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映画ファン

  映画好きな者にとっては、良い映画を安い料金で鑑賞できることを望むものです。60歳になって良かったと思うのは、映画館での料金がいつでも1000円になったことでした。「シニア割引き」と言うものです。

  広島市内に映像文化ライブラリーというのがあります。古い映画などを上映している公共のライブラリーです。ここは、65歳になれば無料となっていました。65歳以上、身体障害者手帳、戦傷病者手帳、被爆者手帳などを持っている人も無料でした。

 ある時から、被爆者手帳や戦傷病者手帳という記述が無くなりました。「エー、どうしてー」福祉後退だ!と思ったら、被爆から65年が過ぎて被爆者も戦傷病者も、当然のことながら65歳を越えたからです。これらの人は、65歳以上に包含されたのです。

 それが広島市は、今年の7月から「世代間の負担の公平化を図るため、スポーツ施設や文化施設などの公共施設利用料金の高齢者減免制度を見直します」という理由で、65歳以上もシニア料金を負担することになりました。今のご時世ですから、それなりの負担は仕方無いことかも知れませんが、来年の1月で65歳になる身で,楽しみにしていた者としては、ちょっとガックリ!!

  当然ですが、7月から、再び被爆者、戦傷病者という言葉が復活しました。

 僕は、映画好きです。特に、小津安二郎作品は大好き。「東京物語」「麦秋」「晩春」「戸田家の兄妹」などのDVDは繰り返し観ています。好きなせりふは、覚えているほどですから。笠智衆、原節子、三宅邦子、香川美子、佐分利信という俳優のファンでもあります。

 上京した時の帰りの新幹線や、高速バスの中でパソコンによって映画鑑賞をする時は、まさに至福の時です。だから、飛行機は余り利用しません。いろいろな制約が有るし、東京でしたら、映画が終わるまでに到着してしまうからです。
 
最近では、アメリカ映画の「敗戦のエンペラー」を観ました。そうです、今日8月30日は、1945年のこの日、GHQ最高司令官ダクラス・マッカーサーが厚木に降り立った日です。
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争点外しが許されない

 参議院選挙から1か月以上が経過しましたが、やはり許せません。と言うより、彼らのしたたかさに、私たち側の単純さというか、なんとも言えない気持ちです。

 というのは、参議院選挙まで福島原発事故の汚染水問題を、隠し通して選挙をした、自民党のしたたかさです。「子ども被災者支援法」の、復興庁参事官の暴言も、選挙中は話題にもならなかったような気がします。
「参議院のネジレが解消されるかが争点の」に、原発事故も汚染水もワーキングプアも、まるで無かったかのような形の選挙だったと思うのです。自民党の、この戦術は誰が考えたのか分かりませんが。

 レベル3と言われる、汚染水流出。これは大事故です。福島原発事故がレベル7、汚染水問題がレベル3、プラスしたらレベル10だと、友人が話していました。そうなんです。福島原発事故はレベル10です。

 新聞も、レベル10を大きく取り上げません。そうである以上、あとは私たちの力量だと思います。

 私たちの脱原発運動も、したたかさと巧妙な戦術が必要なのかも知れません。

 そういう意味では、私たちは純粋で、真面目な路線で考えているようにしか思えません。

藤圭子の死

 藤圭子が死んだというのを、パソコンの検索サイトから知ったのは、22日の夜、京都のホテルに戻った時。

 藤圭子の大ファンだった。もちろん歌手だから、創られた藤圭子像からだけど。彼女は、とても素直な人だったと思う。自分の気持ちに素直だから、同じ人と結婚、離婚、再婚、離婚を繰り返すなどといったような、いろいろな「問題」も起こしたのだろうけど。この問題というのは、極めて生き方の価値観が、限定されている今の尺度からの「問題」だから、これがすぐに悪いとは言えないだろう。

 自分に素直、強いしかし涙もろい、世間の常識を嫌う、子どもよりも自分を大切にする、自分の意見や考えを通す、通らないと抵抗はするけど徹底的には戦わない、笑顔を見せるけど真から笑っていない、そんな藤圭子像が僕の中にはあった。

 「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」いつも口ずさんでいた。

 新聞に作家の五木寛之がコメントを載せていた。藤圭子の歌を「怨歌」と表現した人だ。
「1970年代のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。まちがいなく『怨歌』だと感じた。ブルースもファドも『怨歌』である。当時の人びとの心に宿ったルサンチマン(負の心情)から発した歌だ。このような歌をうたう人は、生きづらいのではないか。日本の歌謡史に流星のように光って消えた歌い手だった」

 やれやれ、いやはやである。

 繰り返し、繰り返し「新宿の女」と「圭子の夢は夜ひらく」をCDで聴いていた。僕は、藤圭子の持ち歌では無いけど「東京砂漠」を歌う声が好きだ。

 長崎で買った「長崎ちゃんぽん」を食べながら、昼間から缶ビールを一本飲んだ。今日は、藤圭子気分を過ごしている。
 

今後の原発反対運動について会議

 8月22日~23日にかけて、京都市内で今後の原発反対運動についての会議が行なわれました。

 議論の中心は、再稼動を止めるためになにをなすべきかです。

 今まで、原発の「地元」というのは、原発から10キロ圏内の自治体とその県でした。島根原発で言うと、松江市と島根県です。しかし、福島原発事故を受けて、PAZ(予防的防護措置を準備する区域)、原発からほぼ30キロのUPZ(緊急時防護措置を準備する区域)と、50キロ圏内のPPA(安定ヨウ素剤服用等の対策を準備する区域)に防護対策を重点的に充実すべき区域が設けられました。
 島根原発から、50キロの中には広島県庄原市も含まれます。

 これまでの、原発の地元と言われているところは、原発マネーにどっぷりと侵たりきっていますから、本音と建て前というものが違うように見えます。「安全対策の強化」と言いながらも、その底には再稼動容認という本音が匂います。
 まあー、柏崎刈羽原発について、新潟県知事のように新潟県の了解無くして「安全対策」工事自体を行うことを問題にされる方も居られますが。しかし、柏崎市や刈羽村は再稼動OKのようです。

 再稼動を止めるのは、この度新たに「地元」とされた、30キロ圏内や50キロ圏内の自治体が大きなポイントになると思っています。島根原発で30キロと言えば、島根県では安来市、出雲市、雲南市など、鳥取県では米子市や境港市などです。こういった自治体への働きかけが重要だと思います。

 それと、なんと言っても、福島原発事故の収束が終わっていないことです。汚染水が流れ出し、国際的な事故評価尺度(INES)でレベル3とされたことです。レベル3とは、「重大な異常事象」とされたことです。1997年3月11日に、東海村の再処理工場で大規模な爆発事故が起きましたが、これがレベル3でした。皮肉にも、この事故が発生したのも、3・11です。
 今、福島原発事故の汚染水被害に対して、国際的な目が日本に向けられています。日本に向けられているとは、当然に私たちの行動にも向けられていることです。

 再稼動がもっとも早く行われると言われているのは、広島の対岸にある四国電力の伊方原発3号機。
 伊方原発といえば、全国の原発訴訟の先駈けとなった伊方原発1号機の設置許可取り消し訴訟で住民側の弁護団長を務められた藤田一良さんが、8月17日に亡くなられたという連絡がありました。享年84歳。1978年の春に行なわれた判決日の若かりし頃の面影が浮かびます。
 ご冥福を心から祈ります。

漫画からのメッセージ

 アメリカ、シアトルに住む漫画家の友人が広島にやってきました。彼ら夫妻と初めて会ったのは、今から30年も前のことでしょうか。
 「はだしのゲン」で有名な、中沢啓治さんの漫画の英語版を広島の原爆資料館の売店で販売してもらえないかと言われ、その協力をしたのが出会いのキッカケでした。その漫画は「l saw it(俺は見た)」というものです。

 メールや電話でのやり取りは有りましたが、会ったのはご無沙汰です。

 彼は、まだ漫画を仕事としていました。漫画では、なかなか生活できないので、妻も仕事をしています。
「彼は、全く金銭感覚が無いのよ。漫画の学校で教えたりしているけど、薄給。でも、頑張っている」と妻の弁。素晴らしい夫妻だと思いました。

 中沢さんの漫画などといった平和問題だけでなく、エイズ問題、喫煙被害の問題、PCB問題、WTO(世界貿易機構)問題などなど、彼がテーマとする漫画は様々です。

 漫画で意見を表明する。難しい理屈ではなく、絵を見て、やり取りをする文を読んで理解すること、大切なことだと思いました。

 行きつけの居酒屋で、食べて、飲んで、喋りまくって、楽しい夜を過ごしました。

 彼らの広島みやげ、それは原爆資料館の売店のショーケースの中に置いてある、「l saw it」の写真でした。

 僕が一番嬉しかったのは、彼らが30年前と同じ気持ちで仕事をし、生活していることでした。

広島・長崎も原発事故の最初の犠牲者は「真実」

 8月11日にテレビ朝日系列で放送された、ザ・スクープ、「原発と原爆~日本の原子力とアメリカの影」というのをご覧になった方もあると思います。
 まだの方は是非ともお薦めです。今、パソコンからも観ることができます。

 その中で、広島、長崎に投下された原子爆弾の真相も、福島原発事故の真相も、日米、アメリカ、政府、東京電力などによって、真実が隠されていたことが明らかにされています。
 キャスターの鳥越俊太郎さんが言ったコメントに、ウンウンとうなずきました。「広島、長崎、福島原発事故も最初の犠牲者は「真実である」というものです。

 URLをお知らせしますから、ご希望の方はご連絡下さい。

 そして今日は、映画「敗戦のエンペラー」を観ました。映画は、テニアン島から広島へ向かって飛び立つ、エノラ・ゲイ号から始まります。占領軍総司令官、マッカーサーの日本到着。天皇に戦争責任を問うかどうかで、意見が分かれる占領軍。占領軍の中で実務を担当する准将が、戦争前から日本人の恋人がいて、彼女を思う気持ちから、彼女の住む静岡県への空襲は避けたとか。
 
 アメリカ映画ですから、アメリカのヒューマニズムを描いていました。

あいさつは大切だと思いますよ

 JR駅などで、改札の方が「おはよう ございます」と挨拶をされたら、「おはよう ございます」と返事を返す、僕にとっては自然体のことなのですが、返事をする人は少ないですね。ほとんど皆無か!。
 最近、駅員さんが僕の顔を覚えられて、ニッコーと笑って、目を合わせて「行ってらっしゃいませー」と返事。帰宅の時などは、「ありがとうございました」の次に「お疲れ様でした」のオマケが付きます。本当にオマケをもらったような、気持ち良さと得をしたような気になります。

 ホームでも、同じ車両に乗る人はほとんど同じ。その人たちにも、「おはよう ございます」朝、何人の人と挨拶を交わすでしょうか。とって付けたような挨拶はしません。

 特に、あいさつ知らずと言われる、若い人からの返事は嬉しい限りです。

 それと、人にご馳走をして、喜ばれるのが嬉しくなりました。「美味しい、美味しい」と言って、喜ばれるのも清々しい気持ちになります。

 挨拶は大事ですね。自然体で!

 歳を取ったのでしょうかねえー。

 広島の大企業、マツダとその関連会社も、9日間のお盆休暇が終わって、来週からは電車も混みはじめるでしょうね。

お盆真っ只中の電力状況

お盆も真っ只中、電力使用量は下がっています。

中国電力「でんき予報」では、今日の予測最大電力使用量は910万kWとしています。

今年、最大電力使用量を達成した、8月8日の午後2時~3時の1092万kWより約180万kW少ない量です。原発2基分に相当します。

まさに「お盆効果」です。

そして、何より興味深いのは、その日の最大電力を達成した時間です。
たぶん、13日は午後7時~8時でした。昨日は、午後4時~5時。そして今日は、これは予想ですが午後2時~3時としています。一般的には最大電力は、午後2時~3時の一番暑い時間に達成するとされていますが、これは職場が本格的に動いている時です。お盆休みを取っている企業が多いこの時期は、最大電力も日々変化します。
 家庭用の電力使用量が多いのは、午後7時~8時といわれています。職場から帰宅して、夕食などの家族だんらんの時間です。というより、午前11時頃から午後10時頃まで、ほとんど電力使用量に大きな変化が無いのです。
 
 電力使用量を減らすことは、ある意味簡単です。もう一週間ほど、夏休みを伸ばすことです。もちろん、休んだら収入が減らされるという、雇用形態を直すことなど、課題もあると思いますが。

 毎年のことですが、8月6日の広島原爆の日前後に休みを取ったため、お盆中は「まじめ」に出勤しています。この時期に出勤している人は、ほとんどが非正規の方。
 社員には、夏休みという特別休暇が有るのに、非正規の人には無い。休むためには、決められた年次有給休暇を使うしかない。

 「でんき予報」のホームページを観ながら、いろいろ考えさせられる、お盆週間です。


終戦記念日ですね

 15日は、「終戦記念日」ですね。

 いつも思うのですが、この国の決断力の悪さです。さかのぼれば、1945年3月10日から始まった東京大空襲、10万人以上の人が亡くなり、この時点で敗戦は確実になったと思うのです。そして、7月26日のポツダム宣言の発表。そして、ヒロシマ、ナガサキです。
 ここまでやられても、決断できない。

 そして、ナガサキ後も続けられた、空襲。8月10日、花巻空襲、熊本空襲。11日、久留米空襲。13日、長野空襲。14日、岩国空襲、光市空襲。14日、小田原空襲、土崎空襲。

 もっとむかつくのは、特攻隊です。若い人が知らない方があるかも知れませんが、死が間違い無しで、敵を目指して体当たりすることです。戦争という死は、もちろん悲惨であり許せない死です。

 では有りますが、なぜ1945年8月14日に、日本国はポツダム宣言の受諾を決定。15日は、「玉音放送」となり、終戦が決定するのですが、なぜ8月16日に特攻隊を出撃させてしまったのでしょうか。

 この優柔不断さ、決めない、いい加減さ。そして、16日の出撃を、「戦死」と認めさせるために、15日の突入としたことの「データ改ざん」

 何とも、何とも許せないことです。

 天皇は、「自分の命はどうなっても構わないが、三種の神器だけは守って欲しい」と言ったとか。三種の神器とは、天皇家に引き継がれている、鏡、玉、剣だそうです。

 決めない政治、福島原発事故の政府対応と全く変わりません。

NHK広島児童合唱団の定期演奏会を観にいきました

 昨日、広島市で行われたNHK広島児童合唱団の定期演奏会を観に行きました。

 省ちゃんが、どうして児童合唱団を観に行ったのか、不思議に思われるかもしれませんが、友人であり詩人の橋爪文さんの作られた詩に、曲が付けられて唄われたからです。
 僕と、橋爪さんは「文さん」「省ちゃん」という間柄です。
 文さんは、14歳の時、広島で被爆されました。

 文さんの詩を、紹介しておきます。
                       緑と風と歌声と
                             橋爪 文
 七十五年間 草木も生えない
 と 伝えられた広島の原子野に
 ポツリ と芽吹いた緑
 目を疑った緑 
 緑は躍動の色
 いのちの色
 やがて千草が焼野をおおい
 新緑は悲しみの空を輝かし
 不毛といわれた広島に
 緑の風がゆきわたる

 痛みのなかから生まれた笹鳴きが
 早春を告げる
 悲しみの地に天地の歌声がひびき
 ひとびとは心の窓をそっと開く
 
 歌声は
 春を歌う 希望の色に
 夏を歌う 生きるちからを
 秋を歌う 瀬戸の風を七色に彩って
 冬を歌う ひとびとの夢よしあわせにと
 歌声は四季をめぐり めぐり
 月日はめぐり めぐり
 半世紀
 いま歌声は地球をめぐり
 地球は歌声を乗せて宇宙をめぐる
 何千万光年のその向こうまで
 美しいいのちよ 永遠にと
 

猛暑ですね

 猛暑ですね。連日ニュースは「史上最高」とか「40度」を伝えていますね。
 大雨被害の出たところ。雨が降らないで困っているところ。小さな島国と言えども、様々ですね。

 さぞかし、電力需要も増えていると思われますが、少し数字を並べますがお許し下さい。

 中国電力管内での、今年夏の最大電力は8月8日、午後2時~3時の間で1,092万kWを記録しました。昨年は、8月3日の同じく午後2時~3時が1,085万kWでした。

 少し過去を振り返ってみると、過去最大は2007年8月17日の1,229万kW。福島原発事故前の2010年は8月20日に1,201万kWでした。福島原発事故のあった2011年は8月9日に1,083万kWとなっています。
 2011年は、福島原発事故後の節電対策が前面に出て、その効果からか前年よりも100万kW以上も下がりました。今年は、猛暑を超えて酷暑とも言われますが、福島原発事故の年並みです。

 今日からお盆週間に入って、中国電力は今日の最大電力を1,040万kWと予想しています。供給量と使用量の余裕度を予備率と言いますが、今日の予備率は10%。
 原子力発電所が動いている時は、予備率の目安は10%程度としておりましたが、原子力発電所が停止している現在は、予備率の目安は3~4%としています。原子力発電所のような大規模発電所をから発電していると、その故障時が心配で、特に原子力発電所の場合は故障修理に時間が掛かるとかの理由で、予備率は高めに設定します。
 原子力発電所が動かない今は、予備率を低めに設定できるのです。

 それにしても暑い。福島原発事故後は、「お前の家も電気を使っとろうがい~」という、名前を名乗らない電話は無くなりました。

 お盆週間を過ごしたら、少しは涼しくなって欲しいものです。

 残暑、お見舞い申し上げます。

 

長崎に行ってきました

 長崎・原爆の日が終わった翌10日、長崎に行っておりました。長崎のピースミュージアムというところで、写真家の吉田敬三さんが、被爆二世写真展を開催していて、10日に写真に出ていただいた人たちの集りをやるからという連絡を受けたからです。

 JR長崎駅についたら、テレビカメラ2台と新聞社と思われるカメラマンがお迎え。なんの事かと思ったら、帰省のニュースの撮影でした。長崎では、原爆の日が終われば、帰省の時となるようです。そう言えば、博多から長崎までの、かもめ号の座席指定はいっぱいでした。このかもめ号、横揺れが大きくどうしても苦手です。

 長崎に行ったのには、もう一つの理由がありました。それは、広島にいた毎日新聞のHさんが、昨年長崎に転勤になり、ちゃんぽん、皿うどんでも食べようやー、ということになった事。そして読売新聞のNさんが、広島から大阪、そして福井と転勤した後、退職して長崎に戻ったこと、これらの人との再会でした。

 長崎も広島同様、三菱が大きな力を持っている町です。企業規模は広島以上です。長崎では、兵器も作っています。まさに、三菱にとって国は大得意様です。

 軍艦を製造して、その進水の式の日には、防衛省の政務官クラスの役人がやって来るそうです。その時に、政務官が歩くところに、三菱は赤じゅうたんを敷くそうです。たかが、政務官です。でも、繰り返しになりますが、三菱にとっては、たぶん何十億円を超える大得意様ですから、そうするのでしょうけど。軍艦を作る、その費用は当然に税金ですよね。なんとも、なんともムカツクことです。

 そんな長崎ですが、平和宣言では広島より進んでいる。不思議な思いでした。

 夜は、長崎中華街で念願の、ちゃんぽんと皿うどんを食べました。やっぱり美味しい。これなら、二人前食べられます。
 子どもたちの土産もちゃんぽん、皿うどん。

 広島に来た人から、「お好み焼の美味しい店を教えて」と訊ねられることが多いのですが、その気持ちよーく分かります。

 

長崎 原爆の日

 9日は、長崎 原爆の日でした。知り合いで、広島で被爆し、親戚を求めて長崎に避難した方が、長崎で被爆したという人がいました。

 なんと悪運が強いというか、ご苦労されました。何年か前に亡くなられましたが。

 今日の長崎市長の平和宣言と、6日の広島市長の平和宣言。長崎市長の方が、ハッキリしていて共感を受けます。
 今年4月の核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本が賛同しなかったことに対する、日本政府に対する明確な批判。そしてインドに対する、原発輸出を目指す政府非難。福島原発事故は、未だ収束していないという発言。

 思い出すのは、2011年5月に広島市長と長崎市長が、長崎市で行った共同記者会見のことです。あの時、広島市長は、「エネルギー政策の転換」を強く求めたのに対し、長崎市長は「これは国の政策の範囲」だと、あいまいでした。

 しかし、この年の平和宣言から立場は一変。広島市長は、消極的になりました。

 広島の原爆資料館、残忍な展示物を止めるということになろうとしています。

今年の8・6、僕なり雑感。

  今年の原水禁世界大会は、2005年の大会から行われていた、連合、核禁会議、原水禁の3団体による「開会総会」のパターンから、原水禁の単独開催となりました。

 核禁会議は、中国電力労組など電力会社の原発推進労組などが主な参加組織ですから、原発反対を主張する原水禁とは相容れないのは、どうしようもない現実です。3・11事故後、核禁会議は3団体共催の集会における原水禁議長のあいさつに、これはけしからん。あれもけしからん。という態度で非難していました。原水禁が原発反対を言う限り、3団体での共催は不可能でした。

 核禁会議は、原発賛成、原発輸出賛成、プルトニウム保有も賛成ですから、原水禁と相容れないのは当然でしょう。

 僕は、原水禁の今年の大会は、スッキリした感じで開催されたと思います。

 8月6日に毎年行われている「被爆者証言の集い」というのに参加された人から、昨日のこの集いでのアクシデントについて聞きました。集いでは、たぶん今年が初めてだと思いますが、福島原発事故の被災者の方が招かれ体験談を話したそうです。
 そしたら、参加していた広島の原爆被爆者の方が「今日は広島の原爆被爆者の日だ。福島原発事故の被災者が発言するのはけしからん」と発言。会場内は騒然となったそうです。

 原爆被爆者の方を、「けしからん」と簡単に非難することでは、余りに短兵急なことです。

 有るべき姿の理想を求めながら、今ある現状を踏まえて、活動は進められることが必要ではないでしょうか。

 8月6日に、マツダスタジアムで行われた、プロ野球、広島カープ対阪神タイガースの試合。カープが1-0で勝利しました。これを報じた、朝日新聞の見出し「ヒロシマ祈り 勝利の輪」。最近まで、8月6日の広島でのプロ野球の試合は遠慮して行われなかったのですが、この何年か前から行われるようになりました。「ヒロシマ祈り」も、いろいろなところで使われるようになったものですね。

改めて原爆被爆者援護法制定運動を思い出す

 被爆二世ということで、原爆被爆者の悲願であった原爆被爆者援護法の制定を求めて、何度も何度も被爆者の人たちと上京し、厚生省(現・厚生労働省)に出かけたものです。

 今のように新幹線が全通していなかった頃には、夜行列車を、それも普通の座席の列車を「被爆列車」と名づけて、それに乗って上京したこともあります。

 その時一緒に上京した被爆者の人も、今や、そのほとんどが亡くなられています。

 「原爆被爆者援護法は、決して被爆者だけのものじゃあないんだ。援護法には、未来の保証という部分も有るのだ。未来の保証とは、二度と広島や長崎の人が経験したような放射能被害の苦しみを、将来にわたって受けることの無いようにするための法律なんだよ。だから国家補償の精神と言ってるし、国民運動として制定運動が行われているんだよ」という意味の言葉を、これも何度も何度も聞かされたものです。

 しかし、フクシマによって「未来の保証」は打ち砕かれてしまいました。

 僕たちの子どもや孫、孫の孫の・・・時代のためにも、「福島原発事故被災者援護法」の制定が必要なのではないでしょうか。この法律では「未来の保証」とは、「原子力発電の無い社会」だと思うのですが。

 

 

原水爆禁止世界大会始まる

 今日から、原水爆禁止世界大会が始まりました。

 今から35年前、僕がこの運動に関わるキッカケを作ってくれた、大阪のWさんが今年も広島にやってきました。82歳、体重が41キロというから、身体の方は少し衰えていました。しかし、心は僕が始めて会った時と変わらないような感じ。
 大会の代表者会議が終わった後、二人で中華料理屋に行き、冷麺を食べながら、これからの運動について語りあいました。「木原君が広島で頑張っているから、来年も来ようかなあー」そんな話をしながら、夢や希望、そして不満も語りました。

 開会総会が終わって帰宅したら、NHKが「八重の桜」を放送していました。舞台は明治4年、彼らも将来の夢を語っていました。

 明治4年の人たちは、間違い無く全て亡くなっています。この時の人たちも、自分たち無き後の夢や希望を語る。そして今の僕たちも、僕たちの無き後の事を語りあう。これが、原水爆禁止運動の根底を流れる思想では無いでしょうか。

 平和な世界がいつまでも続くように!改めて、そんな決意を自覚するのが、8月6日を前にした僕の心です。

いとこの死

 2日の早朝、いとこが亡くなりました。いとこと言っても、87歳ですから「おばさん、おばさん」と言ってた人です。僕の親父は8人姉弟の末っ子、そして僕自身が「高齢出産」の親の末っ子ですから、そうなります。
 
 そのいとこは、大正の最後の年に生まれ、まさに「大正、昭和、平成」を生き抜いてきました。家が隣りどうしだった関係から付き合いも深く、苦労された人生を見てきました。

 昨日のNHK「ニュース ウオッチ9」で、「発見!幻の旧陸軍資料 軍法会議で見えた実態」という特集をしていました。旧陸軍とは広島を中心に展開していた、「暁部隊(あかつきぶたい)」のことです。
 担当したディレクターが友人だったため、いろいろと相談され僕としては、全面的に協力していました。

 いとこの通夜の帰りに、親戚の家で番組を魅せてもらったので、録画したビデオをゆっくり観てみます。
戦争末期の兵士不足の中で、急ごしらえで集められた兵士たち。恋人に会いたいから、病気の親が心配だから、そんな理由で逃亡という犯罪を犯した人。勇敢でかっこ良いとは言えない、人間本来の姿が見えてきます。

 また字数を使って、この特集から感じたことを書きたいと思います。
 

あなたは小川薫を知ってますか?

 知る人ぞ知る、小川薫という男。7歳の時、広島で被爆し、兄弟そろって喧嘩が強く、博打好きということから、総会屋になった人物です。

 僕は、この小川薫を中国電力の株主総会で見たことがあります。初めて、中国電力の株主総会に出席した時ですから、1990年6月のことだと記憶しています。すごい迫力がありました。
 総会進行をスムーズに進めるという会社側株主では無く、ある一人の監査役を徹底的に攻撃していました。

 小川:○○監査役。この1年間に監査役会は何回開催されたか
 ○○監査役:△△回であります
 小川:あんたは、その監査役会に何回出席したか
 ○○監査役:□□回です
 小川:そんなに出席回数が少ないのか。後は何をしよったんやあー
 ○○監査役:・・・・・
 小川:あんた流川(広島の歓楽街)に行き付けの高級クラブがあるのおー。そこへいつも行ってるらしいのおー

 こんな時、後ろ側の席から「議事進行!」という声がかかりました。
 小川薫、おもむろに後ろを振り返り、怒迫力で「今、野次ったのは誰やあー。立て、立たんかい」徹底的に時間をかけて怒りました。
 これで会場は、シーンと静寂の世界に。その後は完全に「小川薫の世界」。今の総会では見ることの無い、一問一答の形で約30分は「追及」したでしょうか。

 僕は、もちろん小川薫を前もって知っていた訳ではありませんでした。
 その小川薫、中国電力の総会後、ある週刊誌に「私は、今年の中国電力株主総会をもって総会に出席することを止めた」という回顧録を書いていました。
 小川薫に比べたら、今の「総会屋もどき」といわれるような人物は、子どもというか生まれたての赤ちゃんのような物。

 小川薫は、アーバン・コーポレイションを恐喝した罪で、懲役10か月の実刑判決を受け、2009年4月、東京拘置所の中で71歳という年齢で死んでいます。小川薫を書いた、大下英治の「最後の総会屋」は、小川を小原とし、中国電力を山陽電力としていますが、完全な小川薫の一生です。

 小川薫は、総会屋それも暴力的なそれですから、反社会的な人物であり、世間から非難されてしかるべきでしょうけど。会社の内部情報を知り尽くし、よく勉強し、「やる時には徹底的にやる」そんなところに、僕は少し惹かれる部分も感じるのですが。

 小川薫に会って、中国電力の株主総会に出席するようになりましたが、最初に出会った人物のインパクトが余りにも強すぎました。
 当時の中国電力社長は、多田公熙さんのはずです。

Appendix

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