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米国に住む友人が特殊詐欺に遭いそうになった

 日本にある事件が米国に無いことはあり得ませんが、米国に住む友人が特殊詐欺に遭いそうになりました。

 事件のキッカケは携帯電話に入ってきたショートメールでした。「貴方のカードを使って、誰かが児童ポルノを購入している」という内容で、「至急、次のところへ電話をするように」と書いてあり、その友人は書いてあるところに電話をしました。

 それからの詳しいやり取りは省略しますが、最終的に1万2千ドル(約156万円)を払うように誘導されATMで操作をしていると、米国のこういう事件を捜査している機関の女性から「それは詐欺、ATMの操作をすぐに止めなさい」と電話が掛かり、詐欺だと分かったのでした。

 寸前のところで被害を免れたのですが、日本と同じように米国でもすごく増えているそうです。銀行も1回で1万ドルものお金を引き出すことは制限されているのですが、詐欺師は「車を購入するために必要だ」というように言いました。友人はそれでも1万ドルもの預金が無かったので、それを伝えると「ローンを組むように」と指示し、「それでも足りない」と言ったら、「それなら8000ドルに値引きする」とまで言ってきました。

 詐欺師はマイクロソフト社の人間を名乗っていました。友人は高齢でも、認知があるような人でもありません。そんな人でも大金の被害に遭おうとしたのです。

 この経緯をライン電話で聞いて、僕は次のようなことを思いました。

 まず、一つには対面で契約や相談事をすることが少なくなり、ホームページやメールで問い合わせや契約をすることが多くなった。二つには、トラブルが起こった時に、すぐに解決させないといけないという思いになる。三つには「変だな」と思った時に、身内や警察などそれなりの機関に相談することをしない。まず持って「変だな」とも思わないことです。

 友人も話していましたが、自分がこんな詐欺に引っかかりそうになったことは、誰にも恥ずかしくて言えないと。話したとしても、騙されたことを非難されるだけのような感じですから。

 僕が子どもの頃には、この手の事件は無かったように思います。押し売りはありましたが、ゴム紐だとかそんな物だったと思います。ゴム紐ならせいぜい数百円程度でしょうが、友人は百万円を超える被害になろうとしていたのです。

 それにしても特殊詐欺を防ぐ機関が、電話を盗聴していたというのも驚きでした。そして友人も話していましたが、人間不信になったことです。他人を信用出来なくなったことです。

 皆さんにも自分自身にも、特殊詐欺に遭わないように気を付けたいものです。

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「あさま山荘事件」終了から50年

 あの日の事、鮮明に覚えています。職場でもみんなでテレビ中継を観ていました。

 今朝のラジオ番組に山荘に立てこもった連合赤軍メンバーの一人、加藤倫教(かとう みちのり)さんがインタビューを受けていました。当時19歳でメンバーの中で2番目に若かった加藤さんは、警察のクレーン車の運転席に向けて発砲もしたそうです。

 懲役13年の刑を受け35歳で出所、現在は地元で農業をし、自然保護運動などに取り組んでいるとのことです。

 なぜこのような行動を行ったのかとのキャスターの問いに、ベトナム戦争が続いている状態の中、日本の地域からアメリカを支援するために爆撃機が飛んでいる中で、ベトナム戦争を終わらせたいとい思いから武力闘争という考えになった。このままでは世界大戦に発展するだろう、何とか今の状況を止めなければならないと思ったとも話していました。

 社会主義に過大な期待をしていたが、ソ連がアフガニスタンに侵攻する状況や、中華人民共和国に対する期待外れの状況への失望の気持ちもあったようです。それが暴力を使ってでも理想を実現しようとする方向になったという意味のことも話していました。

 この話しを聞いて、僕が高校生の時の担任教師を思い出しました。この教師は中国好きの人で、短波で放送されていた北京放送を聴くことを勧められました。「こちらは北京放送局です。日本の皆さんこんにちは…」で始まるものでした。ちなみに現在は中国国際放送(CRI)として放送され、強力な電波で送信されているためか、短波ラジオで鮮明に聴くことができます。最近は北京オリンピックに関するものばかりでした。

 当時の北京放送は、リスナーに対し中国の切手をプレゼントしてくれたりしていました。今でも切手帳の中にはたくさん切手が残っています。その担任教師さんは、もう20年以上前に亡くなられています。僕に中国思想が正しいんだということを、植え付けようとした思いがあったのかも知れませんね。

 原水禁・原水協の分裂も、ソ連の核兵器をめぐる考えの違いが根底にあったと思っています。当時、アメリカの核兵器には反対、ソ連の物は賛成という考えを持つ人がいたことです。

 加藤さんは、自分たちが行ったことを振り返って、間違った政府の政策に異議や抗議する市民運動が、悪いことであるかのように思われる風潮になったのではないかということを反省していました。

 当時の警察庁長官だった後藤田正晴さんは、長時間に亘ってテレビ中継したことについて、警察は可哀そうで正義の人、連合赤軍は悪い奴ということを宣伝するためには役立ったという意味のことを話したそうです。加藤さんが心配している風潮になったことを、裏付けているのでしょうかね。

たった1字で意味が変わる

 2月22日付けの朝日新聞「多事奏論」に、編集委員の高橋純子さんがとても興味深い原稿を書いておられました。タイトルは「詰め放題の改憲論 2代目の情念 3代目の軽さ」というものでした。

 その中で2月1日に亡くなった石原慎太郎さんについて、前提に高橋さんは「政治家として評価しない」としながら、石原さんは日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の「に」が、日本語として間違いであり、まずはこの1字を正すべきだと熱心に説いていたそうです。

 石原さんは、この「に」を具体的にどう変えるべきだと主張していたのかは知らないのですが、何度もこのくだりを読んでみて、「を」にしたかったのだろうか、それとも他の案があったのか真剣に考えていました。「に」も「を」も、僕の国語力からは同じに考えられるのですが、要は日本人の主体性だという意味のことを石原さんは、14年10月30日の衆院予算委員会で質問しています。

 これに対し当時の安倍晋三首相は「『に』の1字でございますが、どうか石原議員におかれましては『忍』の1字で」と答えているのです。あまりにも軽薄で国語力の無い安倍首相と、言葉にこだわる石原さんの違いをまざまざと見せつけていました。

 いっておきますが、僕も石原さんの数多くの差別発言は許されないと思いますし、亡くなった後のメディアの持ち上げ報道には、嫌気さえ感じています。

 僕たちも様ざまな活動を行う中では、「言葉」は道具であり手段です。ということを、本気で考えなければならないと思っていました。『てにをは』のチェックをということよくいいますが、改めて考えさせられました。

 それにしても改憲派のなんでもよいから、憲法を変えてみたい。そしてそれを自らの手柄にしたいという、見え見えの根性には呆れはてます。ついでに言わせてもらえれば、護憲派も改憲派の根性を見据えて、だからこのことを改憲条項にすべきでは無い必要無いだから憲法を改める必要はないということを、正々堂々と議論し市民に知らせることが大切なのではないでしょうか。

 高橋純子さんは、この改憲派のやり方をスーパーの「詰め放題」を例えにして書いていましたが、これは面白かったです。

 年齢を重ねると、多くの薬を飲むはめになります。血圧を下げるもの、血液サラサラのもの、神経性胃腸炎のものなどなど、処方した方は儲けと、医療過誤の責任を取りたくないという根性なのかと想像してしまいます。風邪を引いた時に3日分というように処方される方が好きです。


ロシアのウクライナ軍事侵攻

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のニュースを見て、平和公園内に在る「平和の鐘」を思い出しました。平和公園の碑巡り案内をするときに、必ず寄るところです。

 この鐘の周りには世界地図が描かれていますが、しかし、この地図には国境がありません。案内する時の言葉は「この鐘には国境が在りません。往々にして国境が在るから戦争が起こることが多いですよね。みんな仲良くという意味から、あえて国境を描いていないのです」という感じです。

 旧ソ連時代は、それぞれの国と名乗るところもソ連で一括りされていたのです。このブログでも書いたことがありましたが、チェルノブイリ原発はウクライナに在ります。しかし、ウクライナとロシアとベラルーシの三つが交わるところです。まさにたまたまウクライナの場所になっている、ということでしょうか。

 今日のニュースでロシアがチェルノブイリ原発を占拠し、原発で働いている職員を人質にしたということを報じていました。そしてテレビ番組のキャスターは、ロシアがチェルノブイリ原発に攻撃をかけるかも知れないと話していました。

 こんなことをしたら、ウクライナだけでなくロシアもベラルーシも、もっといえば地球全体が放射能被害を受けることは免れられないと思います。

 僕は、チェルノブイリ原発事故から10年目とその翌年に、ベラルーシとウクライナを訪れました。ベラルーシとウクライナの国境は、普通の道路に簡単な検問所のようなのが在るだけで、パスポートに丸い印を押されただけで簡単に通過できました。

 かつては欧州の国から侵攻され、そしてチェルノブイリ事故を体験し、また今度はロシアからの軍事侵攻を受けるという状況になったこの地域に住んでいる人のことを考えると、本当に心が痛みます。

 大らかで人の良さそうな感じ、そして苦しい経験をした歴史の中で作りだされた性格だと思うのですが、住んでいる一人ひとりの市民はとても優しい人だったように思います。チェルノブイリ原発事故から36年が経ちましたが、原発から30キロ圏内に住んでいる人は、いまだに元のところへ帰ることができないという状況の中、そしてこの時期たいへんな寒さの中、何はともあれ軍事侵攻は止めて欲しいと思っています。

 それにしても、特にワイドショーなどのテレビ番組が、まるで「ウオーゲーム」のように報じることには強い違和感を持っています。

200年後の今日の日を考える

 今日2月22日は、2が5個並ぶ日ということで話題になっていました。2月22日は、「ニャンニャンニャン」の語呂が元もと「猫の日」だそうです。しかも今年は、その前に22年が加わるので「スーパー猫の日」と呼ばれているそうです。

 今から200年後、2222年2月22日、現在生きている人は間違いなく死んでいるでしょうが、「ウルトラスーパー猫の日」とでも呼ぶのでしょうかね。いくらなんでも、猫も人類も絶滅しているとは思いませんし、思いたくありませんが、わが街の様相はどうなっているのでしょうか。

 逆に200年前の1822年を、インターネットで検索してみると江戸時代で、第11代の徳川家斉将軍の時代でした。北辰一刀流の創始者である千葉周作が活躍していた時代でした。その時代に思いをはすと、どうもわが家辺りは瀬戸内海の中だったようです。

 考えてみれば、200年前も200年後も地球誕生の歴史から考えれば、「あっ」ともいえない瞬間ですよね。

 しかし200年後の福島第一原発の姿を想像してみました。廃炉作業が終わり原発の建つ前の姿になっているとは、とうてい考えられません。放射能の半減期から計算すれば、数値は下がっているとは思いますが、どうなっているのでしょうかね。

 そしてもう一つの心配は、気候変動のことです。今年の冬のように寒い日が続いていると、単に温暖化が進んでいるとは思いませんが、原発事故、核兵器使用、生物多様性の喪失などによっての被害はあり得ると考えます。

 広大な廃屋のようになった異様な建物や原発の姿の中に、人の姿が見えないという状況、どんな生物が住んでいるのでしょうかね。

 2222年2月22日、277年前に広島・長崎に落とされた原子爆弾のこと、211年前に起こった福島第一原発事故のこと、どういうように伝わっているのでしょうかね。

 人が存在していないのなら、伝える側も伝えられる側もいないのか?

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