の力も急にトーンダウンしたようです。偽証の責任が問われる百条委員会も、やらない事になったと聞けば、議員連中に対して、「こいつらあー本気だったのか」と疑いの気持ちを持たざるを得ません。 マスコミも大勢は次期都知事選挙の方向に流れています。

 僕だったら、辞任が承認された都議会が終われば、そのまま直行で東京地方検察庁へ出向き、受付けで「政治資金規正法違反で自首しました」と言って、正々堂々と収監されたいと思います。これぞ「男の美学」では無いでしょうか。こういうような政治家は、これまで見たことがありません。

 「愛妻」だった、ゆり子さんも亡くなったことですし、子ども二人も独立しているのですから、自分の体験を本にでも記されたらどうだろうかとも思います。
 =僕は、東京メトロ有楽町線に乗って桜田門駅に降り、5番出口から地上に上がった。目の前に東京地方検察庁の大きな建物が現れた。この半年余りの間、いつかこういう日が来ることに、胃の痛むような思いで暮らしてきたが、覚悟を決めると、何だかスッーとした軽やかな気持ちになった。最後の最後まで、表向きは「シラをきって」、強制捜査が入ると、ダァダァダァーと転がり落ちるように陥落するような事には、なりたくなかった。これを究極な「男の美学」だと思った=
 という感じで。

 僕は、講演会などのレジュメに表紙に、「反省しない」「総括しない」「責任取らない」という言葉を書いたものを使います。そして「組織された無責任」というものも使います。

 あの戦争が終わった時も、誰も「反省しない」「総括しない」「責任取らない」だったように思います。あれから68年、福島原発事故が起こっても、やはり「反省しない」「総括しない」「責任取らない」です。少しもこの国の体質は変わっていないように思います。

 猪瀬さん、2020年のオリンピック、パラリンピックを成功させるために、猪瀬さん自身の美学で、生まれ変わったこの国の姿を見せようではありませんか。
 そんな根性は無いか!

 しかし、「開き直れば、何でも出来る」「捨てるものなど何にも無いと思えば、力が出る」「怖いものなど何にも無いわと思えば、空が大きく広く見える」。
 どうでしょう。

山中鹿之助の祠(ほこら)

 戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将に、山中鹿之助という人物がいます。尼子氏の家臣で、山陰地方の出身ということで、中国地方の各地に鹿之助にまつわる史跡などが存在しています。広島市内にも、何か所かあるそうです。

 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という、彼の言葉は有名です。宿願を果たすためには、まず自分を鍛える。自分を鍛えるためには、苦難が必要なのかもしれない、という意味です。この言葉、好きです。

 自宅の北側に、鹿之助を祭っている祠があります。ここの土地を持っているのは、山中トシさんという方でした。祖先は、明治の中ごろに私立山中高等女学校として広島市内に建設された学校の創設者です。そして、1945年の4月に山中トシさんが理事長に就任。 
 山中トシさんは、学校の土地約7400坪と校舎約3000坪を国に寄付して、この学校は私立から当時の官立になったのです。当然、原爆の被害を受けました。

 山中さんは、相当に土地を持っておられましたし、どうも山中鹿之助との関係がある方だというのは、母親から聞いたように記憶しています。詳しいことは知りません。その土地の中に、山中鹿之助の祠がありました。僕が子どもの頃には、山中さんの土地を通らないと、買い物にも行けないと聞いたような土地持ちでした。土地持ちでしたが、とても人格者だったと聞いていました。

 この祠の前で、時々知らない人が手を合わせている姿を見たことがあります。中には、子どもの病気を治すのに、ここに来てお願いしなさいと言われ、わざわざ遠方から来たという方もいました。

 山中トシは亡くなられ、子どもの世代、今は孫の世代になりました。子どもの方は、祠を残したままで月ぎめの駐車場にされていました。20年位前のことです。この時、祠を撤去していたらもう1台分の駐車スペースが取れたと思いますが、「歴史がある物だから」ということで残していたのです。

 最近になって、この土地を売却しようということで、トシさんの子どもさんが挨拶に来られました。岡山に住んでいる方です。僕は「あの祠は、出来れば残しておいて欲しいのですけど、もし撤去されるのなら、それなりの儀式を行いたいので知らせて下さい」とお願いしていました。

 それが、昨日帰宅したらシャベル車が入って撤去工事をしていました。何とも不愉快な気持ちになりました。自分の土地ですから、売却は自由ですし、祠の撤去も自由かも知れません。しかし、撤去の前に連絡して欲しいとお願いしたのですが。トシさんの孫という人の意向だそうです。境界確認に来ていた土地家屋調査士さんも、「何も儀式をやらないと、タタリが起こるかも知れませんねー」と言われていたようです。

 この土地も売られることになりました。問い合わせの方が来られたら、「ここに住むと、タタリが起きるかも知れませんよー」と話してやろうー。売るのも祠を壊すのも自由なら、タタリが有るかも知れませんよーと、言うのも自由です。

 世知辛いご時世です。山中トシさんも泣いているぞー。

時の総理大臣にも、原発の真実は伝えられなかった

 朝日新聞の12月15日付けの「ザ・コラム」は、興味深い記事でした。“小泉元首相の変節「オレたちにウソ言ってきた」”というものです。今、脱原発を言ってる小泉さんですが、マスコミの取材はすべて断っているそうです。取材ではないということで編集委員の大久保真紀さんが、会って話しをしています。

 なぜ、いまごろ原発ゼロを声高に叫ぶのだろう。だって首相時代は、CO2削減を理由に原発推進の旗振り役だったのに。大久保真紀さんは、原発推進から原発ゼロに変節した、小泉さんを変えた一番のものは何だろうかと思いで聞いています。そのところの記事です。

 (小泉さんは)「電事連(電気事業連合会)の言ってること、ウソじゃん」。私の目を見据えて、強い口調でまくしたてた。
 「専門家が『安全で、コストが安い』『脱石油にはこれしかない』と言えば信用しますよ。何年もオレたちにウソを言ってきた。これですよ。こっちは原子力の知識なんかないんだから。3・11前はそんな関心もなかったし。あれほど制御しがたいものとは知らなかった」
 だまされたと思ったんですか。あえてそう聞くと、「そうだよ。思ったよ」。

 10月に広島で日本弁護士連合会主催のシンポジウムがあり、管直人元首相が来ていました。管さんは、「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の存在も知らなかった。知らされてなかった」と話していました。この菅さんの発言はウソでは無いと思いました。

 「原子力ムラ」は、時の総理大臣にも真実を伝えない。官僚は表向き政治家にチヤホヤしながらも、腹の底では軽視しバカにしているという姿だと思います。そういうことも知らない総理大臣が悪いといえばそれだけですが、とてもこの実態が想像できました。

 大久保編集委員は、違う記事で次のようにも書いていました。
「政治家が方向性を打ち出さない限り、官僚は動かない。それが日本の現実」と。

 政治家のみなさん。官僚や当局の役人どもに騙されてはなりませんよ。おだてに乗せられてはなりませんよ。おだてに乗せられて、喜んでいたら、次の選挙では落選しますよ。去年の衆議員選挙で落選した、多くの民主党議員のように。「次の選挙を」というように考えるより、今が勝負。ここに自分の信念を掛けるぞという気持ちが無くては、ダメですよ。

 最初から信念など無いと言われたら、それまでですが。次の選挙に当選すること(のみ)が信念という議員さんも身近にいますけど。

 「ザ・コラム」の最後は次のような原稿でした。
 小泉さんとの会食は3時間近く、話は映画や読書、ゴルフ、演劇にも及んだ。別れ際、抱きかかえていった30本の赤いバラの花束を手渡そうとしたが、体よく固辞された。一切もらわない主義だという。私が「(今日のこと)書きますので」と言うと、小泉さんはアッハハッと高笑いし、片手を上げて去っていった。

 これぞ男の美学。「小泉構造改革」は格差社会を強め、庶民の暮らしを難しくし、靖国の問題など、僕は小泉さんは好きではない。しかし、今どき珍しい政治家だと思います。僕なら、赤いバラ頂く。バラより現金が良いとは言わないけれど。

島根原発2号機再稼動申請に向けての「出来レース」

 島根原発2号機が、年内再稼動申請に向けての「出来レース」もそろそろ終盤を迎えようとしています。再稼動申請と俗には言われますが、正式には規制基準適合審査申請が正式名です。

「出来レース」の主役は、中国電力・松江市・島根県で、脇役は出雲市、安来市、雲南市や境港市、米子市など島根原発から30キロ圏内の自治体です。そして、このレースを指導している黒幕は経済産業省かも知れません。まったく舞台に上がれないのは住民・市民といった人たちだと思います。

中国電力は、年内申請と言っておりましたので、僕の予想では20日に島根県が30キロ圏内自治体の意見をまとめたという言い訳を行って、中国電力に対し「申請了解」を返事し、中国電力は待ってましたとばかりに、24日の週に「申請」というスケジュールが濃厚です。
これまで「原子力発電については、理解を得るために最大限の努力を行う」と言っていたことが、ゴマカシでありペテンであったかを明確にしました。

このペテンを裏付ける事実があります。中国電力による「住民説明会」は、島根県の出雲、安来は行われ、雲南市は18日に開催されるようです。原発の地元の地元である松江市は、自らは開催を希望しないという、これも前代未聞の出来事で開催されないようです。
鳥取県の米子や境港では、議会において説明会の開催要求が採択されましたが、「時間が無い」という理由によって開催されないようです。
誰にとって時間が無いのでしょうか。

中国電力のイメージコピーは「ENERGIA」というものです。-あなたとともに、地球とともに-と言われ、その経営理念が5点ほど示されていますが、その中に「人を大切にする心で事に当たります」というのがあります。

この間のやり方を観ていると、この言葉が馬鹿らしく、虚しく、白々しく感じるのです。

「まるで、福島原発事故など無かったかのように」事が進められています。

まだ、今年を振り返るのは早いかも知れませんが、今年「まるで、○○など無かったかのように」というのが多いように思うのです。

まるで、あの戦争の反省など無かったかのように。
まるで、広島・長崎の原爆投下など無かったかのように。
まるで、戦前の治安維持体制など無かったかのように。
まるで、日本のアジア侵略など無かったかのように。
まるで、福島原発事故など無かったかのように。

ほんのこの前まで松茸は珍しく無かった

 母親から聞いた話しです。
 今や、国産品では二本で1万円くらい、庶民には口に入らない松茸ですが、母が若い頃は、「えー、今日も松茸~」と言うくらい珍しくも無かったと言います。僕も、そういう時の記憶がかすかにあるように思います。考えてみれば、そんなに喜ぶほど美味しい味だとは思えません、エリンゲや椎茸の方が美味しいかも知れません。

 松茸が珍しいのは、言うまでもなく少なくなったからです。じゃあ、なぜ少なくなったか、これも理由は明快、山の手入れがされなくなったからだと思います。

 昭和の30年代のはじめ位までは、山は生活に欠かせない存在だったと思います。山はというより、枯草、枝木、そんなものです。食べ物の煮炊きのため、暖を取るため、風呂のため、大げさですが、まさに生死に関わる必需品だったと思います。
 手元に「大正初期の中国山地農村における農村民の生活事情」という報告書がありました。鳥取県日野郡石見村(現、日野郡日南町)の生活を書いた、とても興味深いものです。その中に、村民が所有している消耗品の数と価格の一覧がありました。その中で一番多いのは、数、価格とも薪になる枝木と割木です。3番目に蝋燭で、4番目は石炭、5番が黒炭と並んでいました。1戸あたりが1年間で消費する薪(割木)は245貫918キロ。薪(枝木)は1333.3貫5000キロです。
 上関島における燃料生産量という報告書が、「防長風土往進案」というのにありました。それによると、ここでは1戸あたりの平均は小割が650キロ、枝木が2792キロとなるようです。石見村よりやや少ない結果が出ていますが、上関の方が気候温暖だというのが理由だと思います。それと、人口と燃料の需要と供給との関係から、上関の人が節約して使っていたというのも考えられると思います。

 それが、電気やガスという燃料が出てきたために、山の存在は大きく後退して行ったのです。従って、山は荒れてきました。山の手入れがされなくなると、松茸も育ちにくくなりました。

 12日、広島高裁で上関町四代の神社名義地裁判、再控訴審判決がありました。四代地区に住む住民の人たちが、入会権に基づく権利として、八幡山の枝木を日々採って生活に使っていた山の入会権の確認を求めた裁判です。僕は、この裁判にずっと関わってきました。ある意味とても地味な裁判ですが、ほんの少し前まで大きな生活に欠かせない問題だったと思います。入会権として使われていた土地が、全員の同意を得ずして中国電力の原発建設のために売却されたことに異議を申し立てた裁判です。

 結果は負けでした。

 しかし、この神社名義地約10万平方メートルありますが、幸いにことにブルドーザーは入っていません。上関原発の工事が中断しているからです。上関原発が建てられないと、中国電力にとっては無用な土地です。今のままで残したいものです。

 昔といってもほんの少し前のことですが、あの頃の人たちに思いを馳せることは本当に幸せな気持ちになります。

喪中ハガキ

 そろそろ年賀状の宛名書きをしなければならない時期となりました。そして、これまでに届いた喪中ハガキを見つめ直しています。ショックな話しですが、友人、知人その本人が亡くなったというハガキが何枚かありました。 今までは、親とか兄や姉とかいう感じでしたが、本人が亡くなったというのは、大げさではありますが、衝撃的です。

 こういうハガキは、妻とか子どもから送られてくるのですが、「エー ウソー」という気持ちになります。

 一緒に法律の勉強をしていた、僕より2歳下の友人が亡くなっていました。喪中ハガキは、友人の妻からでした。

 彼は、高校を卒業してNHKで営業の仕事をしていました。NHKで営業と言えば、受信料金の納入を促す仕事です。その彼は、中央大学の通信教育で法律を勉強していました。僕も、同じように法律を勉強していました。彼は、通信教育で中央大学を卒業しました。そして、弁護士を目指して、東京都内の法律事務所で仕事をしながら、司法試験を受験しました。そして、何年か経って合格、広島市内で弁護士事務所を立ち上げ、立派な仕事をしていました。

 広島では、1か月に一度「白門会」という学習会を開き、「自衛隊と憲法9条の関係」など、様々なテーマで喧々諤々の議論を交わしたものでした。この世代は議論好きです。議論を交わしたところで、世の中が変わるものでは無いでしょうけど、議論を交わしたものです。

 それが、今の暮らしの中では本当に思い出に残るものです。彼は、着実に勉強をして、憧れの弁護士になりました。一方の僕は、法律だけは全ての単位を取得しましたが、いわゆる一般教養の勉強をする気持ちが全く無く、挫折をしてしまいました。自分自身に言い聞かせたものです。「人間、諦めが肝心」だと。

 あの頃は、刑法といえば団道重光(だんどう しげみつ)、民法は我妻栄(わがつま さかえ)でした。「団道刑法は、ああだ。こうだ」と、まさに口角泡を飛ばして語ったものです。

 そんな友人が、東京で一人暮らしをして頑張っていた時、僕は彼を応援するために、毎朝「起きろコール」をしていたものです。本当に懐かしく、思い出します。

 この前、中央大学の校歌をラジオで聞きました。中大は、あの頃は神田駿河台にありましたが、今の本部校舎は八王子市にあります。でも校歌は、あの時と同じでした。

草のみどりに風薫る
丘にまばゆき白門の
慕いつどえる若人が
まことの道に励みつつ
栄えある歴史を受け伝う
ああ中央、われらが中央
中央の名よ光あれ

 最近の大学生は、応援部とかいう学生以外は、ほとんど校歌が唄えないと聞きました。

 僕らの年齢では、通信教育でも唄えるのですよ。友人に合掌。

私は忘れない

 先日、青森県弘前市に行った時、街中の小さな古本屋さんで有吉佐和子さんの「私は忘れない」という本を見つけました。70円で、すぐに購入しました。有吉佐和子さんは、「複合汚染」や「華岡青洲の妻」などで有名な作家です。もう何年も前に亡くなっています。

 「私は忘れない」は、1959年に朝日新聞に連載され、本としては、1969年に初版が出たものです。鹿児島県の黒島という小さな島が舞台です。東京でモデルをしていた主人公万里子が、モデルとしての仕事に挫折し、ふと見た雑誌でこの黒島に行って何日間か島の人たちの中で暮らし、その中から強くなったという小説です。

 本の表紙には、「日本のめざましい経済成長の陰に、電信電話もなく台風の被害も報道されない僻地、海の荒れる時は定期便の船さえ近づけない閉ざされた南の離島、黒島。スターの座を夢みながらチャンスを逃した門万里子は単身黒島へ旅立ち、自然との闘いの中でたくましく運命を切り開く人々の純朴な姿に心打たれる」とありました。

 現在の日本列島の中では、この島のようなところは、たぶん無いだろうと思いますが、1959年頃はあったと思います。連絡手段が無いのですから、病人が出て死にそうな状況の中でも、病院の無い島の中では何時やって来るかもしれない、船を待つばかりです。まともに来たとしても、4日に1回です。船が島に近づいても、風が強ければ港に近づくこともできません。この部分には、強い衝撃でした。そんな島の中でも、人間関係の軋轢や「好き嫌い」が有りながらも、島の人たちは暮らしているという、ある意味では単純なストーリィかも知れません。日本には黒島という名前の離島が多いそうです。「苦労する島」から、黒島になったとも言われています。

 僕が若かりし頃、祝島に電話を掛けようとすると接続してもらうのに、長い時には1時間も掛かっていたように思います。中国地方の中でも祝島は、ダイヤルで電話が掛かるのが一番遅くなった所だったと思います。だから、僕にとってとても印象的な島です。

 もちろん、今の祝島はインターネットも出来ますし携帯電話も自由です。しかし、やはり祝島は「不便」だと言われるかも知れません。定期船の数は少ないし、高校以上の学校は無いし、スーパーマーケットもありません。
 でも、都会暮らしをしている人にとっては、とても好きになる島です。もちろん、僕も大好きな島です。そこに有るのは、島の人たちの温かい気持ち、心です。でも、原発という物が入り込んできて、島の中に原発「推進」「反対」という対立構造を作りました。

 原発の最大の害悪は、人間関係の対立です。たかが電気を作るという機械だというのに、どんな理屈をつけても、人間関係を破壊しても良いという理由はあり得ないと思うのです。

 今度、時間が有ったら、鹿児島県の黒島にも出向いてみたいものです。地図で探したら、種子島や屋久島の西側にある小さな島でした。今では、定期船が鹿児島港から出ていましたし、何軒かの民宿もありました。

ネイチャーなこと

 子どもの頃から、親や学校の先生から言われた事は「誰にでも親切にするのよ」「仲良くするのよ」という言葉だったと思います。誰とも、仲良くし親切にすることは素晴らしいことだし、自然なことだと思っていました。

 しかし、今の日々の暮らしの中では、他人に親切にすることは悪いことのように仕向けられているような気がするのです。「まあー、仲良いわねえー」「親切なのねー」という言葉は、非難の言葉のような気がします。別に異性に対してだけ、親切でも仲良くしてもいないのですよ。この年齢になって嫉妬を受けることも無いでしょう。

 僕が子どもの頃、雨降りの時、傘を持っていない人に、その人が全くの赤の他人であっても傘に入れてあげたものです。あの頃の傘は、紙に茶色の油が塗られた、大きな傘でした。あの匂い、今でも記憶に残っています。電車の中で、こちらが座っていて、立っている人で、大きな荷物を持ってそる人がいたら、「どうぞ、お持ちしましょう」と声を掛けたものです。それも、極めて自然な形で。
 今そんな事をしたら、痴漢か、どこかの嫌らしいおじさんと思われるでしょうね。

 こういう時代に福島原発事故が起って、避難所暮らしを長くしている人から、避難所の中で女性は、下着の洗濯物を干すことにも、赤ちゃんにおっぱいを飲ませることも出来なかったという話しを聞いたことがあります。僕が子どもの頃は、下着が干してある風景も、赤ちゃんにおっぱいを飲ませる姿も、極めて自然な光景だったように思います。「嫌らしい気持ち」でその姿を見たことは無いように思います。それがネイチャー(自然)だったように思うのです。

 しかし、今は人間の死すら自然な形で表面化しなくなったような気がしてなりません。病院での死、葬儀場での葬儀、もっとたどれば、年齢を取ると老人ホームか介護施設に入ること。なぜか違うと思うのです。この状況は少し変だと。ターミナルな時も、ネイチャーに迎えられない。

 アバルトヘイト(人種隔離政策)に反対した、南アフリカのネルソン・マンデラが亡くなって、南アフリカの人のマンデラへの言葉が耳に止まりました。彼の死について「ネイチャー(自然)な、出来事だけど…。悲しい」というように話した言葉です。

 先週、くも膜下出血になって入院している知人を見舞った時から、人間の「生老病死」という事が、頭の中をくるくると行きかっています。

 食べることも、出すことも、寝ることも、泣くことも、笑うことも、怒ることも、病気になることも、死ぬことも、焼かれることも、すべてネイチャーなことです。そう思ったら、何だか気持ちが楽になりました。
 もちろん、人を好きになることも。嫌いになることも。ムカツクことも。

高木基金から見たアジア

 この度、高木基金の助成審査委員を委嘱され、今「アジア枠」の審査作業を行っています。高木基金は、正しくは「高木仁三郎市民科学基金」と言われるものです。

 高木さんは、2000年10月8日、62歳の若さで亡くなられたのです。
 NPO法人「原子力資料情報室」を立ち上げ、原発に反対する学者として、活動家として活躍していた人で、高木さんの著書は今でも多くの人に読まれています。
 福島原発事故後は、高木さんが生前に、心配し警告していたことでした。その高木さんの遺志により、この基金が作られました。基金は、高木さん自らの資産と、1997年に第二のノーベル賞といわれる「ライト・ライブリフット賞」を受賞した、その賞金を元に作られたのです。

 高木さんとは、生前とても親しくしていました。「仁さん」「省ちゃん」という間柄で、時間の経過を忘れて話し込んだものです。高木さんは、大学とか大きな会社からの「ひも付き」資金によって研究する学者よりも、市民の目線で活動する、特に若い研究者を育てることが夢でした。その遺志が、この基金になったのです。

 基金から援助される個人、団体は、「アジア枠」というものまで拡大され、アジアの人たちからも、基金への助成申請も多くされています。
 僕の作業は、それぞれの申請書を読んで、基金を出すか出さないか、金額はどうするかを審査するという大切な作業です。もちろん、何人かの審査委員がいます。最終的な結論は、理事会で決められるものです。

 申請書の内容を念入りに読んで、コメントもしなければなりません。そこで見えてきたもの、それはアジアの地域でも急激に環境破壊や、ゴミ問題など深刻な影響が出ていることです。今、審査中ですから個々の申請内容を明らかにすることは出来ませんが、申請書からアジア地域の深刻な問題点が見えてきました。

 川に大量に捨てられるゴミによって、汚染が強まっていること。水力発電所の建設によって、先住民といわれる人たちの暮らしが奪われたこと。火力発電所による大気汚染。森林の大量伐採による環境被害。マングローブ林の破壊による問題、などなどです。

 僕はこの審査委員になることで、日本国内やアジア地域が抱える問題への知識を深めるというのもありました。審査の作業を行う中で、改めて感じたのはどこの国にも地域にも、環境を守るために、頑張っている人がたくさんいるということです。

 この基金は、大企業などからの援助の無いものです。お金に余裕のある方は、少しでも良いですから基金に援助して頂けませんか。勝手ながら、郵便振込み口座名などをお知らせさせて下さい。
郵便口座番号:00140-6-603393
加入者名:高木仁三郎市民科学基金      です。

 また、12月10日の締め切りで、現在、国内枠の助成申請が受け付けられています。詳しくは「高木仁三郎市民科学基金」のホームページを見ていただくと、申し込みの手続きが分かります。
 みなさんチャレンジしてみてください。

病院へお見舞いに行ってました

 上関原発反対運動の中で知り合い、友人として付き合っていただいた人のお見舞いに行きました。原発建設推進派が多いとされる、上関町の本土側で生活をされていた方で、本当にご苦労が多かったと思います。この波乱万丈の人生は、小説ものです。
 とても優しい人でした。家族にも、僕に対しても。

 今年の6月初めに、自宅の風呂で、くも膜下出血になって緊急入院・手術をされたそうです。僕は病気のことを、まったく知っていませんでした。2日前に、この人の奥さんから電話が有り、ぜひ顔を見せてやって欲しいと言われ見舞いに出掛けたのです。しかし病院に見舞っても、全然話しを交わすことは出来ませんでした。意思疎通も困難だったように思います。
 病室の中で奥さんは、「おとうさん、おとうさんの好きな人が来てくれちゃったんよ」と何度も声を掛けられたのですが、反応はありませんでした。かすかに開いた眼から流れた、薄っすらとした涙を見た時、数々の、嫌、山のような思い出が浮かんできました。まだ70歳になったばかりだというのに。

 上関町に原発建設問題が浮上したのは、1982年のことですから、年が明けたら32年になります。まさに生活も人間関係も、原発に翻弄された人生を送られたのが上関の人たちです。よく他の人から、他人事のように上関町民のことを言われると、「ムッチャー」腹立たしく感じることがあります。もちろん口には出しませんが。
 中学校の同窓生から飲み会の場で、「目立ちたいから、反対運動をしているのだろう」というようなことを言われた時は、首でも絞めてやろうかとも思いましたが、黙って店を出て帰ったものです。

 しかし、この活動を通じて多くの友人、知人を全国に、世界に持つことができました。いろいろな苦労が、僕を大人にさせてくれていると思います。これは何よりも変えられない収穫です。

 上関原発問題の歴史の中で、最大の被害は町民の中に「推進」「反対」という大きな分裂を作ったことです。親子でも兄弟姉妹の中にも、おじさん、おばさんの中では、まさに腐るほどの対立の構図を見てきました。人を見ると、男か女か、年寄りか若いかというように見る前に「スイシン」「ハンタイ」というように区分けされる構図です。

 3年前の中国電力株主総会で、僕の質問に応えて当時の社長が「上関原発問題では、原発推進の人にも反対の人にもお詫びする」という意味の答弁をしたことがあります。

 それが分かっているのなら、「さっさと計画の白紙撤回をしなさいよ」と言いたいのですが。
 
 年内にも、もう一度病院を訪ねたいと思います。できるものなら、もう一度柳井駅近くの小さないつもの店で、ビールを酌み交わしながら、美味しい魚を食べながら、町長の悪口やらをしゃべりたいよ。人の悪口をしゃべるほど痛快なものは無いですからね。(言っておきますが、悪口であって陰口ではありません。悪口と陰口の違いは微妙なのすよ)


ブログが100号になりました

 今号で、「省ちゃんの前向き語り」も100号となりました。今年の7月21日の参議院選挙投票日に衝動的に始めたものですから、136日目で100号となったのです。1回の字数は平均して約1200字としていますから、原稿用紙に換算すれば、だいたい300枚くらいだと思います。
 「よくあんなに書けるねえー」と言われることもありますが、数日間の空きが出て、仕方なく何かを書いておかなければという気持ちで書いたことはありません。こういう文章は面白くないと思うからです。
 さっきまで、まったく考えが浮かばない時でも、「あーこれだ!」と思いついて、いっきに書き上げるタイプです。

 100号になって、一つ自慢するとしたら、カテゴリの中にある「嘆き話」というのが、無かったことでしょうか。あえて「嘆き話」を書かなかったのではありませんが、結果としてそうなりました。

 ブログを始めての実感ですが、書き言葉にしても、話し言葉にしても丁寧になれたと思います。会話だったら、「言った、言わん」でトラブルになることも有りますが、文章だと後の責任がともないます。
 「俺は知らんぞー」と言って、白を切ることも出来ません。「秘密保護法に反対するデモはテロだ」と、自らのブログに書いた自民党幹事長も、文章だったから白を切ることが出来なかったのでしょう。ブログを書くという行為は、一人で書斎やデスクで行う行為です。だから本音というのが書かれたと思います。それにしても、政治家の軽さというのは目に余ります。

 西暦660年に生まれたとされる、柿本人麻呂というと万葉の俳人が、たぶん「恥の文化」というもの中で「相反すること、攻め合うことなくの両立は、分をわきまえる文化」ということを述べています。
そして、言挙げ(自分の意識は声に出せ、人間なら言葉に出せ)という意味のことを何かに書いていました。相手を尊重して、議論を行うことの大切さと、意見はしっかり持って発表し、お互いの立場を尊重して議論することの大切さを言ってます。

 他人の顔色ばかり見て、言いたいことも言えない社会状況が強まっていると思います。自分の意見を言わなくて、逆に話した人を批判し、陰口ばかり言うのは嫌いです。しかも、それが生活する上での秘訣とされたら、ますます「チクリ」「陰口」「いじめ」という方向に向かうような気がしてなりません。

 これからも自分に素直な考えを、ブログというツール(器具)を使って発信して行きたいと思います。

 とりあえずの目標は、200号でしょうか。

 何はともあれ、自分に正直で素直な気持ちや、伝えたいことを書いていくことです。ブログを書くことによって、他人を尊重するという意味で大人になれたと思います。これは、本当にブログのおかげだと思っているのです。

 これからも、よろしくお願いします。

伊方原発3号機の再稼動に反対する松山集会

 四国電力の伊方原発3号機の再稼動に反対する集会が、松山市の城山公園で開催され、行ってきました。全国から約8000人が集まりました。僕は、広島の市民団体が企画したバスツアーに乗り、バスの中では伊方原発に関する学習会の講師もしました。集会は、最初は小雨、集会が盛り上がる頃には大雨、デモ(最近はパレードと言います)の頃は、小雨という状態でしたが大いに盛り上がりました。

 なんと、集会場の周りには右翼の宣伝カーが10台近くは来ていたでしょうか。宣伝カーからは、いつものようにガナリ立てるような大声が聞こえてきます。おや不思議という感じでした。なぜなら、右翼は原発に賛成では無いのです。原発に賛成していない右翼が、集会の周りから大声を上げるということは無いはずです。宣伝カーの声を聞いていたら、納得でした。彼らは、参議院議員で俳優の山本太郎を口撃していました。例の園遊会で天皇に手紙を渡した出来事の攻撃です。山本太郎がステージに上がった時は、警察が入り、それも半ば堂々と、山本太郎に万が一のことがあったらと警備していました。
 山本太郎も人騒がせな男です。まあー人間というのは、失敗や失言というのはやるものですから、今さら「けしからん」と言う気にもなりませんが。

 それと、デモ行進でした。愛媛県のデモコースはすべて歩道を歩くのです。こういうデモを経験したことはありまぜん。歩道は、買い物やデートなどで使うところでしょうが、そういうことで使う人も、こちらに何も言わずに黙って認めていました。広島だったら、「邪魔だー」と怒鳴られるところでしょうが。地元の人に尋ねたら、公安委員会はどうしても車道のデモは認めないのだそうです。これに慣れると、これが普通になるのです。ある意味、新鮮でした。

 僕が集会で感じた劇的な事。それは、伊方原発から30キロ圏内にある西予市長から、連帯のメッセージが集会に対して寄せられていたことです。これは再稼動を止める相当に大きなことだと思います。

 帰りのバスの中でも、たくさんの質問が寄せられました。みなさんとても熱心で、本当に楽しいツアーでした。こういう企画は良いですね。「同じ釜の飯を食べた」という感じでした。

 広島に着いて、広島駅ビルで一緒に参加した人と「晩酌セット」で懇親。僕の話はどこかで聞いたことがある人でしたが、こちらは初対面。店員から「閉店です」と声を掛けられるまで、話し込んでいました。新しい知り合いが出来るのも嬉しい限りです。

 わが中国電力も、島根原発2号機の再稼動申請に向けて動いています。師走に入ったというのに、今月末までには、松江市や島根県の了解を得て、再稼動申請を行う動きです。

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