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三つのホショウ

 4月1日に大阪で“「被爆者援護法」と三つのホショウからフクシマを考える”というタイトルで話しをすることを頼まれていて、頭の中を整理しています。

 70~80年代、被爆者援護法の制定を要求する運動のために、何度上京したことでしょうか。「被爆者列車」と銘うって、今は無き夜行列車で行ったこともあります。そうした場で多くの被爆者の人から、たくさんのことを教えられたものです。それが今、僕の大きな財産になっています。

 その中にあるのが「三つのホショウ」というものです。「ホショウ」という言葉には、「補償」「保障」「保証」があります。「補償」のホショウは、原子爆弾が投下されたことにより、亡くなった人、大けがをした人、親を亡くした人、子を亡くした人、家族を亡くした人、財産を無くした人、そういう人たちへのホショウです。

 そして「保障」のホショウは、今生きている被爆者へのホショウです。健康問題に関するものが大半だと思います。

 「保証」のホショウは、二度と原子爆弾の惨禍を起こさせない、放射線被害者を作らないための社会を目指すというものです。

 先頭に立って被爆者運動を進められていて、1994年1月に92歳で亡くなられた哲学者の森滝市郎さんは、「原子爆弾投下の時に失明した片方の目については、何のホショウもされていない。今生きている自分には、健康管理手当などの手当てが払われている。そして今の政治状況では、これから核兵器が使われたり原発によって被害者が生じるかもしれない。これからの保証の問題が心配だ」と話されたことがあります。

 「だから被爆者援護法制定運動は、単に被爆者の金くれ運動ではない。国民全てのため、世界中の人たちのための運動なのだ! だから国民運動として全国の自治体で制定要求決議がされている。三つ目の保証が大事」ということを熱く話しておられました。

 しかし「国家補償の精神」の被爆者援護法は、当時自民党、社会党という自社政権の中にあっても制定されませんでした。

 特に最近、「被爆者の人はいいよねえー。病院に行っても病院代を払わなくて良いし。手当ても貰って」ということを聞くことが多いように思います。国の医療や福祉に対する政策が後退したことにより、その不満のホコ先が行政に向かわずに、被爆者に向かっているのだと思います。

 小学6年生の時、福島県大熊町に住んでいて3・11を経験した若者が、作文コンテストで原発事故に遭遇したことを書いていました。その中で彼は、“福島県内でも、原発事故で被災した人とそうでない人には温度差がある。「あの家は賠償金で潤っている」との陰口を聞き、心が痛んだ”と。ヒロシマ・ナガサキから72年になろうとしているのに、放射能被害の深刻さが伝わっていないなとシミジミと思います。

 ヒバクシャ問題はタブー視されていたのでしょうか。皆さんのご意見を是非とも寄せてください。
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高齢者の闘い

 反原発にしても、戦争法に反対する活動にしても、その活動に関わっている人の多くは高齢者が多いと思います。高齢者を何歳からにするかと云うこともありますが、まあー60歳前後から上の人でしょうか。もちろんたまに30歳代というのも見かけますが、そういう人を見ると「珍しい」というように感じます。

 若い人は仕事というゾーンの中で、生活がかかっているのですからなかなか難しいという状況にあるでしょうし、今の社会ではこういう問題に関わっているとすぐにレッテルが貼られてしまうという、周辺状況が在ると思います。これが一番大きな問題かも分かりませんが。

 アメリカ大統領選挙でも、トランプを当選させた勢力の多くは古きよき時代を懐かしむ高齢者世代だと、ある人が話していました。

 先日読み終えた内館牧子さんの「終わった人」の中に、「金時モチ」という言葉がありました。お菓子ではありません、お金と時間を持っているオヤジのことだそうです。愛情などまったく無いのに、若い女性たちから「オネダリ」のターゲットにされるオヤジのことでもあります。

 まあー「金時モチ」のような人もいるでしょうけど、年金は引き下げられる、医療費は上がる、介護保険料は上がる、などなど高齢者が住みにくくなる状況は増していますね。そういう中でも、この国が悪い方向へ向かうことに対し、子どもや孫たちに少しでも良い世界にするためにと、頑張っている僕ら世代の貴重な存在の人たちだと思います。

 高齢者が住みにくくする政策は、今でも社会運動の中心にいる人を、まさに「兵糧攻め」で関わらせなくするというように見えるのは、僕が相当にヒネクレテいるでしょうかね。一方でカジノを解禁し、そっちに金をつぎ込ませてしまおうという政策でしょうか。アベシンなら、こういう発想もするのではないかとさえ思ってしまいます。

 と云っても、高齢者になって活動している人もこの年齢になって関わり始めたという人は、そんなに多くはないと思います。若い頃から社会状況に疑問を持ちながら、いろいろなことを勉強して今になったのではないでしょうか。

 僕も前期高齢者の真っ只中にいて、高齢者ではなく後継者のことを考えるようになりました。しかし、僕世代が考えているある意味ワンパターンの発想ではない、新しい発想の中で活動をする若い世代が必ずや出現することを期待しています。

 ある意味、まだ元気だと思っている高齢者世代の「頑固さ」「かたくなな態度」が若い世代を押さえ付けているのかと思ったりもしています。しかし若い世代の人へも、過去の経過については話しておかねばとも思います。

 上関原発建設問題が公けに明らかになったのは、1982年です。今から34年前のことです。当事者である中国電力社員にしても最初からその経緯を知っているのは、もう退職前の人ではないでしょうか。22歳で入社した人も56歳、特に会社ではずっと同じ部署にして上関を担当しているのは、皆無に近いでしょうから。先日、中国電力に申し入れをした時、上関町長選挙の不正転入事件のことを言ったら、担当者がまったくそのことを知らないみたいでした。

 間違った歴史を、しっかり学んでこそ同じ失敗を犯さないのではないでしょうか。最近そんなことを強く思っています。

ボブ・ディランさんがノーベル文学賞

 本題に入る前に、今朝からこの9月21日に東京で開催された藤田祐幸さんを偲ぶ会で、娘さんが藤田さんに聞いた、「どんな人生だった?」という質問への答えをずっと考えていました。当日貰った資料の中にも、その答えの文章があったのですが、どうしても見つかりません。

 この会に参加していた知人二人にも電話をしましたが、「資料を貰わなかった」とか、電話に出てくれないとかで分かりません。一言の言葉が見つからないだけで、ブログの文章が進みませんでした。

 たぶん藤田さんの言葉は「波乱万丈だったけど、やることはやった、後悔はない」というようなものだったと思います。この言葉を入院中、考えていました。「波乱万丈」というのには人それぞれの受け取り方で、個人差があると思いますが、僕も「波乱万丈」といえばそうではありますが、藤田さんと違って「やることはやった、後悔はない」というようにはなりません。原発問題一つでも、たくさんのやらねばならないことが多く、イライラという感じです。

 そんなイライラの中でも、ボブ・ディランさんがノーベル文学賞を受賞したのは、本当に良かったですね。昨年のスベトラーナ・アレクシエービッチさんの時もとても嬉しかったので、2年連続の喜びです。スベトラーナ・アレクシエービッチさんは「チェルノブイリの祈り」という本を書いたベラルーシの女性作家です。春樹ファンには悪いような気もしますが、ノーベル賞選考の目も賢明だったという感じです

 ボブ・ディランさんの「How many roads must a man walk down」で始まる「風に吹かれて」は、知ったげに英語で唄ったものです。一昨年1月に亡くなったピート・シーガーさんの「花はどこへ行った」も大好きですし、天国のピート・シーガーさんも、ボブ・ディランさんの受賞を喜んでいるでしょうね。

 アメリカに行った時など、平和集会などではこのボブ・ディランさんやピート・シーガーさんの歌はよく唄います。こういう人が今でも、アメリカ内だけでなく世界中で人気があるというのは、まだアメリカのフトコロの深さを思っています。

 新聞には1963年8月28日に、ワシントンで開催された人種差別撤廃を求めるワシントン大行進で、ジョーン・バエズさんとボブ・ディランさんの若き時代写真が載っていましたが、これは保存物です。

 日本ではこんな歌を唄っていると、すぐに干されるでしょうね。何年か前に山口市で開催された反原発集会で高石ともやさんが唄ってくれましたが、こういう歌手がテレビなどで観ることが出来る状況が必要ですね。


身体で感じた広島・長崎の違い

 昨日の夕方、長崎から帰りました。5回の昼食・夕食の内、ちゃんぽん・皿うどんを3回食べました。もっとも有名だと言われている店では、約40分以上は待たされましたが、根性で待って「さすがー美味しい!」と食べました。 
 広島に来る人から「お好み焼きの美味しい店を教えて」と訊ねられることがありますが、ここが良いと言えるような店を知っておかなければなりませんね。

 広島での疲れた気持ちを徐々に平常に戻していくためには、長崎に行ったのはとても良かったと思っています。

 さて、身体で感じた広島と長崎の違いを書いてみたいと思います。言っておきますが、どちらが良いとか悪いとかをいうものではありません。

 長崎駅に降りると、駅の改札を出たところに赤字で「歓迎」と書いた「原水禁大会ご一行様」というのが目につきました。たぶん長崎市かJRが出したものでしょうね、広島駅ではないことですね。この看板だけで、暖かい「おもてなし」の気持ちを感じました。

 広島であって長崎で見当たらなかったこと、いわゆる「セクト系」の集会チラシはもらいましたが、市民団体が主催する集会などが余り無いことです。原水協主催のものは在るのだと聞きましたが、目に付きませんでした。

 9日の日は、爆心地公園辺りで「安倍は長崎に来るなー」というヘルメットを被ったデモ隊を見かけましたが、警察の警備がとても薄いというか普通のデモ隊への対応と同じだということも思いました。広島ではデモ隊より機動隊員の数の方が多いのではないかというほどの警備ですが、長崎はいたって少なく、数人程度のおまわりさんだけのように見えました。

 会場の場所がよく分からなく、交差点に立っている警察官に訊ねたのですがこれまた親切、丁寧に教えてくれて最後に「ご苦労様です」とまで言われて恐縮の極みです。

 そして、市主催の式典に「平和への誓い」というのがあり、被爆者代表の方が話されます。その中で「国会と政府は、憲法に反する安全保障関連法を廃止し、米国の『核の傘』に頼らず、核保有国に『先制不使用宣言』を働き掛けてください」と話された部分、そして最後に「広島、福島、沖縄の皆さんと連帯します」と言われた箇所、僕は爆心地公園の中で持参したラジオで聴いていましたが、広島では無いことです。

 安倍首相が昼食を食べ、被爆者からの要望を聞く会の会場となったホテル前をたまたまその時刻に通ったのですが、入り口付近はホテルの従業員が数人立っている程度でした。ここでも広島での警備のような嫌らしさを感じませんでした。

 広島は首都に近いから、永田町の思惑を過剰なまでに意識するのでしょうかね。開かれ方では、長崎の方が大物というのが実感でした。





僕のハチロク

 8月6日を挟んだこの期間を総称して、「ハチロク」と言います。その「ハチロク」ですが、今、長崎に来ています。長崎は10年以上前までは、被爆二世組織の代表として毎年来ていましたが、その役員を辞してからは来る回数がぐーんと減りました。

 少々年齢を重ねたら広島での行事だけで疲れが残るために、身体のためにはその方が正解だと思っています。

 その「ハチロク」ですが、なんといっても小学校1年生になった孫は8月6日が登校日になり学校へ行ったことです。学校では、たぶん式典の様子をテレビで観て、先生が何か話しをしたのだろうと思います。「じいちゃんに教えてちょうだい」と訊ねたのですが、教えてくれませんでした。それでも8月7日の朝、僕が長崎へ行く支度をしていたら、「後2日寝たら、長崎に原爆が落ちた日だー」と話していましたから、さすが俺の孫だーと喜んでいました。

 「ハチロク」に何をしたかを全部書いていたら、相当に長くなるので、思ったことの二つを書いておきます。

 それは広島の式典でのあいさつや市長の平和宣言です。市長の平和宣言ですが、『この広島の地で「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、オバマ大統領と共にリーダーシップを発揮することを期待します』の部分です。オバマがリーダーシップを発揮していない、発揮できないことを十分知っていながら、そして安倍首相が核兵器所有について憲法に違反しない論者と知っていながらであるならば、痛烈に皮肉を込めたものだと感じました。

 その次に『核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり…』の部分、これも何とも言えない皮肉を感じました。市長が本当に憲法を大切だと思うのなら「憲法改正の動きに強い危機感を思う」くらいを言えば良いのでしょうが、まあー永田町に目が向いている市長ですから、期待できないでしょうね。

 一連のあいさつで湯崎英彦県知事の次の発言は、久々のヒットだと思いました。次の部分です。
「安全保障の分野では、核兵器を必要とする論者を現実主義者、廃絶を目指す論者を理想主義者と言います。しかし、本当は逆ではないでしょうか。廃絶を求めるのは、核兵器使用の凄惨(せいさん)な現実を直視しているからです。核抑止論はあくまでも観念論に過ぎません。核抑止論は逆に核が二度と使われないことを保証するものではありません。それを保証できるのは、廃絶の他ないのです。このあいさつはとても興味深いものだと思いました。

 今年は広島も長崎も開会総会に参加しましたが、長崎の開会総会は、総会を支える人が多くいたことです。被爆者の人たちだけのコーラス団、最後に歌を唄ってくれた人は100人以上いたと思います。長崎市長も何の原稿をみることなく、自分の言葉であいさつをしました。

 映像もふんだんに使った開会総会だったと思います。総会を支える人をたくさんお願いして、自分たちが作った総会だと思う人が多いほど成功なのではと思います。



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