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ブログ600号達成、「尺」を考える

 「省ちゃんの前向き語り」ブログ、今号で600号を達成しました。この日に合わせてくれていたように、ノーベル平和賞を核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN(アイキャン)」が受けることになり、本当に嬉しく思っています。

 このことをニュースで知って、核兵器禁止条約に反対した日本政府に対し「ざまをみろ」という言葉が出てきました。まさにノーベル委員会、世界の流れからの、日本政府への痛烈なるメッセージだと思っています。

 日本で「ICAN」の運動の橋渡しの役をしている川崎哲さん、そして広島、長崎の被爆者の人たちの気持ちは、嬉しさで一杯でしょうが、その一杯の気持ちが、日本政府への怒りになってしまいます。

  「尺(しゃく)」とか「尺度」とかいう言葉、メディア関係者の中で、テレビやラジオではニュース映像や原稿の長さ、新聞では記事の長さという意味で使いますが、僕はどんな基準、視点で対象物を視るかということで使っています。

 僕が定年まで勤めていた職場の友人と話しました。今の職場では、宿泊を伴う研修でホテルなどに宿泊する時、節約・経費節減のために、二人部屋に簡易ベットを持参させて3人以上で泊まらせているそうです。経費節減のためには「何でも」という尺でやっているのだそうです。

 研修成果のことを考えると、ゆっくりと学習ができる環境を与えるのが、会社としての「尺」ではないでしょうか。家族や友人らとで節約するための宿泊ではないのですから。

  「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮を表わした「3だけ主義」という言葉がありますが、この「尺」で今の在り方を考えれば、環境破壊も原発も弱肉強食も許せることかも知れません。それでは子孫に対する、私たち世代の責任は果たせません。

 選挙を直前にして、500年先のことを見据えた「尺」で、私たちの一票を投じなければ、「ヤバイ」状況になるのではと思っています。僕が「500年先」と話したら、友人が「2万4千年先」と言いました。2万4千年とは、プルトニウムの半減期です。

 ノーベル平和賞は、かつて佐藤栄作首相もオバマ大統領も授与したことで、その「尺」には疑問を持ったことがありますが、この度のICANは本当に正しい「尺」で判断したと思います。

 日本政府が核兵器禁止条約に反対したこと、この機会ですから選挙の大きな争点になるようにしたいと思っています。


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8月を振り返って

 自宅前の通学路、今朝から小学生の歓声が聞えはじめました。こういう声を聞くとホッとしますね。やはり子どもの声というのは本当に良いものだとつくづくと思います。

 8月という月は1月と同じように、長く感じる月です。原爆の日、お盆、秋に向けての準備、そして今年は特に暑かったということで長く感じたように思います。ということで、8月を振り返ってみます。

 8月5日の夕方、「8・6ヒロシマ平和へのつどい2017」というのが開催されました。僕は毎年、このつどいの冒頭のあいさつというのをしています。このつどいに女性右翼活動家が変装して入り、そのことを産経ニュースにレポートとして載せていました。このつどいの代表者を批判するレポートともに、高校生平和大使も攻撃している文章でした。産経と女性右翼活動家の繋がりには、驚きでした。

 8月9日の長崎で、安倍首相との意見を云う会で、冒頭、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一さんが「あなたはどこの国の総理ですか、私たちをあなたは見捨てるのですか」と言われたこと、核兵器禁止条約の交渉にすら参加しない政府の姿勢い対する言葉です。以前は、「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と云うことがいわれてましたが、それが逆転してしまいましたね。

 平和宣言にしても、政府の考えを忖度して遠慮遠慮している広島市と、云うべきことは言うという長崎市の姿勢の違いは明白です。

 月半ばの日に、友人と被爆者運動の歴史、特に原爆直後の10年間くらいの時期の被爆者運動が難しかった時期について、語りあいました。ヒロシマ・ナガサキのこの時期のことと、6年5か月のフクシマでの状況、比較し重ね合いながらの話しは、とても興味深いものでした。

 今、俳優の中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」を9月9日に福山市、10日に広島市で開催するため、本気になって準備をしています。そのために記者会見というのを、久しぶりにやりました。会見に来てくれたメディアは2社、ちょっとがっかりでしたが記事が朝日新聞に掲載されたら、その日の朝から大げさですが、電話が何本も掛かってきました。もちろん中村敦夫さんの知名度からでしょうが、関心の深さには「捨てたもんじゃあない」という気になりました。

 週2日ですが仕事に行ってる職場で、働いている若い人がセッセと何かを書いていました。スマホを見ながら、一心不乱という感じで書き写していました。  
ちょっと感心があったので、チラッと覗くと「始末書」というものでした。なぜ「始末書」を書くはめになったのかは知りませんが、最近は「始末書の書き方」と検索すると、文例がいくらでも出てくるのですね。何でもコンピューターに頼られるのだと関心しました。こんな形で書かれた「始末書」を持って、「安心」している経営者も、「なんともイヤハヤ」という感じです。

 孫らと妻の先祖の墓や妻の兄妹らの家、そして海水浴にも僕にとっては珍しく行きました。

 そして肝心なことを書くのを忘れていました。それは「エネルギー基本計画」の改定に向けての政府の会議の第1回目が、8月9日に開催されたというニュース、この改定はこれからの原発政策に大きく影響をします。これから冬にかけてどのような展開を見せるかが重要です。

 そしてもう一つ、NHKの8月26日土曜日の朝の討論テレビ番組で、高レベル放射性廃棄物の地層処分問題で原子力資料情報室の伴英幸さんが出演していました。彼とは長い友人です。番組が終わって早速電話をしました。その時は話せませんでしたが、夕方になって電話が掛かってきました。「なかなか良かったぞー。それにしても『地層処分』という言葉を始めて知ったという視聴者からの反応があったけど、こういう人がまだ居るんだからねえー」とかいった話をしあいながら、「今朝は朝から気分が良かったぞー。良かった良かった」と激励しあいました。

 このブログを書いている時、長崎市に住んでおられる、被爆者の谷口稜皣
(たにぐち すみてる)さんが亡くなられたというニュースが入りました。よく知っている方で、特にアメリカのドキュメント映画「ダークサークル」の製作では本当にお世話になっていました。
 


「被爆者になりたい~」

 よく「原子爆弾に遭った人は良いよねえー。病院はタダだし手当ても貰って」という言葉を聞くことがあります。こういうのを聞くのは、本当に不愉快ですが、今の日本の医療や福祉対策の遅れが、こういう妬みのようなものになるのだと思いもします。

 今年の原爆忌が終わり、友人と被爆者活動のこれまでとフクシマへの被災者対策について、話し込みました。

 原爆が投下されて12年後の1957年4月に、正式には「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」、属に「医療法」といってる法律が施行されました。それまでの12年間の被爆者の状況は、偏見や差別の中にありました。同じ被爆者でもケロイドが在る人無い人。国による何の対策もなく、苦しみ中のどん底でした。

 そんな中でも被爆者救済のために苦労した人、お先真っ暗の中で病気とのたたかいも在る中で、すべて手弁当で闘った人のことを忘れてはならないと思います。こんな時間が12年間もあったのです。12年間は本当に長かったと思います。

 それが1957年に「医療法」ができ、「被爆者になりたい」人が徐々に増え始めました。そして1968年の「特別措置法」の制定となり、1994年12月にこの二つの法律が一本化されて「援護法」が制定されたのです。

 「された」という言葉を使うと、何も戦いが無くて国が「してくれた」というように受け止める人も多いと思いますが、この法律を制定させるために被爆者の人たちを中心にした、血のにじむような活動があったことを忘れてはなりません。

 特に、原子爆弾投下から12年間のことを考えると、涙が出てきます。僕が被爆者援護法を成立させる運動を始め出したのは、1970年代からですから、「医療法」も「特別措置法」も制定された後で、いわゆる「安定期」といって良い状況の中でしょう。でもその頃に知りあった被爆者の人たちも、「この法律はこれから二度と、原爆被爆者のような放射線被害者を作らないという『未来の保証』を勝ち取るものだ」と、熱く語られた姿は忘れられません。

 繰り返しになりますが、もっともっとたいへんだったのは、12年後までの被爆者ではないでしょうか。誤解を招くかも分かりませんが、あの頃被爆者を差別した人が、今ごろになって「被爆者になりたい」と言ってるのではないかと思ってもしまうのです。

 福島原発震災から6年5か月、国からの施策はほとんど「何もない」状況の中で、同じ被災者の中でも差別と分断が起っている状況、1945年のヒロシマ・ナガサキと同じように見えるのです。

 そんな中でも、被爆者として戦ったヒロシマの先人たちのこと、フクシマでフツフツとした思いで活動をしている人に、是非学んで欲しいと思うのです。外部からの偏見や分断の動きを知りつつも、たいへんに困難なことではありますが、道理のある姿を示して欲しいのです。

 こんなことを語りあった友人に、「こんな本を読んだら、というのがあるかなあー」と訊ねたら、山代巴さんの「原爆に生きて」が参考になるのではと教えてくれました。

 もうすでに絶版になった本で、アマゾンでも探してみましたが在りませんでした。そうなると図書館に行ってみるしかないですね。

北朝鮮が「プルトニウム増産か」報道

 大前提で言っておきますが、日本における報道などを見ている限り、北朝鮮の政治体制が良いとは思いません。日本に住んでいる「北朝鮮系」の知人・友人は何人もいますし、仲良しです。しかし残念ながら現在北朝鮮に住んでいる知人はいません。ぜひとも友達を作りたいと思っています。

 北の指導者は良くないとは思いますが、それは日本も一緒でしょうね。まさに「どっこい、どっこい」、指導者が悪いから国民も悪いと言われたら、僕だって大迷惑です。

 北朝鮮が核実験を行ったり、ミサイルを発射したりする報道を見るといつも思うことがあります。特に核実験の場合ですが、「この核実験で周辺住民や環境に影響は表れないだろうか」という心配です。地下核実験でも、大きな影響が出るのですから、それが隠されていることで、ますます気になります。

 北にも広島・長崎の原爆被爆者が住んでいますが、それらの人には何の救済措置もされていません。「被爆者はどこにおっても被爆者」という、被爆者救済の原則に戻れば、国交が無いからということで何の努力もしないことにはならないと思っています。

 その北朝鮮が「プルトニウムを増産か」、という新聞記事が7月16日に載りました。米国の大学の北朝鮮分析サイト「38ノース」が、分析したというものです。プルトニウムの生産量は不明としていますが、再処理施設の温度が高かったということで、この発表になったようです。

 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、北の持っている核弾頭について、昨年の分析では最大10個と推定していたそうですが、今年1月時点では10~20個に増えた可能性を報告しています。こんな「百害あって一利なし」のプルトニウムなんか、持って欲しくありません。

 一方この日本、原発から出てくる使用済み核燃料を再処理して、生みだされるプルトニウムは高速増殖炉の燃料として使うと、それは「夢のエネルギー」だという大嘘を言ってきました。「きました」という過去形ではなく、今もそういう意味のことは言ってます。

 しかし、昨年福井県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」は、莫大なお金を費やしながらも、廃止されることになりました。いまやプルトニウムの使い道は、核兵器しかありません。電気事業連合会は、プルトニウムを普通の原子力発電所で使うというプルサーマルを、10基以上の原発で行うという計画を言ってますが、やっかい物の処理のツジツマを合わせでしかありません。

 そうなのなら、もうこれ以上プルトニウムは作らないというのであれば、まだ理屈にあうとは思いますが、一方で青森県の六ヶ所村再処理工場は運転を始める、第二再処理工場も建設するという姿勢です。

 日本には、48トンのプルトニウムが存在するとされています。フランスやイギリスに保管されている物も含めてですが、北朝鮮どころではありません。原発級のプルトニウムでも、約8キログラムで核兵器が1個出来るとされていますから、48トンでは6000発の核兵器です。北の数を20個としても、その300倍です。

 日本は北より理性があるから、平和国家だからなど「意味・根拠不明」なことを言う人もいますが、いつまでこんな「ノウテンキ」なことが言えるのでしょうかね。

跋文を書きました

 やっとという感じですが、来週19日に橋爪文さんの「8月6日の蒼い月」という本が出ることになりました。1年半ほど苦労しましたので、ホッとしています。

 そしてこの本の「跋文」というのを、僕が書きました。「ばつぶん」と読むそうですが、初めて聞いた言葉でした。調べてみると、終わりに書く「あとがき」だそうです。そして、この跋文の一部が帯文としても使われることになりました。書店でも販売されますので、是非とも読んでいただきたいと思います。自慢になりますが、この跋文を紹介させてください。

橋爪文さんと蒼い月

 橋爪文さんは私のことを「省ちゃん」と呼び、私は「文さん」と呼ぶ。「広島の息子」と紹介されることもある。

 私の両親と母方の祖父母、二人の姉が広島で被爆した。爆心地近くに住んでいた祖父母は即死であった。
すぐ上の姉は1946年2月生まれの胎内被爆である。私は原爆から4年後に生まれた被爆二世である。私が4歳の時、父親が急死した。背中から腕にかけて大やけどをしていた母だが、母は3人の子どもを抱えて、たいへんな苦労をしながら私たちを育ててくれた。すでに母も胎内被爆の姉も亡くなった。だから文さんと会うと、どうしても母の面影と重なりあう。

 これまでたくさんの被爆体験記を読んだし、体験談を聞いた。それらの体験の多くは、悲惨な地獄絵に終始する。もちろん悲惨なのは事実だが、それだけでは聞かされた私は、ただ頭を下げるしかない。

 しかし文さんのものには、その中にあって生身の人間としての苦しみとともに、生活の中で感じたちょっとしたところに生きる工夫があり、楽しみがあり、生きる上での知恵を感じ、また本人は直接告白されてはいないが、たぶんこれは恋だなあーと思われる場面もある。そして心身ともに苦しい状況の中にあっても、希望を持って生きなければという決心のようなものを受け取る。

 本の題名も以外とすんなりと「8月6日の蒼い月」と決まったが、あの中にあっても蒼い月が励ましてくれたのだろうか。
 
 本能として持っている詩人としての感性だろうか、人や自然、未来に対する洞察力には凄まじいものがある。しかしその根底には、常に優しさが流れている。

 昨年3月末現在、被爆者健康手帳を持っている被爆者の数は約17万4千人となった。逆に原爆慰霊碑に奉納されている過去帳に記されている被爆者は、30万人を超えた。

 今年は原爆投下から72年、70年の時には「節目」といわれ、昨年、現職の大統領としては初めてとなるオバマ米大統領が平和公園を訪れた時は、「区切り」といわれた。

 しかし、日本政府の「原爆投下などまるで無かった」かのように、戦争への道を歩もうとする姿を見ていると、ヒロシマを「節目」として「区切り」としてよいのだろうかと、つくづくと感じる。

 そんな中で、生き残っている被爆者として文さんの中に「伝えておかなければならない」「残しておかなければ!」という気持ちが強く働いたのだろう。その気持ちが、書くことのエネルギーになったのだと思っている。

 「ヒロシマの在るこの国に生きた者」として、多くの人に読んで貰いたい。そしてみんなが「蒼い月」を持って欲しいと思っている。


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